瞬間移動?


皆さんは、自分の身近にある物が突然消え失せたり、また、ある日ある時、何でこんなものがここにあるの?とそこにあるべきでもない物体が現れたり、という経験をしたことはないでしょうか。

そうそうめったにあることでなく、たいていは何かの思い違いに違いない、と思い返して済ましてしまうのですが、その後時間が経つにつれてふとした拍子に、いったいあれは何だったのだろう、と思い返して、果たして自分は頭がおかしいのだろうか、と真剣に悩んだりすることさえあります。

私の場合もそれほど多いわけではありませんが、過去数度ほどどう考えても理解できない、「事件」があったことを記憶しています。

そのひとつは、ここ伊豆に越してくる前に住んでいた東京のマンションでのこと。真冬のことだったので、息子が学校に出かけたあと、彼の部屋の窓についた露をふき取ろうと、「露取りワイパー」なるものを使っていました。

T字型をしており、先端にはゴムがついていて、このゴムでこそぎ落した窓ガラスの露がプラスチック製の中空の柄の中に落ちて溜まる、というもので、たいていの家にはあるものではないでしょうか。

これを使って公園に面した彼の窓の上から順番に露をふき取っていたのですが、作業をほぼ終えて一番下まできたところ、??? 突然ワイパーの先端のゴムの部分が消えて無くなったのです。

エッ???と思い、すぐ側にあったカーテンの中にでも入ったのかと思い、カーテンをゆすってみましたがそこにはなく、窓のサッシの隙間にでも入ったのかとそこを探してみてもありません。

このとき窓は開いておらず、まさか外に吸い出されるわけはないよな、と思いつつ、消えて無くなるわけがない、と部屋中を探してみたのですが、結局このゴムは見つけることができませんでした。

その後、もしかしたらまたゴムの部分が出てくるかとプラスチックの柄の部分はそれからも長いこと持っていたのですが、やはり出てくることはなく、引越しでこのマンションから荷物を持ち出すときにも気になって探してみたのですが、とうとう発見できませんでした。

飲み物とかの液体や気体がなくなるなら自分が摂取したということも考えられなくはありませんが、こともあろうに露取りワイパーの先端のゴムなどという、ごくありふれた日常品が、しかも目の前で消滅する、などということがあるわけはなく、常識では考えられません。

ちなみに私はお酒をたしなむほうですが、これは朝起き抜けの出来事であり、酔っぱらって記憶がないとか、寝不足で頭が朦朧としていたとかいうこともありません。悩むというほどではありませんでしたが、もしかしたら頭がおかしくなったのか、とその後もしばらく気になっていました。

実は、これとは真逆に、ある日突然不可思議な物体が現れる、という経験をしたこともあります。これはこのマンションに住む前に住んでいた東京の多摩に購入していた一軒家でのことです。この家には二階に洗濯物を干すベランダがしつらえてあり、このころは先妻を亡くして息子と二人暮らしだったので、いつも洗濯物は私が干していました。

いつものように二階に上がり、窓を開けてベランダに出たところ、そこに何かが「置いてある」のに気がつきました。

近づいてみると、14~15センチほどもある丸い石で、もし空から落下してきたのなら、普通はそこにあるべき傷跡のようなものがあるはずですが、木製の床にはそんなキズどこにもありません。また息子君が何かの遊びのつもりで持ち帰ってきたのかと思い、ちょうど学校へ行く直前だった彼に問いただすと、きょとんとした顔で知らない、といいます。

無論、私も自分でこんな石を二階にまで持って上がった覚えはありません。この家は、公園に面しており、ここではボール遊びをする子供たちが時にはいるため、ここから石が投げ込まれたのかと考えました。

しかし、この公園の広場からここまでは30m以上も離れており、この大きさの石を投げて、我が家のベランダまでうまく「着地」させることができるような技術と体力を持った少年がいるとは思えません。しかも床にはキズ一つないので、少なくとも下から投げあげてここに「軟着陸」させたとも考えられません。

