オリオン

2014-6828昨夜は、オリオン座流星群がピークを迎えたそうですが、全国的に雲の広がったところが多く、ここ伊豆でも夜通し雨で、ついに星空が見えることはありませんでした。

が、この流星群の例年での活動期間は10月2日から11月7日だそうで、今年は21日がピークとは言われているものの、19日から23日の間であればそこそこの数が見えるようです。方向としては、東の空のようで、オリオン座の中でふたご座との境界付近に放射点があるとのことです。

伊豆はこれから天気が回復するようなので、昨日ほどはたくさん見えないかもしれませんが、今宵こそはある程度は楽しめるのではないか、と期待に胸が膨らみます。

このオリオン座流星群、実はその正体はハレー彗星の塵だそうで、今見えているのは約3000年前のものなのだとか。ハレー彗星は、そもそも飛ぶ速度が他の彗星よりも早いそうで、このためまき散らされる塵もまた比較的高速で流れるため、明るい流星になりやすい、ということのようなので、なおさらに楽しみです。

ところで、この季節になるとこのオリオン座(Orion)がひときわ夜空に際立って見えます。ちょうどこの時期になると日没とともに東の空にあがり、夜が更ける同時にだんだんと見えやすい高さにまで上ってくるためであり、この星座を見ると、あぁ~今年もそろそろ終わりだな、と思えてきます。

ギリシャ神話における登場人物オリオンを題材とした星座であり、古くからトレミーの48星座の1つとされてきたものです。トレミーの48星座とは、2世紀の天文学者・クラウディオス・プトレマイオスが定めた48個の星座のことで、トレミー(Ptolemy)とはプトレマイオスの英語読みです。

プトレマイオス以前からも星座には色々な呼び名があったようですが、学者によって微妙に使用する星座名や位置が異なっていたそうで、これをプトレマイオスが標準化したことから、これ以後はヨーロッパだけでなく、アラビア世界などでもこれを用いるようになりました。

ただ、これらの星座は北半球から見えるものばかりであり、南半球にいる人々には違った風に見えます。このため、大航海時代を経て天文学が世界的なものになっていった後世には、南天を中心に新しい星座をつけ加えられ、現在は星座の数は88になっています。

もっとも、日本人にとっては、その総数が48だろうが88だろうがあまり関係がありません。

そもそも日本では、中国の天文学をお手本にしており、中国では星空を天上世界の官僚機構に見立て、星同士を結ぶ線で構成されるその形を「星官」と呼んでいました。西洋の星座と違い、1星や2星といった少数の星によって構成されるものが多いことが特徴で、三国時代には、283官1464星もの星官がありました。

また、星空をある程度の面積をもった領域に区分した「天区」というものがあり、これは、28あって「二十八宿」と呼ばれていました。ただ、星官や天区は西洋天文学の星座と異なり、それ自体には動物や器物といった意味は持たされていません。

この星座区分はヨーロッパのそれのようなロマンチックなものではなく、その名も役人の役職の名前、ということのようで、このあたりの事情はいかにも中国的というかんじがします。

ただ、二十八宿を7宿ごとにまとめた「四象」というものがあり、これには東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀といった具合に空想の動物の名前が与えられており、このあたりのところは少しドラマチックです。

こうした中国式の天文学が使われていた日本でも夜空の星々をそれぞれ固めて名前を付ける、といった風習はなく、また、日本に西洋の星座が入ってきたときには、既に88個がすべて決まった状態で一度に入ってきたため、それ以前のトレミーの48星座などというものは知る由もありません。

しかし、ヨーロッパやアラブ社会においては、このトレミーの48星座は2000年以上に渡って使われてきた伝統のある星座であり、それぞれに実に情緒豊かな神話が作られてきたという経緯があります。後につけ加わった星座にはない物語がそれぞれにあって、現在でも別格の扱いを受けており、オリオン座もその一つであるというわけです。

この西洋星座の呼び名ですが、言うまでもないことですが、これは複数の恒星の並びの特徴から連想したさまざまな事物や動物の名前で呼んだものであり、古来からさまざまな地域・文化や時代に応じていろいろなグループ化の方法や星座名が用いられてきました。

古代エジプトでは、既に星の並びを人などに見立てていたようで、そうした図が遺跡の中でも発見されています。この星座は総称して「デカン」と呼ばれ、一年を360日として十日ごとの区画に割る指標として用いられており、記録に残る限り、これが最古の星座です。しかし、この中には現在の88星座に同じものはひとつもないそうです。

