ケツバン

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1997年の今日、12月16日にテレビ東京および系列局で放送されたテレビアニメ「ポケットモンスター」こと、ポケモンを見ていた視聴者の子供たちが、眼に異常を覚え、不快な気分や頭痛や吐き気といった症状などをうったえる、という事件がありました。

あれから、18年… このころ5歳だった我が子は幸いこの番組を見てはいませんでしたが、症状を発した子供を持っていた親御さんたちは、なぜこんなことが起こったのかと、唖然としたことでしょう。

その息子君も今年は大学4年。あとは卒業を待つばかりですが、さすがに最近はポケモンだの、妖怪ウォッチなどには興味などはなく、目下の関心は、幸いにもすでに決まっている就職先での来春からの新生活にあるようです。

それはさておき、この事件は「ポケモンショック」と呼ばれています。原因は、この番組における激しい光の点滅を断続的に見たことにより、「光過敏性発作」が引き起こされたためとされ、事件の余波を受けてこの番組の放送はその後4カ月の間休止されました。

当日放映されていたのは、ポケットモンスター第38話「電脳戦士ポリゴン」であり、問題となったのは、その後半あたりの映像です。このときの視聴率は、関東地区で16.5%、関西地区で10.4%であり、少なからぬ子供たちがこの人気番組をみていました。4~12歳のおよそ345万人の視聴者がいたと推定されています。

この回は、主人公・サトシたちがコンピュータ内で起きている事件を解決するためにコンピュータ内部に入り込むという内容であり、コンピュータの世界を表現するため、ワクチンソフトによる攻撃シーン、破損したデータを修復したシーンにパカパカを始めとするストロボやフラッシングなどの激しい点滅が多用されました。

後にテレビ東京が配布した報告書によれば、25箇所にわたって1秒間以上連続してこうした点滅が使用されていたといい、特に番組後半はとくにこれらが重点的に使用されていたそうです。特に顕著だったのが、ピカチュウの技「10万ボルト」がワクチンソフトのミサイルに当たった場面でした。

「アニメ・ポケットモンスター問題に関する記録」という記録文書があり、このなかでは、この回の放送直後、放送を見ていた視聴者の一部が体調不良を訴え、病院に搬送されたとされます。病院に搬送された患者の多くは児童であり、テレビ東京が最終的に把握した患者は約750人になり、そのうち135人が入院しました。

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患者の症状は主に発作様症状、眼・視覚系症状、不定愁訴、不快気分、頭痛や吐き気などでしたが、原因は上記のとおり、激しい光の点滅を断続的に見たことにより、光過敏性発作が引き起こされたためとされます。

光過敏性発作を誘引する原因には光による刺激のために、一種の癲癇(てんかん)が引き起こされるためと考えられているようですが、それ以外の複数の要素が関わっている可能性が指摘されています。このため、「てんかんの一種」と言い切るにも語弊があるようで、医療関係者たちの間ではいまだ研究途中のテーマのようです。

事件翌日の1997年12月17日には、同じテレ東の番組、「少女革命ウテナ」最終回において、お詫びテロップが流されましたが、その内容は、「昨日の放送分の「ポケットモンスターをご覧になると目眩がしたり、具合が悪くなったりする可能性があります。きのう放送分の「ポケットモンスター」をビデオでご覧にならないようにお願いします」でした。

事件後、テレビ東京は原因が究明されて再発防止策がとられるまで、特番を含めた「ポケットモンスター」関連の放送を全て休止すること、および関連情報を調査の結果が分かるまで扱わないことを発表しました。

この他にもテレビ東京ではポケモン関連番組・コーナーの放送自粛、レンタルビデオ店にアニメのレンタル自粛の要請、テレビ東京の系列外のローカル局に対しても当該放送分以外の回も含め放送自粛の要請を行いました。

この事件を受け、こうした画像問題に関しては研究機関を持つNHKが、再発防止対策として「アニメーション問題等検討プロジェクト」を立ち上げました。その際に、NHKも自ら放映したことのある「YAT安心!宇宙旅行」という番組において、放送後に同様の原因で4人の児童が体調不良を訴えていた事例があったことを明らかにしました。

そして、「そのとき原因究明をしていれば、今回の事件は起こらなかったかも知れない」としてNHKもまた陳謝しました。

当時の厚生省も「光感受性発作に関する臨床研究班」を発足させたほか、郵政省(これも当時)も「放送と視聴覚機能に関する検討会」を設置、NHKと日本民間放送連盟(民放連)とともにタッグを組んで、共同ガイドラインを策定することで合意しました。

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テレビ東京はこの他に、日本国外のテレビ局において罰則も規定されているガイドラインを持つイギリスに着目し、同国の独立テレビジョン協会に年明け早々に調査団を派遣したほか、アメリカにも同様の調査団を派遣しました。

イギリスにおいては、1993年にカップラーメンのテレビコマーシャルを見た3名がこの種の痙攣発作を起こして病院へ運ばれており、これを受けて、独立テレビジョン委員会およびBBCが防止のためのガイドラインを策定していました。

テレ東はさらに局内調査はもちろん、外部調査チームの受け入れを行い、こうした諸外国の事例をもとに「アニメチェッカー」と呼ばれる機構の開発と導入を行うなど、事件の当事者として最大限の再発防止策をとりました。

ポケットモンスターは今でもそうですが、この当時も相当な人気のあるアニメでした。事件後も放送再開を希望する声は多く、テレ東は、翌年の3月末にはNHKと民放連のガイドラインが発表される見込みが出てきたとして、早ければ4月中旬に再開できるとし、放送再開を前に事件の検証番組を放送することを発表しました。

