人体から宇宙へ

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DNAとは何か、と聞かれて即、デオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid)の略だ、と答えられる人はそう多くないでしょう。

中学校で習ったはずですが、多くの人が忘れていると思います。たしか、遺伝子のことだよな、と言う人もいるでしょうが、正確ではありません。

DNAとは、地球上の多くの生物において遺伝情報の継承と発現を担う「高分子生体物質」のことを指し、遺伝子とはそのDNA上に刻まれている「遺伝情報」を指します。

人間などの生物のもつ細胞の中にはそれぞれ核が存在し、その中には細長い二重らせん構造のDNAと染色体が絡み合うようにして存在しています。そしてその中で、「その生物を形作る情報」を特定して「遺伝子」と呼んでいます。

一般には「ゲノム」と呼び、すべての生物にあります。このうち、人のもののみを特定して「ヒトゲノム」と定義しています。人間を形作るために一人一人に設定された情報のことであり、いわばヒトの体を作るための設計図です

もう少し詳しく言うと、このヒトゲノムは、たんぱく質の造成とそれを組み合わせて体を作ることの指示のための仕事をしています。人間は各臓器ごとに異なる種類のたんぱく質を必要としており、その必要なたんぱく質の種類や配置を判別するための設計図と指示役をヒトゲノムが担っています。

こうしたヒトゲノムの情報がすべて解読できれば、人間のからだのしくみがより詳しくわかるだけでなく、いろんな病気の原因もわかりそうです。ヒトの細胞の中で、DNAと染色体中にどういうふうに並んでいるか、これを「塩基配列」といいますが、この全塩基配列を解析することでそうしたことを実現しようとするプロジェクトがかつてありました。

人間の遺伝子情報を解読しようとする計画であり、これはヒトゲノム計画(Human Genome Project)と呼ばれていました。1991年にスタートし、1953年のDNAの二重らせん構造の発見から50周年となる節目の年である2003年にその解読は一応、完了しました。

このプロジェクトは1990年に米国のエネルギー省と厚生省によって30億ドルの予算が組まれて発足したものです。15年間での完了が計画され、発足後、プロジェクトは国際的協力の拡大と、特に配列解析技術の進歩などのゲノム科学の進歩、及びコンピュータ関連技術の大幅な進歩により、まずその下書き版(ドラフト)が2000年に完成しました。

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このドラフトの完成は予定より2年早いものでした。プロジェクトが加速した一つの理由としては、この公的なプロジェクトとは別に、アメリカのバイオ企業、セレラ・ジェノミクス社による独自の商業的なヒトゲノム解読の試みがあり、同社はその事業に莫大な投資を行いました。

そもそもこのセレラ社の事業の目的は、より高速かつ効率的なDNAシークエンシング法(DNAの配列を調べる方法)の開発であり、それを産業化に向けて技術移転することにありました。

このため、同社は「ショットガン・シークエンシング法」という新しい遺伝子情報の解析方法を開発し、これによって加速度的に解読が進められるようになりました。

最終的にはこうして発見された遺伝子情報を特許化し、私物化しようとしました。がしかし、これとは別にヒトゲノム計画が既に公的資金によって進められており、ヒトゲノムを解読しようとする試みは同じでしたが、その成果の運用は、公と私ということで拮抗してしまいます。

このため、その成果を特許化し、一企業が独占するということに対しては大きな批判が巻き起こり、結果としては、セレラ社が折れ、その成果は全ての研究者が自由に利用できるようにするという合意が成されました。

この合意では、セレラ社側がポリシーを変更し、非商業目的の利用に関しては無料で配列を公開する、ということになりました。ただし、研究者がダウンロードできる配列の量には上限を設けるという制限がついていました。

現在に至るまでにはその上限も撤廃されているようですが、とまれ、2003年に完了したこのプロジェクトによってゲノム研究は著しく進展しました。

各国のゲノムセンターや大学などによる国際ヒトゲノム配列コンソーシアムによって組織されるようになり、これまでにワーキング・ドラフトを発表し、現在もその改良版の発表が継続して行われています。

こうしてヒトゲノムプロジェクトヒトによって解読されたDNA配列に関する情報は、今日では多くの分野に生かされています。

たとえば、マウスやショウジョウバエ、ゼブラフィッシュといった試験生物を用いた研究、あるいは、酵母、線虫、また数多くの微生物や寄生虫などのモデル生物の配列解析の成果といったものであり、これらは今後とも生物学と医学の発展に重要な役割を果たすことが期待されています。

今日では、ヒトのDNA配列情報はデータベースに蓄積され、インターネットを介して誰でも利用することができるようになっています。

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ただし、これらのデータは何らかの解釈を加えなければほとんど利用価値がありません。このことから、これらのデータを解析するコンピュータ・プログラムが数多く開発されています。たとえば、単純なDNA塩基配列の中から遺伝子の境界を特定したり、何らかの特徴を見出す技術は「アノテーション」と呼ばれます。