その後、このエジプトの星同士を結んで星座を作る風習がのちにメソポタミア文明に伝わり、ここで現在の星座の原型ができたと考えられています。メソポタミアというのは、現在の中東からトルコに至る地域であり、世界最古の文明であるとされ、その中心となったのが今なお謎が多いとされる「シュメール人」と言われる人々です。

このシュメール人たちが最初に定めたといわれる星座が、黄道十二星座です。ただ、シュメール人たちがここに文明を切り開く以前からここに住み着いていた羊飼いによって設定された、という説もあるようで、ヒツジ、ヤギ、ウシといった家畜がすべてこの黄道十二星座に含まれているのが、その根拠のようです。

これらの黄道の星座はやがてメソポタミア文明に取り入れられ、西洋占星術の基礎となっていきました。紀元前6世紀ごろ、この時代のものとされる「ムル・アピン粘土板」というものが出土しており、ここには、この黄道十二星座を含め既に66の星座のリストが存在しているそうです。

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これらはやがて時代を経て古代エジプトに逆輸入されたようで、さらにはここから古代ギリシアに伝わりました。そして、ギリシア人たちは自分たちの神話体系にこれを取り入れるとともに、自分たちでもさらに新しい星座を設定していきました。

古代ギリシア人というのは、非常に想像豊かで芸術的な人々だったようです。たとえば建築物ひとつにしても、現存する建造物や彫刻などは白一色のように見えますが、実はかつては鮮やかな彩色が施されていたそうで、近年はCGなどによってこれを再現する試みも行われています。

また、自分たちを神の子であると信じ、ゼウスを頂点とするオリュンポス十二神・デルポイの神託を信じていました。 オリュンピア・イストモス・ネメアー・デルポイで開催された祭典には全ギリシア人が参加して競技を行いましたが、この祭典は運動競技のほかに演劇や音楽も競演され、これが、現代のオリンピックであることは言うまでもありません。

古代ギリシアの市民は日常の家事や作業などを女性や奴隷に任せて、他の市民との交流や体育、政治談義に日々を過ごし、その中でギリシア哲学や科学が発達したことでも知られています。そうした一環で当然に天文学も発達し、その中で星座も作られ、そこには自分たちの先祖である神様の話をも付け加えました。

そのギリシア人たちの成果を受け継ぎ、プトレマイオスが、トレミーの48星座を定めたわけですが、その後さらに時代を経て16世紀になり、大航海時代が始まると、プトレマイオスが観測できなかった南天にも星が続々と見つかるようになりました。

と同時に「もしかしだけど~もしかしただけど~♪ 地球ってホントは丸いんじゃないの~♫」というわけで、やがて地動説が唱えられはじめ、天動説を信奉していたプトレマイオスの絶対的な権威は薄らいでいきました。

こうして地動説が主流になると、さらに天文学は進化し、それと同時に天文学者も増え、彼等がさらに多くの星々を観測するようになり、その過程で続々と新しい星座が設定されていくようになりました。

ところが、あまりにも新しい星座が増えすぎ、さまざまな理由でいろんな学者が星座論を振りかざすようになると、次第に統制がとれなくなり、天文学会は混乱していきました。そこで、1919年に多くの団体を統合して国際天文学連合(IAU)が設立され、1928年のその第3回総会で現在の88星座が決められました。

ちなみに、1928年というと昭和3年であり、この年に満州では張作霖爆殺事件がおこり、日本が次第に軍事大国化していきはじめるころのことになります。

このとき定められた88星座は、プトレマイオスが古代ギリシアに由来する星座をまとめた「トレミーの48星座」をベースに、ヨーロッパ諸国の大航海時代に南天に与えられた比較的新しい星座を付け加えられ成立したものです。

このとき、自分が名付けた星座が消え去るのはいやだーというわけで、この総会に出席した学者たちは、必死にその呼び名を主張しまくりました。が、勝ち残れなかったものも多く、それらは例えば、印刷室座、王杓座、監視者座、軽気球座、ジョージの琴座、チャールズの樫の木座、測程索座、帝国宝珠座、電気機械座などなどヘンテコなものばかりです。

一方では、おんどり座、子蟹座、七面鳥座、つぐみ座、となかい座、ふくろう座など、現在でもあってもよさそうな動物名も多く、この中には「ねこ座」もありました。ほかにもみみず座、ゆり座といったものもあり、このほか、ハーシェルの望遠鏡座、日時計座、帆柱座など、残しておいてもよさそうなものもありました。

このIAUによる星座分類では、単に名称を定義しただけではなく、各星座の範囲を厳密に決めたことも特徴です。すべての星座は赤経・赤緯の線に沿った境界線で区切られ、これにより、以後あらゆる太陽系外部の天体は必ずどれかひとつの星座に属することになりました。

