こころの旅へ

blog170423-9865

ひさびさの書き込みです。

ほぼ一年ぶりになります。

更新がないので、「おまえは既に死んでいる」、と思っていた方も多数いるでしょう。

たしかに私も、過去5年間ほどのあいだ、いろいろなことを書いてきて、ネタも尽きかけた感もあったので、そろそろ終わりにしてもいいかな、と思っていたきらいはあります。

が、実は、昨年春より勤め始めた仕事先の業務に忙殺され、更新もままならなかった、というのが本当のところです。

書こうと思えば書ける時間もないではなかったのですが、そこはやはり、いろいろなことを書いてきた中で、エネルギーが尽きた、というのもある程度本音です。

それにしても、一年を過ぎてなお、アクセス数がほとんど減らないのには驚きました。あらためて、当サイトを見てくださっている方々が多数いることを知り、仕事が一段落した現在、もう少し続けていこうかという気になっています。

なので、これまでと同じペースではありませんが、少しずつまた書いていきたいと思います。またお付き合いください。

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さて、最近、タエさんに勧められてある本を読みました。

7つのチャクラ
魂を生きる階段
本当の自分にたどり着くために
キャロライン・メイス・著  川瀬勝・訳  サンマーク出版(文庫版もあり)

この本は、神学者で直観医療者であるキャロライン・メイスさんが著者です。直観医療(Intuitive Medicine)とは、超感覚(サイキック)能力を使って体内の臓器の物理的・エネルギー的な情報を読み取り、その情報に基づいて行う医療のことです。

超感覚(サイキック)能力を使った医療というと、なにやら怪しげに聞こえるかもしれませんが、 アメリカでは歴史が長く、すでに数多くの直観医療者が医師とタッグを組んで働いているといいます。最近では、アメリカだけではなく日本でも、多くのプロフェッショナルの医療従事者が直観力を使って治療を行っているようで、「直観医療」で検索すると、いくつかのサイトに行きつきます。

なじみがないことばなので、戸惑うかもしれませんが、例えば、優れた医療技術を持つ医師や看護師は、長年の経験などにより、検査の数値にかかわらず患者さんの重症度や危険度をある程度「察知」できるといいます。

長年医療に携わってくると、単に人の傷ついた状態だけでなく、なぜその状態に至ったのかなどの心理状況など、その原因を探る手がかりを得ることが多くなるそうです。こうした「直観能力」が研ぎ澄まされてくると、正確な診断や治療が行いやすく、患者さんにとってもよりよい治療が受けられるようになります。

おそらくこれは、いわゆる「第六感」に近いものでしょう。自分自身を振り返ってみても、微妙な体調の変化を感じとったり、何となく危険を感じてそれを回避できたり、もしかしてこれって病気になる前兆では、と気づいたりするといったことはあるのではないでしょうか。

実は誰でも無意識に「見えない」情報を受け取ってそれを利用しているようで、それにより、自分がこれからどういう状態(容体)になるのかは、自分でもわかっているのでは、といわれています。とどのつまりは、誰もが第六感によって、自分が病気になるかどうかを察知している、というわけです。

このような、通常は曖昧で漠然としていて無意識に使っているその感覚を、医学の専門知識に基づいたトレーニングによってさらに洗練させていき、人体から良し悪しの情報を得、それを治療につなげていくことに特化し発展させたのが「直観医療」、ということのようです。従って、訓練さえすれば、誰でもとはいいませんが、多くの人が直観医療を施すことができるようになるそうです。

この直観医療者、キャロライン・メイスが提唱する、「7つのチャクラ」は、アメリカではかなり広く知られている名著だということで、チャクラやエネルギー、心と体の繋がりに興味を持つ人には、結構知られています。原題は“Anatomy of The Spirit”、つまり「魂の解剖学」で、そのタイトル通り、臨床事例を交えながら、かなり学問的、論理的に書かれた内容になっています。

少々難解なフレーズが多いのが難点ですが、かなり科学的な視点で書かれているので、いわゆるスピリチュアルは苦手、という方にでも割と受け入れやすいのではないでしょうか。わたしが入手したものは、かなり前の版ですが、いまで販売しているはずです。今度の連休に、どこへも行く予定がない方は、購入されて読んでみてはいかがでしょうか。

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さて、その内容ですが、端的にいうと、人が生きていく上において、その魂をいかに磨いていくかの要諦を、「気」の視点から述べています。

「チャクラ」の解説については、それこそあまたの人がこうしたテーマに関する本を書いていますが、この本では、人生を送っていく上においてあまたある「恐れ」への対処の仕方が大きなテーマです。こうした恐れに対し、これを乗り切るための「自分自身を信じる心」との関係の上において、私たちの「気」がどのような影響を受けるのかということをわかりやすく解説しています。

それにしても、そもそも「チャクラ」とはなんでしょうか。インドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語、サンスクリットでの意味は、「円、円盤、車輪、轆轤(ろくろ)」を意味するようです。つまり人の体や精神を「動かしているもの」ものこそが、チャクラということのようです。

