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神代植物公園

 

神代植物公園の大温室にて

先日、初めて調布市にある、神代植物公園へ行ってきました。20年以上多摩地方に住んでいるにも関わらず、都内で最大とも言われる植物公園に行ったことがないなんて、信じらんなーい、と誰が言ったわけでもないけれど、二人ともバラが好きなので、大きなバラ園もあるということで、初めて出かけて見ることにしたのです。

近くに「ゲゲゲの女房」で有名になった「深大寺」ありますが、「神代」と「深大」とは読みは同じだけど、どういう関係なのかな~ と気になっていたので例によってネットで調べてみました。

・・・すると、深大寺周辺は江戸時代から深大寺村と呼ばれていましたが、明治22年に深大寺村と近隣の佐須村・柴崎村などと合併して神代村が誕生したんだそうです。「深大寺村」で統一すればいいじゃん、と思うけれど、きっと佐須村・柴崎村の人達が、それじゃあ深大寺村の人達だけが住所変わらなくて不公平だ、別の名前にしてくれろ!・・・と言ったかどうかは知りませんが、「深大寺村」が「神代村」になった理由は、きっとそんなところでしょう。

その後、昭和15年東京府(現在の東京都)がこの地に「防空緑地」なるものを計画し、この神代村から名前をとって、「神代緑地」と命名され約71万㎡の土地を買収し開園したんだそうです。しかし、第2次世界大戦後の農地解放で約3/4の土地は農家へ返され、その後昭和36年(1961)に残った土地と再度買収した土地を合わせ、約25万㎡で現在の神代植物公園として開園したとのこと。25万㎡というのがピンとこないので、計算してみると、だいたい東京ドーム5.3杯分くらいみたい。確かに広いわ。

多摩の自宅から車で30分ほどの公園に着いたのは2時前。公園隣りの有料駐車場に車を止めて、早速中へ。入場料は一人500円。けっして高くはないが、もう少し安くてもいいんじゃないの、とも思いましたが、色々財政難の東京都なんだから、寄付と思えばいいか・・・と。
この日は、午後から晴れると言っていたのに、薄曇りでやや日が差す程度。中へ入ると、平日なので、それほど人は多くありませんが、平均年齢・高!というかんじ。若い人もちらほらいるにはいるけれど、私たちよりもさらに年配の人が多いようです。早速、散策を始めましたが、中の広いこと広いこと。さすがに東京都内一の緑地公園です。入口付近には季節は秋ということで、色々な菊の展示が。

菊模様・・・

幻想的な菊も・・・

鉢植えもあれば、寄せ植えもありで、好きな人は好きなんだろうな~ 近隣の町などで行われたコンクールで賞をもらった菊の展示物もあり、なかなかの壮観です。しかし、もとからあまり菊は興味がないので、ざっと見とおしたあとにバラ園へ。こちらも広い広い。全部一斉に咲いたならさぞかし壮観でしょうが、品種によって咲く時期もまちまちなので、一度に一斉に咲くということはないみたい。それにもう11月の中旬なので多くは旬の時期を終わってしまっていました。それでも満開の花も多く、色や形もさることながら、その芳醇な臭いを満喫できました。

おおかた終わっていたけれど、まだまだたくさんのバラが・・・

季節がもう晩秋に迫っているので、その他の花として、ダリヤ以外のめぼしいものはもうあまりありませんでしたが、大温室の中のベゴニア室では色とりどりのベゴニアが花を咲かせていてひときわ印象的でした。また、この時は咲いていませんでしたが、先日、花を咲かせたという巨大な花、ショクダイオオコンニャクもまだ蕾でしたが、巨大な鉢の上に鎮座しておりましたっけ。ニュースで見たけど、これって咲くと臭いんだってねー。

ショクダイオオコンニャクのつぼみ 巨大バナナみたい

初めて訪れた神代植物公園ですが、お目当てのバラが少し終わりかけていたので、少し消化不良の感あり。すぐ近くの深大寺も残念ながら時間切れで見学できず。また、移ろいゆく季節の中で、訪れる機会もあるかもしれませんが、来年静岡へ移住したあとは、なかなか行く機会もないかも。見おさめかもしれない、広い公園を後にしつつ、心は遠い伊豆の空へ向かっていました。

気がつけば師走

 