4月8日、NHKと民放連は光の点滅などを規定したガイドラインを発表。また4月11日午後1~2時に「アニメポケットモンスター問題検証報告」がテレビ東京系6局で放送されましたが、その後ポケモンは放送枠を以前の火曜日から木曜日のゴールデンタイムに移動し、4月16日に放送が再開されました。

再開時の視聴率は16.2%だったといい、相変わらずの人気ぶりでした。放送再開後のアニメではオープニングの一部や、ピカチュウの10万ボルトの表現が変更されるなど、光の強いシーンは光量が抑えられるなどの修正がなされていました。

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また、事件前に放送されていた回も、後日販売されたビデオ・DVD版、再放送、アメリカでの放送の際に、点滅箇所の修正がなされました。しかし、第38話に限っては修正不能と判断され、ビデオ・DVD・再放送枠および国内外のすべての放送リストからカットされ、「欠番」扱いとなりました。

また、問題となった第38話で登場したくだんの「ポリゴン」というキャラクターは、その進化形であるポリゴン2とポリゴンZも含め、テレビシリーズ本編ではその後一切登場しなくなりました。

このように、現役で放映されているもの、あるいはすでに放映済みのものも含めて、製作あるいは公開された後、「特別な支障」が生じたため公開・流通がなされなくなった作品が出ることがままあり、これらは、「封印作品」と呼ばれます。

テレビ番組だけでなく、文学作品、漫画、映画、歌謡曲その他の作品の中にもありますが、テレビで放映されたものとしては、このポケモン以外にも例えば、ウルトラセブン 第12話「遊星より愛をこめて」ブラック・ジャック 第41話「植物人間」、第58話「快楽の座」などがあります。

これがなぜ封印作品になったかといえば、ウルトラセブンでは、この回においてケロイドを彷彿させる黒い大きなしみのようなものがある宇宙人が登場し、主人公のモロボシ・ダンがこれをみて、「原爆病によく似た症状じゃないですか」としゃべるセリフがあったためです。また、ブラック・ジャックのほうも「植物人間」という言葉が問題になりました。

このように、言論・表現の自由が認められている日本のような国においても、しばしば放送禁止の対象となる用語があり、そうしたものはおおむね、「公序良俗」に反するものです。日本では、「電波法」という法律があり、この中に、以下のようなものの放送が禁止されています。

・政府を暴力で破壊することを主張する通信を発することの禁止
・わいせつな通信を行うことの禁止
・差別を助長する恐れのある言葉や表現
・暴力や犯罪を肯定的に扱う言葉や表現

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また近年、個人情報保護法が制定、施行されたことにより、これに抵触する、あるいはその恐れのあるものについて、新たに規制の対象となっており、放送内容上、必要のない個人情報を含む映像、コメントなどについてなど細かく対象となる事物が決まっています。

しかし、こうした規制の方向に危惧をいだくテレビマンやジャーナリストも多いようです。放送はジャーナリズム機能を持ったマスメディアであり、ニュースやドキュメンタリーに限らず他の番組についても程度の差こそあれ、ジャーナリズム性を帯びているといえます。

また、放送、特にテレビ放送は聴覚性、視覚性、同時性、臨場性があり、活字メディアなどに比べ受け手に与えるインパクトがはるかに強く、社会的影響力が大きいものです。公共財産である電波を利用することから「公共性」が極めて高いというという論理となり、放送にはいわゆる「中立性」が求められるべきだ、というのが彼らの意見です。

思想・思考、言論、表現の自由は広く保障されなければならない、というわけですがしかし、表現の自由は絶対的で無制限なものではなく、特に大衆を対象とする放送で、安易に全てをありのまま自由に表現することが常に正当化されるわけではありません。表現の自由が保障されている場合、容易に当事者間、第三者間での利害関係を生みやすくなります。

従って、なんでもかんでも放送していいというわけにもいかない、というのが日本を含めた国際的にほぼ共通した認識です。イスラム国や北朝鮮のような、ならずもの国家はともかく、多くの国ではこのルールを守り、「放送の責任」としての表現の規制が行われています。

ただ、日本と欧米を中心とした諸外国では、表現の自由に係る根本的な考え方に大きな違いがある、といわれます。すなわち報道内容に係る責任の帰属が、欧米を中心とした諸外国では「表現者」ですが、日本では「マスコミ」である、という違いです。

どういうことかというと、諸外国では、報道内容は「多様であるべきである」、とされるのが普通で、被取材者の表現を肯定あるいは否定する上においては、マスコミ自身の表現だけでなく、取材を行った記者なども加わり、日本では偏向報道として問題となるような内容のものも、彼らの責任で自由に報道される風潮があります。

これは、表現の責任の所在は原則、個人とされており、タブーは表現者個人、つまり被取材者のみならず、各マスコミや個別案件ごとの担当者の中にそれぞれある、とされているということです。

このため、一見、タブーは存在しないようにさえみえ、また、他社が報道しないことを報じていることを売り物にするマスコミも多数あります。いちいち「規制する」という概念そのものがないことも多く、わりとあっぴろげにタブーが報道されたりします。

ところが、日本では報道した内容の責任はすべてこれを司るマスコミに押し付けられます。個人意見でもなんでもかんでも、ともかくそれを取り上げて放送したマスコミの責任、というふうになっています。このため、訴訟を起こされたり、物理的ないし経済的な損失を被る危険がある話題について、大多数のマスコミは触れたがりません。