一方、ヒンドゥー教の「タントラ」と呼ばれる経典、あるいは、「ハタ・ヨーガ」と呼ばれるヨーガの法典、仏教の後期密教などでは、チャクラとは、人体の頭部、胸部、腹部などにあるとされる「中枢」を指す言葉として用いられています。

では、「中枢」とは何か。一般的には、「重要な部分」を指しますが、医学的には、中枢といえば、「中枢神経系」または「神経中枢」のことを指すようです。従って、いろんな解釈や批判もあるでしょうが、ここではつまりチャクラとは、私たちの体に張り巡らされている神経系のうち、「一番重要な部分」ということにしておきましょう

このチャクラは、漢訳では、輪(りん)とも訳されます。輪といえば、宮本武蔵の著した兵法書、「五輪の書」を思い浮かべますが、この五輪とは、密教の五輪「地・水・火・風・空」のことです。五輪の書は、それになぞらえての五巻に分かれており、それぞれの巻で兵法の奥義が書かれています。

人の体のことを「五体」といい、日常でも「五体満足」とよく言ったりしますが、この五体ももともとはこの五輪から来ていて、仏教においては、頭・両手・両足の5つの部分のことです。

もともとヒンドゥー教で言われていたチャクラはふたつ多く、7つだったわけですが、その思想が、中国や日本に伝来するにつれ、数やその意味の上において5つ、ということで変化していったのでは、と私は考えています。

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以下がそのオリジナルのヒンドゥー教由来の7つのチャクラです。

●第1のチャクラ
・身体系・臓器:身体の構造部分、背骨の底部、両足 骨格、直腸、免疫系
・精神・感情面の問題:家族・集団の安全、物理的生存に必要なものを提供する能力、自分自身の為に立ち上がる力、安心感、社会 家族の掟 法と秩序
・身体の機能不全:慢性の腰痛、坐骨神経痛、うつ病、直腸腫瘍/ガン、免疫系疾患

●第2のチャクラ
・身体系・臓器:性器 大腸、脊椎下部、骨盤 盲腸、膀胱
・精神・感情面の問題:批難 罪悪感、お金 セックス、力 支配 創造性、人間関係での倫理 尊厳
・身体の機能不全:慢性の腰痛、坐骨神経痛、産婦人科系の問題、骨盤の痛み、性能力、泌尿器系の問題

●第3のチャクラ
・身体系・臓器:下腹部、胃、小腸、肝臓 胆のう、膵臓、副腎、背骨の中心部分
・精神・感情面の問題:信頼 恐れ 脅迫、自尊の念 自信、自分や人を大切にすること、決めたことに対する責任、批判への反応、個人の尊厳
・身体の機能不全:関節炎、胃潰瘍 十二指腸潰瘍、大腸系の問題、膵臓炎、糖尿病、慢性急性の消化不良、過食症 拒食症、肝臓障害、肝炎、副腎系の病気

●第4のチャクラ
・身体系・臓器:心臓、循環器系、肺、肩、腕、あばら骨、乳房、横隔膜、胸腺
・精神・感情面の問題:愛と憎しみ、拒絶感 反感 悲しみ 怒り、自己中心性 寂しさ、コミットメント、許し 悲しみの心、信頼 希望、
・身体の機能不全:充血性心臓疾患、心臓肥大 心筋梗塞、ぜんそく、アレルギー、肺がん 気管支炎、背中 肩の痛み 乳がん

●第5のチャクラ
・身体系・臓器:甲状腺、喉  気管、首の骨 口、歯と歯茎、食道 視床下部
・精神・感情面の問題:意志、選択の力、自己表現 夢を追うこと 創造力、中毒症、価値判断 批判、信心 知識 決断力
・身体の機能不全:慢性の喉の痛み、口唇性の潰瘍、歯茎の障害、一過性の下顎の関節の問題、脊椎側曲、喉頭炎、甲状腺障害

●第6のチャクラ
・身体系・臓器:脳、神経系、目 耳 鼻、松果体、脳下垂体
・精神・感情面の問題:自己評価、真実、知性の力、人の考えを受け入れること、経験から学ぶ力、感情の成熟度
・身体の機能不全:脳腫瘍、脳出血、神経系の障害、視覚・聴覚障害、神経系の障害、背骨全体の障害、学習障害 ひきつけ

●第7のチャクラ
・身体系・臓器:筋肉系、骨格系、皮膚、
・精神・感情面の問題:人生に対する信頼価値観、倫理 勇気、人道主義、自己犠牲の精神、大きなパターンを見る力、信心 ひらめき、霊性 献身、
・身体の機能不全:気の障害、神秘家のうつ状態、身体の障害とは無関係の慢性疲労、光 音などの環境要素に極度に敏感になる状態

それぞれの体の部位における状態が、精神面や感情面の状況を左右しており、それが悪くなれば身体の機能不全や傷害を起こす、というのがヒンドゥー教の教えにおいて確立された論理です。

