バミューダより愛をこめて

10月だというのに、連日気温の高い日が続きます。

富士山の初冠雪も遅れており、いまだにその頂は真っ黒のまま。いつもの年ならば多少は残雪が見えるはずですが、今年は猛暑の影響なのか、白い部分は一切ありません。

もうすぐ秋のはずなのですが、何やら足止めされた感があり、庭からはキンモクセイの甘い香りはしてくるものの、いまひとつこの空気感と合わないかんじがします。

そんな気候なので、外出しよういう気にもあまりならず、先週から家の中の片づけを初めています。引っ越し後、一年半を経てもなお片付いていない荷物があり、それらを押し込んでいた小部屋を整理し始めたのがきっかけで、いざ始めてみるとスイッチが入ってしまい、その他の部屋の中の荷物も片づけ始める始末……

しかし、そのおかげで普段目にすることのない、古い写真なども発掘されるところとなり、その中にはかつて若かりし頃にフロリダへ留学していた時代の写真集もありました。

あぁ~これは懐かしい、と思わず見入ってしまいましたが、さすがに四方を海に囲まれているフロリダであるだけに、その中には美しい海岸線を撮ったものなどもたくさん含まれていました。

フロリダ半島最南端にあるキーウェストに旅行に行ったときのものもあり、そこにはフロリダ半島から離れ、島から島へと延々とさんご礁の海の上を走るにかかる「オーバーシーズ・ハイウェイ」と呼ばれる国道US-1号線の写真などもありました。

42もの橋を渡っていくこの道路はアメリカ合衆国で最も美しいハイウェイであるといわれており、途中、全長6.765マイル(10.887km)もある有名なセブンマイル・ブリッジも渡ります。

このキーウェスト付近一帯を三角形の一角として、東へ放射線状に広がる海域は、いわゆるバミューダトライアングル(Bermuda Triangle)、または「魔の三角地帯」とも呼ばれており、これはここキーウェストと大西洋にあるプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ三角形の海域です。

昔から船や飛行機、もしくは、その乗務員のみが消えてしまうという伝説があることで有名であり、通過中の船舶や飛行機が突如何の痕跡も残さず消息を絶つ海域とされ、100年以上前から100を超える船や飛行機、1000以上の人が消息不明となっているとされています。

しかし、多くの場合はハリケーンなどの悪天候時に起こったものや操縦ミス、計器の確認ミスではなかったかと現在では考えられており、統計上も船や飛行機などの遭難件数が他の一般的な海域よりも多いという事実はないというのが実際のようです。

私もフロリダに9か月ほど滞在していたため経験しましたが、この地域は霧の多発地帯として有名であり、このほかハリケーンの通過も多く、これらの遭難事件はこうした自然現象に遭遇して遭難したと証明されている案件も多いようです。

一例として、1945年12月5日にアメリカ海軍のアヴェンジャー雷撃機5機が訓練飛行中に消息を絶った事件については、それ以降、典型的なバミューダ・トライアングルでの超常現象として取り扱われるようになりましたが、この事故は悪天候に加えてパイロット達の訓練不足による方向亡失によるものではなかったかと現在では考えられているようです。

単に自然現象によるものだけでなく、この海域では周辺に目印となる島や構造物が非常に少ないため、遭難しても救助されにくいといったこともあり、特に強力なメキシコ湾流が流れており、短時間で航空機や船舶の残骸が遠くに流されるという事も考えられるようです。

そうしたことをいいことに、晴天時においてもある日突然乗組員のみが消えてしまうといった、事実を誇張または歪曲して語られる事件も増え、これがやがて「伝説」として、広く知られるようになっていったものと考えられます。

さらにはこの海域から数百キロ、あるいは1000キロ以上も離れた場所で起きた事故や遭難であっても、あたかもバミューダトライアングルでの事件であるかのように語り継がれるようになり、実際にこの地域で起きた事故を遙かに上回る数の遭難が関連付けられるといったこともあるようです。

発生現場が遠く離れた太平洋であるにも関わらずこの事例に入れられたものまであるようで、これらはますます「伝説」の信憑性が増すという悪循環を引き起こし、「事故や遭難が多発する地帯である」という誤った認識が広まってしまったようです。

ただ、この海域には、近世以降探検家たちに恐れられた「サルガッソ海」があり、ここは多くの船舶が沈没したり行方不明になる「魔の海」「船の墓場」であるという伝説で知られています。

伝説では、風が吹かず帆船が何週間も動けずにいる間に船体に海藻が絡みつき、風が吹いたときには既に動けなくなっており、ボートで船を引っ張ろうとしてもそのボートのオールに海藻が絡み付く、あるいはスクリューが海藻に絡み付くなどして船が航行できず、船乗り達は水と食糧の不足でしばしば全滅した、などと言われます。