サーモンピンクの外壁にしてみました

師走になりました・・・というか、師走になってしまいました。

最近、新しい仕事を受け、忙しくなったせいもありますが、伊豆への本引越を前に東京の家の中のものを整理し、少しずつ持ち込もうと考えていて、そのパッキングやらで、なかなかブログも更新できず、一カ月も間を空けてしまいました。

この間、何度かリフォームの立ちあいで修善寺へ行き、先だっては内装工事がほぼ完成したというので、泊りがけででかけてきました。外壁はタエさんのご要望で、サーモンピンクに・・・。やや黄みがかった橙色です。面積の大きい家の外壁は、実際の色よりも明るくみえる、ということなので少し暗めの色にしました。

この日は曇っていたので、写真ではかなり暗めにみえますが、朝日や夕日があたると、きれいなサーモンピンクが映えます。内外装ともきれいに仕上がっていて、リフォームをお願いしたTさんの確かな仕事ぶりに感謝感謝です。今後は修善寺に来るときには、東京の荷物を少しずつ運びこむことにしていたので、この日も本やら布団やらを車一杯に詰め込んで運びこみました。まだテーブルも何もないので、夕食は、広いリビングにホットカーペットを敷いて、近くのスーパーマーケットで買ってきたお惣菜を食べることに。

そして・・・待望の温泉にも入浴!熱いお湯に浸りながら、至福の時をすごしたのは言うまでもありません。特筆すべきは、寝る前に外に出て見上げた夜空。ここ、修善寺は人口も少ないので町灯りも少なく、見上げた夜空の星々はほんとうにくっきりはっきり見えるのです。天体観測もできそう・・・ということでまた新しい楽しみが増えそうです。

 伊豆から東京へ戻る途中、これから伊豆という土地にお世話になるのだから、伊豆一の神社と言われる三嶋大社にお参りしよう、ということで参詣してきました。実はムシャは学生時代の2年間を沼津で過ごしたことがあり、沼津・三島の一帯の土地勘があります。しかし、三嶋大社には一度もお参りに行ったことがなく、初めての参詣です。神社は三島市役所からもほど近くにあり、完全な町中。この日も晴天で神社詣でには最適なお日和。

着物姿の参拝者。めずらしい!けど、何やら格式の高さを感じさせます。

ところで、三嶋大社って、なんで「大社」なんだろう?と、素朴な疑問を抱いたので、ネットで色々調べてみました。すると・・・大社というのは、平安時代に制定された「官国幣社制度」という制度に基づいて、国や地方の宮司から指定された格の高い神社のことを指すということがわかりました。

このほかにも神宮、宮とかあるけれども、「神宮」は天皇が古代から皇室と深いつながりを持つ神社、あるいは天皇を祭神とする神社なのでそうで、「宮」は皇族を祭神とするものが多いとか。一般的な「神社」はそれ以外のもので、その名付け方でもっとも一般的なのは地名。鹿島神宮・八坂神社・春日神などがそれです。また、祭神名を冠するものも多く、稲荷神社・住吉神社・八幡神社といった神社は神様の名前なんですね。

伊豆は、そもそも「伊豆国」として地方の一行政区分として独立した国で、三嶋大社は、その伊豆国の第一宮であり、地方の神社の総代格、「総社」も兼ねていたらしい・・・というようなこともわかりました。源頼朝は、そのお父さんの義朝(よしとも)が平清盛らの平家と敵対して尾張で謀殺されたあと、13歳のとき、罪人として伊豆に流されたそうです。この伊豆流刑時代から三嶋大社を崇敬し、鎌倉幕府成立後も当社を重んじたということです。伊豆に流されたあと20年の歳月を経て、33歳のときに平家打倒のために決起しますが、このあたりのこともまた、詳しく調べてブログに書こうかなと思ってます。頼朝の流刑時代のお話は、来年NHK大河ドラマで放映される「平清盛」でも放映されるかもしれません。こちらも楽しみです。

三島大社の神様は、お二人いらっしゃって、大山祇命(おおやまつみのみこと)、と積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)とのこと。大山祇命は山森農産の守護神、また事代主神は、俗にいう恵比寿様だそうで、福徳の神として商・工・漁業者の崇敬をうけているそうです。これから商売を始める私にとっても守護神となる神さまになるに違いありません。