最高品質のアノテーションを行うには生物の専門家に頼らなければなりませんが、現在、アノテーションに用いられている技術として最も役立っているのは、人間の言語の統計モデルをDNA配列解析に応用したものだそうです。形式文法などのコンピュータ・サイエンスから導入した手法を利用しており、簡単にその意味が解釈できるといいます。

この技術を使って、たとえば微生物株の中から産業上有用な株を選定し、ゲノム解析を実施する、といったことが行われています。とくに、食品・健康・環境・エネルギーなどの産業において利用が期待される菌株について、大学・企業がそうした分析を行うようになりました。

かつてのヒトゲノム計画においては、2003年4月14日に解読完了が宣言されました。そう、今日がその記念日になります。この結果、この時点でのヒトの遺伝子数の推定値は3万2615個でした。

しかし、その後の解析によりこの推定値が誤りであることが判明し、新たな推定値は2万2287個であると2004年10月21日付の英科学誌ネイチャー に掲載されました。

ただし、実際の遺伝子数は個人差などにより多少の変動が見込まれるため、未解読の領域や重複領域等について解析が継続されており、2004年の報告以降も定期的に修正報告がなされています。

また、個人のゲノムにおいても父親と母親に由来する配列間でもある程度の差異があり、個人ゲノム配列の解析は医学研究に重要な意味をもつことから、2008年より1000人ゲノムプロジェクトも開始されています。このプロジェクトでは、異なる民族グループから少なくとも1000人分の匿名ゲノムの配列決定を行うことを目指しています。

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こうしたゲノム情報の解明は、上の微生物菌株への応用のようなバイオテクノロジばかりでなく、医学上の飛躍的な発展に貢献することが期待されています。やがてはガンやアルツハイマー病などの疾患の治療に役立つものになっていくでしょう。

かつては不治の病といわれた癌についての応用も既に始まっています。例えば、ある研究者が何らかのガンについて調査していく過程で、ある遺伝子に着目したとしましょう。

この研究者はインターネットに公開されているヒトのゲノム・データベースを訪れることで、他の研究者がこれまでにこの遺伝子について何を調査したのか、すなわち3次構造はどうなっているのか、どのような機能があるのかを調べることができるようになります。これにより癌の原因が特定され、その治療法が進むことが期待されているのです。

また、他のヒトの遺伝子との進化上での関係はどうなっているのか、酵母やマウス、ショウジョウバエと比べてどうなっているのか、有害な突然変異が起こる可能性があるか、他の遺伝子と相互作用するのか、どの組織で発現しているのか、関連する疾患は何か…などなどについても調査することができるようになりました。

このように、公開されているデータによって医学上において有用な情報の種類は多岐におよび、これはいわゆる「バイオインフォマティクス」と呼ばれ、近年、大きな注目を浴びるようになってきています。

日本語では「生命情報学」といい、生物学の分野のひとつで、遺伝子やタンパク質の構造といった生命が持っている「情報」と言えるものを分析することで生命について調べる、といった研究分野です。

この生命情報学において、特にゲノム学と関連して注目を集めている技術として「マイクロアレイ」というものもあります。「DNAチップ」とも呼ばれるもので、これはプローブと呼ばれる「遺伝子断片」が小さな板の上に規則的に配置されたもので、3万件以上の遺伝子について、同時にそれらのサンプル内における存在量を測定できるものです。

このマイクロアレイの技術を使ったもののひとつに「マイクロアレイ血液検査」があります。血液を使った癌の検査で、これはがん細胞がつくり出すタンパク質などを測定することでがんがあるかどうかを診断するというものです。

がんに対する生体反応を遺伝子レベルで捉えてがんの有無を判定する最新の血液検査で、遺伝子の発現変化を見ることでがんの存在を突き止め、発生部位や進行度までも分かるという、非常に優れた血液検査です。

こうしたゲノムの解読によって得られた技術はこれからの医学・科学向けの診断用ツールとしての可能性を秘めていることから、大きな関心を集めており、また、ヒトゲノム計画の結果として今後も数多くの技術がここから派生すると見られています。

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また、人間とその他の動物などの生物間でのDNA配列比較分析が可能となったことで、生物学においては新たな道が切り開かれており、現在では多くの生物学者が、とくに「進化」に関わる問題に関してこうした新しい分子生物学の手法を用いて研究を進めるようになってきました。

例えば、我々の細胞の中で、遺伝情報を読み取ってタンパク質へと変換する機構である「翻訳」のしくみなどが明らかになってきています。このほかにも「胚」の発生から各種器官への発達、免疫系がどうやってできるか、といったことまで分子レベルで関連付けて明らかにできるようになってきました。

こうした数々のプロジェクトのデータによって、今後はますますヒトとその近縁の種の違いや類似性に関する問題が解明されていくであろうと期待されています。

それにしても、ヒトゲノムは今後も新しいものが見つかったとしてもせいぜい30000~4000であると目されています。この数字は多いように見えて専門家からみれば、かなり少ないもののようです。

