もじmojiしてる?

6月も中旬になりました。この月の別名を水無月といいます。

雨が多い時期なのに、なぜ水が無い月なのかな、と不思議に思って調べてみたところ、その昔、水無月の「な」は、現在における「の」を意味していたそうです。

現代なら「水の月」と書くべきところを「水な月」と書き、時代が下がるにつれて、このひらがなの「な」になぜか漢字の「無」を充てるようになったようです。他に適当な漢字がなかったのでしょう。

他に10月も「神無月」と呼びますが、この「無」も「の」の意であるという説もあって、であるとすると「神の月」ということになります。俗に言う、神様が出雲へ出かけていなくなってしまう月、とは解釈が違ってきます。

一方では、田植のために田んぼに水を張る必要のある月であることから「水月(みなづき)」と書き、これが「水無月」に変じたという説もあるようです。

このように、言葉というものにはいろいろな解釈があり、時代の変遷によってどんどん変わっていくものです。最近の若者言葉を年配の我々が理解できないように、彼らもまた私たちが普通に使っている言葉の意味がわからないことがあります。

現在、普通に使われている仮名文字と漢字が入り混じった文章も、おそらく昔の人には読みにくいものでしょう。逆に漢字ばかりで書かれている昔の文章は、現代文に慣れている我々には易々とは読めません。

ましてや、くずし字で書かれている昔の文書となると、抽象画のようにさえ見えてきます。時代劇では、こうした文書を登場人物がすらすらと読んだり、書いたりしています。実際、昔はそうだったはずです。すごいことです。

漢字を一画一画を続けず書いたものを楷書体と言います。一方、早く書くために続けて書く工夫をしたものを草書体といい、これがくずし文字です。草書の「草」は草稿の「草」であり、「下書き」という意味があります。一説では「ぞんざい」という意味もあるそうです。

この書体では大きな字画の省略が行われるのが特徴です。文字ごとに決まった独特の省略がなされるため、文字ごとの形を覚えなければ書くことも読むこともできません。

中国では紀元前から2世紀までの漢の時代からこうした草書体が使われていたようですが、宮中の高官などが使う限定的なものであって、一般人が使うようになったのはそれから数百年後、おそらくは5~6世紀ころからだと思われます。

漢字の伝来を受けた日本でも古くから普及し、平安時代には数々の流麗な草書の達人が生まれました。中でも、参議、藤原佐理(すけまさ)は、草書の第一人者として評価が高く、流麗で躍動感のある筆跡は「佐跡」と呼ばれ、内蔵頭・小野道風、権大納言・藤原行成と共に三跡の一人に数えられました。

草書体は、書家による違いが大きく、例えば「書」は楷書体では1通りの書き方しかないのに対し、草書体は何通りもの書き方があります。これを読めるようになるためには草書手本と呼ばれるお手本を一通り勉強し、多くの古文書を読んで経験を積まなければなりません。

私もこうした古文書をすらすらと読めるようになりたいと考えているのですが、毎日仕事で忙しい中、なかなかそうした時間がとれません。いつか退職して自由な時間が取れるようになったらぜひとも取り組みたい課題のひとつです。




ところで、漢字に草書体があるのと同じように、英語のアルファベットにも「筆記体」というものがあり、これを草書体と呼ぶこともあります。

日本語の草書体と同じように、一筆書きのように文字を続けて書き、書くスピードを上げるために作られたものです。最も古いもののひとつとしては、17世紀前半のマサチューセッツ州プリマス植民地の知事ウィリアム・ブラッドフォードの手書き文字などがあります。

ただ、この文書は完全な筆記体ではなく、ほとんどの文字は分離されていました。しかし、約1世紀半も経つと、公文書はほとんどが完全な筆記体になりました。有名な文書としては、18世紀後半のトーマス・ジェファーソンによるアメリカ独立宣言の草稿があります。