誰かが裏木戸をあけて我が家の敷地内に侵入しようとすればできなくはありませんが、ご近所さんとの人間関係もよく、そんなことを誰もやる必要はありませんし、仮に誰かが意図的にそんなことをしたとしても、このベランダに外から直接アクセスできる階段はなく、だとすれば何のために二階のベランダまでよじ登り、石を置くというのでしょうか。

この場所は風の強い場所であり、時には小枝くらいの大きさのものが飛んでくることもあったのですが、まさかいくらなんでもこの大きさの石が飛んでくるということは考えにくく、ましてや隕石のようなものではなく、普通に河原に落ちているような丸い石です。

結局原因もわからずこの件は、その後忘却の彼方にありましたが、今この項を書き始めながら、ふと思い出した出来事です。

ほかにも若いころに何かが紛失したり、ある時部屋の真ん中にわけの分からない物体が出現したり、といったことがあったように思いますが、そういうことを真剣に考え始めると頭がおかしくなりそうなので、意識的に忘れようとしたのか物が何であったのか良く思いだせません。



が、私に関していえば、若いころからたびたび経験する現象です。

このように、物体が瞬間移動する、あるいは遠くにある物体がある日突然現れるという現象はスピリチュアル的には「アポーツ」と呼ばれているようです。

「遠隔瞬間移動現象」ともいい、物体や人間が時間と空間を超越し、物質の壁を通り抜けて瞬間的に移動する現象です。

通常では考えられないことであり、心霊現象のひとつだという人もいますが、なんで霊が物体を動かすのよ、ということで私的にも懐疑的ではあります。

SFの世界では、人間が瞬間的に移動する「テレポーテイション現象」というのがよくとりあげられますが、こちらはあくまでも想像の世界の話であって、現実的にそんなものがあるわけはない、とも思うのですが、驚くなかれこれには実例があるようです。これについては後述します。

こうした「アポーツ」の特色は、あまりにも地上人の常識・科学の常識を超えているため、直接自分の目で見て確認できないかぎり、とうてい信じることはできません。

が、私の場合、上の前者のケースはまがうことなく目の前で物体が消えたので、もしかしたら……と思っています。

マジックでは、何もないところからマジシャンが花や動物・鳥などを取り出します。が、無論のことマジックにはトリックがあるわけですが、遠隔瞬間移動現象は、ある日あるとき、何の意図も感ぜられずに発生することが多いようです。

色々調べてみると、アポーツ現象というのは昔からあるようで、実際に現れた物品が、証拠として写真に収められてもおり、それらの物体はさまざまで、水晶球・骨董品・カップ・アクセサリー・お菓子・矢じり・液体・植物・花・生きている魚や鳥・果物・土など、ありとあらゆるものに及びます。

日常的にあるものばかりであり、それを証拠写真であるといわれても俄かに信じれるはずもありませんが、撮影した御当人たちは、いや、これはアポーツによって現れたものである、と主張してやみません。私と同様、目の前で起きた出来事だからでしょう。

ところが、このアポーツを手品のようなトリックでなく、しかも時折といった偶発性のあるものとしてではなく、頼まれればいつでも実際に体現して見せてくれる人物が日本に実在しました。

長南年恵(おさなみとしえ)という人で、幕末の文久3年(1863年)に現在の山形県鶴岡市に生まれ、亡くなったのは明治40年(1907年)であり、その人生の大半を明治維新以降の時代に過ごした人です。

明治時代屈指の霊能者、超能力者ともいわれる人で、20歳のころからほとんど食事をとらず、口にするものは生水程度であったといい、空気中から神水などの様々な物を取り出すなど、多くの不思議な現象を起こしたことで知られていいます。

江戸時代には羽前国と呼ばれていた山形の庄内藩士の長女として生まれ、20歳のころまでの詳しいおいたちは不明ですが、明治7年に鶴岡で小学校が開校されたころには家が貧しかったためかこれに入学出来ず、子守奉公に出るようになったようです。