実は、このように少ない遺伝子からヒトの複雑な体や脳が構築されているという事実は、このヒトゲノム情報が開示された当初、科学者たちに大きな驚きと狼狽を与えました。

さらにその後の更なる研究によって、イネ科の植物の遺伝子がヒトよりずっと多いことや、下等生物と考えられていたウニの遺伝子の数がヒトとほとんど同じであることがわかりました。しかも70%がヒトと共通していることなどが判明すると、人間が遺伝子の数で他の生物より優位にあるはずだという予想は、間違いであることが確定的となりました。

このように、ヒトはほかの生物よりも劣っている部分もあるのではないかということが次第にわかってきており、なぜそうした他より劣っているのにもかかわらず、地球上の動物の頂点に立っていられるのか、などについては、まだまだ解明できていない、むしろ新しい疑問点が数多く出てきています。

ヒトゲノムの解読は終わったとしても、それが持つ意味の全てを理解したとは言えない、というのが現状であり、ましてや今後どのようにヒトが進化していくのかもわかっていないわけです。

昨今「地球温暖化」などの環境問題が叫ばれていますが、今後も何らかの環境の変化があった時ヒトはその環境に適応するため進化をするのではないか、という人もおり、その逆に今よりもさらに退化する可能性もあるわけです。

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はたしてヒトは猿人からの進化の頂点にあって、まだまだ進化する可能性はあるのかないのか?

しかし、温暖化についていえば、これによってすぐに進化が起きるのなら、アラスカのイヌイットとアフリカ人やインド人はすでに別の種に進化しているはずです。

ところが、この二つの民族は人種的な差異はあっても種としての差はありません。イヌイットがアフリカで生活することもアフリカ人が北極圏で生活することも十分可能だし、結婚して子供も作ることができるわけです。

これはなぜかといえば、生物の進化というものは数十年単位程度では顕著には現れず、もっと長いスパンで起こるためです。250万年ともいわれる人類の長い進化の歴史をみれば、温暖化がおこる程度の時間ではそうそう簡単には進化したり退化したりすることはないからです。

また、生物学的にみれば、人類は生物史的にはつい最近二足歩行に進化したばかりともいえ、進化したとはいえ、構造的に色々と粗だらけ、という風に見ることもできます。

たとえば腰の構造は、中途半端に四足動物の特徴を残しており、このためすぐに腰痛になります。また、足の小指は機能的にも構造的にも実に中途半端ですし、虫垂炎を起こす虫垂も、なんでそんなものがあるのかよくわかっていません。あまり存在意義がないものがヒトの体の中にはゴマンとあります。

これらの構造はこれからも変化していく可能性があり、また医療はこれからもどんどんと発達していきますから、それらが「淘汰圧」となって、進化に影響を与える可能性もあります。

人類は進化の過程おいて、何等かの環境変化が起こることによってひとつの「選択」をしますが、これが進化であり、その与えられる環境変化が「淘汰圧」です。医学がその環境変化であれば、それによって人類は新たな選択、すなわち「変化」をする可能性があるわけです。

もっともその「変化」は、このあと何千何万年もかけて起きる現象なのですぐに目に見える変化ではないでしょう。しかも、その変化が必ずしも進化であるとは限りません。退化である場合もあります。

その変化はあくまで淘汰圧による微妙な適応変化にすぎないので、それがはたして優れた存在への変化なのかどうかは、すぐには答えはでません。長い間経過を見た結果、実は退化だった、ということもありえるわけです。

例えば2000年前の人類に比べて現代人が知能が高いかと言うとそんなことはないようです。
古代ギリシャ時代の時点で現代でも最高峰の数学理論は完成されており、現代最高峰の数学者たちがこの時代の数学理論を解明しようとやっきになっています。地球の円周や直径はこの時代の人々の計算によって既に答えが出ていました。

もしかしたら、大昔の縄文人は現代の日本人よりよほど頭がよかったのかもしれません。頭脳に関していえば、言語能力や知能などの大脳系は向上していますが運動をつかさどる小脳の機能や五感の機能は低下しています。ほかにも、類人猿の骨格と現代人の手を比較すると、指の精密さを獲得したかわりに強靭な握力を失っており、これは退化といえます。

極端な話、環境次第では、今後人類が言語能力や知能を失って類人猿や四足動物へ進化していくこともあり得るわけです。ただし、それも何千万年単位のそれなりの時間がかかってわかることになりますが。

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ちなみに、生物学者がもっとも完成度の高い動物と認識している生き物はヒトではなく昆虫だそうです。あまりの生物としての完成度の高さは目をみはるものがあるとまでいい、「昆虫は宇宙人が作った地球征服用のロボットだ」なんてジョークもあったりするほどです。

今後の人類は自らを「自主的退化」させる可能性もあり、そうした時代には昆虫によって世界は支配されているかもしれません。自主的退化とは、私たちが人間としてもはや十分に進化したといえる地点まで人間の種を戻し、新たに再構築する、というものです。

人類は過去に悪行を繰り返してきており、地球環境を崩壊させてきました。これに対し、人類が文明を持つ以前の状態に一旦リセットすることで、人類自身や動物、惑星そのものの脅威となることを避けられるはずだ、というわけです。その究極のゴールは文明の終焉でありジャングルへの回帰であるわけであり、将来起こる得ることだと考えられています。