この文書はジェファーソン大統領の自筆であり、若干の途切れがあるものの、ほとんどの文字が続き文字で書かれています。後日、職人により清書されており、こちらは完全な筆記体で記述されていて途切れはありません。

さらに87年後の19世紀半ば、エイブラハム・リンカーンが書いたゲティスバーグ演説の草稿は、今日とほとんどと変わらない、ほぼ完ぺきな筆記体で書き上げられています。

これは、いわゆる「人民の人民のための人民による」のくだりが有名になった文書で、ペンシルベニア州ゲティスバーグで行われた戦没者追悼式での演説草稿です。リンカーンの演説の中では最も有名なものであり、独立宣言、合衆国憲法と並んで、米国史における3大文書の一つです。

まだタイプライターなどないこの時代、公的な文書のほとんどは、こうした手書きの続き文字で記述されており、一般の人も手紙などを筆記体で書いていました。この時代の筆記体は見栄えの良さを意味する「フェア・ハンド(fair hand)」と呼ばれていて、事務員は正確に同じ筆跡で書く事を求められていました。

手書き文字は、男性と女性では微妙に違っていたようです。日本の草書体も見る人が見ればそうした差異がわかるといいますが、一般にはなかなか見分けはつきません。

もっとも、日本の場合、その昔漢字は男性が使うもので、教養豊かであっても女性が書いた文書が出回ることはあまりありませんでした。ただ、平安時代の女性は和歌を紙に書いてこれを手紙として出していたようです。一種のラブレターです。

漢字をくずして作ったかな文字を多用し、これは通称「女手」と呼ばれました。この和歌が書かれた手紙に対する返事にかなを使う男性もいたようで、「土佐日記」で有名な紀貫之が、女性を装ってこれを書いたことは有名です。




英語の筆記体、手書き文字の形式は、その後、タイプライターが普及するようになっても急速な変化は起こりませんでした。しかし、19世紀半ばには、日本で言うところの「読み書きそろばん」に相当する技術として、学校に通う児童にとっては必須科目になりました。

20世紀半ばに至るまでも、この状況はほとんど変わらず、アメリカでは小学校の2~3年生(7 ~9歳)になると、学校でこの筆記体を習うことが義務付けられていました。

ところが、1960年代になってから、突然この筆記体教育に疑問が持たれ始めます。その理由はローマ字を傾斜させたイタリック体の流行です。それなりに見栄えもよく、筆記体より覚えるのが簡単なこの字体の普及により伝統的な筆記体は不要だとする声が高まりました。

また、このころになると書体の種類が急激に増えました。20世紀後半に至るまでにはさらに多様な筆記体が現れ、著作権が主張されるようになりました。結果、いずれもが標準化されないまま、学校でもさまざまな筆記体が使われるようになりました。

その後80年代に入るとコンピューターが普及するようになります。これによってキーボードでアルファベットを入力すれば、自由自在に文字を入れ替えたり修正したりすることができるようになり、誰でもスピーディに文章が作れるようになりました。

さらにコンピュータでは様々な書体での作文が可能で、筆記体もどきのフォントすら登場しました。このためそれまで必須とされてきた筆記体は省みられなくなっていきました。かつて「フェア・ハンド」を必要としていたいかなる職種も、ワードプロセッサとプリンターに取って代わられるようになり、学校における筆記体教育も必要性を失っていきます。

結果として、今や欧米諸国では、筆記体はほとんど使われることがなくなりました。手書きの方がコンピュータ入力よりも素早く文章を書ける、と主張する人もいますが、それはそれなりの訓練を積んでのことであり、またプリンターで同じ文書を大量に書き出すというわけにはいきません。かくして筆記体の需要はますます減少していきました。

アメリカでは、SATと呼ばれる大学入学共通試験がありますが、そのオプションのEssay (小論文) は、現在でも解答用紙に鉛筆で記入する形式です。最近の統計では、この小論文を書くときに筆記体で書いたのは全受験者のうちのわずか15%以下に過ぎないそうです。

