ラスト・ペンギン

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今日は「タウン情報の日」だそうです。

1973年のこの日に日本初の地域情報誌「ながの情報」が発行されたことにちなみ、「タウン情報全国ネットワーク」という、全国の地方出版物への広告出稿を斡旋する事業を行っている会社が制定したようです。

この「ながの情報」は43年を経た今でも健在のようです。長野の観光、グルメ、スイーツ、イベント、映画、レジャーなどの最新情報やお得情報が入ったタウン情報誌を長野市内のブルーカード加盟店店頭や、広告協賛社、市内有名ホテルなどで無料配布しています。

「タウン情報誌」の定義ですが、これは、「都市、あるいは隣接する複数の都市からなる地域に重点を置いて、その地域に根ざした情報を扱う情報誌」ということになるようです。必ずしも無料とは限らず、有料のものも多いようで、がしかし、普通の旅行ガイドよりもかなり安いのが特徴です。

当然地方の中小出版社が発行することが多くなります。上の「タウン情報 全国ネットワーク(略称TJN)」に加盟しているところが多いようです。長らくその地域でタウン誌を発行してきたTJN加盟誌の場合、取材対象範囲は1つの都市から道府県全体、あるいは隣県にまで拡大し、「地域圏情報誌 」の形態となっている場合も多くなっています。

しかし、最近では、大手出版社が、東京・名古屋・大阪といった大都市圏全域、もしくは関東や近畿といった地方単位、あるいは横浜・神戸など、「大都市圏内の都市単位」などの広範囲のターゲット読者層に合わせてタウン情報誌界に参入してきています。

例えば、「タウンウォーカー」は角川書店が手掛けているシリーズです。首都圏と京阪神でタウン誌を発行するとともに、北海道地方・東海地方・九州地方などの地方単位でもタウンウォーカーを発行しています。

同じく業界大手のリクルートでは、旅の情報誌「じゃらん」シリーズを首都圏と関西、東海、中国・四国、九州、東北、北海道の7エリアで発行しており、高年齢層向けには「おとなのいい旅」シリーズを北海道、九州、東日本版の3版発行しています。

大手出版社のこのような動きに対し、地方の出版社では、年代別・ライフスタイル別のタウン誌を発行するようになりました。例えば、20~30代の子育て世代を対象とした「子育て関連タウン誌」、10~20代を対象としたインディーズ音楽・ストリートファッションなどを掲載する「地域限定ファッション誌」などがそれです。

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このほか、20代後半以降を主な読者層とし、より広い地域を対象地域として、小旅行やグルメなどのちょっとリッチな生活をするための「高級タウン誌」、50代以降の富裕層を読者層とし、海外も含めた更に広い地域でのライフスタイル提案をする「富裕層タウン誌」も発行されています。これらはいずれもかなりのお値段がするようです。

一方、ここ数年の間に、無料配布される「フリーペーパー型」のタウン情報誌の進出が目立つようになりました。チラシのようなものからタブロイド版、冊子型など様々なスタイルがあり、各戸に無料配布されるなど入手しやすいところから、新たなタウン情報ツールとして幅広い年代層に支持されてきています。

英語ではこうしたタウン情報誌は“Free newspaper”もしくは“Freesheet”といいます。新聞に準じた形態のものを指し、従来日本語では「無代紙」「無代広告紙」などと言われていたものです。

しかし、上の「ながの情報(無料)」を皮切りに、1980年代ころから徐々に雑誌に準じた冊子体のものなども含め、より広い意味で無料の印刷媒体が流行るようになりました。結果として、タウン情報誌というよりも、「フリーペーパー」と呼ぶことが多くなってきています。

広告ばかりを掲載した集合チラシとは一線を画し、地域情報や生活情報などの記事を掲載していることが特徴です。近年では特定企業の宣伝用印刷物のようなものや、非営利団体の広報資料のようなものでも、無料で配布される印刷媒体であれば「フリーペーパー」と称するようです。

私はホンダのクルマの愛用者ですが、かつて住んでいた多摩地域のホンダディーラーではは、「るるぶ」が協賛したこうした情報誌を無料配布しており、これは地図情報の扱いがコンパクトで簡潔であったため、結構重宝していました。

こうしたフリーペーパーは、全ての世帯に到達するわけではない新聞広告や新聞の折り込み、大規模な広告しか行えないテレビに比べ、柔軟に特定の範囲、商圏や購買層に対して全戸配布が可能であったり、逆に、特定の購買層が集まる場所に配布ポスト設置することが可能です。

これにより、対象を絞った広告が可能になり効率が良いこと、地域に密着した情報を提供し双方向性を保つことができることなどから、第5のマスメディアとして急成長しています。

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ただ、その中身を読むと、どことなくやはり「コマーシャル臭さ」を感じます。フリーペーパーにおいては記事と広告の区別が曖昧な「記事体広告」と呼ばれる企業メッセージを伝える記事になりがちのためです。新聞の広告記事などに比べれば少し野暮ったい気もしますが、それでも時にはかなり質が上等の記事に出くわしたりします。

従来のようにただ漫然と広告を集積したものではチラシとの区別がつかないために、フリーペーパーを作っている各社はそれなりに頑張っているためです。読者の興味がある内容にしようと躍起になっており、それぞれしっかりした広告掲載基準や記事編集の指針を掲げています。これにより、クライアント側と同様に読者からも支持を得ようとしています。

このフリーペーパーの歴史をひも解いて見ると、日本では、戦時中に新聞社が国策で統廃合された経緯から、戦後はその反動として地域情報を提供するメディアとして各地で地域紙が発達した、ということがあります。しかし、有料の地域紙は大都市部などでは成立が難しく、存在していても普及率が低く社会的な影響力は限られていました。