その論法でいけば、「自主的人類絶滅」という可能性もあります。こちらは、いっそ人類が滅亡してしまえば、地球の平穏は保たれるのではないか、というわけです。現在においてもすでに海外では「人類絶滅運動」を推奨する人々が活動中であるといいます。

組織の名前は「VHEMT」と呼ばれ、Voluntary Human Extinction Movementの略です。邦訳は「自主的な人類絶滅運動」であり、彼らは積極的に人類の繁殖を止めるような運動を展開中で、人類の種を減らし、やがて絶滅させることを望んでいるそうです。

そのスローガンは、「長寿は絶滅に至る」だそうで、自分たちこそが、「地球の生態系に対する無神経な搾取や大規模な破壊を防ぐ、選択肢を示している」と主張しています。少子高齢化が進み、長寿大国となっている日本は絶滅の道を歩んでいるといえ、いずれこの団体によって「モデル地区」に指定されるかもしれません。

こうして人類が滅亡したあとには、新たなるポストヒューマン(Posthuman)が現れるともいわれます。

無論、仮説上の未来の種ですが、「その基本能力は現在の人類に比べて非常に優れていて、現代の感覚ではもはや人間とは呼べない」ものではないか、といったことがいわれているようです。

ポストヒューマンの形態として、人間と人工知能の共生、意識のアップロード、サイボーグなども考えられます。例えば、分子ナノテクノロジーによって人間の器官を再設計したり、遺伝子工学によって創られるものです。

こうした新人類は、精神薬理学、延命技術、ブレイン・マシン・インターフェース、進化した情報管理ツール、向知性薬、ウェアラブルコンピューティングなどの技術を適用したものである可能性もあります。

また、ポストヒューマンは、現在の人間の尺度から見て「神」のような存在になるとする考え方もあります。そう聞くと、SFによくあるような高い知能を持ったコンピュータのような存在形態を思い描くかもしれません。神のような人工知能を人々が崇めているような未来を想像するかもしれませんが、そういう意味ではありません。

ポストヒューマンの知性や技術があまりにも高度で洗練されているため、人間が見たらその意味を理解できないだろうという意味であり、現在のわれわれが想像だにしないような姿や形をしている可能性もあるわけです。

それにしてもどこまで変化(進化)したら人間はポストヒューマンになるのか? そしてその最終形はどんな形をしているのでしょうか。

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これについては、誰にも答えを出すことはできません。

あるいはそのポストヒューマンは、形などを持たず、現在我々が身にまとっているような肉体を捨てたエネルギー体のようなものなのかもしれません。

宇宙空間はこれまで真空や虚空と呼ばれていましたが、実は宇宙空間には現在科学の検出装置ではもみえない「ダークエネルギー」が蔓延している、ということが言われるようになってきています。それと同時にそのエネルギーの中に何等かの情報が内蔵されているのではないか、ということまで言われるようになってきました。

日本の研究者によって、幽霊素粒子といわれたニュートリノの質量があるのが発見されて以降、最近、素粒子に関する新発見が相次いでおり、これまで謎とされてきたものがこれからはさらにその正体が暴かれていくに違いありません。

従来、宇宙人といわれてきたものも、その正体もそうした研究の中から明らかになってくるのかもしれません。その形態としてもまさにそうしたエネルギーのようなものでできているようなものもいるのではないかという研究者も既におり、そうなるとこれはまさに「意識体」です。

そうしたものが宇宙に遍満しているとすると、あるいはそれは「宇宙意識」といえるようなものであるのかもしれません。

コンピューターサイエンスの概念で言えば、「クラウドコンピューティング」と似ています。このクラウドコンピューティングでは複数のコンピュータがグリッドや仮想化の技術で抽象化され、インターネット(雲)で接続されたコンピュータ群が巨大な1つのコンピュータになるというものです。

将来的にはそのコンピュータの一つ一つはさらに小型化が進み、究極の世界では素粒子のひとつひとつがコンピュータである、というようなクラウドコンピュータの世界もあるいは実現するかもしれません。そして、そうした時代には、そのスーパークラウドコンピュータに人間の意識をアップロードする、ということも普通に行われているかもしれません。

荒唐無稽な話かもしれませんが、将来的にはこうした進化したクラウド技術を使って、人間は自分の頭脳を仮想化させるようになっている可能性もあり、そうなるともう人間は肉体を必要としなくなるのかもしれません。

アップロードされたブレイン・データは時間の速さを調節することが可能なので、例えば新たな山や海が生まれ、それがなくなるという、地球規模の地形の変化、あるいは星々の誕生や滅亡すら見ることが可能になります。また、アップロードされたブレイン・データは体から体へ移動できるので、様々な外見の自分に遭遇することができます。

その「体」はもう肉体である必要はないわけで、あるいはロボットのようなものでもいいわけです。他にも、コンピュータ生成環境の基本的なパラメーターを変えることができるので、バーチャルな仮想空間や異次元空間を見ることができます。