日本においても、かつては英語の授業でこの筆記体を学校で学ぶことは必須でしたが、1990年代以降、その習熟に時間を割くことは少なくなっています。導入は第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)からです。私も中学生だったころ、英語の授業では「大文字の筆記体」「小文字の筆記体」の習字を習っていました。

学習指導要領で定められていたこともあり、生徒にはこの筆記体に習熟することが求められ、教師も黒板に英語を書くときは、筆記体で書いていました。その他、ノート、試験答案等の他、手紙やメモ、署名の書字にも広く筆記体が用いられました。

私は、この時代に筆記体で英語を覚えて慣れ親しんだこともあり、今でも手書きで英文を書くときにはやはり筆記体で書きます。ハワイ時代の授業や、試験においてもやはり筆記体でノートを取り、試験用紙にも筆記体の文字を書いていました。



しかし、やがて日本においてもコンピュータやワードプロセッサが普及するようになります。手書きの機会は減少し、英語圏でも筆記体が衰勢したことや指導要領が変わったこともあって、1990年代以降、授業で筆記体の習熟に時間を割くことは少なくなっていきました。

平成24年に施行された中学校学習指導要領でも、筆記体については、「生徒の学習負担に配慮し筆記体を指導することもできる」となり、必須事項ではなくなってしまいました。

今や、親しい人から手書きの手紙をもらう以外では、筆記体の英文を見るということはほとんどなくなりました。仮にそうした文書を見たとしても、読めない人も増えています。

ところで、このアルファベットというものは一体どういう経緯で生まれたのでしょう。

太古の時代、人類は他とのコミュニケーションをとるため、まず身振りや手真似による意思の伝達から始めたと考えられています。その後、声に出して意図を伝えるために原始的な言葉を作ったと想像されますが、言葉というものは、書き残さなければ消滅してしまいます。

このため、言葉を記録する必要が生じ、そのための符号、つまり文字を生み出しました。紀元前の古代中国の儒教の経典に「易経」というものがあります。この中に「大昔は縄を結んでうまく調整した。後世の聖人はこれに変えて書契を使った」という記述がみられます。

「書契」は、「記号のような文字」のものと考えられており、「縄」という言葉を使っていることから、古代中国では縄の結び方で文字を表現していたと考えられています。

後世、これは縄を結んで文字の代わりをする「結縄」といわれるものに発展し、世界のあちこちの文明で使われるようになりました。カトリックのロザリオや仏教の数珠、ハンカチの結び方などはこれらの名残りだとする説もあるようです。

しかし縄を使って文字を表すには手間暇がかかります。それなら何かに絵を描いてこれを表現すればいいではないか、ということで言葉を視覚化し形象化したものが、象形文字です。

以後、幾多の淘汰を経て象形文字から派生した文字は200余種にわたり、現在50余種が使用されています。ただその根源をなすものは、ナイル河畔に発達したエジプト文字、チグリス・ユーフラテス川流域で発生した楔形文字、黄河流域の漢字の3種です。

しかし、エジプト文字と楔形文字の原型は紀元前後に相次いで姿を消しました。その理由は他民族による併合によるところが大きいと考えられています。エジプトはギリシアに吸収されて、ヘレニズム文化の中に取り込まれました。以後、そこで使われる公式文書としてはギリシア語のものが要求されるようになり、エジプト文字の知識は失われました。

また、楔形文字を使っていたメソポタミア文明も、紀元前4世紀頃にギリシャのアレクサンドロス大王の遠征によってヘレニズムの世界の一部となり、ここで使われていた楔形文字は失われました。結果としてギリシア語がヘレニズム文化での標準語となりました。

このギリシア語は現在のようなものではなく、ギリシア祖語もしくは古代ギリシア語といわれるもので、多数の方言があり言語体系も一つではなかったようです。ギリシア語がギリシア文字で記されるようになったのは紀元前9世紀頃のことで、これ以前の言語を指します。