その結果、大都市部を中心に、地域の生活情報需要に応じるメディアとして、既存の新聞社が付加価値を高めるために無料の地域新聞や生活情報誌を顧客に配布したり、当初から無料で配布することを目的に制作される新聞が登場しました。これがすなわちフリーペーパーです。

フリーペーパーを発行する企業には、背後に新聞社等の有力メディアがいる例や、ノウハウを活かして複数の地域で複数のフリーペーパーを発行しているような例も多いようです。1971年から各地で発行されて来た「サンケイリビング新聞」は、その代表的な例です。

2006年4月に日本生活情報紙協会が発表したデータでは、日本全国のフリーペーパー・フリーマガジンの紙数は1000紙(2000版)以上、総発行部数は2億9000部を超えているとされているそうです。

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いまや、日本国外においても日本人向けに日本語で書かれたフリーペーパーが多数発行されており、世界の主要都市や日本人の多い地域には必ずと言っていいほど日本語のフリーペーパーがあります。私はハワイに住んでいましたが、アラモアナセンターをはじめ、多くの公共商業施設では日本語のフリーペーパーが置かれていました。

これらのフリーペーパーは現地で制作されているため、日本で手に入る旅行雑誌等に比べより現地に密着した情報が掲載されています。ハワイでも、現地人?である私すら知らないようなホノルルの情報が入っていたりして、結構重宝していたのを覚えています。

また、割引クーポン券が付属していることもよくあり、現地で生活する日本人にとって貴重な存在となっています。今もあるのかどうか知りませんが、ホノルルにはその昔、スーパーのダイエーがあり、ここでは時にクーポン対応の日本食を売っていました。

あのころは学生だったのでかなりつましい生活をしていましたが、まずいアメリカ産の冷凍食品に飽きると、ときにやや高めの価格設定であるこのダイエーで買い物をすることもあり、このとき、こうしたクーポンがずいぶん役にたったことをよく覚えています。

ところで、この「無料」とはそもそもいったい何者なのでしょうか。

その定義は、財やサービスの提供について、受益者に代価を求めないということになるでしょう。無償ともいいますが、只(ただ)ともいいます。無料を意味する「ロハ」という俗語は、この漢字を分解することからできた俗語です。

完全に無料のものというのはなかなか存在しないものですが、上のフリーぺーパーのように、輸送業の発達や第三次産業の高度化に伴って、無料で提供されるサービスは近年増加しています。インターネット上の日本語検索エンジンでも、最も多く入力されるキーワードの一つが「無料」だそうです。

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今日無料で提供されるサービスの多くは、慈善活動・ボランティアとして提供されている物、広告収入によって費用が賄われているもの、顧客獲得の手段として企業の宣伝活動の一環で提供されるもの、政府や自治体、公共団体による費用負担で費用が賄われているものなどに大別できそうです。

社会貢献として提供されるものの中には、フリーソフトのようなものもあります。作者の意志により無料で提供されているものであり、多種多様なものがあります。フリーウェアともいいます。日本のものは高性能なものが多く、その代表例がアーカイバのLHAや、CADソフトのJw_cadです。

フリーウェアは「無料で使用できる」ことに重点を置いた呼称であり、それ以外のライセンス条件、とくに変更・再配布などの条件はまちまちです。ただし無料ではあるものの、ソースコードが付属しないために変更ができなかったり、有償配布や営利利用の禁止など一定の制限が課せられているものも多いようです。

ソフトウェアの配布者が、利用者の持つ権利を制限的にすることを「プロプライエタリ」といいますが、こうしたフリーウェアは、プロプライエタリ・ソフトウェアといいます。開発力のあるユーザーにソースコードのダウンロードや所持、貢献などを許可しながらも、開発の方向性とビジネスの可能性を残すことができます。

つまり、無料配布することによって不特定多数の人に使ってもらい、人気が出れば、それをきっかけに新たなビジネスチャンスが舞い込むかもしれない、と考えているわけです。このため、個人が開発しているフリーウェアの中には時間がたつと有料化されシェアウェアとなったり、さらに定額の商品に昇格したりするものがあります。

なお、フリーウェアの中には悪意を持って配布されるものもあるので注意が必要です。窓の杜やVectorのようなフリーウェア配布サイトでは脆弱性の検査までは行っていませんが、ウィルス検査は公開前と感染の疑いがある場合のみに行われているそうなので、必ずしもそこにあるものが安全とは限らないそうです。十分に気を付けましょう。

2006年にはVectorにおいて新型ウィルスによって大規模なサイト内ウィルス感染が起きています。また、ウィルス感染したソフトウェアを使うことで開発環境に感染し、その開発環境で開発したソフトウェアにまで感染することもあるといいます。

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このほか、社会貢献型で無料のものには、今このブログを書くのにも利用しているオンライン百科事典、ウィキペディアなどがあります。しかし、完璧なる無償行為、というわけではありません。無料ではあるもののその維持費用は、寄付によって賄われています。また、そこに書かれていることを有料で提供することは妨げていないようです。

このほか、この世に存在するもので「無料」といわれているものに何があるかといえば、その最たるものは広告収入によって賄われているものです。町で配られているポケットティッシュはその代表格であり、テレビ、ラジオも一見無料のようですが、間に入るコマーシャル料で運営されています。

インターネットのコンテンツの多くも、広告収入を元に提供されている場合が多く、サービスプロバイダ画面の一部に広告を表示させたりしており、これにより「無料」が装われています。またメールマガジンは企業運営、個人運営を問わずフリーで提供されることが多く、広告収入を主な収入源としているものも多いようです。

顧客に付随商品を購入させる目的のための「無料」もあります。いわゆる「おまけ」がそれであり商品購入時に顧客に与えることで、心理的に購買意欲を高める意図があります。「試供品」や「体験版」「サービス品」などもその一種でしょう。

