Title: A Life saver on the lookout
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Detroit Publishing Co. , copyright claimant
Detroit Publishing Co. , publisher
Date Created/Published: c[between 1880 and 1906]
Medium: 1 negative : glass ; 5 x 7 in.
写真タイトルは、“巡回中のライフセーバー”となっています。左端に立っている、目つきの鋭い長身の男性がライフセーバーかと思われますが、写真中央の二人の女性のうち、右側の女性のコスチュームが男性のものと似ており、あるいは巡視などの補助的な役割をしているのかもしれません。
一般的に「ライフセービング」とは、溺れかかった者を引き上げ、必要に応じて人工呼吸や心臓マッサージなどの応急処置を組織的かつ合理的に行う活動、および事故回避のための様々な活動を指します。
海におけるライフセービングは、諸外国では、サーフ・ライフセービング(Surf lifesaving)と呼ぶことが多く、海流、波や津波、潮汐や高潮、危険な海洋生物など海洋に適した技術や知識が問われます。
また、ライフセービングを職業とする者は、日本のようにライフセーバーとは呼ばずに「ライフガード(命を守る者)」と呼ばれることのほうが多く、フルタイムやパートタイムで地方公務員やスポーツ施設社員として勤務しているようです。
欧米豪の海岸などでは、普段から自治体に雇用されたライフガードがパトロールしており、シーズン中の週末や休日には、本職を別に持つボランティアがライフセーバーとしてパトロールに参加するという形態をとっています。
アメリカ合衆国では19世紀末からライフガードの雇用が始まっており、ライフガードという呼称もこの時期に生まれました。ただ、写真タイトルは“A Life saver”となっていますが、その昔はライフセーバーという呼称が使われることは少なく、またライフガードもあまり使われなかったようです。
ライフセーバーズ・キャンディの呼称で呼ばれることが多かったようで、キャンディ (candy)は縞々模様の砂糖菓子のキャンディを指しており、名前の由来は、同様に縞々模様の救命浮き輪から来ているようです。
ところが、1989年から2001年にかけて放映されたテレビドラマ「ベイウォッチ(水難監視救助隊)」が大ヒットした関係で、そこで働くライフガード(救命隊員)たちの活躍から、アメリカでもライフガードと呼ぶ場合が増えてきました。
ちなみに、このベイウォッチというドラマは、アクション・アドベンチャー仕立てで、レギュラーに加えてシーズンごとに新たな美女ぞろいの隊員が登場するのも見どころであり、アメリカだけでなく、全世界142ヶ国で大ヒットしました。ギネスブックにも登録され、史上最も視聴者の多いとされたテレビ番組です。
フロリダ パブロビーチでのライフガードの訓練模様 1919~1929年頃
このライフガードという職業は、そもそも17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパが発祥とされます。
フランスでは、ナポレオン戦争の際、患者の重症度に基づいて治療の優先度を決定して選別を行う「トリアージ」などのシステムが発達しましたが、同時期にボランティア消防士(サプール・ポンピエ)などの救命活動も発達し、これがライフガードに発展しました。
また、国土の4分の1が海面下にあるオランダ、プールの建設ラッシュとなったイギリスといった国々でも、水に対する危険防止と水難救助のためにライフセービング手法が確立されました。
最初の国際ライフセービング会議は1878年にマルセーユで行われ、10年後の1910年には国際機関FIS (Fédération Internationale de Sauvetage Aquatique)が発足。
メンバーはフランス、ベルギー、イギリス、アイルランド、ドイツ、オーストリア、ルクセンブルク、スイス、デンマーク、スウェーデン、ブルガリア、ポーランド、トルコ、アルジェリア、チュニジアなど大部分がヨーロッパ諸国であり、これにアメリカは入っていません。
一方のアメリカでは、18世紀から19世紀にかけて沿岸における難破船の救助を目的とした有志団体の活動で始まりました。ヨーロッパに先駆け、1848年には既に合衆国ライフ・セービング・サービス(United States Life-Saving Service)が発足。