いざ訴訟となると、マスコミ側にまず勝ち目はなく、従って日本では読者や視聴者、官庁、企業や団体、他国から抗議・圧力を受けたりすると、すぐにその放送をやめてしまいます。すなわち、タブーの本質が個人にある諸外国に対して、日本においてはマスコミという組織の中にある、ということになります。

ときには、欧米と同じように他社が報道しないことを報じていることを売り物にするマスコミもあるにはありますが、欧米を中心とした諸外国ほど多くはないのが現状です。

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従って、我々が今現在、普通に見ている番組も、その放送後に、ちょっとした社会問題に発展しそうになると、マスコミはこれを嫌がり、すぐに欠番にしたがります。

かつて、オバケのQ太郎という人気テレビアニメがありました。これはこの中で、黒い格好をしたオバケが登場し、これが黒人蔑視になる、といって放送局側が封印作品にしたものです。この当時テレビだけでなく、漫画のほうの出版もとりやめになりました。

我々の世代はよく知る名作ですが、さすがにこれについては逆に取りやめたことに対する批判が相次ぎ、テレビ放送こそは復活していませんが、漫画のほうは、2009年に「藤子・F・不二雄大全集」の形で復刻され、復権を見ています。

芸術性の高いもの、クオリティの高いもので封印作品となっているものはほかにもたくさんあると思われ、日本は開かれた国だとよく言われるのに、なんだかな~というかんじです。

同様のことは、ニュース報道などにもいえ、何か批判があると報道を自粛してしまう今の日本、および日本人は、ことテレビ報道ということに関してはかなり委縮している感が否めません。昨今のように秘密保持報なる悪法がまかり通る時代には、さらにマスコミによる報道の在り方が問われています。

マスコミ自身もすべての責任をしょい込まず、欧米のようにその責任をある程度一般に開放することで、逆に自由になる、といった風潮が出てきてもらいたいものです。

ところで、こうした封印作品に代表される「欠番」とされるものは、何もテレビ番組だけでなく、ほかにもたくさんあります。

そもそも欠番とは、一般的には一連の事物に識別番号が付されている場合に、例外的に未使用となっている番号ですが、その番号が付されているものが非公開等されているために、一見未使用に見える場合なども含みます。また、背番号の永久欠番のように名目上、欠番になっているものもあります。

一番なじみが深いのが、「忌み数」というヤツです。国際的に 13 を忌む国が多く、欠番とされます。日本では、4、9、42、49が欠番となることが多く、言わずと知れたことですが、4 は死を、9 は苦を連想させるためです。特にホテルや旅館、病院、共同住宅において、4号室や9号室を避け、欠番とすることが多いものです。

また、欠番には当初から存在しないのに欠番といわれているものもあります。例えば、東京の地下鉄には、都営地下鉄が運営する路線と、東京メトロが運営する路線にそれぞれ欠番があります。

これは、両者が発足する前は、東京の地下鉄は両社共通の番号が付けられていたためであり、その後両社が分裂したため、都営とメトロではそれぞれ欠番ができる、ということになったためです。

例えば、浅草線は1号線、三田線は6号線」、当初計画中だった新宿線・大江戸線がそれぞれ10号線、12号線ですが、その後都営線がこれらの路線を保有したので、メトロではこれらの路線が欠番になっています。またその逆でメトロにあって、都営線で欠番になっているものがあります。

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鉄道ではこのほかこうした欠番が新幹線にもあります。1994~2012年に運用されていたE1系は当初600系となるはずでしたが、JR東日本がその後形式付番方式を変更したことにより、600系は欠番となりました。

鉄道においてはさらに、線路としては存在するものの、ホームがなく、線路の番号に合わせるために欠番とする場合もあります。たとえばJR東日本大宮駅の5・10番線は欠番、同我孫子駅の3番線、JR東海名古屋駅の9番線、JR西日本京都駅の1番のりば、東急東横線元住吉駅の1・6番線、名鉄堀田駅の2・3番線(通過線)は欠番といった具合です。

鉄道も含めた交通施設、乗り物では、過去に大事故を起こした便名や列車番号を避けるために欠番とすることもあります。福知山線脱線事故を起こしたJR西日本の福知山線では、同事故のときに冠していた「5418M」という車両番号を欠番として使わないようにしているそうです。

空の世界でも同じであり、たとえば日本航空は、1982年2月9日に発生し、24名の死者を出した350便墜落事故を受け、350便は欠番になっています。また、1985年(昭和60年)8月12日に起こった日本航空123便墜落事故により、123便も欠番になっています。

と同時に122便も欠番になっています。これは、このときの運航が、羽田空港~伊丹空港線1往復分、ワンセットとされ、122便は123便の対となる便の番号とされていたためです。

このほか、当該番号を予備として開けておくために、当初から欠番が予定されているものもあります。例えば日本銀行券では紙幣番号が900000に達すると000001に戻り、それ以後の番号は付されません。これは900001以降は不測の事態に備えて空けてあるためだそうです。

さらに日本銀行券には、記番号(いわゆる通し番号)がアルファベットとアラビア数字の組み合わせで記されていますが、アルファベットの「I」と「O」が欠番となっています。理由は「0」や「1」との混同を避けるためです。

一方では、過去に使われていた番号の対象が、消滅・廃止・統合・番号変更などによりなくなった場合、欠番となるものも多くあります。お気付きかもしれませんが、今あなたがこのブログを見ているそのパソコンwindowsパソコンなら、そのハードディスクのドライブ番号には、AとBはないはずです。

これは、windowsがMS-DOSと呼ばれていた時代に、ドライブレターのAとBはフロッピーディスク用に確保されていたためで、実際には今時フロッピーディスクを使う人などはいないため、事実上欠番となっています。