各星座内に位置する恒星は、星座内での光度の順番などにより、ギリシャ語のアルファベットと星座名をあわせ、例えばこと座で一番明るい星は、「こと座 α(アルファ)星」などと呼ばれます。明るい順に α、β(ベータ)、γ(ガンマ)、…と名付けられ、この方式を提唱したヨハン・バイエルにちなみ、この命名法による名をバイエル符号と呼びます。

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この88星座ですが、日本からは、緯度差によってすべては見えません。単純に緯度と星座の赤緯のみで判断すると、日本からは55星座だけは理論上は日本のどこからでも星座全体を見ることができる日時があるようです。

この55星座以外にも部分的に見えるものもあり、これを除いて、物理的に日本からは全く見えない星座というのは3つあって、これは、カメレオン座、テーブルさん座、はちぶんぎ座です。

また、見えるとされる星座でも、大気差、山などの遮蔽物、光害、低高度での大気の影響によって見えるとは限りません。とくに星は高度が低いほど大気の影響を受け、特に20度以下では著しく像が悪化します。

また、気象条件などで星座全部は見ることができず、部分的になら見える、というケースもあり、たとえば、「みなみのかんむり座」は理論上は札幌市から全域を観望できるとされていますが、実際には九州・沖縄まで行かないと肉眼では見えないようです。

このほか、「みなみじゅうじ座」も全国でみることができますが、日本の最西端の西表島では全く見えないようです。また、札幌市では、さそり座 、いて座は一部だけしか見えないといいます。

星座は、その形からいろんな想像を掻きたてる存在ではありますが、この並びは見かけの並びに過ぎず、地球からの距離もまちまちで、たまたま同じ方向に見えるだけであって、天文学的にみれば特段の意味はありません。

しかし、古来星座にまつわるさまざまな伝説・神話が伝承されており、こうした物語に触発されて星空に魅せられ、天体観測に興味を持つようになり、やがては天文学の世界に入り込んでいった人も多いことでしょう。

北斗七星やカシオペア座が好きという人は多く、南十字星という人もいるでしょう。しかし、やはりオリオン座をあげる人が多いのは確かであり、その理由のひとつは、夜空の空気が澄みきっていて星を視認しやすい冬の夜空の代表的な星座であることでしょう。

また、「オリオン」の響きもなんとなくロマンチックな感じがし、しばしば文学作品などでも扱われてきました。天の赤道上にあり、中央に三つ星が並んでいるのが最大の目印で、ほかにも明るい星も多く、他の星を見つける目印にもなりやすいという点も知名度が高い理由でしょう。

おおいぬ座のα星である、シリウスはオリオン座の三ッ星ベルトのラインを南東へ拡張することによって簡単に見つかりますし、おうし座αのアルデバラン、こいぬ座のα星プロキオン、などなどもオリオン座を基準にして見つけることができます。

また、オリオン座のα星は、全天21の1等星の1つであり、ベテルギウスと呼ばれ、おおいぬ座のα星シリウス、こいぬ座のα星プロキオンのそれぞれを合わせて、「冬の大三角」を形成します。また、二番目に明るいβ星リゲルも1等星です。

一方、天文学的にみると、これらオリオン座の明るい星々は年齢や物理的特徴が非常に似ているそうです。オリオン座付近に巨大分子雲が存在し、オリオン座を構成する星々の多くがこの同じ分子雲から生まれたためであると考えられているそうです。

「星団」と呼ばれるものよりも、さらに広がっているものの、同じ年齢と運動を持つこのような星の集団を「アソシエーション」と呼び、同じ起源を持ち、重力的な束縛からは解放されていますが、未だ宇宙空間を共に移動しているといいます。

また、星間物質の化学組成もアソシエーションの中では同一であることが観測されているそうで、オリオン座の星々で構成される星々のグループは、「家族」といっても良いことになります。

また、オリオン座の三ツ星の南側にはぼんやりとした星雲が見えることもご存知でしょう。肉眼で見える星雲の中でも最も明るいものの一つです。この明るさは地球から約1,600光年という比較的近い距離にあることにも起因しているようで、約33光年の実直径を持つこの散開星雲は、双眼鏡を使えばさらにはっきりと見ることができます。

また、肉眼では見えませんが、オリオン大星雲の中心部には、非常に若い星からなる散開星団があるそうで、ハッブル宇宙望遠鏡などの強力な望遠鏡による観測でも、オリオン大星雲の中に塵の円盤に包まれた星が多数発見されています。

これらの星は周囲に惑星系が形成される非常に初期の段階にあることがわかっており、これを探れば宇宙の起源もわかる可能性があります。このようにオリオン座は天文学的にも非常に注目されている星座です。