NTTが発行する電話帳も無料ですが、これも元は加入者を増やしたいがためでした。が、最近は広告料に頼っているようです。このほか、招待券映画、コンサート等各種イベントチケットもそうです。商品購入の対価として顧客に配るものが多く、その店舗やサービスを今後とも利用してもらうため、顧客を放さないためという意味合いが強いものです。

インターネットに関係するコンテンツやソフトウェアの中には、市場開拓の手段として無料で提供し、将来的に付加サービスなどを有料化するものがあります。現在マイクロソフトが無償提供しているwindows10は、現在は無料であっても近い将来には有料になるようです。無償でダウンロードした人にも何等かの形で課金されることになると聞いています。

将来にわたってタダだからアップグレードしたのに~という悲鳴が今から聞こえてくるような気がします。この手法については寡占状態を利用した市場独占であるとして、企業対企業、あるいは企業対国家の訴訟が起こっているようです。

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このほか、公共性の強いものも無料が多いのが特徴です。とくに身体障害者、知的障害者、戦傷病者、原爆被爆者、高齢者などには自治体から与えられることが多く、鉄道、バス等の交通機関料金が無料です。もしくは、無料チケットが配られ、ほかに公営バスの高齢者無料制度や無料スクールバスがあります。ゴミ処分もいまだ無料のところが多くあります。

公衆トイレもタダですし、小学生以下の医療費や高齢者の医療費は一部自治体において無料です。このほか公共性ということを言えば義務教育は日本では中学校までタダです。保育園児又は幼稚園児の保育園費、幼稚園費もタダです。

このほか、地方によっては高速道路に指定されていながら無料の箇所がありますし、一般道の通行は無料です。しかし、よくよく考えてみれば、これらの無料はガソリン税による道路特定財源制度に賄われており、また、多くの有料道路からの収入が充てられています。

公園の飲用水はタダですが、こちらも実質、地方公共団体や利用者の水道料金で賄われています。自宅で使用する水も水道料金を払っているわけでタダではありません。レストランの「お冷」も一見、無料で提供されていると思われていますが、出される料理の料金の中にその水道料金が上乗せされているわけです。

上の義務教育や高齢者や障碍者に対するサービスにしても、もともとは我々が払っている税金から賄われているわけであり、社会制度のしくみ上、弱者からは金をとらない、としているだけで、その分は他の「強者」から徴収しているわけです。

こうして考えてくると、実際に、一切対価を求めない「パーフェクトに無償」という無料は非常に少ないようです。俗に「ただより高いものはない」といいますが、別の側面で金銭での対価を求めるものがほとんどです。

そこへきて、最近は無料を餌にした詐欺や悪質な訪問販売による被害も多く発生しており、インターネットでの出会い系サイトやアダルトコンテンツは、「完全無料」などと表記しておきながら実は深い落とし穴が用意されていたりします。

アクセス自体は無料ですが、パケット通信料・電子メール文の閲覧・送信、アダルト画像を閲覧するのに、別途の法外な料金を課されるなど、その多くは詐欺的なものです。

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このように、フリーペーパーといわれるものもとどのつまりは商業的対価を目的としたものであり、フリーソフトのような社会貢献を目的として提供されるものもまたしかりです。公共のものも税金で賄われているものがほとんどであり、結局のところ、完全になにも前提のない「無料」というものはこの世に存在しないのでは、と思われるほどです。

ドイツの絵葉書には、切手を貼る場所に「frei machen」という言葉が印刷してあるそうで、これは、「自由にしてください」の意味です。だからといって「無料」で出せるかというとそうではなく、これは、「一定の料金を払う義務を果たしてね」という意味です。つまり、切手を貼って出せ、というのを婉曲的に表現しているだけです。

この例は、ヨーロッパ人が「自由」は対価によって得られると考えている、という良い例ですが、無料も本来は、それ相応の対価があるべきものなのかもしれません。

ただし、その「対価」がいつの場合にも金銭とは限りません。金以外の代償を求める無料もあることはあります。「対価」を「代償」に言い換えれば、多くはありませんが、いくつかの無料があります。

環境面に配慮する、というのもその代償のひとつです。飲食店における割り箸の提供は、日本や中国では原則無料です。が、これも飲食代に上乗せされている、と考えればタダではありません。しかし、最近は、洗って繰り返し使っているプラスチック箸を用意してあり、無料で使えます。これは環境面に配慮した無料のひとつといえます。

ただ、細かいことを言えば、箸を洗うためにはそのための洗剤の費用がかかりますが……

なお、スーパーマーケットやコンビニエンスストアが用意するプラスチック製の袋は、無料で提供する店が多かったものですが、最近は環境への配慮やコスト削減の目的で、有料としている店が増えました。無料からの後退ではありますが、その分環境には優しくなっているわけです。

また、無料の代償として「安らぎ」が得られるというものもあります。最近、日本各地の入浴施設や温泉地では、地元住民専用の無料入浴施設を設置している例が少なくありません。

近年では観光客も対象にした誰でも無料で利用できる足湯を設置するところも増えています。町おこしの一環ともとれ、広義には商業目的ともいえなくはありませんが、せちがないこの時代において、限りなく「無償の無料」に近いのではないでしょうか(このブログも同様であり、かなり稀有な奉仕的無料コンテンツといえるのでは)。

防災におけるボランティア活動もまた、こうしたもののひとつです。「安らぎ」というのは少し違うような気がするので、あえて言えば「安心」でしょうか。「無料の活動である。ボランティアの対義語は「義務」や「徴用」ですが、これに対してこうしたボランティア活動は「何も求めない」行動であり、それにより人々に安心を与えます。

1995年の阪神・淡路大震災では全国から大勢のボランティアが被災地に駆けつけましたが、日本においてはこのころからボランティア活動が急激に増えました。このことから、「ボランティア元年」とも呼ばれます。1月17日の震災の日は「防災とボランティアの日」ともされています。