ただ、コントロールパネルの「ディスクの管理」画面からAやBに変更することも可能です。しかし、一般に、欠番となった番号を再利用することは好ましくないとされているようです。

理由は単純です。他のコンピュータとネットワークを通じて交信などをする場合などに、混乱するためです。自分のコンピュータだけドライブを変えれば、他人も混乱しますし、自分自身もわけがわからなくなります。

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このほか、日本の一般国道にも数多くの欠番があることをご存知でしょうか。現在、日本の国道は1号から507号までありますが、そのうち59号〜100号・109号〜111号・214号〜216号の48路線が欠番であり、実在するのは459路線にすぎません。

2桁の後半が欠番なのは、かつて一級国道に1桁・2桁を、二級国道に3桁を割り当てていたためです。一級国道は58番まで作ったものの、それ以上一級国道を作る場所がなくなり、これ以後は欠番になりました。

また、109号は108号に統合、110号は48号に変更、214号〜216号は統合して57号に変更されたため、欠番となっています。

都道府県道にも欠番が見られるケースがあり、例えば東京都道1号・神奈川県道1号は、国道1号との混同を避けるため欠番となっています。

スポーツにおいても、多大な功績を残した、もしくは多大な功績が期待されながら若くして逝去した人物・選手を称える意味で、その人物・選手がつけていた背番号を永久的に欠番とすることがあります。

私は広島東洋カープのファンですが、このチームでは、3番は衣笠祥雄(三塁手)として欠番、また8番は、山本浩二(外野手) のものとして欠番になっています。このほか、1番も前田智徳(外野手)となっており、引退を機に欠番となりました。が、次の着用者を選定する時は前田に決定権があるそうなので、復権はありそうです。

このほか、黒田博樹投手の15番も、MLBへ移籍した黒田が帰って来る時に備えて欠番となっていましたが、今年の日本プロ野球への復帰により再び着用することになりました。

そして広島の18番といえば、前田健太。その彼もまた黒田と同じくアメリカへ渡ってのプレーが決まっています。18番が欠番となるかどうかはまだ決まっていないようですが、黒田と同じ扱いになるのではないでしょうか。

それにしても、黒田は引退せず、来年もプレーをすることが決まったそうですが、マエケンのいないカープはやはり寂しい限りです。打線の今一つピリッとしない現状もさることながら、マエケンを欠くことによって投手力に陰りが予想される来年はどうなることでしょうか。

さて、来年のことを言うと鬼が笑うという季節になってきました。

私はまだ年賀状を書いていません。調べてみたところ、この年賀状の郵便番号にも多数の欠番があるとのことです。みなさんもくれぐれも使われていない番号を使わないよう、お気を付けください。

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その名はありか?

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今年の梅雨は長引きそうな感じがします。

東海地方の梅雨明けの平年値は、7月21日ごろで、去年はどんぴしゃこの日でした。しかし一昨年は七夕の7月7日、4年前の2011年も7月8日ごろでしたから、今週末あたり明けてもよさそうなものです。

が、日本近海には台風が3つも来ており、その関係もあってまだまだ梅雨はあとをひきそうです。今年は台風の襲来が早く、そもそも3月の時点で台風が4つ発生しており、さらに、4月上旬に台風5号が、5月に6・7号、6月に8号がそれぞれ発生するなど平年の台風発生数の3倍近いペースで推移しています。

気象の専門家は、フィリピンの東の海で海面水温が平年より1度前後高いために台風が発生しやすくなっているとみているようで、5・6月の時点でこのように台風が多く発生する年は、一年を通しても数が増える傾向があるので注意が必要だ、と呼び掛けています。

ご存知のとおり、日本では、台風が発生した順に台風番号を付けています。気象庁が毎年1月1日を区切りとして番号を振りはじめ、当年12月31日までに発生した台風がその年の連番台風です。翌年1月1日以降に発生した台風については、前年の12月31日までに発生した台風がまだ残っている場合でもリセットして1号から付番することになっています。

これとは別に、2000年からは北西太平洋領域に発生する台風については、「アジア名」がつけられるようになり、台風の国際的な呼称として使用されています。これは、米国とアジア各国で構成された台風委員会によって定められたもので、全部で140個あります。

1番目の「ダムレイ」に始まり、140番目の「サオラー」まで使用されるワンセットからなっており、このリストはアメリカ海洋大気庁NOAAの大西洋海洋気象研究所(AOML)のサイトなどで見ることができます。最後まで行くと最初に戻ります。2012年の台風第10号より3周目に入っており、現在日本近海に来ている台風は、以下のようになります。

9号 →76番目 国際名 Cham-hom(チャンホン:木の名前) 命名国ラオス
10号 →77番目 国際名 Linfa(リンファ:蓮の意) 命名国 マカオ
11号 →78番目 Nangka(ナンカー:果物の名前)命名国 マレーシア

次に発生するであろう、79番目の台風12号は、ミクロネシアが命名したSoudelor(ソウデロア)だそうで、これは「伝説上の酋長」だそうです。このように、○○号といった、味気ない連番ではなく、意味のある愛称で台風を呼ぶというのは、親しみやすくてなかなか良いアイデアかもしれません。

ただ、日本人には馴染のない言葉ばかりであり、ナンカーとか言われても、そりゃあいったい、「何か~」と言われるのがオチです。が、この140個の中には日本が命名したものもあり、例えば今年6月に発生した台風8号は、75番目で、「クジラ」でした。

日本の命名はなぜかすべて星座の名前であり、ほかには、テンビン(5番目)、ヤギ(19番目)、ウサギ(33番目)、カジキ(47番目)、カンムリ(61番目)、コップ(89番目)、コンパス(103番目)、トカゲ(117番目)、ワシ(131番目)など全部で10個があります。