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このオリオン座もまた、トレミーの星座以前の古代文明で特別に認識されてきた星座でした。古代エジプトでは三ツ星とその南側をサフと呼び、古代エジプト神話に登場する神々の中でも最も重要な神である「オシリス」と同一視していました。

古代メソポタミアのシュメール人もまた、オリオンの星々を「アヌの真の羊飼い」と呼んでいたそうで、おそらくはこの時代には、星の位置も現在とは少し変わっていたでしょう。が、この時代にもこの星座は人の姿に見えたわけであり、この当時の「羊飼い」がその後のギリシャ神話におけるオリオンという神の原型になったと考えられています。

古代中国でのオリオンは、上述の二十八宿のうちの宿の1つで參(Shen)と名付けられていましたが、これもやはり官名です。日本では、毛利氏の家紋である「一文字に三つ星」の三つ星が、このオリオン座の三つ星を表しているといわれているようです。

さて、オリオンの名の由来になっている、ギリシャ神話におけるオリオンとは、どんな神様だったのかについても、最後にみていきましょう。

ギリシャ神話におけるオリオンは、「オーリーオーン」と呼ばれていたようで、これが正式の呼び方のようですが、以下では我々が慣れ親しんでいる「オリオン」の呼称で書き進めます。

オリオンは、海の神ポセイドーンと地上の人間たちの国の王、ミノスの娘エウリュアレーとのあいだに生まれました。子供のころから背の高い偉丈夫で、稀に見る美貌の持ち主だったといい、父のポセイドーンから海を歩く力を与えられ、海でも川でも陸と同じように歩く事ができ、長じてからは逞しく凛々しい美青年となりました。

父から狩りを教わり、優れた猟師でもあったオリオンでしたが、一方では早熟で好色な男でした。しかし、やがて成人すると、シーデー(柘榴の意)という大変美しい娘を妻に迎えます。ところがシーデーは、非常に高慢な女で、「私の美しさは、全知全能の神ゼウス様の妻ヘーラーよりも美しい」と言い放ち、ヘーラーとその容色を競うようになります。

これを知ったヘーラーは、たかが人間の分際でと怒りまくり、ついには、シーデーを冥府(タルタロス)へと落としてしまいます。妻を失ったオリオンは旅人となり一人で諸国を放浪していましたが、あるとき、エーゲ海にあるキオス島に立ち寄り、その島の王オイノピオーンの娘メロペーに一目惚れしてしまいます。

そして何とかメロペーの愛を得ようとしたオリオンは、得意の狩りに出掛けては獲物を彼女に献上し、やがて結婚を申し入れました。しかし、当のメロペーも父のオイノピオーンも、いかにも女たらしに見えるオリオンを好ましく思いませんでした。

しかし、オリオンはその後もメロペーへの執拗な求愛行動を続け、見かねた父王はオリオンをいっそ殺してしまえ、と思うようになります。そして、オリオンを呼びつけ、島を荒し廻っているライオンを退治するならば娘との結婚を許そう、と言いました。

このライオンはそれまで誰も退治することができないほど獰猛な雄であり、逆にオリオンを食い殺してしまうに違いないと王は考えていましたが、案に反してオリオンは難なくライオンを殴り殺し、その皮を取って王の贈り物に持ってきました。

思惑のはずれたオイノピオーン王でしたが、オリオンとの約束を破って結婚をすぐには許そうとはせず、あれやこれやと理由をつけて、オリオンの求めをはぐらかし続けました。これに対し、約束に応えない王にオリオンは業を煮やし、ついには酒に酔った勢いでメロペーを力ずくで犯してしまいます。

これを知って怒ったオイノピオーンは、彼の父で、酒の神ディオニューソスにオリオンを殺してくれと頼みます。この頼みを聞いたディオニューソスですが、さすがに殺してしまうのはかわいそうに思い、オリオンを泥酔させた上で、彼の両眼をえぐり、盲目にしただけでキオス島の海岸に打ち捨てました。

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盲目になったオリオンは、身動き出来ずに長い間そこにうずくまっていましたが、やがてそんな彼に対して神託が下ります。そして、その信託とは、「東の国に行き、ヘーリオスが最初にオーケアノスから昇るとき、その光を目に受ければ、再び目が見えるようになるであろう」、という謎めいたものでした。

これを聞いたオリオンは、東の遠くのほうから聞こえるカンカンという音を頼りに船を出しました。その音は、キノス島から遥か遠く東へ離れたレームノス島において、鍛冶の名手、単眼の巨人でキュクロープスが槌を打つ音で、オリオンはこの音を頼りにレームノス島になんとか辿り着くことができました。

