サンタ・ルチアの日


今日12月13日は、ヨーロッパに伝わる守護聖人の一人で、眼・ガラス・農業の守護聖人といわれる「聖ルチアの日」 (Saint Lucy’s day) です。

ルチアとは、イタリアのナポリ民謡、「サンタ・ルチア」の歌で知られている聖人のことで、プロテスタント系キリスト教の代表ともいえるルーテル教会信徒が圧倒的に多いスウェーデン、フィンランド、デンマーク、ノルウェーなどの北欧で崇拝される数少ないカソリック聖人の一人です。

このルチアは、イタリアのシラクサ(Siracusa)の人だそうで、私はシラクサのルチアというと「白草のルチア」だとばっかり思っていましたが、とんだ勘違いです。

シラクサは、イタリア共和国のシチリア島東岸に位置する都市で、シラクサ県の県都。標準イタリア語の発音では「シラクーザ」のほうが近いそうです。人口約125000人ほどで、ローマ時代の歴史的な遺跡などの多くの観光スポットがあり、2005年には「シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡」の名で世界文化遺産に登録もされています。

しかし、このルチアという女性の生涯は不明なことが多く、確かなことは、ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスが在位していた245年 ~ 313年の間、その支配下にあったシラクサで304年に殉教したということだけだそうです。

言い伝えでは、4 世紀頃のいまだキリスト教が弾圧の対象とされていたローマ帝国において、ルチアの母親が長年難病を患っていましたが、ルチアがシチリアの「聖女アガタ(St.Agatha)」の奇跡を聞きつけ、その追悼ミサに参加し、母の病が癒されるよう聖アガタの墓の前で一晩中祈り続けた結果、その難病が奇跡的に治癒されたといわれています。

聖女アガタというのは、この当時シチリアを支配していたローマ人権力者から目をつけられていたキリスト教の信者で、改宗を迫ったローマ人たちの意に従わなかったため、捕らえて拷問を受けました。

拷問の中でアガタは両方の乳房を切り落とされ、最後には火あぶりにされることになりましたが、まさに刑が執行されようとしたときに地震が起きて処刑を免れたため、これが奇蹟として伝承されたようです。

そのアガタの墓に祈ったことで、母の病気が癒されたことから、その後ルチアはキリスト教徒になり、処女を守りながら財産を貧しい者に施すことを神に誓い、それを実践するようになります。しかし異教徒であった婚約者を捨ててキリスト教徒となったため、この婚約者によって密告され、アガタと同じく、ローマ帝国による迫害により火刑に処されることになります。

その死に直面した際、自ら首に剣を突き刺した姿は、今でもスウェーデンで行われているルシア祭での少女が腰に巻く赤い帯に示されており、少女達は、手にキャンドルを持ってルチアを称える歌を歌うといいます。

しかし、喉を剣で突いたのではなく、自らの目をえぐったのだという話もあり、このため眼に関わる聖人としても広く信仰されており、絵画や像では、聖ルチアはしばしば黄金の皿の上に自分の眼球を載せた姿で描かれています。

この彼女の死にまつわる話には、いろんなバージョンがあるようで、とくにその「婚約者」なるお相手がとった行動についてはさまざまな解釈がなされています。

そのひとつは、ルチアが自分たちの財産を全て神様の意思に従って貧しい人々に分配してしまおうとしたとき、ルチアの婚約者が心配し、そのままでは財産をなくしてしまうぞ、と忠告したというもの。

このときルチアは逆に婚約者を諌め、貧しい人への慈善を婚約者にも勧めましたが、婚約者はこれを受け入れずにルチアを裏切り、彼女が禁じられているキリスト教徒であるとして当局に訴え出たため、ルチアは裁判に掛けられます。当局はルチアに改宗を迫りますがルチアは頑としてこれを拒否。

その結果、裁判でルチアは、聖殿巫女として働くようにという判決が下ります。聖殿巫女というのは、聖殿を訪れた信者と床を共にしてお告げをする巫女のことで、実際には巫女の名を語った娼婦といった職業だそうで、仏教ではちょっと考えにくい職種です。

当然キリスト教の教えには反する仕事のため、ルチアはそれを拒否して、それなら私はここから一歩も動きませんと宣言します。

屈強の男が数人がかりでルチアを引き立てようとしましたがダメで、これは彼女が精霊によって体中を満たされていたからだといわれています。このためさらに軍隊までが動員されて何十人がかりで動かそうとしてもだめでした。縄を掛けて牛を何十頭も仕立てて引こうとしましたが、それでもルチアは動きませんでした。

最後にはとうとう千人の兵隊と千頭の牛で引いて行こうとしましたが、それでもルチアを動かすことはできず、仕方なく当局はルチアをその場で処刑されてしまうことにしました。

そして刑吏が彼女の喉を引き裂きかけましたが、そのときルチアは処刑場に集まっていた人たちに大きな声で、「やがてキリスト教徒を迫害していたディオクリティアヌス帝がその地位を追われることになるだろう。そしてあなたたちは解放されることになる。」と予言します。

彼女の声が終わるか終わらないうちに帝の退位を知らせるローマから使者が到着し、人々は彼女の言葉が正しかったことを知りますが、そのときにはもう刑吏が彼女の喉を裂いていました。

そして刑吏らはそこから断末魔にあるルチアは引きずっていこうとしますが、ルチアは重傷を負いながらもさらにそこから一歩も動きませんでした。そしてそのままそこで亡くなり、その場に彼女の墓が作られ、やがてその場所に教会が建てられたといいます。