神社の境内でタエさんの指先に止まったトンボ。彼女は虫と遊ぶのが大好き。

三嶋大社の境内は南北に細長く、入口から神殿までは3~400mくらいはあるでしょうか。長い参道を歩んでいき、タエさんと神殿の前で手を合わせ、この地での幸運と商売繁盛を願いました。そして・・・新しい神社に行った時、我々二人はたいてい、おみくじを引きます。

 

三嶋大社のおみくじはお守り付き

ここのおみくじは、「しあわせ(幸福)みくじ守」といって、おみくじと一緒に小さなお守りが付いてきます。タエさんは大吉、一方の私は小吉。お守りのほうは、私が「銭亀」で、彼女は、「福銭」でした。銭亀は、延命長寿と金運招来、福銭のほうは開運招福と金運隆昌のご利益があるとのこと。二人とも金運がよくなるというご宣託で、お参りした甲斐があったというもの。来年の3月頃に予定している「本引越」に備え、幸先のよいスタートを切ったな、というかんじの一日でした。

境内の中にある池で日向ぼっこ中の亀。銭亀?

秋のネコは・・・

 

ひところに比べると、かなり涼しくなってきました。我が家の一番日当たりの良い南側の和室は、テンちゃんの格好のひなたぼっこスペース。気温の低い日にはまるまって寝ているのですが、少し気温の高い日はご覧のように、いつものあられもないポーズ・・・美人さんだいなしです。

この日は畳の上で寝てましたが、最近だんだんと寒くなっているせいもあり、天気の良い日には、より高いところにある出窓に移動して寝ることも多くなってきました。でも晴天ばかりでもないので、そろそろネコ用のホットカーペットを出してやらねば。

でも、最近一番お気に入りなのは、タエさんの膝の上。だっこしてもらった上に、なでてもらったり、マッサージされたりで極楽極楽・・・ ネコも人もぬくもりがうれしい季節になりました・・・

修善寺での初夜

ゲストハウスからの絶景
(右下は狩野川、中央はロッククライミングで有名な城山(じょうやま) そして画面左奥には富士山)

修善寺の保養所を購入しようと決めてから、3ヵ月弱が経ちました。この間、ローンの借り入れやN社さんとの契約手続き、保養所を管理している不動産屋さんとの交渉、保養所の所有者さんのA金属さん所有の家具等の搬出など、色々面倒な手続きがありましたが、すべて順調に終わり、9月の末に、保養所は正式に我々の新しい「家」になりました。

手に入れたとはいえ、築後18年経っているこの家には、あちこちに傷みがあり、このまま住まうには問題が色々あります。大きな傷みはないのですが、一番手を加えたいのが外壁の汚れや水回り。とくに外壁は塗装が色褪せ、それほどひどくはないものの、あちこちにひび割れが。水回りはそれほどひどく汚れてはいないものの、やはり住み替えるには、新しくしたいもの。そのほかにもリビングやキッチンのクロスの張替なども必要があります。そして、6つもあるトイレの数減らし。和式トイレが二つに、男性用立ちトイレが二つ、そして洋式トイレ二つは二人で暮らすにはあまりにも多すぎます。このうち三つを残して、残りは撤去し、倉庫として使いたいというのが我々の希望。

A金属さんからの登記移転の手続きが終わってすぐ、N社さんの紹介で、これらの工事をやってもらう大工さんを紹介してもらうことになりました。

紹介された大工さんは、同じ別荘地に住むTさん。早速保養所に来てもらい、打ち合わせをすることになりました。今60歳だというTさんは、小柄ですが矍鑠(かくしゃく)としていて、笑顔の素敵なちょっとおしゃれなおじさま。大工さんというよりはインテリアデザイナーといったおもむきで、とてもご自分でのこぎりやカンナを使いそうなかんじはしません。

さっそく、家の中外をみながら、ここをこう直してほしい、という希望を全部伝え、見積もりをしてもらうことに・・・。そして、後日頂いた見積もりも、十分に納得できる・・・というよりも、えっ!? この値段でやってくれるの? といった内容でした。ためらうことなく、内外装のリフォームはすべてTさんのところにお願いすることにしたムシャ&タエ。

・・・そして内装の補修が8割方完成したという連絡を受けた、10月下旬。残る外壁の塗装の色の相談のため、久々に修善寺に向かうことにしました。この日は、秋晴れの一日で、この秋一番の冷え込みとか。この日、いつもの東名高速は使わず、小田原厚木道路から箱根新道を通って、沼津入りしたのはお昼過ぎ。