このキュクロープスは、炎と鍛冶の神のヘーパイストスが主唱する鍛冶場で働く職人で、ヘーパイストスはキュクロープスらを従え、自分の工房で様々な武器や道具、宝を作っていました。上陸したオリオンはその鍛冶場にこっそりと入り、ここでキュクロープスとも一緒に働いていたケーダリオーンという若い見習い弟子をさらってきました。

このケーダリオーンは霊感のある少年だったようで、オリオンは彼を肩に乗せ案内させ、「オーケアノス」というところまで連れていけと命じました。そしてケーダリオンが連れて行ったところこそが、太陽が昇るという国、オーケアノスの地でした。

このオーケアノスには、エーオース(暁)という一人の美しい女性がいました。エーオースはひと目見るなりオリオンが好きになり、兄のヘーリオスにオリオンの目を治してくれるよう頼みます。へーリオスは、後世、アポロンと同一視される神さまで、太陽神でもあったことから、「日の目を見させる」なんてことは朝飯前です。

キオス島で盲目になったオリオンが、「東の国に行き、ヘーリオスが最初にオーケアノスから昇るとき、その光を目に受ければ、再び目が見えるようになるであろう」と聞いたあの信託こそ、このへーリオスのことだったというわけです。

こうして再び目が見えるようになったオリオンは、オイノピオーンに復讐しようと再びキオス島に戻ります。しかし目指すヘーパイストス王は、オリオンが戻ってきたことを知ると、相手に見つからないよう娘のオイノピオーンのために造った地下室に隠れていました。

島中は探してもオイノピオーンを見つけられなかったオリオンは、オイノピオーンが自身の祖父であるミノス王と親交があったことを思い出し、彼の元に逃げているに違いない考え、海を渡ってミノスの住むクレータ島へと渡りました。が、とうとう見つけることができず、オーケアノス戻ってきました。

オーケアノスに戻ったオリオンは、自分の目を取り戻してくれたエーオースとの恋に夢中になりました。しかし好色なオリオンはエーオースだけでは物足らず、大地の神、アトラースの娘プレイアデス七姉妹に目をつけ、彼女等をも追い掛け回しはじめました。

このエーオースは、実は「曙の女神」でもありました。彼女の仕事は夜明けを告げることでしたが、オリオンと付き合っている間中は、その仕事に精がでず、仕事を早々に引き上げてしまうということもしばしばでした。

このため、いつになっても夜明けの時間が告げられず、夜のままのことが度々あるのを、狩りの女神アルテミスは不審に思うようになります。そして、自らが住むクレータ島からエーオースの宮殿がある世界の東の果てであるオーケアノスまで様子を見にやってきました。

そして、オリオンはこのアルテミスと運命的な出会いをすることになります。エーオースの宮殿で出会ったオリオンとアルテミスですが、彼女はオリオンをひと目みたときからたいそう気に入り、共に狩りをしようと誘いました。

オリオンもまた狩猟の神であり、ギリシア一の狩人でもあったアルタミスのこの二人は、たちまち意気投合し、恋に落ちるのにはそれほど長い時間は必要ありませんでした。

やがてオリオンはエーオースやプレイアデス七姉妹のことも眼中にはなくなり、アルテミスと供にクレータ島に渡り、ここで暮らすようになります。神々の間でも二人の仲は評判になり、やがてお互いに結婚も考えはじめるようになりました。

ところがアルテミスの兄であり、太陽神として名高いへーリオスは、自分が助けて目が見えるようになったこのオリオンが妹以外の女にもだらしなく好色であることに気付きます。

またへーリオスは、詩歌や音楽などの芸能に優れ、繊細な性格であったのに対し、オリオンは粗野で乱暴だったため、次第に彼を嫌うようになり、このためなかなか二人の仲を認めず、ことあるごとにアルテミスを罵っていました。

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しかしアルテミスは、私はオリオンを心底愛しているとこの忠告を聞き入れることはありませんでした。そこで、へーリオスは、力づくでもオリオンをクレータ島から追い出そうとし、そのために毒サソリを彼の元に放ちます。すると、サソリの大嫌いだったオリオンは驚き、海へ飛び込んでこの毒サソリから逃れようとしました。

へーリオスは、オリオンを逃してはならじと海の上を探しますが、自らが放つ太陽光が邪魔してなかなかみつけられません。しかし、しばらく探しているうち、海の上を頭だけ出して歩くオリオンの姿をようやく見つけました。

しかし、目をこらせばどうにかそれをオリオンと見分けることができるほどであり、太陽の金色の光を浴びている今は、彼の頭は岩とも丸太とも区別が出来ないほどのものでした。