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ボランティア活動の原則として挙げられる要素は、こうした「無償性」のほかに、一般的に、「自発性」「先駆性」があります。そしてもうひとつは「利他性」です。自己の損失を顧みずに他者の利益を図るような行動です。

群れをつくって暮らす動物の場合、その個体にとっては利益になりそうにない行動が観察される場合もあります。例えばサルやシカの群れでは、見張り役がある程度決まっていて、敵が近づいたのに気づくと、自らが警戒音を発します。目立つ行動をとる事で群れの他個体にこれを知らせるわけですが、当然自分が襲われるリスクは増えます

NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」はかなり視聴率が高いようですが、この中に登場した「ファースト・ペンギン」という言葉が、今話題になっているようです。

劇中、主人公の盟友の五代友厚が、こうのたまわります。

「ペンギンは、鳥やけども、空は飛べない。しかし、大きな海を、素早く泳ぐことができる。そやけど、海の中は、危険がいっぱいや。どんな敵や、困難が待ち受けてるかも分からへん。そんな時に、海に、群れの中から一番先に飛び込む、勇気あるペンギンのことを「ファースト・ペンギン」というんです。」

五代役をやったディーン・フジオカさんは、その甘いマスクゆえに、最近はバラエティやドラマなどでも引っ張りだこのようですが、その人のセリフ、ということもあり、この「フォーストペンギン」という言葉もかなり脚光を浴びているようです。

最近では、群れの中から始めに飛び出すこの1匹の勇敢なペンギンを「企業家」に見立ててビジネス用語としても広く使われるようになっているといいます。ハイリスク・ハイリターンの関係は人間の世界にも言えることですが、今まで誰も足を踏み入れなかった世界にリスクを恐れず飛び込んでいく開拓者、というわけです。

ベンチャー企業やスタートアップ企業の起業者のことをフランス語で「アントレプレナー」といいます。日本でも一時期物知りの間でもてはやされるようになっていましたが、今後はこの「ファースト・ペンギン」のほうが流行っていくのかもしれません。

かくある私もファースト・ペンギンを目指したいものですが、はたして今年はどんな年になっていくのやら。

その最初の月もそろそろ終わりそうです。何もしないまままた月日が矢のように過ぎていきますが、その中で何もできないで取り残される、「ラスト・ペンギン」にならないよう、頑張りたいと思います。

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エックス

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最近、水金地火木土天海以外の「第9惑星」が発見されたかもしれない、とメディアで報道され、話題になっています。

ご存知のとおり、従来この太陽系第9惑星の座は冥王星占めていましたが、2006年からは準惑星に降格になっており、その主が不在になっていました。

この「プラネット・ナイン」は、太陽系外縁にあるとされる仮説上の巨大惑星の仮の名称です。つい先日の1月20日、カリフォルニア工科大学のコンスタンティン・バティギンとマイケル・E・ブラウンという天文学者が、いくつかの太陽系外縁天体の軌道に関する研究結果から、プラネット・ナインが存在する間接的な証拠を得た、と発表しました。

この惑星が存在すると仮定すると、エッジワース・カイパーベルトの外側に安定した軌道を持つ6個の太陽系外縁天体の軌道が奇妙に似通っていることを説明できるといいます。

エッジワース・カイパーベルトベルトというのは、カイパーとエッジワースという二人の天文学者が発見したことから命名されたもので、冥王星や海王星よりもさらに外側にあるドーナッツ状の天体密集空間です。

狭義では48 ~50 AU(AUは地球と太陽との平均距離)の範囲に広がるもの、広義では数百 AUまでと定義され、ここに大小さまざまな小惑星があるとされています。この、エッジワース・カイパーベルトの外側には、さらに安定した軌道を持つ6個の太陽系外縁天体があるといい、その軌道はほぼ同じ平面上にあるといいます。

バティギン博士とブラウン博士は、この第9の惑星がなかったと仮定してシミュレーション計算したところ、このように6個もの天体が同じ平面上にある確率はわずか0.007%であるとわかったといいます。

つまり、第9惑星が存在しなければこれらの天体は地球外のどこかへ飛んで行ってしまう可能性があり、それが証明できた、ということのようです。さらに計算を進めると、プラネット・ナインは大きな楕円軌道を1万年から2万年の周期で公転していると考えられるそうですが、その軌道の半径は約700 auと海王星の約20倍ほどもあるといいます。

また、軌道傾斜角は30°±20°傾いていて、他の惑星のようにお行儀よく太陽の周りをまわっているというわけではなさそうです。ただし、楕円状軌道なので、近日点(太陽に最も近づく)では海王星の約7倍の約200 auまで近づくこともある、と想定されるといいます。

地球の5~10倍の質量を持ち、直径は2~4倍ほどと見積られているそうで、ブラウン博士らは、この惑星が天王星や海王星のような、岩と氷の混合物で構成されている薄いガスで包まれた巨大な氷の惑星であることがほぼ確実だと推測しています。

現時点においてはこの惑星はまだ直接観測されていませんが、地上からの望遠鏡によるこの天体の探索はすでに開始されています。しかし、この天体は太陽から極めて遠い距離にあるため、太陽光をほとんど反射しないと考えられています。また、もし見えたとしても星の明るさの等級は22等級よりも暗いと予測されています。

日本の科学者もすでにハワイにある「すばる望遠鏡」を使って観測を始めているといいますが、その発見には5年以上かかるのではないか、といわれているようです。

ま、発見されたからといって我々の生活がすぐに変わる、とかいう問題ではありません。しかし、もしこれが発見されたとすると、現在世界中で愛されている西洋占星術はどうなるのかな~と占い好きの私などは思ってしまいます。