メイスさんも長年携わってきた直観医療において、この7つのチャクラが人体と心のバランスをとるために誰にでも備わっていることを確信した、といいます。

そして、そうしたチャクラとのバランスに配慮しつつ、人生をつくる体験が、人の身体をつくる、と言っています。よりよき人生を送るためには、内面を見つめる心を持つことが重要であり、そのためにも「直観力」を養うことが重要とも書いています。そして、その直観力を高めるための、「3つの法則」についてふれています。

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その法則の一つ目は、「身体は人生の履歴書」ということです。

メイスさんが提唱する「気の医学」によれば、私たちは皆、「歩く履歴」そのものです。そしてその現在の身体の健康状態というのは、それまで長年培ってきた人生の履歴の体現です。自分の持つ強みだけでなく、弱み、希望だけでなく、恐れなどが我々の体にも形を変えて出てきます。

とくに、痛みや恐れが表出してくるような場合には、「自ら病気を作り出している」といえるような状態になってきます。しかし、意識的に病気を作り出しているのではなく、身体にとって有毒な行動パターンや態度だと「気づき」を得ないでいる結果、病気や痛みは発生してくる、といいます。

人生においては良いこと悪いこともありますが、とくに悪い状態のとき、無力感を生み出すような態度や考え方は禁物です。自分を愛する心を低下させるだけではなく、肉体からエネルギーを枯渇させ、全体的な健康を弱めてしまいます。つまり、「気」が弱い状態であり、そうしたとき、上の7つのチャクラ毎にあるような、身体のどこかの部分に病気や痛みなどの疾患が発生するのです。

法則の二つ目は、「健康でいるためには内面の力が欠かせない」ということです。

最近は、通常の医療措置が効果を示さなかった場合、心理療法、電気を使った頭骨刺激、色療養、光両方といった、いわゆる「代替療法」が使われるようになってきています。通常の医療で治療ができない、ということはすなわち既にもうその人の病気は我々の科学を超えて進行するたちの悪いものであり、そうした人に対して通常治療を施してもなかなか成功しません。このため、最後の手段でとして代替療法を行おう、とするケースが多いようです。

メイスさんによれば、そうした状況で代替医療を成功させるためには、その本人が「内面的な力」を持っていなければならないといいます。私たちの人生は、「力」の象徴を軸に築き上げられています。お金、権威、地位、美、安定などがそれで、人生を満たす人間関係もそうです。そして人生の一瞬一瞬において個々がしていく選択は、「内面の力の象徴」です。

例えば、自分より強い力をもっていそうな人に反論するのをためらうことはよくあることですし、断る力がないとあきらめて同意します。その瞬間はそれでよかったとしても、同じことの蓄積の中で、やがてその人の「気」は傷ついていきます。内面の力が外部の力に屈するわけです。「内面の力の象徴」とは内部の力と外部の力のバランスの状態といえるでしょう。そして、そのバランスが崩れていることを知らずに、日々を暮していると、ある日、病気になっている…

そうした場合の治癒を起こすためには、私たち自身の真実、自分が抱える問題をとのように自分が作り出しているかについての真実を知ることが必要です。そして周りの人間とどういう関係を持っているか、力のバランスに負けていないか、といった真実をまず見つけることです。大切なのは、まず自分の心の内面の象徴が、何であるかを明確にすること。そしてその象徴と自分との物理的な関係は何か(肉体や精神のどこが蝕まれているか)を理解することです。

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例えば、その象徴がお金である場合。お金に執着し、これを得るために働きづくめに働いた結果、深刻な病気に罹ってしまう…。自分の健康を金稼ぎに「同調させて」いた結果です。こうした場合には、難しいことですが、お金に対する自分の気持ちを一度手放してみる。執着をやめ、お金なんてなくてもいいさ、生きていけるさ、といった心境になる。そうして、身体や直観が伝えてくれるメッセージに耳を傾ければ、どんな病気に対しても、癒しが起きる環境は整えられてきます。

3つ目の法則は、「自分の癒しを助けられるのは自分だけ」ということです。

「気の医学」ではホリスティックな医学です。ホリスティック(Holistic)という言葉を聞きなれない人が多いと思いますが、ギリシャ語で「全体性」を意味する「ホロス(holos)」を語源としています。現在、「ホリスティック」は、「全体」、「関連」、「つながり」、「バランス」といった意味をすべて包含した言葉として解釈されていますが、的確な訳語がないため、そのまま「ホリスティック」という言葉が使われています。

健康な状態、病気の状態に関係なく、人間の「からだ」というものは、常に全体的にとらえる必要があります。そして、ここで言う人間の「からだ」とは、肉体だけでなく、精神・心・霊魂の総体であり、すなわち人間そのものを指します。肉体以外の精神や心、霊魂の全体のバランスを考えて治療行うのが「気の医学」というわけです。

メイスさんは、「自分の健康を作り出す責任は自分にある」といいます。つまり、多くの場合、病気がかなり深刻な状態になる前のある一定のレベルでは、自分が病気の発現にも関わっており、自分を癒すことで、病の癒しに関わることも可能だといいます。