チャンホンだのリンファだのよりも、これならば多少親しみは沸きます。ただ、どういった基準でこの星座名を選んだのかよくわかりません。またヤギやウサギはともかく、コップやコンパスがやってきた、といわれてもピンときません。ほかにもっといい名前はなかったのでしょうか。選んだのは気象庁の職員でしょうが、少々センスが疑われます。

ただ、これらのアジア名も未来永劫続く、というわけでもなく、台風が甚大な被害をもたらした場合には、加盟国の要請に基づく台風委員会の決定によって名称が変更されることがあります。

たとえば、2002年に朝鮮半島に大きな被害を与えた台風15号のアジア名Rusa(シカ)は、次回はNuri(オウム)に変更になることが決まっています。また、2003年にRusaと同様に朝鮮半島に大きな被害を与えた台風14号のアジア名Maemi(セミ)も、次回はMujigae(虹)に変更になることが決まっています。

また、甚大な被害以外の理由でも、発音が誤解を生む可能性がある場合や宗教上の問題で反対する国がある場合などには変更が可能になるそうです。

ほかにも、加盟国が思い直して再提出した場合でも再審議になるようで、実際、台風の被害が甚大だったという理由だけではなく、その他の理由での変更も含めて、これまで10個が既に変更されています。なので、日本でも上の星座名がヘンだ、と国民が拒否すれば、替えてもらえる可能性があります。

どうせなら、偉人の名前とか、もっと親しみやすい名前を付けてもらいたいと思います。ユーミン、タモリとかでもいいし、なでしこ、サムライでもいいでしょう。ただ、個人的にはモエモエとかゴレライとかいうのはやめて欲しいと思いますが……

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なお、東経180度以東で発生したハリケーン等の熱帯低気圧が東経180度以西に進んで台風となったものには、アジア名は命名されず、発生地点で命名された名称がそのまま使用されます。アメリカ合衆国では、このハリケーンにA、B、C順にあらかじめ用意してある名前を付けています。

戦後まだ日本がアメリカの統治下にあったころには、まだ日本も台風に英名をつけて呼んでいました。また、大きな被害を出したカスリーン台風やジェーン台風に代表されるようなハリケーンについては、上述のアジア名と同じく、未来永劫名前リストから削除され、「引退」とするよう決められました。

次回以降から別の国際名が使用されるようになっており、カスリーンとジェーンはもう使われていません。ほかにも2004年にカリブ海の国々やアメリカ合衆国に顕著な影響を与えたハリケーン、アイバン(Ivan)は、この年で「引退」し、次回の2010年にはイゴール(Igor)という国際名が使用されることが決まっています。

ただ、このように大きな被害を出さない場合は、変更手続きがなければいつまでたっても同じ名前が繰り返されることになるわけで、たとえば、アーレーン(Arlene)というハリケーンの国際名は過去に9回も使用されています。が、これまで大きな被害がないため現在のところは「引退」扱いとなっていません。

また、日本に深刻な被害をもたらした、1959年の伊勢湾台風(昭和34年台風第15号)の国際名はベラ(Vera)ですが、これは変更の手続きがされていないため「引退」扱いになっておらず、以降も何度か使用されています。

アメリカは1999年までは北西太平洋領域に発生する台風にも英語名をつけていました。このため、この伊勢湾台風も、東経162度20分に位置するエニウェトク環礁で発生しているのに英名のハリケーン名Veraをつけました。

アメリカは、西太平洋にはサイパンやグアムという自国領土を持っているため、ここに影響があるためでもあるでしょう。ただ、伊勢湾台風はこれらの島々には被害を及ぼさず、実際に顕著な影響があったのは日本だけだったため、変更の手続がなされなかったようです。

現在、アメリカはハリケーンの命名法には男女の名前を用いていますが、かつては女性名のみをつかっていました。このため、日本に襲来する台風にハリケーン名をつけていた当時の命名もすべて女性名であり、上述のカスリーン台風、ジェーン台風が女性名なのはそのためです。1953年の台風2号(ジュディ台風)まで女性名が使用されていました。

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このようにハリケーンを女性名で呼ぶ慣行は、ジョージ・リッピー・スチュワートという小説家の1941年の小説「Storm」において、その主人公が「マリア」というハリケーンであったことに由来します。1940年代から気象学者たちがハリケーン名に女性名をつけるようになりました。

ただし、当初は女性名を正式に使うように決めたのはアメリカ海軍だけで、これは1945年から始められました。これに対してアメリカ気象局(現・アメリカ国立気象局)が女性名をつけるようになったのは1953年からです。

その後この命名法は男女同権に反しており性差別につながるなどとして、世界気象機関(WMO)から改善の要求があり、1979年に男女の名前を交互につける方法に改められました。

なお、アメリカは国土が広く、太平洋と大西洋の両方に面しています。このため、それぞれの海域で別々に命名リストが用意されており、さらに太平洋で発生したものが越境して大西洋に行った場合にはそちらの命名法に従う、といったかなり細かなルールが定められています。

また、北太平洋中部や東部で発生したハリケーンが一定の強度を保ったまま180度以西に到達した場合は台風となりますが、国際名としては発生当時のハリケーンのものがそのまま使用されます。

たとえば、1986年に太平洋北東部で発生したジョーゼット(Georgette)はその国際名を持ちつつ台風11号となりました。また1997年に太平洋北中部で発生したオリワ(Oliwa)は台風19号となりました。