というのも、西洋占星術では太陽や月を中心とし、その他の惑星の運行との兼ね合いによって運命を占いますが、こんな大きな惑星があるとすれば、いままでの「理論」は崩れてしまうからです。

まあもっとも、占星術一般がそうであるように、西洋占星術は近代的な科学の発展に伴ってかつてのような「科学」としての地位からは既に転落しています。科学史などでは疑似科学に分類されており、理論などと呼ぶのは笑止千万です。

とはいえ、いや占星学は星々の力学的な運行に基づいているものであり、科学的な根拠がある、として頑張っている占星術家さんもいます。なので、もしこの第9惑星が発見されたあかつきには、そうした面々の中でもとくに数学に秀でた人によって新しい占星術が生み出されていくのかもしれません。

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それはともかく、こうしたが学問上の仮説として存在が提唱され、後に存在が確認された天体というのはそれほど多くありません。

その最たるものは、冥王星です。1905年パーシヴァル・ローウェルはそうした学説を唱え、自ら設立したアリゾナ州のローウェル天文台で、存在するかもしれない第9惑星を捜索する一大プロジェクトを開始しました。このプロジェクトはローウェルが1916年に死去するまで続けられましたが、結局彼が生きている間には発見には至りませんでした。

冥王星が発見されたのは彼の死から14年後の1930年であり、発見したのはアメリカの天文学者クライド・トンボーです。彼もまたはローウェル天文台で第9惑星を探すプロジェクトに取り組んでいました。

当時最新の技術であった天体写真を用い、空の同じ区域の写真を数週間の間隔を空けて2枚撮影し、その画像の間で動いている天体を探すという方法で捜索を行いました。その結果、異なる時期で撮影された2枚の間で動いている天体、冥王星を見つけました。ただし、その冥王星は思ったより小さく、現在では惑星とはみなされていません。

このように存在が予測されながら、いまだに存在が確認されていない、あるいは既に存在が否定された天体というのは、惑星ばかりではなく、その惑星の周りを回る「衛星」などにもあります。

パリ理工科大学の天文学講師ユルバン・ルヴェリエは、1859年に水星の衛星、バルカンの存在を提唱し。これを「バルカン仮説」と名付けました。

ルヴェリエは、計算における水星の軌道には時折ずれが生じることを発見し、このことから、水星より内側にも惑星が存在するのではないかという仮説をたてました。

もしこれが存在すれば、水星よりも更に太陽に近い軌道を取ることになります。当然その表面は非常な高温であると考えられたことから、ギリシア神話では鍛冶の神を示す「バルカン」の名をこの衛星に与えました。

もともとこの仮説は、天王星の外側に惑星がないと天王星の軌道のずれが説明できないため、存在の仮説が立てられて海王星が発見されるに至ったことに由来します。

同じように水星にも軌道のずれがあったため、水星の内側にも惑星が存在するのではないかという仮説が立てられたわけですが、結局後に存在しないことがわかり、水星の軌道のずれもその後アインシュタインの相対性理論によって説明付けられました。

近代においても、1974年、マリナー10号が水星フライバイ中に極端な紫外線の放射を観測したため、これは未知の衛星によるものではないかと考えられました。しかし、すぐにこの紫外線は水星の背後にあった恒星のコップ座31番星に由来することが判明しました。

現在衛星はない、とされている金星においても、かつてはもしかした衛星があるのではないかといわれました。17世紀から19世紀にかけて金星の衛星が度々観測されたとされ、そのひとつは、ネイト(Neith) と名づけられました。こちらはエジプト神話の初期の女神の名です。その存在について長年議論が続いていましたが、最終的には否定されました。

このほかにも火星、木星、土星などでも現在確認されている衛星以外のものが発見されたと何度も誤認され、その数は相当数あります。しかし、そのほとんどは否定されてきています。ただ、予測後確認されたものの中には、一度は「発見」されたものの、その後再確認されなかったために「ガセ」として闇に葬られそうになったものもあります。

1975年に、アメリカのチャールズ・トーマス・コワルに発見された木星の衛星、テミストなどがその例です。この衛星の名はギリシャ神話のゼウスの愛人の名をとったものです。一度発見され、すわ大発見とされましたが、軌道を確定するだけの十分な観測が無く、すぐに見失われてしまいました。

結局、このテミストは、2000年にハワイ大学の大学院生スコット・S・シェパードシェパードら再発見しましたが、それまでは長きにわたって未確認の第14番衛星とされていました。

地球にも月以外の衛星がある、とされて大騒ぎになったこともあります。さすがに最近の話ではなく、170年以上も前の1846年のことです。フランストゥールーズ天文台のプチ (Frédéric Petit)という天文学者は、複数の流星の軌道を研究した結果、地球の衛星軌道に乗っている流星を発見した、と発表しました。

しかし、軌道決定の不確実さなどから疑問視され、のちに否定されました。また、1898年、ドイツ・ハンブルクのゲオルク・ヴァルテマットは、月の軌道の揺らぎから、地球からの距離103万kmに、直径700km、公転周期119日の第2の衛星があるとの仮定を発表し、その衛星の太陽面通過を予言しました。

そして、予言どおり太陽面通過を観測したと主張し、さらにその年のうちに、第3の衛星を予言しましたが、太陽面通過だとされた現象は実際には黒点でした。また700kmもの大きさがあるなら簡単に観測できるはずですが、直接観測がまったくなされないことからも、以後科学的には、この衛星の存在は完全否定されました。

ただし1918年、占星学者のウォルター・ゴーンオール(占い師としての名はセファリアル) は、この衛星は実在するが真っ黒だから観測できないのだとして、リリス (Lilith))と名づけました。またダークムーン((dark moon) と称し、一部の占星学者(学者と呼ぶべきかどうかは疑問ですが)はいまだにこれを信じているようです。