しかし、単に肉体だけを癒すのではなく、その治療の上において、感情的・心理的・肉体的・霊的な存在としての自分を、同時に癒すことが必要です。「癒す」と「治す」は同じ意味ではなく、「治す」とは病気の身体的な進行をコントロールできる、あるいは抑えられるということですが、「癒し」とは自分から取り組む積極的な内面へのアプローチです。

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癒しが必要な段階というのは、精神や心、霊魂の全体のバランスが崩れ、間違ったものの見方や、思い込みが激しい、といった状態です。こうしたとき、病はいつの間にかあなたのそばにいます。こうした場合、これまでのものの見方や記憶、信念などを見直し、自分が感情的、霊的に百パーセント回復しようとする妨げになる否定的なパターンを全て手放したい、と欲することが病気からの快復の上で重要です。

この内面の再検証の過程において、明確な意思を持って生きる人生を改めて作り出そうとするとき、それは必ず、自分自身の見直しだけでなく、自分の周りの状況の見直しへも繋がってきます。ここで言う「意志」とは、自分の人生についての真実、そして自分が気をどういう形で使ってきたのかについての真実を見据え、それを受け入れられる意思です。

気を、愛と自己敬愛の気持ちや、健康を創造するために使い始めようとする意志の事でもあります。ホリスティックな療法を成功させるためには、患者自らが自分の癒しの過程に百パーセント関わっていこうという気持ちが必要です。

もしもあなたが病気にかかってしまったとしたら… もしあなたが積極的な患者ならば、そうした自分の癒しに積極的に立ち向かおうとする気持ちが、その治療の効果を高めます。

逆に、「何でもいいから、とにかくやってくれ、治してくれ」という他力本願の受身の態度では、癒しは得られず、また治しも達成されないでしょう。回復はするかもしれませんが、病気の源であったものにきちんと対処しないで終わってしまうのです。

最後に、何よりもまず、癒しはひとりでする作業です。誰も本人の代わりに癒してあげられる人間はいません。もちろん助けることはできますが、癒されるために執着を捨てなければならないつらい体験や記憶をその人に代わって手放してあげることはできません。

さて、もうじき大型連休が始まります。もしどこへも行く予定がない方は、このブログを読んだのを良い機会とし、自分自身の癒しのための心の旅に出てみてはいかがでしょうか。

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プレートのこと

2016-1514

先週勃発した熊本地震には驚かされました。

九州は地震とは無縁と思っていただけに、改めて日本に住んでいる以上はこの災害からは無縁ではいられない、と痛感した人も多いでしょう。

さらに余震は続いており、既に刻まれた大きなつめ跡に加えて、さらなる被害の拡大が心配されています。

この地震が、九州を北東から南西に向かって走る断層帯によるものであることは、みなさんも繰り返しの報道でよくご存知のところです。

また、この「断層」というものについていまさら説明を加える必要はないでしょう。地下の地層もしくは岩盤に力が加わって割れ、割れた面に沿ってずれ動いて食い違いが生じた状態を指します。

岩盤に圧縮や引張などの力が加わると、その歪みは時間の経過とともに次第に大きくなっていき、岩盤は初めわずかに変形するだけですが、やがて周囲に小さな割れ目が数多く形成されていきます。そしてさらに時間の経過とともにエネルギーが蓄積され続け、やがてある時にエネルギーが放出されるとともに、岩盤は大きく割れてしまいます。

このとき、岩盤が割れるときに、地表面に放出されるエネルギー波の衝撃が伝わりますが、これがすなわち地震です。

一方、いったんエネルギーが放出された断層においても、長い事件を経て再び同様のエネルギーが蓄えられます。しかし、エネルギーを貯めつつも、岩盤は大きく割れずに残り、大きな地震が発生しない場合があります。この場合、さらに力を加えていくと、大きく割れる予定の岩盤の周囲の小さな割れ目は増え続けていきます。

これを繰り返していくと、さらに小さな割れ目と割れ目の間に、互いに共役関係にある多数の割れ目、断層が形成されますが、これら無数の断層を総称して「断層帯」といいます。

これら一連の割れ目こそが地震エネルギーを貯める巣窟であり、そのひとつの断層帯がいったん破裂すると、他の断層帯も次々と誘発されて多数の地震が連続して起こる、ということが起きる場合があります。

今回の熊本の地震も、九州にいくつかあるこうした断層帯がそれぞれ影響しあって一機にエネルギーを放出し始めたと考えることができ、九州以外にも日本には数多くのこうした断層帯が数多く存在します。

断層帯、といちいち「帯」をつけるのがめんどうくさいので、これを単に「断層」と呼ぶことも多いようです。

この断層のうち、極めて近き時代まで地殻運動を繰り返した断層であって、今後もなお活動するべき可能性のある断層のことを特に「活断層」といいます。

この「極めて近き時代」とは、一般に新生代第四紀を指します。地上では恐竜が絶滅し、海中ではアンモノイドと海生爬虫類が絶滅した後の時代であり、我々人類の祖先である哺乳類と鳥類が繁栄し始めたころのことです。

