古代コンクリートをつくろう

先日のこと、以前人気のあった男性お笑いタレントさんが、高速道路での事故により亡くなったとの訃報が入ってきました。

スカート丈の長いセーラー服、竹刀、ロングのパーマかつらといったいでたちで現れ、そのネタの内容は、初めに数名の観客を指名し、ご本人のボケに対して指定された言葉を観客にツッコませるというもので、このお笑いは一時大人気でした。

ところが2年ほど前、一部の新聞等で、この芸人さんが傷害事件を起こしたとの報道があったそうで、それをきっかけにこのタレントさんはテレビからは姿を消していました。

ご本人はブログにて「事実無根の内容が一部報道されている」と述べ、弁護士を通じて警視庁の捜査関係者あてに名誉毀損を訴える法的措置を取る意向を明らかにしていたそうですが、テレビへの復帰もままならないままに不帰の人となってしまいました。

事実関係のほどがどうだったのかはいまとなってはよくわかりませんが、実際には書類送検まで進むこともなく終わり、仮にそうしたことがあったとしても、ご本人もこの世界から締め出されるなど十分に制裁を受けていることから、もう時効にしてあげても良いのではないかという気はします。

聞くところによると、日本大学の芸術学部映画学科演技コースを卒業されており、役者を目指していた一時期もあり、声優などの仕事もこなすなど幅広い分野で活躍されていたようです。

才能ある人だったように思うだけに、大変残念なことですが、いまはただご冥福をお祈りしたいと思います。




ところで、この芸人さんが亡くなったのは、山口県の美祢市を通る中国自動車道上でのことだったそうです。

この美祢市は、山口県中央部にある市であり、市といいながらもその中心部は山合いに囲まれた小さな町といった風情の場所です。私も何度もここを通ったことがありますが、なんというか、のんびりしたというか、ひなびたというか、住んでいらっしゃる方には大変失礼ですが、まぁ田舎です。

市名の「美祢」の由来も山(峰)に囲まれていることから、峰が美祢に転訛した、というのが定説のようで、日本海側の長門市・萩市との間に中国山地が横たわっている関係から、冬季は凍結や積雪も比較的多い場所です。

2008年(平成20年)に、それまでは、旧美祢市の東側にあった美祢郡美東町と秋芳町と呼ばれていた町々を吸収合併し、新市制によって美祢市となりました。

この秋芳・美東地域は、秋吉台国定公園を中心とした観光業が主たる産業であり、秋吉台・秋芳洞をはじめとする観光資源が多数存在することで知られており、行ったことがある方も多いのではないでしょうか。

秋吉台は日本最大のカルスト台地であり、地表には無数の石灰岩柱とともに石灰岩が水で侵食されてできた多数のドリーネと呼ばれる穴が点在しており、こうした地形は、地質学的には、「カッレンフェルト」と呼ばれています。

その地下には秋芳洞、大正洞、景清穴、中尾洞など、400を超える鍾乳洞があり、その数と規模は日本最大ともいわれており、近年も次々と新しい洞窟が発見されているそうです。これらの鍾乳洞の多くは、観光路が整備されて公開されており、その主だったものを見るだけでも丸一日はかかるでしょう。

一方、旧美祢郡美東町のほうには、長登(ながのぼり)地区と呼ばれる場所に、7〜10世紀の頃が最盛期だったわが国最古の銅山があり、これは「長登銅山」と呼ばれていました。

ここで採掘された銅は、京都へ運ばれ、奈良の大仏鋳造に献納されたことが確認されており、「長登」という地名も「奈良登り」の訛と伝えられています。美東町ではこの大仏さんを町のマークとして登録するなどして、「大仏の町」としての地域おこしを図っており、「道の駅みとう」を中心に内外へその観光要素のアピールを行っています。

この地域ではやはり農業が主要産業です。ゴボウ・ホウレンソウが特産であり、このほか特に秋芳町では、「秋芳梨」と呼ばれる梨が特産で、これは他地域産のものよりもみずみずしくてなかなか美味です。つい先日も山口の母がこれを送ってくれたものを、夫婦二人でほおばり、秋を感じたばかりです。

一方、市の西部にある旧美祢市は、どちらかといえば工業の町として栄えてきました。明治維新後に「無煙炭」の採掘がおこなわれるようになり、これによって「大嶺炭鉱」が設立されたほか、セメントの材料となる石灰石もの産出も行われるようになり、特に大嶺炭鉱の無煙炭は、戦前の軍艦などの燃料として重宝されました。

石灰石に関しては、現在もなお全国有数の国内シェアを誇っており、大嶺炭鉱が閉山したことで一時期かなり町の人口が減りましたが、現在でも宇部興産や太平洋セメントといった大企業による石灰石の産出は続いており、市としても工業団地の誘致などの政策をとりつつ工業都市としての面目を保ち続けようとしています。