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このほか、今回みつかった(?)とされるプラネット・ナイン以外にも「惑星X仮説」というのがあります。これは、海王星や冥王星の外側にもさらに惑星が存在するという説です。こちらも「超海王星」であるとされ、第9番惑星と位置づけられるもので、冥王星の惑星除外までは第10番惑星(超冥王星)として探索が行われてきました。

この海王星もまた、もともとは天王星の外側に惑星がないと天王星の軌道のずれが説明できないため、存在の仮説が立てられて発見に至ったもの、と上でも書きました。

が、天王星と海王星にもさらにその存在だけでは説明できない軌道のずれがあったため、パーシヴァル・ローウェルらによってさらに外側に大型の惑星が存在するのではという仮説が立てられました。

これが惑星Xです。しかし、1930年に冥王星が発見されたため、この惑星Xの探索は決着がついたと思われました。ところが、その後の観測が進むにつれ、発見された冥王星の質量は海王星と天王星の軌道に影響を及ぼすにはまったく足りないことが明らかになり、探索は振り出しに戻りました。

その後現在に至るまで惑星Xは発見されていませんでした。しかし相次ぐ探査機の投入によって、海王星や天王星の軌道などが正確にわかるようになりました。またこの仮説の前提であった天王星や海王星の質量が推定よりかなり小さかった事などもわかり、新たな計算結果などから惑星Xといわれるような惑星の存在は否定されるようになりました。

そこへきて、今回のプラネット・ナイン発見の発表がありました。もしその存在が本当に確認されるとしたら、これまでの惑星Xの議論が再燃することになります。

また、もしプラネット・ナインが存在するならば、これまでの太陽系内の各惑星あるいはその衛星などの運行状況にも当然影響があるはです。これまでの天文学で「常識」とされていたものへの少なくない影響が予想されます。

さらに、プラネット・ナインに似たようなさらに別の天体もあるのかもしれず、昨年冥王星に到達して次々と新しいデータを送ってきている、探査衛星ニュー・ホライズンズの成果も踏まえて、今後は新たな「X探し」が始まる時代に突入していくのかもしれません。

我々はまさに新しい宇宙理論が確立されようとしている時代に生きているのかもしれません。

ところで、この「X」です。アルファベットの最後から3番目、24番目の文字です。現在のアルファベットはラテン語から派生した文字であり、ラテン語では23しか文字がありませんでしたがこれにJ、U、W を加えた 26 字を現在では基本と見なしています。

ラテン語のさらに前身はギリシア文字であり、このXはギリシア文字のΧ(キー/ヒ/カイ)に由来します。英語ではエクスと発音し、フランス語などではイクスです。通する「クス」はラテン文字としての発音、ksからきています。

一方現在の標準ギリシャ語のΧの発音にはchやkhが用いられるようです。日本語では「エックス」と発音します。微妙な差ではありますが、同じ語源にありながら文化や国によって音が違ってくるというのは改めて不思議な感じがします。ま、似たような話は日本語の方言にもあるわけですが……

しかし、英語などでもそうですが、だいたいどの言語もXで始まる単語は最も少なく、むしろ記号などでつかわれることが多いようです。ローマ数字では、10を意味しますが、これは古代ローマ人は元々農耕民族だったことに由来します。

古代ローマ人は、羊の数を数えるのに木の棒に刻み目を入れて数える習慣があり、柵から1匹ずつヤギが出て行くたびに刻み目を1つずつ増やしていきました。3匹目のヤギが出て行くと「III」と表し、4匹目のヤギが出て行くと3本の刻み目の横にもう1本刻み目を増やして「IIII」としました。

ところが、延々とこれを続けていくと「IIIIIIII……」となってしまうので、5匹目のヤギが出て行くと、4本目の刻み目の右にこのときだけ「V」と刻み、これと同様に9匹目の次のヤギが出て行くと「IIIIVIIII」の右に「X」という印を刻むようになった、というわけです。

これからすると、31匹のヤギは「IIIIVIIIIXIIIIVIIIIXIIIIVIIIIXI」となります。このように長々と刻んだのは、夕方にヤギが1匹ずつ戻ってきたときに記号の1つ1つがヤギ1匹ずつに対応していたほうが便利だったためです。このためその昔はヤギが戻ると、ご丁寧に記号を指で端から1個1個たどっていったそうです。

最後のヤギが戻るときに指先が最後の記号にふれていれば、ヤギは全部無事に戻ったことになります。無論、ヤギは30を超えて50以上になることもあり、それでは棒が足りなくなります。このため、50匹目のヤギはN、+または⊥で表しました。また100匹目は*で表しました。さらに1000は石で作った○の中に棒で作った十を入れた記号で表しました。

これらの記号が、その後ヨーロッパ諸国に伝わり、別の意味に使われるようになったのではないか、ということもいわれているようです。

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このローマ数字としてのXという文字は現在でもよく使われます。Mac OS Xは バージョン10の意味であり、トヨタ・マークXは、 前身のトヨタ・マークIIからの歴代通算で10代目に当たるためにこのロゴが使われるようになったそうです。

野球で、一部または全部が省略されたイニングをXと表記します。9回裏が「X」と表記されている場合、9回表終了時点で後攻がリードしているため9回裏の攻撃が省略されたことを表します。これもおそらくは9の次が10であることから来ているのでしょう。

なお、「1X」と表記されている場合は9回裏に後攻が1点を取ってリードし、同時に試合終了してサヨナラゲームとなったことを表します。

一方、服のサイズなどで使われる”X” はローマ数字ではなくラテン語のほうです。”Ex”で始まる単語の略語として使われます。EXtra(特別)の意味であり、XLは、エクストララージで、特別大きいサイズを示します。また、Xは「実験」の意味で使われることもあり、兵器等、実験用の機器の型番に付けられる X-1、F-Xは、“Experiment”からきています。