だいたい「数十万年前」とされますが、地質学者が勝手に決めた目安であり、あくまで便宜的なものであることから、その曖昧さが指摘されています。最近、原発の下に活断層がある、と論議の対象になることが多くなってきていますが、それが本当に活断層といえるのか、といった議論でいつも揉めるのはそのためです。

それにしても、この地上の岩盤に断層を生じさせるほどの外力とはいったい何なのでしょうか。

一般によく言われるのは、火山活動によるマグマの移動、ということで、これにより岩盤に圧縮や引っ張り、あるいはずれ(せん断)などの応力が発生することで、断層がずれるとされます。

今回地震が起こった熊本や大分に近いところには阿蘇山があり、その下にあるマグマの動きが引き金になったことは十分考えられます。今のところまだその関連性は明らかになっていませんがが、おそらくは深く関係しているものと推定されます。

ではなぜ、こうしたマグマの動きが活発になるか、といえば、これは地球の表面を覆っている「地殻」の下にあるマントルが原因といわれています。

マントル(mantle)とは英語で、「覆い」の意味です。地球のような惑星だけでなく、月などの衛星などにもある内部構造で、地球の中心にあるとされる核(コア)の外側にある層です。

地殻を形成する岩盤よりもずっと比重の重い物質でできており、これが地殻の下で対流にすることによって、その上を覆っているプレートの生成・移動・衝突・すれ違いが生じる、といわれています。

地球型惑星などでは金属の核に対しマントルは岩石からなり、さらに外側には、岩石からなるがわずかに組成や物性が違う膜があり、これが地殻です。マントルが冷え固まった薄い膜のようなものと考えられており、これがすなわち我々が家を建てたりして住んでいる大地そのものであるわけです。

全地球がこの薄い膜で覆われていると考えられており、十数枚にわかれていて、それぞれの岩盤の厚さはだいたい100kmほどあります。100kmというとすごい数字だと思われるかもしれませんが、地球の半径6371kmに比較すればわずか1.6%にすぎません。

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プレートというのは、この分かれている地殻のひとつひとつの断片のことです。正確にはテクトニック・プレート(tectonic plate)といいます。プレートには、大陸プレートと海洋プレートがあり、海洋プレートのほうが、大陸プレートよりもより強固で密度が高いため、2つがぶつかると海洋プレートは大陸プレートの下に沈んでいくことになります。

また、地下のマグマの上昇によりプレートに亀裂ができ、連続してマグマが上昇し続けると、その後プレートが分断されて両側に分かれる、といった現象もおきます。

こうした地殻付近で起こるダイナミックな地質的な変動理論を総称して「プレートテクトニクス(plate tectonics)」といいます。聞いたこともある人も多いでしょう。プレート理論ともいい、1960年代後半以降に発展した地球科学の学説です。

地球の表面が、何枚かの固い岩盤(「プレート」と呼ぶ)で構成されており、このプレートが、海溝に沈み込むことが重みが移動する主な力になり、対流するマントルに乗って互いに動いていると説明される理論です。

1912年に、ドイツ人の科学者、アルフレッド・ウェゲナーが提唱した「大陸移動説」が、そのアイデアの元になっています。ちなみに、この人の名のこれは英語読みで、ドイツ語読みでは、「アルフレート・ヴェーゲナー」のほうが近い音になるようです。

彼は、かつて地球上にはパンゲア大陸と呼ばれる一つの超大陸のみが存在し、これが中生代末より分離・移動し、現在のような大陸の分布になったと、説明しました。

元は一つの大陸であったとするこの仮説における有力な証拠のひとつとして、大西洋をはさんだ北アメリカ大陸・南アメリカ大陸とヨーロッパ・アフリカ大陸の海岸線が相似している、ということでした。また、両岸で発掘された古生物の化石も一致することなどもそれを裏付けている、としました。

しかし、当時の人には、大陸が動くこと自体が考えられないことであり、信じがたいことでした。さらにウェーゲナーの大陸移動説では、大陸が移動する原動力を地球の自転による遠心力と潮汐力に求めていました。その結果、赤道方向と西方へ動くものとしており、その説明にはいまひとつ説得力ありませんでした。

このため、彼が生存している間は注目される説ではありませんでしたが、ウェーゲナーの死後約30年後の1950年代~1960年代に、大陸移動の原動力こそがマントル対流であるという仮説が唱えられました。

さらに岩石に残された過去の地磁気の調査によって「大陸が移動した」と考えなければ説明できない事実が判明したことから、大陸移動説は息を吹き返しました。

それまでの通説は、古生代までアフリカ大陸と南アメリカ大陸との間には狭い陸地が存在するとした「陸橋説」でした。

陸橋とは文字通り、細長い橋のような大陸です。ベーリング海峡のように、今は海になっているものの、かつて陸地として自由に動植物が行き来できた場所を「沈降陸橋」といいます。これを南アメリカとアフリカを大西洋南部でつなぐ「南大西洋陸橋」、南アフリカ・マダガスカルとインドをつなぐ「レムリア陸橋」といったふうに呼びます。