この話にはさらに別のバージョンがあります。ルチアによって命を助けられた母親がなんとその後、ルチアを異教徒と政略結婚させようとしたというのです。しかしルチアは自身の処女を守るために、結婚の条件として多額の持参金を貧者への施してくれるならばといってこれを拒みます。

これを知ったその異教徒は思いのままにならないルチアに怒り、彼女を実はキリスト教徒であり、神への犠牲として火炙りにすべきだと当局に密告。

ここからは上のバージョンと同じで、ルチアを引き立てに来た兵士たちは、山のようにどっしりとして強固な存在となったルチアを動かすことができません。牛の一群に彼女をつないでも動かなかったため、ついには彼女の喉元に剣を突き立てましたが、それでもルチアは動かず、ついには最後の拷問として、ルチアは両目をえぐり出されます。

このとき奇跡が起こり、ルチアは目がなくとも見ることができるようになったといいます。この情景は後世では絵画や像として残されるようになり、そこでは彼女はしばしば黄金の皿の上に自分の眼球を載せた姿で描かれています。

ルチアとは「光」という意味もあるそうで、このため目をえぐられて光を失ったルチアと関連して、後世ではルチアは、ガラス工の守護者、眼病の守護者、そして喉を裂かれたために喉の病気の守護者ともされています。

上述のバージョンでは、母親がルチアの結婚相手として異教徒と契約していますが、このほかにも彼女の美貌に惹かれてに多くの求婚者があり、ルチアはそれを退けるために自ら目をえぐってしまい、しかし神の力により奇跡的に治ってしまったという話まであります。

いずれにせよ、聖ルチアは後世の民間伝承では天の光を運ぶ聖女とされ、また暗闇に光を与える女神、火を産み出す女神ともされるようになりますが、これは暗い冬を過ごす北欧などの地方に伝わったあと、創作された伝承でしょう。

彼らにとっての聖ルチアの日は、冬のさなかに大いなる太陽の季節の復活を祈る祝日としての性格も持っているようで、元々はシチリア島シラクサのカソリックの聖女だったものが、こうした北方のプロテスタントにも受け入れられるようになり、厚い信仰を集めるようになったものと考えられます。

現在、聖ルチア祭りは、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランドなどのスカンディナヴィア諸国を中心として12月13日のこの日に祝われています。

一家の子供の中でもとくに年長の少女が聖ルチアに扮するそうで、ロウソクをつけた冠をかぶり、手にもロウソクを持って同じ扮装をした少女たちと一緒に行進します。ロウソクは、生命を奪うことを拒む、火の象徴だそうで、北欧であるにもかかわらず彼女たちはナポリ民謡の「サンタルチア」を歌いながら外から各家に入ってくるそうです。

エンリコ・カルーソーというイタリア人の有名なオペラ歌手が録音したことで知られるこの歌は、ナポリの美しい港の情景を歌ったものですが、多くのスカンディナヴィア諸国ではその詩が書きかえられ、ルチアが闇の中から光と共に現れたというふうな脚色がなされているといいます。

また、各国ともそれぞれの言語で歌い歌詞も違うそうで、少女たちの行進の様子もそれぞれの国の特色があるといいます。

スウェーデンでは、一家の年長の娘がロウソクのリースを被り、白いドレスを着てルチアの歌を歌いながら、コーヒーと「ルチアの小型ロールパン」を両親へ運ぶそうです。同じ扮装をした他の娘たちが手にロウソクを持ってそれを手伝いますが、年長の娘と違ってリースを身につけません。

スウェーデンにおけるこのような行進は、1927年にストックホルムで始まったそうで、地元新聞が、その年の「ルチア」役を新聞で公募したのが始まりだといわれています。これを発端として、国中にこの行進が広まるようになり、現在では多くの都市で毎年ルチアを選出するそうです。

学校でルチア役を選び、助手の娘たちを生徒の中から選んだりもします。「全スウェーデン代表」のルチアも選ばれるそうで、地方大会優勝者を集め国営放送の番組でそれが決められます。

この「選挙」に先立ち、地方大会優勝のルチアは、地元ショッピング・モールや老人世帯、教会を訪問し、歌を歌いながらスウェーデン名物のジンジャービスケットを手渡し、自分をアピールするそうです。

その昔、これまでのところブロンドの白人ばかりが選ばれてきたため、白人でなければルチアになれないのかという議論が巻き起こったそうで、その結果かどうかはわかりませんが2000年には初めて非白人の少女がスウェーデン代表のルチアとなったといいます。

北欧で親しまれているこの聖ルチア祭は、スウェーデンがそうであるように他国でも休日ではないようですが、国中で親しまれる行事です。日本ではクリスマスを控えているせいかあまり知られていませんが、最近北欧の文化やグッズは、北欧の家具ショップIKEAの人気ぶりに象徴されるようにちょっとしたブームになっています。

なので、そのうち聖ルチア祭を日本人も祝うような日もくるかもしれません。スウェーデンの「ルチアの小型ロールパン」はサフランを使うので黄色く、伝統的なロールパンだそうですが、案外とこういうものにパン屋や菓子屋が目をつけ、流行らせるようなことが将来おこるかも。

それにしてももう12月なかばです。聖ルチア祭やらクリスマスやら西洋のお祭りにばかり精を出しているわけにはいきません。大掃除をし、年賀状を書いてお正月の準備をしなければ。日本人には日本人の文化があります。明日からは富士山をみながら庭掃除をすることにしましょう。みなさんはもう大掃除始めましたか?