さまざまな化石が産出されることでも知られており、これは、美祢市や美東町、秋芳町といったこの地域全体がその昔は海の底にあり、これらの化石を含んだ岩石は太古の珊瑚の海であった名残であることのあかしです。

珊瑚は死化すると石灰岩になることで知られています。このため、この地域の土地の大部分は石灰質であり、あちこちの主要道路沿いに石灰層を見ることができ、また場所によっては石炭層を見ることもできます。

美祢市で石灰石の産出が始まったのは、明治のはじめのことであり、1881年(明治14年)に、笠井順八により小野田セメントセメント製造会社が設立され、これは会社設立の年月では最も古い企業とされています。

小野田セメントは、1994年に秩父セメントと合併して秩父小野田となり、さらに1998年には浅野セメントから改名した日本セメントとも合併し、「太平洋セメント」になりました。

2012年(平成24年)現在、太平洋セメントは、子会社254社、関連会社110社で構成される「太平洋セメントグループ」として今もセメント業界におけるトップとして君臨し続けています。

一方、1897年(明治30年)には、山口県南部の宇部市に石炭や石灰石の採掘を目的として「沖ノ山炭鉱組合」という組織が設立され、これが後の「宇部興産」になりました。

宇部興産もまた小野田セメントと同じく、美祢市内の伊佐地区で石灰石を採掘していましたが、創業当時は宇部地区にあった沖ノ山炭鉱のほうがどちらかといえばメインでした。現在では化学製品の生産を中心とした事業展開を行っていますが、現在も化学製品だけでなく、石灰石、セメント類、石炭を供給しています。

社名にある「興産」には、「地域社会に有用な産業を次々に興す」という意味が込められており、この社名から読み取れるとおり、同社は創業時より各々の事業だけでなく、教育機関や港湾、ダム、上水道の整備等を通して、山口という地域の社会資本整備に大きな役割を果たしてきました。

旧三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)をメインバンクとする企業から構成されるみどり会の主要構成企業であり、かつては日立造船、帝人とともに三和御三家と呼ばれていたほどの企業で、その関係上、宇部市には山口県内唯一の旧UFJ銀行(現在は三菱東京UFJ銀行)の支店が存在しています。




この宇部興産がすごいのは、山口県での生産拠点が宇部地区と美祢市の伊佐地区に分散していたことから、両工場を結ぶ全長28kmにも及ぶ企業専用道路を作ってしまったことで、これは「宇部興産専用道路」と呼ばれ、日本一長い「私道」として知られています。

宇部市内ではこの道路が宇部港に架かる1kmの橋梁に接続しており、この「興産大橋」もまた、「私橋」として有名です。

「宇部興産専用道路」では、美祢市伊佐と宇部市大字小串の宇部セメント工場を結び、伊佐石灰石鉱山で採掘した石灰石と、伊佐セメント工場でつくったセメントの半製品などを専用トレーラーで宇部港まで運搬しています。

この道路は、私道であるため、工場構内などと同じ扱いであり、道路運送法・道路交通法・道路運送車両法の適用を受けないことから、使用されるトレーラーは専用道路向けの専用仕様であり、二連・三連のこの超弩級のトラックの姿を近くでみると驚かされます。

無論、ナンバープレートはとりつけられておらず、この道路でしか走れないものです。法規に基づかないため、舗装も分厚く、道路幅員も普通よりも広くとってあり、一部の区間(宇部市内)で一般道と平面交差しているため、一般道の交通遮断と誤進入防止のために鉄道の踏切警報機まで設けられています。

この踏切は、人気番組の「ナニコレ珍百景」(テレビ朝日系)などのテレビ番組で紹介されたことがあるそうです。また、道路自体も1994年(平成6年)に開催された広島アジア競技大会で自転車のロードレース競技用として用いられたことから、記憶しておられる方もいるのではないでしょうか。

一方の興産大橋のほうは、宇部港内(厚東川河口)をまたぐ橋として1982年(昭和57年)に開通したものです。宇部港内への船舶の航路を確保するために36mもの高さがあり、これは、東京ゲートブリッジの55mよりは低いものの、一企業が作った橋梁としてはかなり大きいものです。

航路の確保もさることながら、宇部港沖の海苔漁場に影響を与えずに建設する必要があったため、その基礎は鋼管杭を海底に打ち込んで建設されており、この杭の重量だけでも6,400tもあったそうです。

しかも、上部の橋の部分も10,000tもある巨大なもので、4つの部分に分けて工場で製作され、現地で一つに組み立てられ、本州四国連絡橋の架橋用に建造された世界最大級(3,000トン)のフローティングクレーン船「武蔵」で吊り上げて宇部港まで運搬、一括架橋するという工法が採用されました。