こうした陸橋があることによって、広い海で隔てられた別々の大陸に、同じ種類の、あるいはごく近縁な動植物が隔離分布していることが説明できる、とされたものであり、こうした陸橋が、大陸と大陸の間にもかつてあったものが、今は深い海洋底に沈んでいる、とする説でした。

この説の前提として、地球が現在も冷却していっているため地殻が収縮していくとする「地球収縮説」がありました。収縮活動によって高くなったところが山になり、逆に沈降したところが海になったというもので、ウェーゲナーの時代ではまだ有力な説でした。陸橋説では大陸が沈む理由をこの収縮説を使って説明していました。

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しかし、この陸橋説は、その後発表されたアイソスタシー理論によって否定されました。アイソスタシー(isostasy)とは、重く流動性のあるマントルの上に、比較的軽い地殻が浮かんでいて、どんぶらこどんぶらこと流れている、というアイデアです。1855年にイギリス人の天文学者、ジョージ・ビドル・エアリーが提唱しました。

アイソ(iso)とは、「等しい」という意味で、地殻が浮くためには、地殻の荷重と地殻に働く浮力がつりあっているとする説であり、「地殻均衡説」ともいいます。

しかし、アイソスタシー理論だけでは、なぜマントルの上を地殻が移動するのか、その移動の原動力はなんなのかについては説明できません。

この問題を解決したのが、イギリス人の地質学者、アーサー・ホームズです。彼は1928年に地球内部には「熱対流」があり、マントルが、地球の表面各地で、一定の深さでぐるぐると対流している、とする「対流説」を唱えてこれを説明しました。

その後、古地磁気学分野での研究が進展し、海洋底の磁気異常の様相が明らかになったこともあり、1960年代にはさらにはアメリカ人の地球物理学者、ロバート・ディーツが「海洋底拡大説」を唱えました。

これは、地球内部のマントルが太平洋や大西洋の海の底の「中央海嶺」でマグマとなって上昇し、新しく海底の岩盤を作るため、海底が中央海嶺の両側へ拡大するという仮説です。拡大する一方、これとは別の端にある海溝ではその岩盤が沈みこみ、結果として大規模な物質循環が起こって大洋底が徐々に更新されているとするため、海洋更新説ともいいます。

こうして「地殻均衡説」「対流説」「海洋底拡大説」の3つの説、これを全てをまとめて発表されたのが、プレートテクトニクス理論です。スコットランド系カナダ人の地球物理学者で地質学者のツゾー・ウィルソンによって、1968年に提唱されました。

この功績によってウィルソンは、カナダ勲章のオフィサー(Officer)を1969年に受賞し、さらにカナダ勲章最高位であるコンパニオン(Companion)を1974年に受賞しました。またカナダとロンドンの王立協会のフェローとなったほか、トロント大学エリンダール校の学長に就任しています。

またテレビ番組「The Planet of Man」の主宰者としてカナダ国民に親しまれましたが、1993年に84歳で亡くなっています。

こうしてウェーゲナーの提唱した大陸移動説を数多くの学者がそれぞれ発展させる形でプレートテクトニクス理論が提唱され、地殻変動を総合的に説明できる説が完成しました。

しかしやはり一番の功績者は最初に大陸が移動する、という大胆な考え方を思いついたウェーゲナー自身であり、彼の提唱した大陸移動説は「古くて最も新しい地質学」として再評価され、現在では高く評価されるようになっています。

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このウェーゲナーという人の人生をもう少し詳しく見てみましょう。正しい名前は、Alfred Lothar Wegenerであり、1880年11月1日 にドイツで生まれ、1930年11月2日、ちょうど誕生日の次の日に50歳で亡くなっています。

もともとは気象学者であり、地質学とは無縁の人です。が、現在では気象学者や地質学者も含めて地球物理学者とすることも多いわけであり、気象学と地質学は兄弟のようなものです。1908年、28歳からマールブルク大学で教鞭を執るようになり、1924年、44歳でオーストリアのグラーツ大学の教授に就任しました。

義父(妻の父親)は「ケッペンの気候区分」で有名なロシア出身のドイツ人気象学者ウラジミール・ペーター・ケッペンです。ドイツ学派の気候学の大成者として著名であり、彼の考案したケッペンの気候区分は、改良を加えられながら現在も広く使われています。

ケッペンは、おそらくは同じ研究対象である気象つながりでウェーゲナーと知り合い、才能のある男と見込んで、実の娘を嫁がせたのでしょう。

一方のウェーゲナーは、リヒャルト・ウェーゲナーと妻アンナの間に生まれた5人の子の末っ子でした。しかし、ケッペンのように、けっして学究者の家柄に生まれたわけではありません。彼の父、リチャード・ウェゲナーは、で神学者であり牧師でした。

この信仰心の篤い家庭で育てられたウェーゲナーは幼いころから神童と言われていたようです。ベルリンの高校を首席で卒業し、その後大学では物理学、気象学や天文学を学んだあと、ベルリン市内のウラニア天文台でアシスタントの職に就きました。その後、フリードリヒ大学(今日のフンボルト大学)に入学して、1905年、25歳で天文学の博士号を取得。