このころから、次第に予言めいた言葉を口走る様になったといい、次第にその噂を聞きつけた近所の住民の相談にも乗るようになっていきました。これが評判を呼び、やがて奉公先から巫女として開業することを薦められるようなります。

この長南年恵には弟がおり、長南雄吉といいましたが、その後大阪浦江にあった大日本蓄電池株式会社の専務取締役にまで上り詰め、彼が見た姉の年恵の20歳以後の超常現象などの記録を書き綴って残しています。これをさらに後年、心霊研究家の浅野和三郎という人物がまとめて発表しています

ちなみに、この浅野和三郎のことは、以前書いた芥川龍之介の項などでも少し書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください(河童の死)。

東京帝国大学で英文学を専攻し、小泉八雲の教えを受けたあと、海軍に請われて、横須賀にある海軍機関学校の英語教官に赴任しましたが、三男が原因不明の熱病にかかり、医者から見放されたとき、ある霊能者の女性助けられ、これをきっかけに心霊研究に傾倒するようになりました。

そして、海軍機関学校を退官してまで実践的な心霊研究を進め、1923年(大正12年)3月に「心霊科学研究会」を創設した人ですが、この浅野和三郎の後任として海軍機関学校の英語教官に就任したのが、芥川龍之介です。

さらにちなみに、ですが、日露戦争における日本海海戦における連合艦隊の参謀を務めて有名になった秋山真之もまた、この浅野和三郎に触発されてその晩年に心霊研究を行うに至っており、何かと明治時代の海軍というところはこうした霊的なことに興味を持つ軍人さんを輩出しています。

日露戦争などの大きな戦争もあり、戦没者も多かったことから、あるいはそういう霊的なことを尊ぶような雰囲気があるところだったのかもしれません。

さて、この長南年恵の弟の長南雄吉が書き残した姉のエピソードというのは次のような不思議なものです。

まず年恵は、成人してからも肉体的、精神的に少女のようであったといい、また身辺には頻繁に神仏が現れ、彼等と会話をしたり、一緒に舞を舞っていたといいます。

元々小食だったそうですが、25歳頃から、少量の生水と生のさつま芋を摂るだけの食生活を始めるようになり、ある時、家族の一人がこっそりと白湯(さゆ)を飲ませると、吐き出してしまったといいます。

30歳頃からは排泄作用がなくなり、また汗や垢といったものも殆ど出なかったそうで、風呂に入らなくても髪や体はいつも清潔であったといいます。それと同時にさまざまな「霊能力」が発現するようになりました。

空気中から「神水」を取り出すことができるようになり、密封した空の一升瓶の中に人々の目の前で満たし、この神水を万病に効くといっては人に分け与えていたといいます。

しかし、病人でもなんでもなく冷やかし等の目的の人や不治の病人の前では、神水は授からなかったといい、それを知らずに彼女が瓶を満たそうとしてもいつまでたっても空瓶のままだったそうです。

この「神水」もいつも同じ色ではなく、赤、青、黄など様々な色があったそうですが、後年詐欺師としてとらえられ、その後無罪となった裁判所での公判では、茶褐色の水を取り出してみせたといいます。

さすがに信じがたいことではあるのですが、1900年(明治33年)7月9日に全国紙新聞記者がこの彼女の神業に懐疑の目を向け、目の前で霊水引寄せをしろと要求した際にも、その眼前で水を取り出して見せ、これを見たこの記者も瓶の中にひとりでに水が入ったのをみて、これを現実として認めざるを得ないという結論に至ったといいます。

32歳のとき、神水を用いて、医師の資格なしに病気治療と称する行為を行ったとして、詐欺容疑で逮捕され、山形県監獄鶴岡支署に60日間勾留されましたが、この勾留期間中にも様々な現象が起きたといいます。