これはもう、人を超えた新たなる人類であり、途方もない未来の人類シナリオといえます。こうして創りだされたクラウド世界は、文字通り雲のような宇宙意識の情報であり、古代から現在、そして未来へ受け継がれていく人類の叡智は、すべてこの中に取り込まれていく可能性もあります。

宇宙中に過去から蓄積されてきた生命力が満ち満ち、巨大な空間に存在する宇宙の至る所に存在する目に見えないエネルギーがある、という状態なのかしれず、これが、いわゆる「アカシックレコード」と呼ばれるものなのかもしれません。

宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層であり、人類だけでなく、元始からのすべての動物、植物、その他のすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念です。

そしてこの中に過去のあらゆる出来事、そしてこれから起こる未来の痕跡が永久に刻まれていくわけであり、ポストヒューマンの最終形とはまさにこうした宇宙意識との合体に違いありません。

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ケツバン

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1997年の今日、12月16日にテレビ東京および系列局で放送されたテレビアニメ「ポケットモンスター」こと、ポケモンを見ていた視聴者の子供たちが、眼に異常を覚え、不快な気分や頭痛や吐き気といった症状などをうったえる、という事件がありました。

あれから、18年… このころ5歳だった我が子は幸いこの番組を見てはいませんでしたが、症状を発した子供を持っていた親御さんたちは、なぜこんなことが起こったのかと、唖然としたことでしょう。

その息子君も今年は大学4年。あとは卒業を待つばかりですが、さすがに最近はポケモンだの、妖怪ウォッチなどには興味などはなく、目下の関心は、幸いにもすでに決まっている就職先での来春からの新生活にあるようです。

それはさておき、この事件は「ポケモンショック」と呼ばれています。原因は、この番組における激しい光の点滅を断続的に見たことにより、「光過敏性発作」が引き起こされたためとされ、事件の余波を受けてこの番組の放送はその後4カ月の間休止されました。

当日放映されていたのは、ポケットモンスター第38話「電脳戦士ポリゴン」であり、問題となったのは、その後半あたりの映像です。このときの視聴率は、関東地区で16.5%、関西地区で10.4%であり、少なからぬ子供たちがこの人気番組をみていました。4~12歳のおよそ345万人の視聴者がいたと推定されています。

この回は、主人公・サトシたちがコンピュータ内で起きている事件を解決するためにコンピュータ内部に入り込むという内容であり、コンピュータの世界を表現するため、ワクチンソフトによる攻撃シーン、破損したデータを修復したシーンにパカパカを始めとするストロボやフラッシングなどの激しい点滅が多用されました。

後にテレビ東京が配布した報告書によれば、25箇所にわたって1秒間以上連続してこうした点滅が使用されていたといい、特に番組後半はとくにこれらが重点的に使用されていたそうです。特に顕著だったのが、ピカチュウの技「10万ボルト」がワクチンソフトのミサイルに当たった場面でした。

「アニメ・ポケットモンスター問題に関する記録」という記録文書があり、このなかでは、この回の放送直後、放送を見ていた視聴者の一部が体調不良を訴え、病院に搬送されたとされます。病院に搬送された患者の多くは児童であり、テレビ東京が最終的に把握した患者は約750人になり、そのうち135人が入院しました。

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患者の症状は主に発作様症状、眼・視覚系症状、不定愁訴、不快気分、頭痛や吐き気などでしたが、原因は上記のとおり、激しい光の点滅を断続的に見たことにより、光過敏性発作が引き起こされたためとされます。

光過敏性発作を誘引する原因には光による刺激のために、一種の癲癇(てんかん)が引き起こされるためと考えられているようですが、それ以外の複数の要素が関わっている可能性が指摘されています。このため、「てんかんの一種」と言い切るにも語弊があるようで、医療関係者たちの間ではいまだ研究途中のテーマのようです。

事件翌日の1997年12月17日には、同じテレ東の番組、「少女革命ウテナ」最終回において、お詫びテロップが流されましたが、その内容は、「昨日の放送分の「ポケットモンスターをご覧になると目眩がしたり、具合が悪くなったりする可能性があります。きのう放送分の「ポケットモンスター」をビデオでご覧にならないようにお願いします」でした。

事件後、テレビ東京は原因が究明されて再発防止策がとられるまで、特番を含めた「ポケットモンスター」関連の放送を全て休止すること、および関連情報を調査の結果が分かるまで扱わないことを発表しました。

この他にもテレビ東京ではポケモン関連番組・コーナーの放送自粛、レンタルビデオ店にアニメのレンタル自粛の要請、テレビ東京の系列外のローカル局に対しても当該放送分以外の回も含め放送自粛の要請を行いました。

この事件を受け、こうした画像問題に関しては研究機関を持つNHKが、再発防止対策として「アニメーション問題等検討プロジェクト」を立ち上げました。その際に、NHKも自ら放映したことのある「YAT安心!宇宙旅行」という番組において、放送後に同様の原因で4人の児童が体調不良を訴えていた事例があったことを明らかにしました。