この日は涼しかったので、お昼はラーメンがいいね~と二人で言っていて、沼津から国道136号を下っていたところ、見つけたのが知る人ぞ知る有名店、「田ぶし」。東京の高円寺が本店のしょうゆ味のラーメンとつけ麺が評判のお店ですが、その味が有名になってからあちこちにチェーン店ができ、沼津にもその一店が。

実はムシャは、大のラーメン好き。外で打ち合わせがあるときなどのお昼は大概ラーメン。これまでも東京都内のあちこちのラーメン屋さんを食べ歩いてきました。今回伊豆へ移住するにあたり、東京ほどラーメン店が多くないのでは・・・と心配?していたのですが、この田ぶしさんを始め、大勝軒や来々亭といった有名店もあるようです。静岡番のラーメン店紹介本も出ており、これからの静岡のラーメン食べ歩きが楽しみです。

早速入った田ぶしさんの店内はお昼時にもかかわらず、ほどよく空いていて、入ってからすぐに注文ができました。二人とも定番のしょうゆラーメンを注文。10分ほどで出て来たラーメンは、わりとあっさりしたしょうゆベースで、スープはしつこくなく、ほんのり魚介だしが利いていておいしい!麺もほどよい固さ。チャーシューも柔らかくほどよい塩味で、さすが名店のラーメンといったかんじ。

二人とも大満足で、お店を出て、気持ちの良い天気の中、修善寺へ向かいました。途中大工さん達の三時のおやつを買い、現地に着いたのは二時前。外側はペンキ塗装のために、足場が組んであり、ガラス窓にペンキがつかないようにビニールが貼ってあります。外壁の塗装はまだ終わっていませんが、この家の自慢のひとつである、重厚な外柱や軒裏(軒天)はきれに汚れが落としてあり、やや濃いめの黄土色でステインしてあります。外壁はこの軒天や柱の色に合わせて、サーモンピンクにやや近い浅いオレンジ色にする予定。電話やインターネットでは色が伝えにくいので、ペンキ職人さんの持っているサンプルを直接見て色を確定することにしていたのです。

前回訪れた時、家の外は草ぼうぼうでしたが、今日来てみると、きれいに草刈をしてくださっており、かなりすっきり。とはいえ、今まで気がつかなかったような雑木があちこちに生えていて、住むようになったら伐採が必要です。庭いじりはまだまだこれから。楽しみのひとつではありますが手入れは結構大変そう。

外回りをざっと見たあと、早速中に入ってみると、表替えのためとりはずされている畳はまだ戻って来ていませんでしたが、トイレの撤去やクロス張りはほとんど終わっていました。事前に指定していたふすまの色や模様も期待していたとおりで、間違いのない仕事をしてくれているな、と大満足。この日は、リフォーム後のお掃除のために、4人ほどが入ってくれていて、あちこちを丁寧に清掃してくれていました。単にリフォームだけでなく、丁寧にお掃除までやってくれていることにも感激!やはりTさんに頼んで良かった。

ほどなく、ペンキ屋さんも見え、外壁の色の打ち合わせも終わり、やがてTさんもお見えになって最後の打ち合わせをしました。すべてのリフォームを終えるためには、あと1週間から10日くらいかかるとのこと。しかし、ここまでくればもうほとんど終わっても同然。次回来る時には外壁が仕上がっているはずで、これはとても楽しみです。

まだリフォームが完全に終わっていないし、畳も入っていないので、この日、ここに泊ることは断念。かわりに、Tさんがこの別荘地内に二つ持っているという「ゲストハウス」のひとつに泊めていただくことに。なんでも古い別荘を大工のTさんが購入し、リフォームしたものを、売らずに取ってあって、外からお客さんが来た時などに提供しているとか。何から何までお世話になっていて恐縮だったのですが、Tさんのおっしゃる、きれいじゃないけど、眺めは抜群ですよ、という言葉にも惹かれ、ためらいながらもお言葉に甘えることにしたのです。

Tさんの先導で一旦山を下り、再び別のルートを通って着いたそのゲストハウスは、この別荘地の北の端にある一角。かなり山の上に近いほうで、車は急な坂を右に左に大きく曲がりながら登って行きます。着いたそのゲストハウスは、急な崖の中腹に鉄骨で基礎を築いた2DKほどの家。道路から玄関までも急な階段を30段ほど上って中に入ります。