その年に、同じベルリンにあるリンデン天文台に勤務するようになりました。ここでは、気象学や極地研究に携わる一方、気象観測のための気球に興味を持ち、これを用いた気象調査を実施するようになります。そしてやがては高層気象観測技術における先駆者といわれるようになりました。

一方では、冒険家としての一面もあり、同じ気象台に努めていた兄の気象科学者、クルト・ウェーゲナーとともに気球に乗って滞空コンテストに参加し、当時の最長滞空の世界最高記録である52.5時間を達成しています。

また、ウェーゲナーは1906年にこの気球を使ってグリーンランドに遠征しており、ここで2年間かけてデンマークの探検隊と共に滞在し、気象観測を行うとともに、同島の北東岸の地図作りの手伝いをしたりしています。

1910年、30歳になったとき、この当時はまだ珍しかった世界地図を見て、南大西洋を挟んで、南アメリカ大陸の東海岸線とアフリカ大陸の西海岸線がよく似ていることに気づきます。そしてこれが大陸移動説のアイデアの元となりました。

1912年にはフランクフルトで開かれたドイツ地質学会で初めて大陸移動説を発表。1915年にその主著「大陸と海洋の起源」の中で、地質学・古生物学・古気候学などの資料を元にして、中生代には大西洋は存在せず、現在は大西洋をはさむ四大陸が分離して移動を開始、大西洋ができたとする「大陸移動説」を主張しました。

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ところが、ウェーゲナーの専門は気象学であり、地質学は専門外であったため、なかなか彼の主張は認められませんでした。また、当時の地質学は今日では古典的とされる化石の研究や同一地点の地層の重なりを調べる「層序学」を主流の手法としており、気象学者である彼の言い分に耳を傾ける人は多くはありませんでした。

そんな彼の新説に対して同意し、援助を惜しまなかったのは義父のケッペンでした。1919年、39歳のとき、ウェーゲナーは、ケッペンの後任としてハンブルクの海洋観測所気象研究部門長となり、「大陸と海洋の起源」第2版を出しました。ケッペンも古気候学者として協力し、1922年には第3版が出版されました。

1929年、49歳のときには「大陸と海洋の起源」の第4版を出版。この中で、南北アメリカ大陸だけでなく、こんにち存在するすべての大陸は1つの巨大大陸「パンゲア」であったこと、しかし約2億年前に分裂して別々に漂流し、現在の位置および形状に至ったとする説を発表します。

またこの版においては、各大陸の岩石の連続性や氷河の痕跡、石炭層や古生物の分布などから漂流前の北アメリカとユーラシア大陸が1つのローラシア大陸であったこと、南アメリカとアフリカがゴンドワナ大陸であったことを説きました。

しかし当時の地質学者たちは化石に基づく研究から彼が主張する大陸移動の根拠を上述の「陸橋説」で説明し、「大陸は沈む事はあっても動くことはない」として批判しました。

一方、大陸が移動する原動力は地球の自転による遠心力と潮汐力だと主張する彼の説明には矛盾も多く、これをうまく説明できなかったウェーゲナーの説は、またも完全に否定されてしまいます。実は第4版で彼はマントル対流にまで言及していたものの、これが大陸移動の原動力であると彼は気づいておらず、この点は残念でした。

ウェーゲナーはそれまでの実績から、気象学分野、とくに大気熱力学においては一人者といわれていました。しかし、それでだけでは満足せず、大陸移動説をもって地質学の分野でも認められようと一層の努力を惜しみませんでした。

このため、大陸移動の根拠を探すために、1906年に始めて訪れたグリーンランドで何度も探査を行い、第一次世界大戦をはさんで、ここに4回も遠征しています。

ドイツ政府も彼の実績には敬意を持っていため、援助を惜しんでおらず、このため1929年に行われた3度目の遠征の際には、この当時としては革新的なプロペラ駆動型のスノーモービルを使用しています。ふんだんな調査費用があったことの表れでしょう。

1930年に行われた4度目の、そして最後の遠征で彼は、同僚の気象学者フリッツ・ロエベと13人のイヌイット(グリーンランド人)を連れて9月に現地に乗りこみました。しかし、この年のグリーンランドの気象は荒れに荒れ、旅の間、温度はマイナス60℃に達しました。

この厳しい寒さでロエベのつま先が凍傷にかかったため、ウェーゲナーは12人のイヌイットとともに彼をキャンプに戻し、彼自身は一人のイヌイットともに現場に残り、調査を続けようとしました。

しかし、やがては食糧不足から橇を引いていた犬を殺して食べざるを得ないような状況にまで追い込まれました。最後にはキャンプに戻ろうとしたようですが、その後同僚のイヌイットとはぐれ、消息と経ち、戻ってくることはありませんでした。もう一人のイヌイットだけはキャンプ無事たどり着きました。

半年後の1931年5月12日に、ウェゲナーの遺体は発見されました。最終目的地とキャンプのちょうど中間地点でした。彼は晩年に至るまでヘビースモーカーであり、また心臓発作の持病を持っていたといわれており、おそらくは過労も加わったためにキャンプに帰還できるだけの体力が残っていなかったと推定されます。