そして、「そのとき原因究明をしていれば、今回の事件は起こらなかったかも知れない」としてNHKもまた陳謝しました。

当時の厚生省も「光感受性発作に関する臨床研究班」を発足させたほか、郵政省(これも当時)も「放送と視聴覚機能に関する検討会」を設置、NHKと日本民間放送連盟(民放連)とともにタッグを組んで、共同ガイドラインを策定することで合意しました。

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テレビ東京はこの他に、日本国外のテレビ局において罰則も規定されているガイドラインを持つイギリスに着目し、同国の独立テレビジョン協会に年明け早々に調査団を派遣したほか、アメリカにも同様の調査団を派遣しました。

イギリスにおいては、1993年にカップラーメンのテレビコマーシャルを見た3名がこの種の痙攣発作を起こして病院へ運ばれており、これを受けて、独立テレビジョン委員会およびBBCが防止のためのガイドラインを策定していました。

テレ東はさらに局内調査はもちろん、外部調査チームの受け入れを行い、こうした諸外国の事例をもとに「アニメチェッカー」と呼ばれる機構の開発と導入を行うなど、事件の当事者として最大限の再発防止策をとりました。

ポケットモンスターは今でもそうですが、この当時も相当な人気のあるアニメでした。事件後も放送再開を希望する声は多く、テレ東は、翌年の3月末にはNHKと民放連のガイドラインが発表される見込みが出てきたとして、早ければ4月中旬に再開できるとし、放送再開を前に事件の検証番組を放送することを発表しました。

4月8日、NHKと民放連は光の点滅などを規定したガイドラインを発表。また4月11日午後1~2時に「アニメポケットモンスター問題検証報告」がテレビ東京系6局で放送されましたが、その後ポケモンは放送枠を以前の火曜日から木曜日のゴールデンタイムに移動し、4月16日に放送が再開されました。

再開時の視聴率は16.2%だったといい、相変わらずの人気ぶりでした。放送再開後のアニメではオープニングの一部や、ピカチュウの10万ボルトの表現が変更されるなど、光の強いシーンは光量が抑えられるなどの修正がなされていました。

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また、事件前に放送されていた回も、後日販売されたビデオ・DVD版、再放送、アメリカでの放送の際に、点滅箇所の修正がなされました。しかし、第38話に限っては修正不能と判断され、ビデオ・DVD・再放送枠および国内外のすべての放送リストからカットされ、「欠番」扱いとなりました。

また、問題となった第38話で登場したくだんの「ポリゴン」というキャラクターは、その進化形であるポリゴン2とポリゴンZも含め、テレビシリーズ本編ではその後一切登場しなくなりました。

このように、現役で放映されているもの、あるいはすでに放映済みのものも含めて、製作あるいは公開された後、「特別な支障」が生じたため公開・流通がなされなくなった作品が出ることがままあり、これらは、「封印作品」と呼ばれます。

テレビ番組だけでなく、文学作品、漫画、映画、歌謡曲その他の作品の中にもありますが、テレビで放映されたものとしては、このポケモン以外にも例えば、ウルトラセブン 第12話「遊星より愛をこめて」ブラック・ジャック 第41話「植物人間」、第58話「快楽の座」などがあります。

これがなぜ封印作品になったかといえば、ウルトラセブンでは、この回においてケロイドを彷彿させる黒い大きなしみのようなものがある宇宙人が登場し、主人公のモロボシ・ダンがこれをみて、「原爆病によく似た症状じゃないですか」としゃべるセリフがあったためです。また、ブラック・ジャックのほうも「植物人間」という言葉が問題になりました。

このように、言論・表現の自由が認められている日本のような国においても、しばしば放送禁止の対象となる用語があり、そうしたものはおおむね、「公序良俗」に反するものです。日本では、「電波法」という法律があり、この中に、以下のようなものの放送が禁止されています。

・政府を暴力で破壊することを主張する通信を発することの禁止
・わいせつな通信を行うことの禁止
・差別を助長する恐れのある言葉や表現
・暴力や犯罪を肯定的に扱う言葉や表現

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また近年、個人情報保護法が制定、施行されたことにより、これに抵触する、あるいはその恐れのあるものについて、新たに規制の対象となっており、放送内容上、必要のない個人情報を含む映像、コメントなどについてなど細かく対象となる事物が決まっています。

しかし、こうした規制の方向に危惧をいだくテレビマンやジャーナリストも多いようです。放送はジャーナリズム機能を持ったマスメディアであり、ニュースやドキュメンタリーに限らず他の番組についても程度の差こそあれ、ジャーナリズム性を帯びているといえます。

また、放送、特にテレビ放送は聴覚性、視覚性、同時性、臨場性があり、活字メディアなどに比べ受け手に与えるインパクトがはるかに強く、社会的影響力が大きいものです。公共財産である電波を利用することから「公共性」が極めて高いというという論理となり、放送にはいわゆる「中立性」が求められるべきだ、というのが彼らの意見です。

思想・思考、言論、表現の自由は広く保障されなければならない、というわけですがしかし、表現の自由は絶対的で無制限なものではなく、特に大衆を対象とする放送で、安易に全てをありのまま自由に表現することが常に正当化されるわけではありません。表現の自由が保障されている場合、容易に当事者間、第三者間での利害関係を生みやすくなります。