そのほかXが使われる場合というのは、未知である場合にとりあえずつけられる名前であることも多く、上述の惑星Xもそれです。「Xデー」は、未知の(未来の)重要な日付であり、昭和天皇が逝去される前にはメディアに頻出しました。

各国の通貨の名前を3文字のコードで記述できるようにする通貨コードISO4217では、XXX は「通貨なし」を意味します。

さらに、ミスターX(Mr. X)は、正体が明らかでない人物に対して用いられるあだ名としても使われます。テレビや演劇、映画などでもXは頻発し、「仮面ライダーX」や「ウルトラマンX」「謎の物体X」といった具合です。

私の世代では、「ミスターX」といえばテレビアニメ、「タイガーマスク」に登場する悪役です。「虎の穴」の極東地区を統括するマネージャーで、外見は紳士ですが、性格は恐ろしく冷酷かつ残忍という設定です。掟である上納金の支払いを拒絶したタイガーマスクを裏切り者と認定し、処刑のために殺し屋や死神レスラーたちを次々と日本に送り込みました。

プロレスでのXは、出場選手が未定または未発表の場合に使われますが、実在の覆面レスラーにもミスターXを名乗った人物が多数存在します。獣医師の免許を有していたことから「ドクター」の異名を持ち、第5代AWA世界ヘビー級王者だったビル・ミラーは、覆面レスラーのドクターXとして活躍した時期がありました。

ミラー以降もカナダ出身のプロレスラーガイ・ミッチェルなどがミスターXとして活動しました。1975年、新日本プロレスに覆面空手家ミスターXとして来日。アントニオ猪木ともシングルマッチで2度対戦しました。別人のミスターXが覆面空手家として登場したこともあり、こちらは「猪木の格闘技戦史上最低の相手」とされました。

このほかテレビドラマでは「Xファイル」が有名です。こちらはおなじみの人が多いでしょうが、アメリカ発のSFテレビドラマであり、超常現象をテーマにしたストーリー展開や映画並みのロケが話題となり世界中でヒットしました。

ストーリーは、UFO、UMA、オカルトなど科学では説明の付かない超常現象のまつわる事件に、2人のアメリカ連邦捜査局(FBI)捜査官が取り組むというものでした。

一方、上述の天文学で使われた惑星Xという用語以外にも、科学の世界ではよくXは使われます。X線はその最たるものであり、これは発見時には性質などが不明でこう呼ばれていたものがそのまま残ったためです。

また、ランゲルハンス細胞組織球症という難病がありますが、こちらはかつては組織球症Xと呼ばれていました。おもに子供に生じる病気で、10歳以下に多いようで、原因不明の腫瘍があちこちにできる病気です。命が危ない病気ではないといわれますが、腫瘍が全身のどこでもできる病気であり、頭蓋骨と脳にも生じます。

脳に病気が生じると、てんかん発作や認知症などいろいろな神経症状とかの後遺症を残すことがあります。原因の特定と治療法がまだ確立していないころにXと呼ばれていたようですが、最近ではランゲルハンス細胞組織球症 (LCH)と呼ぶようです。

このほか、化学では、ハロゲンの元素記号として使われ、フッ素・塩素・臭素・ヨウ素など我々の身近にあるものは、化学式中ではしばしば X と表記されますが、その命名は機械的なもののようです。また我々の体を形作る組織内の染色体のひとつは「X染色体」です。こちらはその形に由来するものであり、こちらも未知のもの、といった意味はありません。

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ところで、このラテン文字の「x」や「X」は×に見立てられることもあり、こちらは日本語では、「かける」「ばつ」「ぺけ」「ばってん」「ちょめ」「クロス」「バイ」などと読みます。何か二つのものを対比する場合に用いることが多く、例えば、寸法表記の「100cm x 100cm」などがそれです。

縦×横、幅×高さ、幅×高さ×奥行き、縦×横×高さなどで、一般的にも寸法を表し、「かける」と読むことが多いようですが、数学などで複数の乗算を区別する必要があるときは「クロス」と読むこともあります。

また「拡大」を意味する場合にも使います。よく間違うのは、×30 は30倍の拡大図を意味しますが、30×となると、こちら は30倍の倍率を持つレンズを表しています。

この×という記号はラテン語のXとは異なり、その起源は聖アンデレの斜め十字架であるとされ、これはキリスト教で用いられる十字架を模したシンボルのひとつです。アンデレとは、キリストの十二使徒のひとりでX字型の十字架で処刑されたとされる聖人で、その後キリスト教では「聖アンデレ」として敬われてきた人物です。

当初は国旗や紋章、勲章などに用いられましたが、乗法の記号としてこの記号が使われだしたのは17世紀に入ってからであり、最初に使ったのはウィリアム・オートレッドというイギリスの数学者です。

オートレッドは乗法と除法を直接計算できる計算尺を1622年に発明したことで知られ、”×” のほか、三角関数を “sin” や “cos” と表記する方法も彼の考案です。

以来、「カップリング」の記号としても頻繁に使われるようになり、生物学的にもたとえば「雄×雌」「男性×女性」といったふうに使われるようになりました。現在では結婚、交配の意味でもあります。

ところが、日本では否定的な意味を表す時にも使います。この場合は「バツ」「ペケ」と読みます。この「ペケ」とは何ぞや、ですが、これは横浜の外国人居留地の俗語で、マレー語から来ているそうです。マレー語で、あっちへ行け、の意味なのだそうで、横浜に外国人が入居していたころ、彼らはまだ異人として嫌われていたからなのでしょう。

また「べからず」が訛り、「ペケ」になったという説もあるようですが、いずれにせよ否定的な意味のようです。日本では文字の出現以前からあり、古墳時代の土器や埴輪にも×の印は見られ、「〆」と同様に封印の意味があったと考えられています。