中に入り、リビングの窓から外をみると・・・・・なるほどの絶景!すぐ真下には狩野川のたおやかな流れが見え、真正面には、断崖絶壁でロッククライマーのメッカである城山(じょうやま)が見えます。その先には、少し手前の山の陰にもなっているけれども、まがうことなく富士山も見え、なるほど、なるほどの眺めです。

そしてこのゲストハウスの売りは、総檜でできたお風呂!無論、温泉です。そこからは、先ほどのリビングと同様の絶景が見え、お風呂につかりながら景色を楽しめるというぜいたくさ。

北向き斜面なので日中はあまり日があたりませんが、この眺めならば別荘としては文句のつけようがありません。ただ、夏はいいけれども、冬は少し寒いかも。この日は、この秋一番の涼しさとのことで、部屋の中はかなりひんやりしていて、暖房が欲しいくらい。

その夜は、外食はやめ、近くのスーパーマーケットでお惣菜を買って、このゲストハウスで伊豆での最初の夜を迎えることに。ワインを買い、二人で外の夜景をみながら乾杯しつつ、今日出会った、ペンキ屋さんやお掃除の方々のことやらこれから先の伊豆での生活について夜遅くまで話こんだのです。あの絶景風呂から見える田方平野の夜景が際立ってきれいだったことは、言うまでもありません。次に修善寺に来る時には、今度こそ保養所で泊ることになるのも間違いなく、二人とも夢を膨らませつつ夢の中へ・・・

決断!

大見川沿いの高台の別荘地 眺めはよかったのだけれども・・・

N社さんのMさんのご案内で、修善寺のいくつかの物件を見てから、4日後。朝から良い天気で、どうやら梅雨が明けたような雰囲気。この日は、再度Mさんのご案内でいくつかの物件を見ることにしていました。先日の修善寺視察から自宅へ帰り、再度N社さん扱いの案件や他の物件を探してみましたが、いくつか気になる物件があったので、現地で確認しようということになったのです。

実は、先だっての修善寺行きから帰ったあと、タエさんの心境に大きな変化がありました。現場をみたときには、あまりピンとこなかった例の保養所が、自宅へ帰ってから良く考えると、なかなか良い物件に思えてきたというのです。大量の書籍や他の荷物が多い我々にとって、保養所物件の広さは申し分ないし、建物自体も新しく、敷地面積も十二分の広さ。加えて伊豆の「へそ」ともいえる修善寺の中心部から車で10分程度の距離にあり、別荘地内にはバスも通っていて、仮にここで歳をとったとしても、あまり不自由を感ぜずに暮らしていけそう、というわけです。無論、この変化は私にとっても大歓迎。

しかし、決断を下すには、もう一度案件の細部を見る必要があり、その際、他の物件も見せてもらって、比較した上で決めよう、ということになったのです。

その日、Nさんと待ち合わせたのは、保養所から更に東の山奥に近いところにある物件で、「伊豆パールタウン」という名前の別荘地です。別荘地内はよく手入れされており、道幅も広く、林間に立ち並ぶ数々の別荘地はみんな比較的新しいように見受けられました。希望して案内してもらった物件もかなり新しく、築後10数年ということでした。間取りはやや少ないものの、日当たりもよく、温泉もついていて住みやすそうな雰囲気。敷地は平地で、かなり広い庭があるため、建増しも可能と見受けられました。しかし、残念ながら保養所のようにべた基礎ではなく、布基礎。また、林間にあって静かな立地ではあるけれども、とくに富士山が見えるわけでもなく、自分達がどこに住んでいるのかさえもわからなくなってしまいそうな雰囲気。

心には響く物件ではあるのだけれども、保養所と比べると、今一つだなぁというかんじ。この物件のほかにも、同じ敷地内の物件を外部から見せてもらいましたが、やはりピンと来ません。別荘地そのものの雰囲気は悪くないのですが、いかんせん、修善寺の中心地からかなり離れたところにあり、買い物なども便利が悪そうです。

