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エピローグ ~これからのまちづくり

 

まちづくりとは何か

 

「まちづくり」とは日本独特の用語です。いつからこの言葉が使われるようになったのでしょうか。専門家の間ではかなり前から使われているようで、都市計画に関する文献などでは1940年代後半にすでに見られるといいます。使われる頻度が増え始めたのは、1990年代からのようですがその理由は後で述べるとして、そもそもなぜこうした「まちづくり」といったものが日本では広がったのでしょうか。

ことの発端は明治時代にあります。この時代に日本は「富国強兵」をスローガンに急激に近代化しました。中国やロシアと戦い、勝利して大いに国力をつけたのはこの時代です。

しかし第2次世界大戦ではアメリカに敗れ、これをきっかけにそれまでの「強兵」は取り下げられて、「富国」のみを目指す経済重視の国家となりました。そして「中央集権型」のまちづくりが推し進められました。国の経済を潤すためには、カネと権限を中央に集めたほうが効率よくなるためです。

ただ東京一極をめざしたわけではなく、地方の都市でもこれを推進しました。こうした地方都市では「かせぐ」エリアをまちの中央に集中させ、ここに外縁部の農村から労働力を集めました。

 

 

これによって、日本各地では職住が極端に分離した生活をする人が増えました。まち中に人とカネが集中する反面、外縁部は閑散となり、そこにあった各共同体の自治の力は著しく衰えていきました。

一方、郊外には新しい居住エリアが生まれ、ニュータウンといった名前でよばれるようになりました。いわゆる「ベッドタウン」であり、都心で働く男性たちは、住民票はそこにあるものの、仕事が終わればこの居住地に帰って眠るだけでした。当然、自治組織をつくる力も弱くなり、過疎化した他の農村部とともにその進化は止まってしまいました。

それでも、こうした「富国」の方針に基づいた「居職分離」の政策は、バブル時代のころまでなんとなくうまくいきました。経済がうまく回っているあいだは、地方の貧困や過疎はあまり問題視されなかったからです。

ところが、1995年の阪神淡路大震災が起こりました。このときからそれまでの「上から目線の都市開発」の流れが変わるようになり、ある意味転機を迎えることになります。それまでは行政主体で行われていたまちづくりに一般市民が参加し始めたのです。

 

阪神淡路大震災以降、「まちづくり」は変わっていった

 

このあたりから、コミュニティについて考える人がぐっと増え、NPO、NGOといった社会的組織も注目されるようになっていきます。1998年には「特定非営利活動促進法」ができ、「公共」という言葉への関心も高まっていきました。「まちづくり」が広く使われるようになったのはこのころからのことです。

それまで見捨てられていた、ベッドタウンや過疎地が急激に脚光を浴びるようになりました。これらのまちの再建が叫ばれるようになり、かくして「まちづくり」という言葉は社会現象のように日本中に広まっていきました。

 

NPO NGOがまちづくりに参加

 

欧米と日本の「まちづくり」の違い

 

もともと「まちづくり」という言葉には、「住民によって自治する」といった意味も含まれています。1990年以降に「公共」への関心が高まってからはさらに「行政による都市計画への異議」が唱えられるようになりました。その背景には、従来の中央集権型の国づくりに限界が見えはじめたことがあります。

いわゆる「地方の時代」が訪れ、「ボトムアップ型の自治」が重視されるようになっていきました。住民自身の力をもとに、コミュニティを作っていくべきだという意識が強まり、その中で「まちづくり」という言葉がシンボルのように氾濫していきました。

この言葉がここまで日本中に普及した理由はその使い勝手のよさにもあります。たとえば、「まちづくりとしての××」とすれば、××には環境問題、社会福祉、企業誘致、観光開発などが入ります。また、「△△を活用したまちづくり」とすれば、△△には歴史的遺構、インターネット、スポーツ、清流、音楽などなど、何でもあてはめて使えます。

 

 

ところが日本では当たり前に使われているこのまちづくりに相当する言葉は欧米にはありません。「まちづくり」をネット翻訳してみると“urban development”とか“

town development“とか言った訳語が出てきますが、そこには日本語の街づくりに含まれている「住民による自治推進」という意味合いは含まれていません。

ただ、ドイツなどには「サンドファクター(Sandortfaktor)」という「まちづくり」に似た用語があるそうです※。これは「立地要因」とか「立地特性」などと訳されます。

※https://toyokeizai.net/articles/-/155001

しかし、もともとは経済用語であり、日本のまちづくりとは少し概念が違います。また、日本のまちづくりが「地方都市」をさして使われるのが多いのに対し、ドイツでは都市から国まで、と適応範囲が幅広く、たとえば「企業誘致のため、このまちにはどんなサンドファクターが必要か」、といった使われ方をします。

「国(都市)のサンドファクターとしての●●」といった使い方もされ、●●の部分は、歴史、文化、インフラ、環境、行政などと、こちらも幅広く当てはめることができます。

ところが、日本独自の「まちづくり」と「サンドファクター(立地要因)」はそもそもの概念が異なります。一番違うのは、それが対象とする範囲です。

日本の「まちづくり」は比較的対象範囲が狭く、都市開発を示す場合もありますがどちらかといえば住民主体の「活動」あるいは「行動」を示している場合が多いようです。これに対して、ドイツの「立地要因」は対象とするまちの「状態」を指し、しかもそれは都市の全体的な状況を示すことが多くなっています。

