セーマン・ドーマン

9月になりました。夜が長くなるので「夜長月」の月を略して、「長月」というそうですが、また、秋の長雨のシーズンが到来する季節でもあることから、そう呼ぶという説もあります。

9月の「草木花」とされているのは、蓮、菊、桔梗、ススキ、コスモスなどですが、なるほど秋を感じさせる涼しげな植物ばかりです。この中で、私が一番好きなのが「桔梗」。庭に植えていても、とくに強い主張はないのですが、その立ち姿が凛としていて、清楚というよりは力強さも感じられ、いつも手元に置いておきたい形です。

そういうふうに感じるのは私ばかりでないようで、古くから武士にも愛され、その武士の家紋としてよく使われていた「桔梗紋」はこの花がモチーフになりました。美濃の山県氏、土岐氏などの一族が桔梗紋を使っていたことがよく知られており、土岐士の一族であった明智光秀も桔梗紋を用いていました。また、この明智家の末裔である坂本竜馬もまた、桔梗紋を使っています。

五芒星

このほか、平安時代の陰陽師(おんみょうじ)、安倍晴明が使用した「五芒星」は、別名「桔梗印」と呼んでいて、現在も続く晴明神社では神紋とされています。

五芒星は、一筆書きで書くことができ、5つの要素を一度に表現できる図形として、洋の東西を問わず使われています。また、安倍晴明が五行(中国の自然哲学)のシンボルとして使ったように、世界中で魔術の記号として使われてきました。上下を逆向きにすると、悪魔の象徴とされることもあり、悪魔の象徴として使われる際には、デビルスターと呼ばれます。

五芒星は、陰陽道(おんみょうどう)では魔除けの呪符として伝えられており、印にこめられたその意味は、五行、すなわち木・火・土・金・水の5つの元素の働きの相克を表しているといわれています。晴明が桔梗の花を図案化して生み出したため、「晴明桔梗(せいめいききょう)」とも言われ、家紋として現在使用されているものの多くは、この清明桔梗のデザインが元であるといわれています。

また、三重県の志摩地方の海女(あま)さんが身につける魔除けも、この清明桔梗から来ているといわれ、この地方では、五芒星と格子状の印を合わせて、「セーマンドーマン」と呼び、魔除け、「魔おどし」として使っています。

陰陽道との関係ははっきりしていませんが、星形の印は晴明桔梗、格子状の印は「九字紋」と同じ形状です。九字紋の九字(くじ)とは、中国に伝わる呪力を持つとされた9つの漢字のことで、「天・元・行・躰・神・変・神・通・力(てん・げん・ぎょう・たい・しん・ぺん・じん・つう・りき)などが代表例ですが、ほかにもいろいろな文字があてられています。

陰陽道だけでなく、密教や修験道等でも主に護身の為の呪文として使われてきましたが、この文句を唱えながら、手で印を結ぶか指を剣になぞらえて空中に線を描くことで、災いから身を守ると信じられてきました。「九字護身法」ともいうようです。

これを縦四本、横五本の棒で一文字にしたものが「九字紋」で、清明桔梗のことを、「セーマン」、九字紋のことを「ドーマン」と呼び、合わせてセーマンドーマンと呼ぶようになったとか。このセーマンは安倍晴明、ドーマンは蘆屋道満(あしやどうまん、清明と同じく平安時代の呪術師)の名に由来するともいわれます。

伊勢志摩の海女さんたちは、手拭や襦袢などに、このセーマンとドーマンを貝からとれる紫色の汁で描くか、または黒糸で刺繍し、海での安全を祈願するそうです。アワビをはがすのに使う磯鑿(イソノミ)や、磯ジャツ(上着)、磯メガネなどなど、商売道具すべてにこの印をつけ、また、海女さんだけでなく、男性の漁師さんもおまじないとして、この印を褌(ふんどし)につけ、着用することもあるとか。

言い伝えによれば、星形は一筆書きで元の位置に戻り始めも終わりもないことから魔物の入り込む余地がなく、格子は多くの目で魔物を見張るという意味を持っているといいます。また、星形は一筆書きで元の場所に戻ることから「無事に戻ってこれるように」との祈りがこめられているそうです。



海の魔物

では、その海女さんたちがそんなにまでして恐れる海の魔物とはどんなものなのでしょうか。

代表的なものとしては「トモカヅキ」、「尻コボシ」、「龍宮のおむかえ」、「山椒ビラシ」、「ボーシン(船幽霊)」、「引モーレン(海の亡者霊)」、などがあるようですが、名前だけ聞くとどんなもんやらさっぱりわかりませんね。

「トモカツギ」というのは、「共(友)」が「潜く(かづく)」と書き、ようするに海女さんとそっくりの恰好をした身なりの「モノ」が、ふっと気がつくといつのまにか海女さんのすぐそばにいるということで、シンプルなだけに、ちょっと怖いですね~。