この勾留期間中も一切の排泄物が無かったといい、入浴は許されていませんでしたが、常に髪は清潔であり、体臭も無く、逆に近づくと良い香りがしたといいます。

また、勾留期間一切食事を取らなかったそうで、完全に外部と遮断された監房内においても「神水」を取り出してみせ、またこのほかにも「お守り」「経文」「散薬」などを空気中から取り出しました。

長期の拘留生活で足腰が弱って当然なのに、一升瓶15本分もある水の入った大樽を軽々と運んだといい、さらには収監者の中で、ただ一人蚊に刺されなかったそうで、こうなるとほとんど人間とは思えません。

もしかしたら「神様」のような存在だったのかもしれず、それを裏付けるように複数の係官が彼女がいる獄の周辺で不思議な笛の音を聞いたともいわれています。

このときは年恵は、結局証拠不十分で釈放されていますが、その翌年には2度目となる逮捕となり、一週間拘置されたあとに釈放、さらに4年後に37歳になったときにも逮捕されるという辛酸をなめています。

この三度目の逮捕は、彼女の神業が新聞記事に掲載されて騒ぎが大きくなったためであり、このため10日間拘置されましたが、1900年(明治33年)にはこの拘置に対して周囲の人間が訴訟を起こし、このため神戸地方裁判所で裁判が行われました。

結局この裁判では、証拠不十分を理由として彼女は無罪判決となりましたが、この際、彼女の業に好奇心を持った弁護士たちが長南年恵に個人的な試験を申し込んだそうで、年恵もこれに応じたために霊水出現の試験が行われる運びとなりました。

弁護士の一人が封をした空きビンを渡し、空きビンに神水を満たせるかと質問したところ、長南年恵はできるといったといい、実験の前に長南年恵は全裸にされ、身体を厳重に調べられ、密閉空間の別室に閉じ込められたといいます。

この別室で精神を集中した長南年恵は、5分ほどの後に部屋から出され、弁護士や裁判官が見守る中、空きビンに濃い茶褐色をした神水を満たしたといいます。このときの裁判長はこれを「証拠品」としてその水が入った瓶を持ち帰ったと記録されています。

年恵は普通の女性と違って初潮もなく、少女のままで生涯を過ごしました。40歳を過ぎても20代の若さを保っていたといい、上にも書いたとおり、このころの彼女の身体からは常によい香りがただよっていたと言われています。

ちなみに何等かの「神性」に巡り合ったときには良い香りがするといわれており、私自身何もない山中や公園で、突然良い香りを感じたり、お線香の臭いを感じたことがあります。景色の良い場所が多かったような記憶があり、こうしたところには神様が降臨しやすいのかもしれません。

長南年恵はしかしその後、1907年(明治40年)に享年44歳で亡くなりました。没後もその神水によって救われた人々によって語り継がれ、2006年11月3日には年恵の生地である山形県鶴岡市の般若寺というお寺で、彼女の没後百年をしのび「長南年恵100年祭」が行われたそうです。このお寺には彼女の墓のあるようです。

インドでヨガを極めた人達の中には何十年もの間、飲食を断ったまま生活している人間が実際に存在するようですが、日本にもこうした人がいたというのは驚きです。

人間が長期にわたって飲食をせずに生き続けるというようなことは医学の常識では考えられませんが、しっかりとした記録も残っているようですから、そうした超人的な人間が我が国にも確かに存在したことはきっと事実なのでしょう。

こうしたことから彼女は、日本を代表する霊媒の一人と目されています。スピリチュアルを信じる人達は、彼女は日本における霊的真理普及の“露払い”の役目を担って霊界から遣わされた高級霊の再生者であったと言っているそうで、このため地上という物質世界にいながらにして霊界人のような歩みをすることになったとしています。

この年恵が多くの患者の病気治癒のために神水を取り出すという業は、まさに“アポーツ”であり、これを私が経験したような偶然とも思えるような物体移動ではなく、人の眼前で実現してみせたところがすごいと思います。