一方、ヘレニズム文化はその後古代オリエント文化との融合する中で多様化します。多数の民族が乱立してそれぞれの興亡がはげしくなる中、一つの文字文化が他の民族によって消去される一方で、混合したり、あるいは他言語が借用されることも多くなっていきました。



このあたりの事情は日本語も同じです。今では東京言葉が標準語とされていますが、かつては関西弁がそれでした。関西以外の諸藩が維新を主導したため、江戸弁とこれら諸藩のお国言葉が融合した結果、現在の標準語が生まれ、関西弁は地方言語のひとつになりました。

ヨーロッパを席捲したギリシャ人は、そのころバラバラだった言語体系を根本から見直そうとしました。そしてそれぞれの民族が持つ異なる言葉の体系をうまく融合させるために、それまで直接的に結びついていた「話し言葉」と「文字」を分離しました。

それにあたっては、古代地中海世界を支配するギリシア人はフェニキア人(現在のレバノン一帯を中心に活動)が使っていたフェニキア文字を採用し、もともと子音字22文字だったものを、24文字に増やし、母音を表す文字と子音を表す文字を区別するようにしました。

その過程で、文字は「形象」という本来的な意味を離れて、音だけを表すものとして使われるようになりました。これが「アルファベット化」です。そして、文字がアルファベット化したとき、言葉と文字との結合という古代文字が持って最も本質的なものは失われました。

なお、26文字になったのは16世紀のことで、uがvから、jがiから分かれてのことです。

しかし、中国圏で使われていた漢字だけは、影響は受けてもアルファベット化はされることはありませんでした。ヨーロッパから遠く離れていたということもありますが、この複雑な言語を20数字のアルファベットに変換するためには非常な困難を伴ったからです。

アルファベットが1つの音価を表記する音素文字であるのに対し、漢字はそれぞれが個別の意味を持ち音に対応しています。漢字は本来、1文字1文字が一義を表すことを重視して作られた文字です。音と意味の両方を表記する文字であって1字が1語を表しています。

1つの音を持つ語が派生して、複数の字義を持つようなったり、読みが変わって、複数の字音を持つようになる場合もあり、さらには字義を持たない場合もあるなど、言語としては複雑怪奇なものであって、これをアルファベットのような音だけの文字に変換するのは不可能です。

こうした漢字は日本に輸入されただけでなく、中国に朝貢をしていた朝鮮、琉球王国、ベトナムなども古代中国から漢字を輸入して使用してきました。また、シンガポール、マレーシアのように、中国から移住した人たちが多く住み、漢字を使用している地域があります。これらの漢字を使用する中国の周辺諸国を包括して漢字文化圏と呼びます。

現在、漢字は、中国・台湾・日本・韓国・シンガポールなどで、文字表記のための手段として用いられています。しかし、各国政府の政策で漢字を簡略化したり使用の制限などを行ったりしたため、現在、これらの国同士で文字体系を完全には共有できていません。

日本では仮名を併用しており、韓国でもハングルなど漢字以外の文字との併用が見られます。ただ、韓国では、漢字はほとんど用いられなくなっています。北朝鮮やベトナムのように、漢字使用を公式にやめた国もあります。

漢字を使っている国でも、その字形の複雑さから、書き間違いや省略などによって字体は場所と時代によって、大なり小なり変化してきました。そうして変化した字体のうち、最も広く使われるようになった俗字が、その国の正字に選ばれている場合もあります。

また地域それぞれの音や地域特有の字義を表すための国字・方言字や異体字も多く作られており、日本の「国字」もその一つです。和製漢字ともいわれ、中国から伝来した漢字ではなく、日本で作られた漢字体の文字を指します。

しかし、漢字を使っている各国の文字にはやはり共通のものが多く、筆談が可能な国もあります。また、いわゆる「書」というものの意味は国を超えて理解し合えるものの一つです。