従って、なんでもかんでも放送していいというわけにもいかない、というのが日本を含めた国際的にほぼ共通した認識です。イスラム国や北朝鮮のような、ならずもの国家はともかく、多くの国ではこのルールを守り、「放送の責任」としての表現の規制が行われています。

ただ、日本と欧米を中心とした諸外国では、表現の自由に係る根本的な考え方に大きな違いがある、といわれます。すなわち報道内容に係る責任の帰属が、欧米を中心とした諸外国では「表現者」ですが、日本では「マスコミ」である、という違いです。

どういうことかというと、諸外国では、報道内容は「多様であるべきである」、とされるのが普通で、被取材者の表現を肯定あるいは否定する上においては、マスコミ自身の表現だけでなく、取材を行った記者なども加わり、日本では偏向報道として問題となるような内容のものも、彼らの責任で自由に報道される風潮があります。

これは、表現の責任の所在は原則、個人とされており、タブーは表現者個人、つまり被取材者のみならず、各マスコミや個別案件ごとの担当者の中にそれぞれある、とされているということです。

このため、一見、タブーは存在しないようにさえみえ、また、他社が報道しないことを報じていることを売り物にするマスコミも多数あります。いちいち「規制する」という概念そのものがないことも多く、わりとあっぴろげにタブーが報道されたりします。

ところが、日本では報道した内容の責任はすべてこれを司るマスコミに押し付けられます。個人意見でもなんでもかんでも、ともかくそれを取り上げて放送したマスコミの責任、というふうになっています。このため、訴訟を起こされたり、物理的ないし経済的な損失を被る危険がある話題について、大多数のマスコミは触れたがりません。

いざ訴訟となると、マスコミ側にまず勝ち目はなく、従って日本では読者や視聴者、官庁、企業や団体、他国から抗議・圧力を受けたりすると、すぐにその放送をやめてしまいます。すなわち、タブーの本質が個人にある諸外国に対して、日本においてはマスコミという組織の中にある、ということになります。

ときには、欧米と同じように他社が報道しないことを報じていることを売り物にするマスコミもあるにはありますが、欧米を中心とした諸外国ほど多くはないのが現状です。

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従って、我々が今現在、普通に見ている番組も、その放送後に、ちょっとした社会問題に発展しそうになると、マスコミはこれを嫌がり、すぐに欠番にしたがります。

かつて、オバケのQ太郎という人気テレビアニメがありました。これはこの中で、黒い格好をしたオバケが登場し、これが黒人蔑視になる、といって放送局側が封印作品にしたものです。この当時テレビだけでなく、漫画のほうの出版もとりやめになりました。

我々の世代はよく知る名作ですが、さすがにこれについては逆に取りやめたことに対する批判が相次ぎ、テレビ放送こそは復活していませんが、漫画のほうは、2009年に「藤子・F・不二雄大全集」の形で復刻され、復権を見ています。

芸術性の高いもの、クオリティの高いもので封印作品となっているものはほかにもたくさんあると思われ、日本は開かれた国だとよく言われるのに、なんだかな~というかんじです。

同様のことは、ニュース報道などにもいえ、何か批判があると報道を自粛してしまう今の日本、および日本人は、ことテレビ報道ということに関してはかなり委縮している感が否めません。昨今のように秘密保持報なる悪法がまかり通る時代には、さらにマスコミによる報道の在り方が問われています。

マスコミ自身もすべての責任をしょい込まず、欧米のようにその責任をある程度一般に開放することで、逆に自由になる、といった風潮が出てきてもらいたいものです。

ところで、こうした封印作品に代表される「欠番」とされるものは、何もテレビ番組だけでなく、ほかにもたくさんあります。

そもそも欠番とは、一般的には一連の事物に識別番号が付されている場合に、例外的に未使用となっている番号ですが、その番号が付されているものが非公開等されているために、一見未使用に見える場合なども含みます。また、背番号の永久欠番のように名目上、欠番になっているものもあります。

一番なじみが深いのが、「忌み数」というヤツです。国際的に 13 を忌む国が多く、欠番とされます。日本では、4、9、42、49が欠番となることが多く、言わずと知れたことですが、4 は死を、9 は苦を連想させるためです。特にホテルや旅館、病院、共同住宅において、4号室や9号室を避け、欠番とすることが多いものです。

また、欠番には当初から存在しないのに欠番といわれているものもあります。例えば、東京の地下鉄には、都営地下鉄が運営する路線と、東京メトロが運営する路線にそれぞれ欠番があります。

これは、両者が発足する前は、東京の地下鉄は両社共通の番号が付けられていたためであり、その後両社が分裂したため、都営とメトロではそれぞれ欠番ができる、ということになったためです。

例えば、浅草線は1号線、三田線は6号線」、当初計画中だった新宿線・大江戸線がそれぞれ10号線、12号線ですが、その後都営線がこれらの路線を保有したので、メトロではこれらの路線が欠番になっています。またその逆でメトロにあって、都営線で欠番になっているものがあります。