長南年恵以外にも何もないところで、手のひらからお経のようなものを取り出すことができる人というのをその昔テレビで見たことがありましたが、名前を忘れてしまいました。が、こうした人が行う行為はたいていがマジックだろうとか、ペテン師だとかいわれてしまいます。

年恵もこの当時も詐欺師であるとかいろいろ言われていたようですが、官憲の厳重な監視のもと、インチキが一切できない状況下での出来事であったようで、明治という近代になってからのことでもあり、私としてはやはり信じるべきかと思います。

実はこうした遠隔瞬間移動現象は、物体だけでなく、人にも起こったという記録があります。さすがに日本ではなく、イギリスのロンドンで起こった出来事であり、「テレポーテイション現象」の「実例」とされているようです。

物体が物質の壁を通り抜けて運ばれ突如目の前に出現するというアポーツ現象は、これだけでも驚きですが、運ばれてくるのが物体ではなく“生きた人間”ということになると、神秘性はさらに高まります。

この「実例」はこれを目撃した人の証言が信頼に足るとされるテレポーテイション現象のひとつで、「ガッピー夫人の例」として知られているようです。

1871年6月3日と日付まできちんと記録されています。この日、ロンドンのラムズ・コンディット街というと場所のウィリアムズ家という家で交霊実験会が開かれていました。

交霊会というのは、降霊会ともいい、霊媒者を介して、あるいはひとつのテーブルを取り囲むことで死者とのコミュニケーションをはかるセッション(会合)のことです。お化けが大好きなことで知られるイギリス人の間ではその昔から行われ、現在でもさかんに各地で交霊会が行われるといいます。

このとき、ここにはこの家の当主のウィリアムズ以外に、この当時ロンドンで最も有名といわれた有名な霊媒師のヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー(旧姓ハーン)、そして8人の参加者がいました。

この時、ガッピー夫人はウィリアムズ家から5キロほど離れた自宅におり、この交霊会には参加していませんでしたが、スピリチュアルというテーマを通じてウィリアムズやこの日のメンバーとは普段から面識があったようです。

この時行われたウィリアムズ家の交霊会でもさまざまな心霊現象が引き起こされたそうですが、これらが一段落したあと、そのうち一人の参加者が「支配霊であるケーティ・キング霊に何か持ってこさせよう」と提案しました。

ケーティ・キング霊というのは、あちらの高いレベルの世界にいるとされる高級霊で、こうした交霊会ではその優れた霊の力を借りて、死去した有名人の霊を呼び出したり、この世では解決できないような難しい問題の回答を得たりすることができるといわれています。

これを受け、この当時の心霊雑誌“スピリチュアリスト”の編集長であったハリソンという人物が、冗談半分に「ガッピー夫人を連れてきたらどうか?」と言い出しました。

ガッピー夫人は非常に体格のいい女性でしたので、一同からは「それは無理な話だ。彼女はロンドンで一番太った女性だから」というジョークが出てみんな大笑いしました。

ところが、このときヘレナ・ブラヴァツキーに乗り移っていたケーティ・キング霊からは即座に、「やってみましょう」との返事がありました。

やがて、ヘレナは目をつむって瞑想をするような状態となり、一同が固唾を飲んで彼女を見つめる中、三分ほど経ったあと、突然、彼らが囲んでいたテーブルの上にドスンと重いものが落ちてきました。

これをみた参加者たちから悲鳴があがりましたが、この落ちてきた物体こそが、何とガッピー夫人だったのです。

夫人はトランス状態に入っているようで、ほとんど身動きしていませんでしたが、かすかに震えていました。

ゆったりとした部屋着姿で、襟元がひどくはだけていたそうで、右腕で両目を覆うような格好をしていましたが、その手には先ほどまで使用していたかのようにペンが握られていました。