その日は、このあと、もうひとつ近くの物件を見せてもらいました。それは、N社さんのHPをみつけたとき、最初に目をつけた物件のすぐ隣にあった物件。最初に目をつけた物件は、もうすでに買い手がついていたのですが、前回、Mさんに案内していただいたときに、参考までに案内してもらいました。そのとき、そのすぐ隣にも別の物件があり、もうすぐ売り出るという話を聞いていました。それがこの物件。

修善寺の東側へおよそ車で15分ほど行った場所の高台にあり、狩野川の支流の大見川という川沿いにあります。急な斜面の上に建てられたその物件からは、この大見川沿いの平野とその斜面に建っている数々の別荘地を望むことができ、富士山こそは見えませんが、なかなかの開放感がありました。

しかし、先ほどの物件ほど新しくもなく、またやはり利便性はいまひとつ。最終的な決断を下すとして、やはり交通が良く、買い物、食事処などの施設が近くにあるということは大きなポイントになります。今はまだ若いけれども、歳を重ねるにつけ、こうした山の斜面にある住宅に住まうというのは苦になっていくに違いありません。最終的な住まいを決めるとき、建物や土地そのものの魅力よりも、やはりその周辺の環境というものは大事になってくるだろう、とこのとき思いました。

そして・・・その日最後に見せてもらうことになっていたのがあの保養所。保養所に到着し、早速中を見せてもらおうと思ったそのとき、Mさんが、「中を見る前に、修善寺の町の主だったところをご覧になってみてはどうですか?私の車で案内しましょう」、とおっしゃいます。たしかに、まだ修善寺の町はじっくり見ていなかったし、「周辺の環境」という要素が大事なことを先ほどの物件をみたときにちょうど感じていたので、渡りに船ということでお申し出を受けることにしました。保養所のある山の上からふもとへ下り、病院や市役所、警察署、主だったスーパーなどをざっと見せてもらいましたが、実感として、ここはかなり便利だ・・・と思いました。

修善寺のすぐ隣には大仁(おおひと)という町がありますが、伊豆半島では沼津や三島に次いで大きな町。昔、金山があり、今は廃坑になっていますが、そのために栄えた町のようです。ここには、アピタという大きなショッピングセンターや、ホームセンター、本屋のほか、ユニクロやブックオフといったメジャーな施設が集積しており、保養所のある山を下れば、どれにも十数分で行けます。

別荘地内には、一日の本数は少ないけれども修善寺駅までバスが通っており、いつもは自家用車を使う我々ですが、電車を使って遠出をするときなどには便利に違いありません。

ひととおりの周辺環境を見せてもらったあと、ようやく保養所へ戻り、家の中へ。その日ももう5時を回っていましたが、梅雨が明けたらしく、外はまだかなり明るく、保養所の中も電気をつけなくても十分にあちこちを見ることができます。

前回チェックできなかった細部を確認し、庭にも出て、雰囲気を味わいます。今日は富士山は見えませんでしたが、遠くに見える伊豆の山々の緑と空をゆく雲の白さが目に沁みるようです。目をすぐ下に向けると、この別荘地の家々が見渡せるのですが、すぐ真下にある老人保養施設のかまぼこ型の屋根が周囲と少しミスマッチングな感じ。しかし、それを除けばなかなかの開放感があります。玄関先の庭にはかなり草が生えていますが、一面の芝生になっており、草をきれいに刈ったら気持ちよさそう。ここにテーブルと椅子を置いて、お茶を飲みながら富士山が見えれば最高です。

そして・・・我々二人が下した決断は・・・ここを買おう!でした。一階のリビングで、その旨をMさんに伝え、具体的にどういう手順で購入するか、について相談したところ、まずは地元の銀行を紹介してくださるとのこと。よく知っている銀行マンに連絡をしておくから、後日彼と電話ででもよく相談してみてくださいとのことでした。

時刻はもう6時を回っていました。少し回りが肌寒く感じるくらいの気温となり、そろそろ、東京へ帰らなければならない時刻です。Mさんにお礼を言い、保養所を後にし、帰京の途へ。長かった家探しの旅もようやく終わりを告げようとしています。しかし、まだローンの設定やリフォームなど数々の問題が。しかし、そういう問題もきっとクリアー出来るに違いないという確信が二人にはありました。その日の帰宅は10時過ぎ。疲れてはいましたが、長い旅を終えてようやく安息の日々を迎えることができる、という充足感でいっぱい。お祝いと称して、少しお酒も飲んで、その日の夜の眠りはいつになく深いものになりました・・・