そして、こともあろうに妹のアルテミスにこうけしかけます。「アルテミスよ、弓の達人である君でも、遠くに光るあの丸太を射ち当てることは出来まい」。無論、この丸太こそはサソリから逃げ惑うオリオンだったわけですが、アルテミスは「私は確実に狙いを定める弓矢の名人。たやすい事です」とへーリオスの挑発に乗ってしまいました。

そして、それが恋慕うオリオンとも知らずに矢をつがえ、グイと絃を引き放つと、みるみるその矢は黒い影に向かって飛んでいき、見事にど真ん中に命中しました。

こうして、オリオンは、恋人の手にかかって死に、その射たれた体は波によって浜に打ち上げられてきました。それを見て初めてそれがオリオンだったことに気がついたアルテミスは嘆き悲しみ、それからしばらくの間は神としての仕事を忘れるほどでした。

泣きつかれたアルテミスはやがてふと思い立ち、死者も蘇らせるという名医アスクレーピオスのことを思い出します。アスクレーピオスは、半人半馬のケンタウロス一族の賢者、ケイローンに育てられ、とくに医学に才能を示し、やがては師のケイローンさえ凌ぐほどになっていました。

長じるにつけその医術の技はますます熟達し、やがては、アテーナーから授かったメドゥーサの右側の血管から流れた蘇生作用のある血を使い、ついに死者まで生き返らせることができるようにもなっていました。

アルテミスはそんなアスクレーピオスのもとを訪ね、オリオンを生き返らせてくれるよう頼みます。しかし、このとき、冥府の王ハーデースが女たらしのオリオンを生き返らせることは反対だ、と主張しました。

アルテミスは必死にハーデースにも頼みますが許されず、このため大神ゼウスのところにまで行って頼み込みますが、ゼウスもまた首を縦に振りません。とうとう最後にアルテミスはゼウスに、どうしても生き返らすことができないなら、せめてオリオンを空に上げてください、と頼みます。

さすれば私が銀の車で夜空を走って行く時、いつもオリオンに会えるからと願いましたが、ようやくゼウスもこれを聞き入れ、こうしてオリオンは星座として空に上がることになりました。

こうして、ゼウスによって空に上がるようになったオリオンは、「月の神」であるアルテミスが夜空を明々と照らすという仕事のある日、すなわち月に一度の満月の日にだけ会いに来るのを今でも楽しみに待っている、というわけです……

このオリオンの死因には諸説あり、別の説では、「私にかなう動物など、この世にあるものか!」と傲慢だったオリオンの高言を大地の神ガイアが聞きとがめ、大サソリを放って彼を刺し殺させた、という話もあります。

このためオリオンは星座になった後もサソリを恐れて、さそり座が西へ沈んでしまうまでは決して東から顔を出さず、サソリが東の空へ現われると、西へ沈んでしまうと云われていますが、この話は小学校のころの理科の時間に聞いた人も多いでしょう。

また、朝日が出るころには、このオリオンは消えてしまいます。これは、かつてのオリオンの恋人、曙の女神エーオースに嫉妬したアルテミスがオリオンを射殺してしまい、このアルテミスとともに朝陽が出る頃には次第に光を失って消えてしまうため、とも言われているようです。

そんなギリシャの神々の姿を夜空に探しつつ、今宵はみなさんもまた、オリオン流星群を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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スイセン

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気がつくと、一月もはや下旬に差しかかろうとしています。

1月は行く、2月は逃げる、3月は去るといいますが、いつものことではありますが、なぜか年のはじまりは気ぜわしく過ぎていきます。

1月も終わりとなると、そろそろ下田の爪木崎で咲き誇っているはずのスイセンもそろそろ終わりに近づいているはずです。水仙の群生地であり、12月下旬から1月の終わりまでは、早い春を感じたい観光客で賑わいます。

爪木崎には昨年、一昨年と連続して見にいったのですが(爪木崎にて)、3年目となる今年は、昨年暮れに骨折で入院した母のことなどもあって何かと多忙であり、ちょっと今年は見送りかな、といった展望です。

このスイセンの原産地はスペイン、ポルトガルなどの地中海沿岸地域だそうで、日本には中国を経由して渡来したようです。本州以南の比較的暖かい海岸近くで野生化し、各地で群生が見られます。ここ下田のものは、海流に乗って漂着して形成された小群落を、下田の観光名所に、ということで地元の方たちがさらに手植えで増やしたもののようです。