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鉄道ではこのほかこうした欠番が新幹線にもあります。1994~2012年に運用されていたE1系は当初600系となるはずでしたが、JR東日本がその後形式付番方式を変更したことにより、600系は欠番となりました。

鉄道においてはさらに、線路としては存在するものの、ホームがなく、線路の番号に合わせるために欠番とする場合もあります。たとえばJR東日本大宮駅の5・10番線は欠番、同我孫子駅の3番線、JR東海名古屋駅の9番線、JR西日本京都駅の1番のりば、東急東横線元住吉駅の1・6番線、名鉄堀田駅の2・3番線(通過線)は欠番といった具合です。

鉄道も含めた交通施設、乗り物では、過去に大事故を起こした便名や列車番号を避けるために欠番とすることもあります。福知山線脱線事故を起こしたJR西日本の福知山線では、同事故のときに冠していた「5418M」という車両番号を欠番として使わないようにしているそうです。

空の世界でも同じであり、たとえば日本航空は、1982年2月9日に発生し、24名の死者を出した350便墜落事故を受け、350便は欠番になっています。また、1985年(昭和60年)8月12日に起こった日本航空123便墜落事故により、123便も欠番になっています。

と同時に122便も欠番になっています。これは、このときの運航が、羽田空港~伊丹空港線1往復分、ワンセットとされ、122便は123便の対となる便の番号とされていたためです。

このほか、当該番号を予備として開けておくために、当初から欠番が予定されているものもあります。例えば日本銀行券では紙幣番号が900000に達すると000001に戻り、それ以後の番号は付されません。これは900001以降は不測の事態に備えて空けてあるためだそうです。

さらに日本銀行券には、記番号(いわゆる通し番号)がアルファベットとアラビア数字の組み合わせで記されていますが、アルファベットの「I」と「O」が欠番となっています。理由は「0」や「1」との混同を避けるためです。

一方では、過去に使われていた番号の対象が、消滅・廃止・統合・番号変更などによりなくなった場合、欠番となるものも多くあります。お気付きかもしれませんが、今あなたがこのブログを見ているそのパソコンwindowsパソコンなら、そのハードディスクのドライブ番号には、AとBはないはずです。

これは、windowsがMS-DOSと呼ばれていた時代に、ドライブレターのAとBはフロッピーディスク用に確保されていたためで、実際には今時フロッピーディスクを使う人などはいないため、事実上欠番となっています。

ただ、コントロールパネルの「ディスクの管理」画面からAやBに変更することも可能です。しかし、一般に、欠番となった番号を再利用することは好ましくないとされているようです。

理由は単純です。他のコンピュータとネットワークを通じて交信などをする場合などに、混乱するためです。自分のコンピュータだけドライブを変えれば、他人も混乱しますし、自分自身もわけがわからなくなります。

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このほか、日本の一般国道にも数多くの欠番があることをご存知でしょうか。現在、日本の国道は1号から507号までありますが、そのうち59号〜100号・109号〜111号・214号〜216号の48路線が欠番であり、実在するのは459路線にすぎません。

2桁の後半が欠番なのは、かつて一級国道に1桁・2桁を、二級国道に3桁を割り当てていたためです。一級国道は58番まで作ったものの、それ以上一級国道を作る場所がなくなり、これ以後は欠番になりました。

また、109号は108号に統合、110号は48号に変更、214号〜216号は統合して57号に変更されたため、欠番となっています。

都道府県道にも欠番が見られるケースがあり、例えば東京都道1号・神奈川県道1号は、国道1号との混同を避けるため欠番となっています。

スポーツにおいても、多大な功績を残した、もしくは多大な功績が期待されながら若くして逝去した人物・選手を称える意味で、その人物・選手がつけていた背番号を永久的に欠番とすることがあります。

私は広島東洋カープのファンですが、このチームでは、3番は衣笠祥雄(三塁手)として欠番、また8番は、山本浩二(外野手) のものとして欠番になっています。このほか、1番も前田智徳(外野手)となっており、引退を機に欠番となりました。が、次の着用者を選定する時は前田に決定権があるそうなので、復権はありそうです。

このほか、黒田博樹投手の15番も、MLBへ移籍した黒田が帰って来る時に備えて欠番となっていましたが、今年の日本プロ野球への復帰により再び着用することになりました。

そして広島の18番といえば、前田健太。その彼もまた黒田と同じくアメリカへ渡ってのプレーが決まっています。18番が欠番となるかどうかはまだ決まっていないようですが、黒田と同じ扱いになるのではないでしょうか。

それにしても、黒田は引退せず、来年もプレーをすることが決まったそうですが、マエケンのいないカープはやはり寂しい限りです。打線の今一つピリッとしない現状もさることながら、マエケンを欠くことによって投手力に陰りが予想される来年はどうなることでしょうか。

さて、来年のことを言うと鬼が笑うという季節になってきました。

私はまだ年賀状を書いていません。調べてみたところ、この年賀状の郵便番号にも多数の欠番があるとのことです。みなさんもくれぐれも使われていない番号を使わないよう、お気を付けください。

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