このように台風やハリケーンの命名には細かい国際的な規定が定められているわけですが、これはこうした自然現象を擬人化する、という昔ながらの人類の風習といえます。人間以外のものを人物に例えてその性質・特徴を与えることでそれをより身近に感じることができます。その歴史はかなり古く、古代ギリシャの擬人法(Prosopopoeia)にまで遡ります。

我々普段の生活でも、「鉛筆が手から飛んだ」、「木が飛び跳ねた」、「凶悪な嵐が」などなど幅広く使われ、詩やその他の芸術ではもっと込み入った表現がよく使われます。

一方では、その逆に人の名前に人間以外のものの名を与えて呼ぶ、ということも古くから行われています。擬人化の反対語はないようですが具象化とでもいうのでしょうか。人の名前に花や木の名前、その他自然現象の名を使うことは多く、地名由来のものも多くは自然の具象化です。これについては枚挙のいとまがなく、それだけで本が書けてしまいます。

人の名前のつけかたのルールについても、国々によって異なり、これにもひとくくりには語れません。が、人名をめぐる習慣や制度は一般的に、文化的・社会的事象と結び付いている傾向にあり、個人・家族・帰属についての価値観に左右されることが多いようです。

日本の場合は、民法により氏+名という組み合わせとすることが決められています。明治維新によって新政府が近代国家として国民を直接把握する体制となると、新たに戸籍を編纂し、旧来の氏(姓)と家名(苗字)の別、および旧来の名前に相当する「諱」と「通称」の別を廃して、全ての人が国民としての姓名を公式に名乗るようになりました。

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このうちの名字(姓)は、江戸時代には支配階級である武士や、武士名を名乗ることを許された者のみが持つ特権的な表徴でした。百姓や町人身分の者は姓がありませんでしたが、村や町の自治領内では個々の「家」に属しており、これらの自治体名を自分の姓にして届け出た人も多かったようです。このとき今まで自由だった改名の習慣も禁止されました。

一方の名前のほうは、それまでと変わりなく、明治以降の日本人の戸籍人名は、氏は家名や所属自治体の系譜を受け継いでいますが、名は「諱(いみな」」と「通称」の双方の系譜を引きつぎました。

諱は、本来は、「忌み名」とも書き、古代に貴人や死者を本名で呼ぶことを避ける習慣があったことからこう呼んだのですが、時代が下がると、転じて人の本名(名)のことを指すようになったものです。

身分の高い者だけが使っていい名前であり、これ以外に目下の者が使う「字(あざな)」というのがあり、これと「通称」はほぼ同格です。分かりやすい例で言うと、野口英世の英世は諱の系列であり、夏目漱石の本名、房之介は通称系列ということになります。

さらに時代が下ると、この諱系列と通称系列はもうごったごたになり、現在ではどちらがどちらと区別できないようになりました。

現在では、この名の付け方に法的な制限はないため、漢字表記と読み仮名に全く関連がないものや当て字なども許容されます。たとえば「風」と書いて「ういんど」、太陽と書いて「サン」などというのもありなわけであり、このためそのネーミングを巡っては、最近、日本では奇妙な名前もよくみられるようになりましたす。

「キラキラネーム」なるものがそれで、これは自分の子供に他人とは絶対異なる、変わった名前をつけようとする若い世代の間での流行です。こうしたネーミングを別の呼び方では、DQNネーム(ドキュンネーム)ということもあり、これは、「戸籍上の人名」、つまり「本名」に対して、一般常識に著しく反する「珍しい名前」をつけることを意味します。

DQNとは、もともとは、蔑称・誹謗中傷の意味であり、どちらかといえば蔑視的あるいは自虐的に用いられていた、インターネットスラングです。2000年代以降に急増したといわれており、最近では「キラキラ」のほうが一般的になってきました。

「変名」や「ペンネーム」ではなく、これが本名として使われるところが衝撃的であり、「キラキラネーム」の発祥は、一説にはベネッセコーポレーション発行の育児雑誌だといわれているようです。「たまごクラブ」「ひよこクラブ」がそれで、かつてその増刊号に「名づけ特集」というものがあり、ここから出てきたということが言われているようです。

一部の「命名研究家」は(ほんとうにそういう専門分野があるのかどうか知りませんが)、「DQNドキュンネーム」「キラキラネーム」よりも、「珍奇ネーム」という呼称のほうが妥当だと主張しているようですが、いずれにせよ、「ヘンな名前」であるには違いありません。

ただ、最近の流行かといえばそうでもなく、こうしたキラキラネームは昔からときたまみられました。例えば、落語の「寿限無」に代表されるように、この噺の主人公である赤ん坊に付けられる「名前」は、次のような長いものです。

寿限無、寿限無
五劫の擦り切れ
海砂利水魚の
水行末 雲来末 風来末
食う寝る処に住む処
藪ら柑子の藪柑子
パイポパイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助

「長い」ということがひとつの特徴であるわけですが、無論、このまま役所へ登録した人がいるわけではなく、現在本名として戸籍登録されているものでもここまで長いものはありません。実在が確認されている日本人の人名としては、奈良県在住の男性が名字・名前含めて漢字で11文字という例があるようです。

この寿限無という小噺の発祥がいつかは知りませんが、それにしてもかなり古いようで、少なくとも明治時代には遡るようです。従ってかなり昔から、こうしたヘンは名前を考案しようという風潮はあったのでしょう。江戸時代の国学者、本居宣長はその随筆「玉勝間(たまがつま)」において、子供に珍しい名前がつけられる現象に言及しています。