スイセンは、チューリップやヒヤシンスなどと同様に典型的な球根植物で、日本の気候とも相性が良いらしく、植え放しでも勝手に増えます。このため、温暖な伊豆半島の各地には、わざわざ下田まで見に行かなくても、各家庭で植えられたスイセンをここそこで見ることができます。

スイセンの学名は、Narcissus といいますが、これは、ギリシャ神話に登場する美少年「ナルキッソス」に由来します。神話によれば、ナルキッソスは、その美しさゆえにいろんな相手から言い寄られたといいます。

森のニンフである、エーコーもその一人で、このエーコーというのは、元々「木霊(こだま)」という意味です。日本語では、エコーとも呼ばれ、こだま、もしくはやまびこ(山彦)のことでもあります。

山に向かって、「ヤッホー」と呼びかけると、「アッホー」と返してくるあれです。

このエーコーは、かつてゼウスの浮気相手であった友達の山のニンフたちを助けようと、ゼウスの妻のヘーラーに長話をもちかけ、ゼウスの気をそらそうとしたそうです。このためヘーラーの怒りを買ってしまい、彼女の呪いによって自分からは話かけることができなくなってしまいました。

誰かが話しかけてくれても、言葉を繰り返すことしかできないようにされてしまったエーコーですが、彼もまたナルキッソスに恋をしてしまいます。が、いかんせん話しかけることができないために相手にしてもらえません。

可愛そうなエーコーはナルキッソスに振り向いてもらえない屈辱とその恋の悲しみから次第に痩せ衰えていき、ついには肉体をなくして声だけの存在になり、やがて山のこだまと化していきました。

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一方のナルキッソスは、エーコーに対してもそうであったように、その美貌を鼻にかけ、言い寄る相手をことごとく高慢にはねつけたため、多くのニンフたちから恨みを買うようになりました。

このため、ニンフの中にはついには、彼に悪意を持つものが現れ、彼らに同調した復讐の女神ネメシスによっておそろしい呪いにかけられます。

その呪いとは、自分自身の姿を水に移した水鏡の映像に恋をしてしまうというものでした。

こうしてナルキッソスは、来る日も来る日も水面の中に写る自分の像をながめては、うっとりするようになりますが、その相手は、けっして彼の想いに応えることはなく、やがて彼は憔悴し、そのまま死んでしまいます。

このとき、ナルキッソスは水辺で水面に向かってうつむきながら死んだといい、その姿はのちにスイセンに変わりました。これが、このスイセンにまつわるギリシャ神話です。

スイセンの写真を撮ろうとしたことのある人はお気づきだと思いますが、スイセンというのはみんな下を向いてうつむきがちに咲きます。なので、しっかりとしたスイセンの写真を撮ろうとすれば、思いっきりローアングルで撮らないと、良い写真になりません。

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ところが、この水辺のスイセンの姿は、中国では仙人に見えたようで、それゆえに、スイセンは「水仙」と書きます。「仙人」の「仙」の字は、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人を示しています。また、この仙人になるために修行をする人は「道士」と呼びます。

この仙境とは、天にも地にも水辺にもあるとされ、従って、天境にあって道を極めた道士を「天仙」、地で修業をした人を「地仙」といいます。加えて、「水仙」というのは水辺で不老不死の域に達した道士、ということになります。

一般に仙人といえば白髯を生やした老人というイメージがありますが、中国では若々しい容貌で語られる仙人もおり、また女性の仙人もいるそうです。

上述のとおり、厳しい修業を積んだ末、高い山の上や仙島、天上といった仙境に住めるようになりますが、一般にこの仙境とは俗界を離れた静かで清浄な所であり、こうした神仙が住むような理想的な地のことを、「桃源郷」と呼びます。

そこへ行きさえすれば、仙人同様になれる、という伝説もあり、中国の東のほうの海には、「蓬莱」、「方丈」、「瀛洲」の三つの仙人の島(三島)があるともいわれています。

とはいえ、行さえすれば仙人になれるという安直な考え方はタブーであり、やはり仙人になるためには、さまざまな修行を積まなくてはなりません。その修行法には、呼吸法や歩行法、食事の選び方、住居の定め方、房中術までさまざまな方法がありますが、不老不死などの霊効をもつ霊薬「仙丹(金丹)」を練ることも修業のひとつです。

仙丹を練るので、「煉丹術」ともいい、これは「錬金術」とも言われます。昔の中国では、錬金術で金を生み出すためには、水銀(丹)を原料としており、このため仙道の求道者である道士の中には、水銀中毒になる人も多かったそうです。唐の皇帝も仙人修業をしたといわれており、水銀中毒であったといわれています。