この妖怪に遭遇するのは曇天の日に限るといわれ、ほかの海女と違って頭に巻いた鉢巻の結び目の尻尾を長く伸ばしているので、それがトモカツギだとわかるのだとか。

海女が海底に潜って行くとどこからか自分とそっくりの容姿の海女がニタニタ笑いながら近づいてきます。それだけでも、十分気味が悪いのですが、その海女は、時にはアワビなどをくれるそうで、そして、手を引いて深い海底に誘い込もうとします。

アワビがたくさん採れる場所に連れて行ってくれるのかと思ってついて行くと、かなりの深みまで連れていかれ、そのままだと息が切れてしまうので、手を振りほどいて逃れます。海上に浮き上がり、今一緒だった海女を探すのですが、それらしき人影は見えません。不思議に思ってふたたび潜っていると、どこからか再びすりよって来て……

そういうときは、後ろ手にしてアワビを貰えば良いといわれていますが、ある海女さんがその通りにしたところ、そのおまじないが効かず、逆に蚊帳のようなものを被せられて苦しみ出し、無我夢中で持っていた鑿でこの蚊帳を破って助かったという話もあります。

トモカヅキに遭った海女はそれ以降、ほとんど海に潜る仕事はしないそうで、それどころか、その話を聞いただけの近隣の村の海女ですら、「日待ち」といって数日は海に潜らないようです。それほど、トモカツギは、海女さんたちが恐れる海の魔物のナンバーワンのようです。

「尻コボシ」も海女さんたちが怖がる海の魔物だそうです。「尻こぼし」とは、「尻を破壊する、削り取る者」という意味で、「こぼす」とは「壊す、破壊する」「剃り取る、削り取る」を意味する古語で、また「こぼし」は小法師、子法師を指しているともいわれます。

海にもぐる海女を突然襲い、河童のように人間のお尻から手を入れて、「尻子玉」を抜き取るといわれる妖怪で、これに襲われた死体は必ず尻の穴が開いているといいます。海で人をびっくりさせてショック死させるとも言われているので、海で突然心臓麻痺で亡くなった海女さんがいて、そういう者はお尻から心臓を抜き取られたものと考えられたため、こういう伝承ができたのでしょう。

鉄が大嫌いで、海中に鉄を落とすとこの妖怪の祟りに遭うともいわれているので、海女さんたちは鉄製の漁具などを落とさないように気をつけるそうです。

また、牛頭天王(ごずてんのう)を祀る「天王社」という神社のお祭りの日に、海に入ると尻こぼしに生き胆を奪われてしまうと言い伝えられていますが、その日にテングサ採りなどでどうしても海に入らなければならない日が天王祭と重なってしまったときには、山椒の枝を糸でまとめて首にかけるとよいとか。

海で危険な仕事をする海女さんにとっては、ちょっとしたおまじないが安心につながるのです。

「竜宮のおむかえ」というのは、おそらく昔話の浦島太郎が海でおぼれたときにカメが助けてくれたというお話からきているのではないかと思います。要するに「あの世からのお迎え」ということで、これも海で漁をしているときに急に足がつって泳げなくなったり、潜水病にかかったりといった急な症状のことを言うのではないでしょうか。

「山椒ビラシ」は、「体をちくちくさす妖怪」ということで、これはおそらく、クラゲとかエイなどのように毒を持った海洋生物に刺されたとき、昔の海女さんたちはそれを妖怪だと思ったのでしょう。私も昔、山口の海で泳いでいるとき、いつのまにかクラゲに刺されていて、足がみみず腫れになっていることがよくありました。姿がみえないので、何に刺されたのだろう、と不思議でしたが、あとで調べてみると毒クラゲだったことがわかりました。

船幽霊

こわいのは、「ボーシン(船幽霊)」と「引モーレン(海の亡者霊)」です。ボーシンも引モーレンも志摩地方の方言だと思います。船幽霊も海の亡者も同じような妖怪だと思われますが、志摩地方だけではなく、全国にいろんな話があって、怖がっているのは志摩の海女さんだけではありません。

船幽霊の出没する日は、風雨の激しい夜に多いと言われます。最初は、ふわふわと海上に漂っていた白いもや状のものが、やがて人の顔のような形となり、そして数十の幽鬼となって海上に出現します。

そして、いつしか波のざわめきが人の声のようになり、やがてその声は恨み抱くような口調で口々に叫び出し、その声は、まるで船人を自分たちの世界に引きずり込もうとするかのように聞こえるといいます。

やがて幽鬼たちが船べりに手をかけるので、この声を聞いた船主たちの船はやがて止まってしまい、中には船の上まであがって来ようとする者も出できます。幽鬼たちは、口々に「シャク貸せぇー!シャク貸せぇー!」と海の底から聞こえるような、重重しい声で叫びます。その昔、嵐で船とともに海に沈んだ人たちが、必死で船に浸水した水をかき出すために使った柄杓(ひしゃく)を貸せ~と叫ぶのです。