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江戸時代以前にもヘンな名前がつけられた事例があります。たとえば織田信長の嫡男、信忠の幼名は、その名も「奇妙丸」でした。また、次男、信雄の幼名は茶筅丸(ちゃせんまる)、信高→小洞(ごぼう)と言った具合であり、信吉→酌(しゃく)などは母のお鍋の方の「鍋」になぞらえて付けられたといいます。

また、秀吉も我が子秀頼の幼名に「拾い」(拾丸)とつけています。これはなかなか子供に恵まれなかった秀吉がこれは「拾いものだ」と思った、という説と魔除けの意味合いを持たせたという説のふたつがあるようです。

その昔は、名前自体に「捨て子」「拾い子」を表することは多かったといい、安土桃山時代以前から、「捨て子は強い子に育つ」という言い伝えがあって、わざわざ生まれた子供を路傍に捨て、それを誰か知り合いに拾ってもらって届けてもらう、という風習があったようです。

戦前には、日本でも地方へ行くとこの風習は残っていたところが多く、どこだか忘れましたが、その捨て場所もYの字になっている三叉路の真ん中、と決められていた田舎もあるようです。Yの字の真ん中とはすなわち、子宮のある場所、という意味です。

このように子供の名前にヘンな名前をつける、というのは最近に限ったことではないわけですが、その時代時代の常識・トレンドも時代とともにそのネーミング方法も変化してきています。

現在のキラキラネームがタブーかといえばそんなことはありませんが、DQN(ドキュン)ネームと評されるようなものについては、一般には「一般常識に著しく反する」名前とみなされることが多いようです。

どのような名前や読みが「DQNネーム」にあたるのかは各個人の主観により、人によっても定義は異なりますが、多くの人がみて聞いて首をかしげるようなものはやはりDQNなのでしょう。

たとえば、アニメ全盛の中で育った親たちの中には、光宙(ぴかちゅう)、姫星(きてぃ)、今鹿(なうしか)、黄熊(ぷう)といった名前をつける人がいるようですが、この程度ならば一般常識を逸脱しているかどうかは判断が難しいところです。

その一方で、いったいどういう理由でそれよ、というのもあり、ビス湖(びすこ)美依羅(みいら)鳳晏(ぽあ)美望(にゃも)本気(まじ)などは、ちょっと首をかしげてしまいます。また、亜菜瑠(あなる)麻楽(まら)といった、本人たちはカッコいいと思ったのでしょうが、一歩間違うと下ネタになりかねないようなものもあります。

そのほかにもよく考えたほうがいいのでは、と思えるようなものも多数ありますが、その一方では、澄海(すかい)、七音(どれみ)、希星(きらら)といったなかなか良く考えたなというのもあり、親が子に求める個性の表現方法としてなかなか奥深いものを感じます。

古くは、文豪、森鴎外が世界に通用する名にしたいという思いから、孫や5人の子にドイツ語やフランス語に基づく命名をしたというのは有名な話です。

これは、真章(Max マックス)、富(Tom トム)、礼於(Leo レオ)、樊須(Hansハンス)、常治(George ジョージ)の5人ですが、現在のキラキラネームの元祖ともいえるようなネーミングであり、こちらもなかなか洒落ています。

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こうした名前は、変わってはいるものの、DQNネームと批判する人はいないでしょう。むしろこれからの日本文化の方向性を表しているようなネーミングだと思うわけですが、その一方で、一般常識を逸脱しているというよりは非常識な名前も増えているのは確かです。

ちょっと昔に世間を騒がせた「悪魔」といった名前などは、多くの人が眉をひそめまました。この「悪魔ちゃん命名騒動」は親側と戸籍を受理する側の昭島市との裁判沙汰にまでなり、家裁は「命名権の乱用で戸籍法違反であるが、手続き論的立場から受理を認める」として、親側の勝訴の判断を下しました。が、市側は東京高裁に即時抗告しました。

その後親側が類似の音の名前を届け出て、市がこれを受理したため、時抗告審は未決のまま終局となりましたが、以後こうした変わった名前が是か非かという議論は長く続きました。ある意味、現在のキラキラネームブームの火付け役となる事件だったかもしれません。

その後現在に至るまでに急激にキラキラネームあるいは、DQNネームが増殖したような印象がありますが、これらの中にも悪魔君と同じように裁判沙汰になったものがあり、侮辱・誹謗中傷であると認めた判例が既に数例あるということです。

その名を聞いて、人が精神的苦痛を感じるようなひどい名前である場合や、逆に本名があるのにその人を「DQNドキュンネーム」で連呼してその人の社会的評価を低下させるような場合には、一定の条件を満たせば傷害罪・侮辱罪・名誉毀損罪が成立します。

ただ、日本の戸籍法においては、子供の名前に使用できるのは「常用漢字」および「人名用漢字」としているだけで、戸籍では読み方にまで言及していないため、使用可能な漢字を用いる限り、どのような読みの名前であれ一応、法的に厳格な制限や問題はありません。

ただし、「親と同一の名前」を子につけようとしたケースでは、「難解、卑猥、使用の著しい不便、識別の困難」などの理由で命名することができない」として、役所側の出生届の不受理が認められた例があります。とくに日本では上述の悪魔君の判例以降、社会通念に照らして一般の常識から著しく逸脱した名前は、戸籍法上使用を許されなくなりました。

では、海外ではどうかといえば、たとえば、メキシコ北部ソノラ州の州法では、「侮辱的・差別的で意味が欠如」している、とされる61個の名前は「賛否あるが、子供をいじめから守るため」使えないそうです。