いずれにせよ、仙人になるためには、心身の清浄を常に保ち、気としての「精」を漏らすことは禁物です。この「精」を練り続けることで、やがてこれは「気」に変化し、やがてこれが「仙丹(仙薬)」に発展します。こうした仙丹を練り続け仙人になるための修行法は「仙道」と呼ばれます。

この、仙人が造り出した仙丹を秦の始皇帝は欲しがり、道士のひとりであった「徐福」という人に命じたため、彼は東海にあるという仙人の島(三島)を探しもとめて出航しました。このとき、徐福は日本に逢着したとも伝えられており、このため日本各地に徐福伝説が残っています。

青森県から鹿児島県に至るまで、日本各地に徐福に関する伝承が残されていて、これらの徐福ゆかりの地としては、佐賀県佐賀市、三重県熊野市波田須町、和歌山県新宮市、鹿児島県いちき串木野市、山梨県富士吉田市、東京都八丈島、宮崎県延岡市などが有名です。

中国の軍師として知られる呂尚や諸葛亮なども仙術修業をしていたと伝えられており、実際に修業を終え、仙術を会得していたといわれています。

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そういえば、軍師といえば、この1月から、NHKの今年の大河ドラマとして、「軍師官兵衛」が始まりました。

調略に優れ、豊臣秀吉の側近として他大名との交渉などに活躍した人物ですが、本名は黒田孝高(くろだよしたか)といい、晩年に出家したあとに称した号によって「黒田如水」の名でも知られています。

生涯50数度の戦さで一度も負けたことがないとも言われ、しかもそのほとんどは、槍や刀で相手を殺すのではなく、智力で相手を倒したといわれています。キリシタン大名でもあり、その子には、こちらも有名な黒田長政がいます。

ドラマのほうの主演は、V6のメンバーでもある岡田准一さんで、その甘いマスクによってお茶の間の話題を独占……かと思われたのですが、初回放送ではまだこの岡田さんが登場していないせいもあってか、視聴率はかなり低かったようです。

が、私はそれほど悪くなかったと思うのですが、視聴率が低かったのは、有名な人物でありながら、秀吉の陰に隠れてわりと地味な人物であるためかもしれません。とはいえ、2回目からは岡田さんが登場するとのことなので、また視聴率もあがってくるのではないでしょうか。

実は、私はこの2回目以降をビデオに撮り貯めたままで、まだ見ていません。なので、ここでそのコメントはまだできませんが、おいおい、その感想なども書いていきたいと思います。

官兵衛の隠居後の号である「如水」の由来については、この時代にポルトガルからやってきたカトリック司祭で、宣教師のルイス・フロイスは、多年にわたる戦争で得た功績が彼にはその晩年、水泡が消え去るようなものだと感じていたからではないか、と書き残しているそうです。

このほか、如水とは、「水のごとし」という意味ですが、晩年の彼の心境が水の如く、清らかさで柔軟なものであったからではないか、という説もあるようです。

キリスト教の始祖、モーゼの後継者であり、カナンの地を攻め取った旧約聖書の「ヨシュア」のポルトガル語読みは、ジョズエ(Josué)であり、如水というのもここから取ったのではないかという説もあります。

そのキリスト教を日本にもたらしたのもポルトガル人宣教師たちであり、今日の冒頭のテーマであったスイセンもまた、ポルトガルが原産地だというのも、何か因縁めいたものを感じます。

無論、黒田官兵衛がスイセンが好きだったとかいった話はないようですが、彼が晩年徳川家康から賜った福岡の能古島(のこのしま)という博多湾に浮かぶ島は、博多湾を背景に10万本の水仙が咲く、花の名所だそうです。案外とここのスイセンもまたポルトガルからもたらされたものなのかもしれません。

官兵衛は、その最晩年には再建に努めた太宰府天満宮内に草庵を構えて暮らしており、その後、慶長9年に、京都伏見の黒田藩邸で59歳で死去しています。

死の間際、自分の「神の子羊」の祈祷文およびロザリオを持ってくるよう命じ、それを胸の上に置き、遺言としてポルトガルからの宣教師たちに教会を建てるための寄付金を与えるように命じたそうです。

その後、その遺骸は博多に運ばれ、この地で宣教師たちによって博多郊外のキリシタン墓地に隣接する松林のやや高い所に埋葬されました。主だった家臣が棺を担い、棺の側には長政がつきそっていたそうで、ポルトガル人宣教師たちもまた祭服を着て参列したそうです。

墓穴は人が200も入るほどの大きなものだったといい、その中に宣教師たちが降りて儀式を行い、如水を埋葬しましたが、おそらくその棺の周りにはきっと、遅咲きのスイセンが添えられていたに違いありません……

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