冒頭でも述べたとおり、亡くなったのはちょうど50歳の誕生日の翌日と推定されています。
彼の墓は、遺体が発見されたグリーンランドのその場所にあります。大きな十字架が立てられ、その墓標には「偉大なる気象学者であった」と記されています。しかし、大陸移動説については何も触れられていません。

彼はこの最後の遠征に臨む直前、「大陸と海洋の起源」の最終版である第5版を用意していましたが、その死により、この版は未出版のままとなっています。

その後、上述のとおり、彼の死後この大陸移動説は世界中の人々に信じられるようになりました。ただし、彼の説は、海底面を構成する地層の上を大陸自らが滑り動くとするものであり、海底面もがその表面に露出する大陸を伴って動くとするプレートテクトニクス理論とはメカニズムが異なります。

しかし、「大陸が動く」というコペルニクス的な発想の変換がその後の地質学にもたらした
影響は大きく、とくに地震国である日本では、地震学の進展の上においても、この理論の導入は大きな恩恵をもたらしました。

その日本においては、このウェーゲナーの大陸移動説から発展したプレートテクトニクス理論は、戦前には既に紹介されていました。ただし、この時代にはまだやはり「異端の説」という扱いでした。

この時期にこの説を信じる地質学者はほとんどおらず、当然、科学雑誌などに掲載されることは多くなく、ほとんどフィクション上の話と思われていました。しかし、戦後すぐのころから広く認知されるようになり、それを知った医者であり漫画家の手塚治虫は「ジャングル大帝」(1950~ 1954年)の中で大陸移動説について描いています。

同作品のクライマックスは、大陸移動説の証拠となる石を発見するための登山であり、ヒゲオヤジがレオの護衛でその山、「ムーン山」に登る、というシーンでした。寒さのため凍死しそうになるヒゲオヤジのため、レオは進んで自らの死を選び、レオの毛皮で、なんとかヒゲオヤジは下山することに成功する、といった話だったようです。

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その後、日本では1960年代になって、主に地球物理学系の学者によって上記のマントル対流とともに紹介され、70年代には小学生向けの科学読み物も取り上げられるなど、広く知られるようになりました。また、その中ではとくに、1973年に小松左京が発表した小説「日本沈没」と同年公開のその映画版は、この説を普及させる上で大きな役割を果たしました。

ただし、このころにはまだ、地球物理学系の学者と地質学系の学者の間でこの説の受容に差があり、1980年代までの高等学校の地学の教科書では出版社によって扱いに違いがあったそうです。確か私が読んだ高校の教科書にはまったくそういった記述が抜け落ちていたような記憶があり、大学に入ってからそういう理論があることを知りました。

しかし、私が通っていた大学は理系であり、また海洋学を教えていたため、そういう先進の知識が得られたのであって、他の大学、ましてや文系の大学ではまだそうしたことは教えていなかったでしょう。

日本列島の形成史という地球規模の理論、および断層帯における地震の発生といったミクロに属する領域までもが大陸移動とプレート説に基づいている、とされる説明が日本で一般的に定着したのは、「付加体説」が受容された1990年前後のこと、といわれています。

付加体というのは、英語ではaccretionary wedgeといいます。海洋プレートが海溝で大陸プレートの下に沈み込む際に、海洋プレートの上の堆積物がはぎ取られ、「陸側に付加したもの」のことで、現在のところ「日本列島の多くの部分はこの付加体からなる」という見方がされています。つまり、プレートの端っこに乗った「おまけ」です。

1976年に九州大学の勘米良亀齢(かんめらかめとし)という地質学者が、南九州の四万十層を調査して、その構造を付加体と名付けたもので、この概念によって日本列島を形成する海洋起源の堆積岩や変成岩について、系統的な説明ができるようになるとともに、そこにある断層帯において自身が発生する、といったことがわかるようになりました。

欧米でもほとんど同時期にオックスフォード大学の地質学者、スチュワート・マッケローらがスコットランド地方の複雑な地質を調査して1977年に付加体構造に関する論文を発表したため、現在ではこの理論は世界的にも認知されるようになってきています。

紙面の関係でもう詳しいことは書きませんが、この考え方の基礎は、日本列島の周辺では、約3億年前から断続的に海洋プレートが沈み込んでおり、各年代において特徴的な地質構造を有し、日本列島の骨格を形成している、というものです。

そして、海溝から遠い大陸側(日本海側)のほうがより古い地層となっており、手前にある海洋プレートにおける沈み込みは、延々と太古から現在までも継続している、という考え方です。

現在においても東海地震や南海地震の震源とされる南海トラフにおいて、日々、フィリピン海プレートが日本列島の下に沈み込んでおり、またこの活動により、四国沖では新たな付加体が形成され続けています。

熊本地震だけではなく、現在も着々と日本の沖では新たな地震エネルギーが蓄えられつつあるわけです。

新たな震災に対する備えをくれぐれもお忘れなく。

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