しかし、この時、うっかり底のある柄杓を渡そうものなら、幽鬼どもは、それで力の限り水を汲み入れて船を沈めてしまうことになります。このため、こういうときは、底の抜けた柄杓を渡します。幽鬼たちは、底の抜けた柄杓で船を沈めようとひたすら水をすくいますが、いくら汲んでも汲んでも水が逃げてしまうので、そのうちあきらめて退散してしまうといいます。

また、舟幽霊は、沖でかがり火を焚いて舟人の心を惑わすともいわれています。その昔、雨風の強い夜には、陸の高い場所で、船の目印にするために、かがり火が焚かれました。そんなとき、舟幽霊もまた沖の方から、ゆらゆらと火を起こして、船乗りの目を迷わせるというのです。偽のかがり火で、船を危険な所に誘い込み、転覆させようとするわけです。

ほんものの陸のかがり火は、同じ場所にあって動くことはありませんが、舟幽霊のつくり出した鬼火は、ゆらゆらと左右上下に揺れ動きます。どちらが、本物のかがり火でどちらが船幽霊の鬼火なのか、と迷っているうちに航路を見失い、あちこち波に漂っているうちにやがて暗礁に乗り上げ、船は転覆してみんな溺死してしまうといいます。

さらに、舟幽霊は船の幻影を見せることもあります。海を航行していると、遠くで数十の船が帆を上げて走っている幻影を見ることがあります。これに従って行けば、海中に引き込まれてしまうといわれています。慣れた船人はそれに惑わされることはありませんが、海に出てまもない船人などは、闇夜や雨の降る海上で慌てふためき、その手に乗ってしまうことがあるといいます。

海の亡者

海の亡者のお話としては、次のようなものがあります。

ある日、船人が漁の帰りに、その行く手の海の上に無数に火が燃えているのを目撃します。ただ燃え上がっているだけでなく、人々が騒々しく動き回っている気配がするので、船火事でも起こしたのかと思って近づいていくと、その火は一斉に消え、もとの静寂な暗闇に戻ってしまいます……

これは、海で遭難して死んだ亡者が乗っている船が怪事を起こすのだといわれ、「亡者船」といわれて恐れられています。海で死んだ人が、亡者となって夜の海をさまよいいろいろ人をたぶらかすのです。

また、盆の夜に沖から櫂を漕ぐ音が聞こえるので、村人が浜辺で着くのを待っていたら、いくら待っても音がするだけで一向に近づいて来なかったという話があります。同様に、海で誰かが泳いでおり、それが岸に向かって泳いでくる音がするのに、いつ誰も岸にあがってこないという話もよく聞きます。もっともポピュラーな海の亡者です。

このほか、伊豆七島のひとつ、大島の泉津村(せんずむら)には「海難法師」というお話が残っています。その昔、この村だけでなく、伊豆の島々の住人を苦しめている非常に悪どい代官がいました。村人はいつもこの悪代官のためにひどい目に合わされていたので、みんなで相談の結果、村の若者25人ほどが代表となり、この悪代官を殺してしまいおうということになりました。

いくら悪い代官といえども殺せば重罪に問われてしまいます。しかし、長年募った恨みを晴らすべく、ついに25人は、暴風雨の夜にそれを決行し、悪代官を殺してしまいます。そして丸木舟をつくって島から逃げ出し、別の島へ逃げようとしました。ところが、行く先々の島のどこの住人も、重罪人をかくまって罪に問われるのが嫌なため、どこの島へ上陸することもできません。

やがて、海の上で食糧も水もつきかけ、疲れ果てた25人を乗せた船は、大波に飲み込まれて転覆し、乗っていた全員は波に飲み込まれ溺れ死んでしまいました。

そして、その夜が1月24日であったことから、毎年、その日になると、25人の亡霊が丸木船に乗り、その船のマストに「五色の旗」を翻しながら、沖からやってくるといいます。

いまも伊豆七島には、島々の人々のためを思って悪代官退治を決行した25人が、逆に冷たい裏切りに合った恨みが残っているといわれ、この世に残した怨念が怨霊となって海を漂うといい、これを「海難法師」と呼んでいます。

その後村人は、この夜だけは明かりが外に漏れないようにして厳重に戸締まりをして、物音を立てず、ひっそりとやり過ごし、自分たちの家の戸が海難法師の目に留まらぬようにひたすら祈るようになったそうです。

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今日は、桔梗にまつわる話を書いていたらいつのまにか、海の魔物の話になってしまいました。こういう脱線はいつものことですが、さらに書き続けていると、どこへ行ってしまうかわからないので、今日のところはこの辺でやめておきましょう。

でも、最後は伊豆のお話にもたどりつき、めでたしめでたし?……ということで締めくくりたいと思います。みなさん良いご週末を!