平安時代以後、×は「阿也都古(アヤツコ)」と呼ばれるようになりました。アヤツコには異界とこの世の行き来を禁止する意味があり、古くは初めて外出する乳幼児の額に書くという習慣がありました。

このころは新生児の死亡率が高く、外出するときには魔物にとりつかれないように、というお守りの意味でしょう。また、生まれてまもなくは不安定なのですぐにあちらの世界へ行ってはいけないよ、という意味もあったでしょう。さらに、葬儀の際にも死者の胸に書くなど魔除けの記号、呪符として用いられました。

現在、我々が使う文字、たとえば「凶」「胸」「兇」などはこのアヤツコの系列の文字だといわれます。確認していませんが、おそらく「区」や「九」もその類でしょう。

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このように日本では否定的な意味で使うことが多いこの×ですが、欧米でも不正解、不可、否定、無いの意味で「✗」を使います。が、ややこしいのは、日本語ではペケの反対は○(マル)であるのに対し、彼らの場合は肯定的な意味で使うときには「レ点」すなわち、「✓」を使うことです。

ちなみに、地図記号の警察署は、○に×ですが、これはかつての警官の所持品の六尺棒、現在の警棒を○で囲んで図式化したものです。また、交番は警棒だけの×になります。

このほか日本語で×を否定的に使う場合、よく「バツイチ」といいます。男性・女性の区別無く1度は結婚したものの離婚して現在独身である状態のことであり、一度離婚した経験を持つ人のことを指す俗称です。

こちらは、1992年に明石家さんまが大竹しのぶとの離婚会見の際、額に「×」を記して記者会見に応じたことから急速に浸透しました。今では「現代用語の基礎知識」にもふつうに掲載されています。

そもそもさんまさんが、結婚に失敗した自分に対して暗いイメージを持たれないようにと、面白い表現で表現しようとしたことに起因するわけですが、その後トレンディドラマでも台詞として頻繁に使用されたことから、次第に定着していきました。

なお、離婚の際、籍が抜かれるために戸籍が変わりますが、この際に戸籍原本に大きなバツ(×)印がなされる、と信じている人が多いようです。嫌だな~と思っている人が多いようですがこれはウソです。確かに昔は離婚すると戸籍に×が付されましたが、現在では単に「除籍」と記されるだけです。

この×は積極的で明るいイメージの「ピカイチ」に呼び替える運動が展開されたこともあったそうです。が、一過性で定着しませんでした。また「女性のバツイチは勲章」との言葉が女性向けの週刊誌やファッション誌などで取り上げられることがあり、バツイチが肯定的にとられた時代もありました。。

現在でも2回以上の離婚経験者を指して「バツ2(バツニ)」「バツ3(バツサン)」などと称することもあるほどで、それほど、この「バツ」は定着しています。最近は婚姻関係にあった男女関係だけでなく、同性の二人組お笑い芸人さんがコンビを解消したときも「バツイチ」と呼ぶこともあるようです。

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それにしても本人同士は離婚したくて離婚したわけではないでしょう。従来は勲章としてもてはやされてきたこの離婚ですが、最近は結果的にバツイチになってしまったことについて自戒の念に駆られる人多いようです。

内閣府の「男女共同参画社会に関する世論調査」によると、「相手に満足できないときは離婚すればよいか」との質問に対して、賛成派(「賛成」と「どちらかと言えば賛成」の合計)が46.5%にとどまったのに対して、反対派(「反対」「どちらかといえば反対」の合計)が47.5%となり、23年ぶりに反対派が賛成派を上回るという結果が出たそうです。

賛成派は1997年の54.2%をピークに毎回減り続けており、一昔前に比べると、離婚に対して寛容ではなくなってきていることが窺えます。その理由にはいろいろあるでしょうが、ひとつには、夫婦の間に子供があった場合の悪影響です。

かつては離婚は子供に何の影響も与えないと考えられていたものが、最近は子供への悪影響が強くなってきた、という指摘が多くなった、ということがあるようです。

離婚が子供の成育にマイナスの影響を及ぼす要因としては、(1)非同居親と子供との親子関係が薄れること、(2)子供の経済状況が悪化すること、(3)母親の労働時間が増えること、(4)両親の間で争いが続くこと、(5)単独の養育にストレスがかかることなどがあげられるようです。

また、子供の健全な発育には、父親の果たす役割も大きいといい、こうした事実を踏まえて、欧米各国では、1980年代から1990年代にかけて家族法の改正が行われ、子供の利益が守られるようになっています。

ただし、子どもの権利は、日本では裁判規範とはされず、裁判所によって無視されており、国際機関から再三勧告を受けているのが現状です。が、いずれはこれも改められるでしょう。今後は子供の人権を守る上でも、離婚をできるだけ少なくしようというトレンドが主流になると思います。

「結婚は勢いでできるが、離婚には体力が必要」という言葉もあるようです。結婚は相互信頼を前提とするものですが、離婚は相互不信を前提とするため、ともいわれます。

離婚を意味する「×」がそうした不信感から来ているとすれば、それをなんとかハートマークに変えるためには、その不信感がどこから来ているのかを特定することが必要です。

そもそも不信感を持つに至る原因が何であったのか、についてはバツイチに至った方々それぞれに理由があるでしょうが、♂×♀の間にあるこの「×」という記号の持つ意味について、今少し時間をとってじっくり考えてみてはどうでしょう。

よくある結婚式のスピーチで、もし喧嘩をするほど仲が悪くなったら、その二人の間にある「”中”が悪い」と考えるようにしなさい、というのがあります。

離婚寸前の夫婦の間にもきっと悪い×があるに違いなく、それを消すことができたら、離婚届を出す「Xデー」も少しは先延ばしできるかもしれません。

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