これら一連の工事は、21ヶ月間で無事故のうちに完工し、開通した1982年(昭和57年)には、日本鋼構造協会の業績賞を受賞し、さらに翌1983年(昭和58年)には民間企業発注の橋としては初めて土木学会田中賞を受賞しています。

現在も宇部興産の専用の橋として使われていますが、以前私が地元の建設コンサルタントさんに聞いた話では将来的には民間にも公開共用される予定なのだそうで、今は専用道路と同じく一般車両は通過できませんが、いずれ帰郷した際にここを通る機会ができるかもしれません。

ところで、こうした太平洋セメントや宇部興産といった山口県を代表する企業が美祢市で採掘している「石灰岩」は、セメントだけではなく、ほかにもいろんな用途に用いられていることをご存知でしょうか。

その一つは製鉄であり、銑鉄を作る高炉の中に入れる鉄鉱石・コークスと一緒に石灰岩が入れられています。これは鉄鉱石中に含まれる雑多な岩石類などの不純物を、石灰岩が熱分解して生じる塩基性の生石灰(酸化カルシウム)と反応させ、溶融状態で高炉の外に取り出しやすくするためです。

また、石灰岩を高温で焼くと、生石灰が得られ、この生石灰に水を加えると消石灰が得られます。消石灰は、グラウンドなどに白線を引くラインパウダーによく用いられるほか、火力発電所の排ガス中の硫黄酸化物の除去、酸性化した河川や土壌の中和剤、凝集剤としても用いられます。また、生石灰は漆喰の原料としてもよく使われています。

このほか、石灰岩の粉末は土壌改良剤としても使われます。生石灰(炭酸カルシウム)は弱アルカリ性であり、酸成分を中和する作用があります。このため化学肥料や有機物の分解で酸性に片寄った土壌を中和させるために石灰岩の粉末が使われるのです。

さらに石灰は、ガラスの原料や陶磁器を造る際の白色の顔料の素材としても使われており、今や我々の生活にとっては必要不可欠の材料と言っても良いほど、いろいろな分野で使われている材料です。

しかし、我々の生活にとっておそらく一番寄与しているのはやはり、セメントとしての利用でしょう。

セメント(Cement) とは、一般的には、水や液剤などにより水和や重合し硬化する粉体を指し、一般的にはモルタルやコンクリートとして使用される、「ポルトランドセメント」や「混合セメント」といった水を加えることで硬くなる「水硬性セメント」が有名であり、これらを通常は「セメント」と我々は呼んでいます。

セメントの利用は古く、古代ローマの建築物の中にモルタルとして使用されたセメントを使用したものが数多く残っています。が、この当時のものは水と混ぜる度合いが少なく、現在のもののようにドロドロとはしていませんでした。

現在のように、水酸化カルシウムとポゾラン(火山土や軽石)を混合し、これと水を混ぜた「水硬性セメント」が発見されたのがいつごろなのかは不明です。が、古代ギリシアや古代ローマの時代にはすでに、凝灰岩の分解物を添加した初期の水硬性セメントが水中工事や道路工事などに用いられていたようです。

現代我々が普段使っているポルトランドセメントは、これらの古代セメントを更に使いやすく、かつ高い強度が出るように長い時間をかけて改良したものです。

その歴史を書いているとそれだけで終わってしまいそうなのでやめておきます。が、簡単にその性質だけ述べておくと、この現代のセメントは、固まった直後にはそれまでの化学反応によってアルカリ性が強い性質を持っていますが、やがて時間が経つとともに空気中の二酸化炭素によって炭酸化し、これによって表面から中性化していきます。

このため、時間が経過すればするほどしだいに強度を失っていき、施工方法や添加剤の有無などにもよりますが、一般的なコンクリート建造物の寿命は、およそ50年程度と言われています。

従って1969年に行われた東京オリンピックに合わせて造られた首都高速道路などはそのほとんどがコンクリート製ですが、そろそろその耐用年限に近づいており、今から7年後のオリンピックでは50年以上となり、非常に危険です。

そのことは国土交通省や東京都も重々ご承知でしょうが、今からもう造りかえるか何等かの修復措置をとらないと、次回のオリンピックのときに次々と事故が起こり、大会を中止せざるを得なくなる、なんてこともあり得ない話ではありません。

昨年の12月に起きた、中央自動車道の笹子トンネルの天上板落下事故と同じような事故が起こってしまっては遅すぎます。今からなんとしても根本的な対策をたててほしいものです。

ところで、古代にローマなどで造られたコンクリート建造物は、未だに劣化せずに残っています。これは何故なのでしょうか。

こうした古代のコンクリートで造られた構造物としては、その代表的なものとして、ローマのカラカラ浴場などがあり、このほかにもローマ水道やローマ橋の多くは、コンクリートの構造を石で覆っており、同様の技法はコンクリート製ドームのあるパンテオンでも使われています。