具体的にはYahoo!やバーガーキングなどの企業名や、ハリー・ポッターやジェームズ・ボンドなどの架空の人物、Jack the Ripper(切り裂きジャック)やkiller clown(殺人ピエロ)などの殺人鬼、アガリアレプトなどの悪魔、ヒトラーなど独裁者の名がそれです。

また、ニュージーランドでは子どもが公的な称号や階級を持っていると思われかねない名前(「キング(King)」や「デューク(Duke、公爵)」、「プリンセス(Princess)」など)が禁止されているほか、ルシファー(堕天使)やジャスティスといった名前は裁判で却下されています。ジャスティスは正義の意ですが、法廷用語ということで否定されたようです。

これに対して、スウェーデンのように、こうした命名への政府介入を規制した法律がある国もあり、命名規制そのものに反対する国はわりと多いようです。自由の国といわれるアメリカがそうであり、イギリスもそうです。名前についての規制をもたない国・州・自治体は大多数といえ、日本以外の国でも珍しい名前は増える傾向にあるようです。

なので、日本でもDQNなどと誹謗せずにもっと自由に名前をつけてもいいわけですが、しかし、親はよくてもヘンな名前を付けられた子供のほうはたまったものではありません。長じてから周りから奇異な目で見られ、ときにはいじめの対象にさえなったりもします。

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では、こうしたヘンな名前は変えられるのか?ということですが、結論からいうと、日本では、名前の変更届が認められているようです。

ただし、戸籍上の氏名のうち、「名」のほうだけで「姓」のほうはまず変えられません。よほどの理由がないと認められていないのが現状です。とても奇妙な姓や、難解でとても読むことができないために、社会的に支障が生じる場合や、長期間使っていた通称があり、戸籍上の氏(姓)では生活上支障が生じる場合などだけです。

名前の方も同様なのですが、姓の場合は、族全ての姓が変更となるため、家族全員の同意が必要となるのに対し、名前のほうは個人のものなので、比較的可能性はあるようです。

手続根拠は戸籍法に規定されており、「正当な事由」によって名を変更しようとする人は、家庭裁判所の許可を得れば名前を変えることができます。ただし、「正当な事由」があるかどうかは、当該事件について家庭裁判所の家事審判官(裁判官)が判定することになるので、なんでもかんでも改名がOKというわけにはいきません。

また、15歳以上であれば自分で申請可能ですが、15歳未満の場合は法定代理人(親権者等)が本人に代わって申立てを行う必要があります。

問題はこの「正当な事由」ですが、具体的には、例えば代々の当主が世襲名を名乗っている場合のこの世襲への改名があります。よくわかりませんが、世襲名に変えたほうが何等かのメリットがあるようです。納める税金が少なくなるのかもしれません。このほか、もとの名が神官や僧侶のものあった場合、還俗するといえば認められる場合があります。

さらに、出生届時の誤りや、姓と同じように難解や難読な名前である場合や親族や近隣に同姓同名がいて混乱をきたす場合などがあります。例えば、渡辺とか佐藤とか言った名前は非常に多いため、婚姻や養子縁組によって姓を改めた結果、配偶者や姻族、養家族と同姓同名になってしまった場合混乱を来たすため、改名が認められることが多いようです。

人名用漢字の追加により、「本来使用したかった文字」への変更もOKです。永年使用していた「通称」を戸籍上での本名にしたい、といった場合もあるでしょう。実例として「妹尾河童」さんは元の名は肇ですが、改名が認められました。参議院議員の「はたともこ」さんも元は漢字表記で「秦知子」でした。大川隆法も「中川隆」から改めた名前です。

このほか、帰化した際に日本風の名に改める必要がある場合、異性とまぎらわしい場合、性転換した場合で本人の外見と名前の性別が食い違って不便な場合などがあります。ただし、性同一性障害が理由で名の変更を申し立てる場合、医師が書いた診断書が必要です。

上の悪魔君のように、いじめや差別を助長する珍奇な名前、モンスターペアレントまたはそれに類する親類によって名付けられたDQNネーム、キラキラネームも認められる場合があります。親が好意でつけたとしても、それは「親権者がほしいままに個人的な好みを入れて恣意的に命名」した、と判断されるためです。

このほか、同姓同名の犯罪者がいて、差別や中傷などの風評被害を被っている場合は認められます。さらには、名前そのものに問題はないものの、過去の経緯から著しい精神的苦痛を想起し、日常生活に支障を及ぼすといった場合もあります。

たとえば幼少時に近親者から虐待を受けており、当時を思い出す戸籍名の使用が心的外傷に悪影響を与えるとか、親の愛人と同じ名だったことが結婚後にわかり、円満な家庭環境を害する恐れが強い場合などがそれです。

実際に改名を考えている場合は、まず、家庭裁判所の家事受付・家事相談窓口などと書かれた窓口に行き、事情を説明すれば、必要な資料等について助言してもらえるそうです。その後に申立書および添付資料を用意して申立てすればいいので、真剣に改名を考えている人はお近くの家庭裁判所を探した上で、まず相談してみてください。

ちなみに私自身は自分の名前を気に入っている、というほどではないにせよ、戸籍名を変えようとまで思ったことはありません。もっとも犯罪でも犯せば名前を変えてあちこち潜伏しなければならなくなるかもしれませんが、いまのところ、そういう悪いヤツとはみなされていないようです。

改名したければ、ペンネームを持つこともできるわけであり、これならばその気になれば何度でも変名ができます。キラキラでもDQNであっても自分の責任においてなら、自由なわけで、非常識なヤツ、というそしりを受けても堂々としていられるでしょう。

みなさんも、自分の名前が気に入らなかったら、ちょっとペンネームを考えてみてはどうでしょうか。

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