では、書とは何か、といえば、これは文字のもつ「様式上の美」を指すものと考えられます。漢字はその成立した当初から美への意識を刺激するものでした。漢字と書の結合は初めから約束されていたという人もいるほどです。

実際、最古の文字といわれる、中国殷代の甲骨文は、なるほど美しいと思えるほどのもので、既にすぐれた様式美を持っていることがわかります。幾何学的に描いたものではなく、律動的な線によって表現されていて、事物の本質を表しています。かつ字としての美をも志向しており、他の古代文字とは本質的に異なります。

こうした漢字を使って書かれた書は漢字圏の文化であり、芸術でもあります。芸術は制作と鑑賞という2つの営みの上に成立しますが、見ても書いても楽しめるという書の芸術性は、世界的にも高く評価されています。

日本では国語科の「書写」として、小学校3~ 6学年と中学校全学年の授業での毛筆による書道の指導が定められています。

戦後、柔道・剣道・華道など “道” の付くものは国粋主義の象徴であると排除され、書道も硬筆の習字のみになっていました。しかし1951年に地方からの強い要望から毛筆の習字も学習指導要領に盛り込まれ、1971年には硬筆とともに小学校の必修科目として復活しました。

日本では昔から寺子屋などで習字が指導されてきました。この伝統の下、今でも多くの書道教室・習字教室が存在し、毛筆文化の存続を支えています。その指導者は高齢化する傾向にありましたが、最近では若い指導者も増えてきました。前衛書家がマスコミに登場して人気を博すなど、書の世界に新しい風を吹き込んでいます。

また、コンピュータを使った、デザイン書道と呼ばれるジャンルも確立しており、これは書道作品をコンピュータグラフィックス(CG)を用いて加工しデザイン素材とするものです。

手書き文字を基にした広告やパッケージ、雑貨、ロゴマークなどの商業デザイン的なものや、自分が書いた書作品を飾ったり年賀状のデザインとする個人の趣味的なものなどがあります。伝統書道にみられる高度な技法の習得は必要なく、自分の感性のままに創作できるのが特徴です。趣味として気軽に楽しめるものでもあり、若い世代を中心に広まっています。

一方、アルファベットにも書道があります。カリグラフィーもその一つで、文字を美しく見せるという点では書道と共通する部分があります。ただ、ペンまたはそれに類する道具を用いているため、毛筆を使用する書道とは自ずと表現された結果が異なります。

元々は、記録媒体として羊皮紙が使われていた時代、これが高価であるため、より多くの文字を一枚の紙に詰め込んだものでした。しかしそれだけでは高価な紙の価値が生かせないと考えられ、より美しい表現が試みられるようになった結果、生み出されたものです。

カリグラフィーでデザインされるものはアルファベットだけではありません。イスラム圏ではコーランの一部をカリグラフィーで書いたタペストリーが見られるほか、アラビア語で書かれたアラビア書道、ペルシア語で書かれるペルシア書道などがあります。インドにおいても様々な文字による習字が盛んです。

日本の書道は少し敷居が高い、と考えている方は、こうしたより文字数の少ない他言語での書道も検討されてはいかがでしょうか。かくいう私も老後の手習いとして研究中です。

一方、本格的に日本の書道をやってみたいという人は、文部科学省後援の毛筆書写検定にチャレンジするという手もあります。これは段位の認定はないものの、最下位の5級から最上位の1級まであり、1級を取得すると、指導者として公的に認められる資格です。

最近では生涯学習としての書道が脚光を浴びています。幼い頃から学校で習ってきた毛筆・硬筆による書写が懐かしいと思う人も多いのではないでしょうか。

文字を書くという行為は生活とも密接につながっており、定年後に限らず人生のいつからでも気軽に始めやすいものです。ボケ防止にも最適です。あなたもいかがですか?