左腕は脇の方へだらりと下がり、しかも手には家計簿を持っていました。夫人本人だけでなくペンや家計簿までテレポートされたということになりますが、このペンに付いていたインクと家計簿の最後の文字はまだ濡れていたそうで、これを見た一同は顔を見合わせて青ざめたといいます。

彼等は婦人がテレポートのショックで具合が悪くなったのではないかと心配しましたが、彼女はやがて目をあけました。しかし、いったい自分の身に何が起こったのか、どうしてそこにいるのか、全く分からないといった様子で、彼女はここに現れる直前までは、友人のネイランドという娘さんと一緒に自宅にいたはずだと言いました。

のちに、このネイランドは、この日の午後8~9時の間、ガッピー夫人と2人で部屋の暖炉のそばでテーブルを挟んで座っており、このとき彼女は本を読み、ガッピー夫人は家計簿をつけていたと証言しています。

彼女が本を目にしながら、夫人に話しかけたとき返事がなかったので目を上げると、そのときはもう夫人の姿が見えなくなっていたそうで、ついさっきまでそこにいると思っていた婦人がそこにいないのに驚いた彼女は、自分が本に夢中になっている間に彼女が部屋から出て行ったのかと思ったそうです。

ところが、このとき、部屋の扉は閉まっていたそうで、この扉を開け閉めするような音がしたでもなく、しかも夫人のスリッパは腰掛けていたイスのそばにありました。

ふと上を見上げると、その天井の辺りには何やら「白い靄(もや)」のようなものが漂っていたといい、これを見て不安になった彼女は慌てて他の部屋を探してみましたが、夫人の姿はどこにも見あたりませんでした。

この話を後日聞いた彼等は、この白い靄のようなものは、夫人のエクトプラズムではなかったかと思ったそうです。

エクトプラズムとは、霊の姿を物質化、視覚化させたりする際に関与するとされる半物質、または、ある種のエネルギー状態のもので、スピリチュアリズムの世界では「エネルギー」、もしくは、「活力」に近く、自然科学の単位で定量出来ないものとされています。

通常の人は誰でもエクトプラズムを持っているとされ、これが体外に出る場合、通常は煙のように希薄で、霊能力がないと見えない場合が多いとされていますが、逆に高密度で視覚化する際には、白い、または半透明のスライム状の半物質になるそうです。

だとすると、ネイランドが見たこの白い靄のようなものは、ガッピー夫人テレポートするために現れたのではないかということになります。あるいは、姿形を靄に変えたガッピー夫人そのものだったかもしれません。

当のガッピー夫人は、交霊会が終わってからも狐につままれたような風だったといいますが、4人の参加者にともなわれてやがて車で帰宅しました。

テレポーテイションの事例は、ほかにもあり、「空中浮揚」などの業で名高いブラジルの霊媒師のカルミネ・ミラベッリという人物は、1930年のある日、サンパウロのグルス駅から、90キロも離れたサンヴィンセンティという場所にテレポートしたことが記録に残されているそうです。

同行していた仲間の話ではその面前で突如彼の姿が消え、その15分後に電話がかかってきたといい、これは彼がサンパウロのグルス駅から遠く離れたサンヴィンセンティからかけてきた電話だったそうです。

のちにサンヴィンセンティの地で彼を目撃した人の話からは、彼がこの地に現れたのはグルス駅で消えてから2分後のことが確認されているということです。

1930年といえば昭和5年ですから飛行機はもう既にありましたが、軍事用のものが開発され始めたころのことであり、民間人が簡単に手にできるものではありません。しかもサンパウロの街角に飛行機が離発着できるわけはありません。

こうしたアポーツやテレポーテイションという「遠隔瞬間移動現象」は、地上人の常識では考えられない奇跡的な現象です。

無論、科学的には説明できませんがその発生メカニズムとしてはいくつかの仮説が示されています。

その一つは「四次元空間」が存在するという説で、私たち三次元空間に住む人間には認識できない高次の空間形態があり、物体がいったんこの異次元空間に持ち込まれて移動し、再び三次元空間に引き出されるという形でアポーツ現象が発生するというものです。