このパンテオンは「ローマン・コンクリート」というコンクリートを用いており、これを使った建築物としてはおそらく最も有名なものであり、内径43m、天窓の直径9mという巨大建築物です。BC25年に創建されたといいますから、その歴史は優に2000年を超えています。

ローマン・コンクリート (Opus caementicium) とは、生石灰のほかに、軽石などの骨材を加えて水で練ったものであり、このほか「ポッツオーリの土」と呼ばれるポゾランという火山灰が加えられたことなどがわかっています。

ローマ建築に広く使われたこの古代のコンクリートは、建築史上の画期的革命をなしたともいわれており、無論、古代ローマ人にとっては革命的な材料であり、この発明によってはじめて石やレンガに制限されない自由で斬新な設計の建築が可能となりました。

アーチやヴォールト(かまぼこ状の天井様式)やドームの形状にすると素早く固まって剛体になり、石やレンガで同様な構造を作ったときに問題となる内部の圧縮や引っ張りを気にする必要がありません。

最近の評価によると、ローマン・コンクリートは現代のポルトランドセメントを使ったコンクリートと比較しても、圧縮に対する強さは引けを取らない(約200 kg/cm2)といわれています。

ただ、鉄筋が入っていないため、引っ張りに対する強さははるかに低く、また、現在のコンクリートは固まる前に流動的で均質であるため型に流し込むことができますが、ローマン・コンクリートでは骨材として瓦礫を使うことが多く、手で積み重ねるようにして形成する必要がありました。

ローマのパンテオン

これを現在使うためには相当いろいろな工夫が必要と考えられますが、これらの弱点を現在の技術でうまくカバーできれば、より長期に渡って使えるコンクリートができそうです。

こうした古代コンクリートは、地殻中の堆積岩の生成機構と同じ「ジオポリマー」という反応によって結合して「ケイ酸ポリマー」という物質を形成するため、強度が数千年間保たれているといわれており、これは「無機質プラスチック」と同じようなものだといいます。

ウクライナの科学者のビクトール・グルホフスキーという人が、これを発見したとされており、彼は古代のセメント製造法を調べ、この「ジオポリマー」反応を起こすためには、アルカリ活性剤を加えることを発見しました。

この研究に影響を受けたフランス人の化学エンジニアでジョセフ・ダヴィドヴィッツという人はその後、古代セメントの結合構造であるジオポリマーの化学的構造を解明しました。

ダヴィドヴィッツ博士はさらに、エジプトのピラミッドの外殻に使われている石灰岩は自然石を切り出したものではなく、これもまたジオポリマー石灰石コンクリートの一種である人造石で造られたとする説を発表しています。

このほか、高句麗国の将軍塚などのエジプトのピラミッドと共通の外観を持つ石積みの古墳や、同様の大陸式山城の石組みを用いた、日本の神籠石(こうごいし)と呼ばれる巨石(九州から瀬戸内地方にみられる)によって築かれた山城にも同じジオポリマ-技術が使われていることが、顕微鏡を用いた分析からも確認されているといいます。

近代日本でも鹿児島大学の先生が桜島から噴出する「シラス」の有効活用のために同様の研究をしているといい、また、美祢市のある山口県の山口大学工学部でも地球温暖化防止と鉱物質廃棄物処理に対応させるため、ジオポリマー技術の有用性が研究されているそうです。

最近の研究の成果から生まれたジオポリマーで作られたコップは、コンクリートの床に落としても、陶器のように割れることなく跳ね返るなど、極めて強靭な性質を備えているといいます。




このように近年、この古代コンクリート技術は徐々に見直されつつあり、強度が高く、強度発生までの時間が短いため、軍事面での応用や研究も行われているそうです。また、鉄道の枕木、下水管、滑走路や石造りの建築物の補修など、広範囲の用途で試験的に使われる向きも既にあるそうです。

現在東京だけでなく、全国各地で戦後造られたコンクリート構造物はその使用限界を迎えようとしています。それらを新たに建て替えるとき、従来のポルトランドセメントを用いるのではなく、こうした古代コンクリートを用いるのもまた一つの方法です。

現在これまでに造られたものが、半世紀ともたず、いずれはゴミとなり、「負の遺産」となっていくのに対して、こうした新技術を使った構造物は、我々の世代以降の遠い未来の子孫たちにとって文字通り「遺産」となっていくに違いありません。

手間や弱点があるのは当然ですが、なんとかそれを克服して、次回のオリンピックまでに日本の誇るべき技術として開発してみてはどうでしょうか。

国土交通省さん、いや阿部総理、いかがでしょう。