町全体の状態をあらゆる角度からみて常に把握しておこう、とするのが彼らのまちづくりであり、住民主体の活動や行動が最優先のであることが多い日本のまちづくりとはここが違います。

 

ドイツ北部 グライフスヴァルトのまち並み
まちづくりを全体で考える

 

このことは、欧米、とくにヨーロッパの地方都市は、都市全体の景観がまちの中心部から外縁部まで整っており、いかにも秩序立っていることからもわかります。一方ではまちの中心部ははっきりと賑わっており、メリハリが際立っています。またエリアごとに役割が決まっていることが多く、ここは商業区域、こちらは職人の町、居住区といったふうに差別化が図られています。

 

   

整然としたヨーロッパの街並み(左:イギリスのダウンタウン、右:フランス・ルーアン)

 

こうしたまちは、つねに全体像を把握したうえで作られたものです。そのまちにおいて、全体的にどのような取り組みが必要であるか、ということを考えた上で、エリアごとの役割分担も順序立てて作られてきたものと考えられます。それゆえにまち全体は秩序立っており、かつ機能美にあふれています。対する日本はというと、戦前からの街並みそのままの無秩序なところも多く、整備がなされていても乱雑な印象を受けます。

 

新旧入り混じる典型的な繁華街(青森県弘前市、鍛冶町)

昭和レトロな風情の残る商店街(山梨県富士吉田市 月江寺駅前付近)
これはこれで風情があるが…

電柱が廃され、整然と整備されているがどこか乱雑な印象のまち
(埼玉県さいたま市浦和区(旧・浦和市))

 

日本におけるこれからのまちづくり

 

写真をみてもおわかりだと思いますが、日本のまちづくりはどこか「思いつき」で作っているようなところがあります。これに対して欧米のそれはいかにも秩序だっており、これは前述のとおり全体像を把握する、というところからスタートしているためと考えられます。

一方では、日本の「まちづくり」という言葉には住民の行動や活動も含まれていて、「草の根型」のコミュニティを作ることが得意です。これはこれで日本が誇れる手法とみることもできます。無秩序に見えて実は至極便利なところもあり、隅々にまで目が行き届いています。

清潔でクリーンなまちは世界的にみても評価が高く、ひとつのエリアにクリーニング屋から薬局まで何でもあります。またどこにでもあるコンビニでは何でも手に入ります。

 

景観を整え、クリーンなイメージのまち(横浜市中区 馬車道)

 

ところが、まちづくりの「まち」を「町」とはとらえずに「街」と考えてその手法を推進した結果、町全体の景観や秩序が乱雑になってしまう、ということが各地で起きてしまっています。近年慌てて「景観条例」を取り入れ、見苦しい看板や広告の規制にやっきになっているところが多くなっていますが、長年培ってきた?乱雑さは一朝一夕では改められません。

ここで町と街の違いについて述べておきましょう。「町」には色々な意味がありますが、一般には地方公共団体の一つ、市区町村のうちの「町」であり、または市区町村を構成する小区画である「字」といった区画をさします。これに対して「街」は「街路」という言葉もあるとおり、もう少し狭い範囲を示すことが多く、商店やビルが立ち並んでいるにぎやかな道筋のことを「街」と呼びます。

日本において「まちづくり」という場合、「町」の単位、あるいは「字」の単位で行われることも多いわけですが、その言葉の中に人々の行動や活動の意味が含まれていることもあって、本来「街」と呼ばれるべき小区画にも使われるようなってしまいました。

「商店街こぞってのまちづくり」といったふうに奨励され、この結果、ひとつの地方都市において、あちらにもまちづくり、こちらにもまちづくりが行われるようになりました。そして、それぞれ違うポリシーでまちづくりが行われていった結果、今のように乱雑なまちがあちこちにできてしまいました。

そうしたまちづくりが一番顕著なのが東京です。東京大空襲で焼け野原となったこの広大な土地を再開発していく上において、数多くのまちづくりが無秩序に行われた結果、今のような外国人が見てびっくりするような乱雑なまちができあがったのです。

日本を訪れる諸外国の外国人の中にはむしろその無秩序さこそが日本らしい、これこそが日本美だ、という主張をする人も多いようですが、それを「美」とする感覚は私には理解できません。後進国によく見られるスラム街のようだ、とまではいいませんが、欧米の街並みに比べればそれに限りなく近いほど無秩序なまちが多いように思います。

 

看板・広告があふれるまち(東京足立区北千住)

インド ムンバイのスラム街 煩雑さという点では日本の繁華街と似ている?

 

日本のまちづくりはその独特な発展によって、草の根型の活動が可能になる、というひとつの方向性を獲得しました。しかし、今後はもう少し広い範囲のまち全体を見渡し、把握するといった欧米型の視点を持ち、その再開発に対する姿勢や手法を見直す時代が来ているのではないでしょうか。

近年毎年のように大規模が災害が起き、そのたびに再建されていくまちまちを見るにつけ、そうしたことを想います。当事務所としても、できるものなら変わっていく新しい時代のまちづくりを一つでも二つでも多く担っていければと考えています。

新しいまちをつくるには新しい視点が必要です。その視点の先にあるものをご一緒に見ていきましょう。

 

 

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