異次元空間では三次元空間のような時空の概念を超越しているため、どんなに遠方であっても瞬時に移動できる、というわけで、これと同じような現象がUFOだという人もいます。

時空を超越した異次元空間では、何十万光年の距離も一瞬にして移動が可能なため、他の天体にいる宇宙人は地球に飛来できるのだというわけですが、じゃあ物体が移動するアポーツ現象もまた宇宙人の仕業か、といわれると説得力がありません。

もう一つの仮説は、上の交霊会でのガッピー夫人のテレポーテイションの例のように、こうした現象は、霊界の霊によって引き起こされるというものです。

どういう理由のもとにそうしたことを霊がやるのかというところはよくわかりませんが、こうした説をとる人によれば、物体はいったん何等かの「非物質状態」に分解され、その状態で移動し、目的の場所で再結合される、といいます。

非物質に分解された状態なら、他の物体を通り抜けることがでるといい、霊もまた「霊体」という非物質の身体を持っているため物体を通り抜けられるのと同じだといいます。

そうした能力を持っている霊だからこそ、自らだけでなく、現実にこの世にある物体の分解(非物質化)と再結合を行うことができ、「アポーツ」が成立するといいます。

この非物質化が人間である場合、このプロセスにおいては先述の「エクトプラズム」が重要な役割を担うといいます。

そして霊界にはこうした人のエクトプラズムを作ることに長けた「職人霊」がおり、実世界に霊が見えやすいように、エクトプラズムを発生させ、霊媒などを介してこれを我々に見せることができるのだということです。

一方、非物質化現象のことを彼等は「幽質化」とも呼んでいるようです。かなり高次元の振動を与えることで幽質化した物体をこうして発生させたエクトプラズムが包み込んで目的の場所まで運び、その先で物体の振動を下げることによって元の物体に戻すといいます。

こうしたプロセスを地上サイドから見ると、「物体がいったん消えて別の場所に出現する」ということになります。が、それを行うのにエクトプラズムが使われているのだとすれば、エクトプラズムを扱っている実体は霊ですから、何等かの霊がそれを行ったということになります。

ということは、私が経験したアポーツらしい現象もまた、何等かの霊がやった仕業か?とうことになるのですが、だとしたらどうして何のため?ということになります。

もしかしたら息子の部屋の窓の露をぬぐったり、洗濯物を干すような「主婦」の仕事をお前がやるな、とあちらの方が言っていたのかな、と今にしてみれば別の観点から考えてみたりもしています。

良く覚えていないのですが、私がこれを経験したときには仕事の面とから何かうまくいっていないようなことがあったのかもしれず、守護霊さんが、それを補うためのヒントをくれたのかもしれず、あるいはその日交通事故に遭うとか、何か危険なことを経験していたのかもしれません。

何等かの危険が身に迫っているとき、守護霊などがそれを気づかせようと、いろいろとメッセージを送ってくる、という話も聞いたことがあります。

このときもそうだったのか、今となってはよくわかりませんが、これからもしまたアポーツが起こったら、気を付けてみておこうと思います。

皆さんはいかがでしょうか。ある日突然モノが無くなったり、こんなところにこんなものがあるはずがない、というような経験したことは誰しもあるように思います。が、たいていはそんなことはあるはずはない、と考え、やがては私と同じように古い話は忘れていきます。

こうした現象が起こるメカニズムについては、本当に霊の仕業なのかもしれませんが、あるいは現時点の地上人には理解できないような何かほかの原因があるのかもしれず、遠い将来には詳細な説明がなされるような時代も来るかも知れません。

が、もっともそうした原因を人類が突き止めるころには、私自身が霊界にいるかもしれません……

私自身が自由にエクトプラズムを操れる存在になっていたら、そのときはこのブログを読んでいる方々にアポーツ現象を見せて進ぜましょう。