同機関は1915年に財務省傘下の合衆国税関監視船サービス(United States Revenue Cutter Service)と合併して、その後、かの有名な、アメリカ沿岸警備隊(コーストガード)となり、現在に至っています。
ただ、沿岸警備の救助活動とは別に、海水浴場での遊泳者の監視や救命活動を担う役目としてのライフセービング活動が、南カリフォルニアと東海岸のニュージャージー州などで続いていました。
他国と異なり、これらの任務に就く者は地元で雇用され、その多くは公務員として警察官や消防士に近い活動をするライフガードでした。最初のライフガードは1892年にニュージャージー州アトランティックシティ で雇われています。
冒頭の写真の撮影地はフロリダになっており、撮影年は1880年から1906年の間とされていることから、フロリダでもこの時期、同様のライフガードが活動が始まっていたのでしょう。
1956年のオーストラリア メルボルンにおける夏季オリンピックの際には、オーストラリアのライフセーバー達がアメリカ、イギリス、南アフリカ、セイロン(現スリランカ)、ニュージーランドにライフセービング技術を競う国際招待試合を申し込みました。
名誉審判はデューク・カハナモク。ハワイ出身でした。ただ、アメリカ・サーフ・ライフセービング協会が「アメリカ」代表として送りこんだのは、カリフォルニア州ロサンゼルス郡およびロサンゼルス市内のライフガードだけでした。
この大会で、アメリカはレスキューチューブ、救命ブイ、マリブボードをオーストラリアに紹介してブームを起こした。マリブボードとは、1950年代にカリフォルニア州マリブにちなんで名づけられたサーフィン用ロングボードのことです。
一方でオーストラリア・サーフ・ライフセービング協会の全国組織としての団結力と統率力を目の当たりにしたアメリカは、カリフォルニア州南部のライフガード組織に呼びかけ、1963年にアメリカ・サーフ・ライフセービング協会(Surf Life Saving Association of America)を設立しました。
同協会は、その後1965年にナショナル・サーフ・ライフセービング協会(National Surf Life Saving Association 略称 NSLSA)と改名し、ライフセービング・スポーツ大会を開催するようになります。
同年テレビ局 ABC主催によるライフガード・チャンピオン大会を機に、初めて西海岸と東海岸のライフガードが対決し、全国組織の基盤を作りました。オーストラリアやニュージーランドとの国際交流も続いており、1971年のWLS結成にも名前を連ねました。
WLSとは、オーストラリア・サーフ・ライフセービング協会が中心となり、ニュージーランド、イギリス、南アフリカ、アメリカ合衆国などが団結し立ち上げた国際組織で、ワールド・ライフセービングの略です。FISのメンバーがヨーロッパ諸国が多いのに対し、WLSのメンバーは環太平洋諸国が多いのが特徴です
一方、アメリカのNSLSAのメンバーは海水浴場の多いカリフォルニア州が圧倒的に多く、残りは東海岸各州という、全米組織とは言いがたい偏りが見られました。これはサーフ(磯波)という言葉が、湖や河川を含まないためです。
そこで1979年に名称から「サーフ」という言葉を抜き、オープンウォーター(海洋、湾、川、湖、池、沼など。プールは含まない)での救助を目的とした「ライフガードの組織」として合衆国ライフセービング協会(United States Lifesaving Association 略称 USLA)と改名。五大湖周辺都市など内陸地のライフガードも受け入れるようになりました。
日本の場合、こうした内水面での水泳活動などは少ないことから、内陸のライフガード活動もあまり活発ではなく、当初はこのアメリカの影響を受けていましたが、近年はオーストラリアの影響を多大に受け、制度も彼の国のそれを真似ている部分が多いようです。
なお、1993年にヨーロッパ中心のFISと環太平洋諸国中心のWLSが合併し、国際ライフセービング連盟 (International Life Saving Federation 略称ILS)が生まれました。
日本は、1991年にそれまで複数あったライフセービング協会(SLSAJ、JLGAなど)が合併し、NPO法人 日本ライフセービング協会(略称 JLA。本部は東京都港区)となり、1993年に設立した国際連盟のILSに日本代表機関として承認されています。