また、無人となった船は、その後も幽霊船となって長い間この海域をさまよいますが、やがて帆が腐り、マストが倒れ、最後には海藻に付着して一緒に流されてきたフナクイムシに船体を食い荒らされて沈んでいき、無数の船がこの粘りつく海に捕まり脱出できぬまま沈んでいくと信じられてきました。

ところが、実際にはこの海域の特異性を原因とした明確な遭難記録は皆無なのだそうです。
この海域は、たしかに貿易風と偏西風の狭間に位置する高気圧帯のため、帆船の航行に適した良風が吹きにくいという事実はあるようです。

このため、貿易風や偏西風を利用して大西洋を航海していた帆船時代、この海域に進入すると船の速度は著しく落ち、凪の状態になった場合には身動きがとれなくなるといったことも実際にあったようです。

魚がほとんど捕れない海域でもあり、船乗りは乗員の食糧保全のため、積荷の馬を食料とせざるを得なかったことから、その昔は、このサルガッソ海を含む北緯30度付近の大西洋中央海域のことは「ホース・ラティテューズ(Horse Latitudes, 馬の緯度)」と呼ばれていました。

このようにサルガッソ海は、本来の大西洋横断航海コースから外れた風の弱い海域であり、当時の船乗りにとって忌避すべき海域であったことは確かであり、またこの海域は海流の澱みのようになっているため、他の海域に比べて浮遊性の海藻が集まりやすくなっています。

しかし実際には、ホンダワラ類などに代表される表層浮遊性の海藻はほとんどが単に海面上を浮遊しているだけであり、海底に根は持っていません。従って外洋航海用に作られた船舶がそれにより航行不能に陥る事はあり得ませんし、また、海面下数メートルに位置するスクリューに、表層を漂うだけの海面上の海藻が絡み付くこともまずありえません。

従って、このサルガッソ海もまた魔の海でもなんでもなく、単に風や海流などの擾乱といった激しい海象が起こりにくい海域、というだけのことのようです。

しかし、バミューダ・トライアングルだけでなく、ここから遠く離れている海域などでも、過去には何の消息も残さず、海や空の上で突如として「消えた」と思わせるような事件は何件か起こっており、解決できないまま終わっているものもあることも確かなようです。

その一例として有名なものに、メアリー・セレスト号事件というのがあります。

メアリー・セレスト号とは、1872年にポルトガル沖で、無人のまま漂流していたのを発見された船であり、発見当時、船内のデッキは水浸しでしたが、操船可能な状況であったにもかかわらず、誰も乗っていませんでした。なぜ乗員が一人も乗っていなかったかは今もって分かっておらず、航海史上最大の謎とされています。

1872年といえば、日本では明治4年のことであり、少々古い出来事でもあるためその信憑性が疑われるところですが、アメリカ船籍の船であり、記録としてはしっかりしたものが残っています。

その出航は、1872年11月7日のことであり、船長ベンジャミン・ブリッグズの指揮下、メアリー・セレスト号は工業用アルコールを積み、ニューヨーク港からイタリア王国のジェノヴァへ向けて出航しました。船には船員7人のほか、船長とその妻サラ・E・ブリッグズ、娘ソフィア・マチルダの計10人が乗っていたそうです。

メアリー・セレスト号は、全長103フィート(約31メートル)、282トンの2本マストの帆船で、もともとは1861年に建造された「アマゾン号」という船だったようですが、その後数回にわたって所有者が変わり、1869年にメアリー・セレスト号と改称されたことなどもわかっています。

当初からいわく付きの船だったようで、建造中におびただしい数の事故が発生したとも伝えられています。

発見されたのは、ニューヨークを出港してからほぼ1か月後の1872年12月4日のことであり、発見したのはメアリー・セレスト号の7日後にニューヨーク港を出港した、同じくアメリカ船籍のデイ・グラチア号という船でした。

その船長モアハウスという人物は、メアリー・セレスト号の船長ブリッグと親しい間がらであったといい、出港前に会食をしています。このことは、その後船長二人の共謀による詐欺疑惑を招いたそうですが、結局はモアハウスが罪に問われるということはありませんでした。

デイ・グラチア号の乗組員はメアリー・セレスト号を発見したときすぐに接近せず、2時間ほどこれを観察したのち、遭難信号を掲げていないのでおそらく漂流中なのだろう、と判断しました。

そして、実際に乗り込んで確かめるべく、一等航海士のオリバー・デボーが小さなボート数隻を率い、メアリー・セレスト号に向かっており、このときのことをデボーは「船全体がびしょ濡れだ」という表現で報告しています。

ポンプは一基を除いて操作不能であり、デッキは水浸しで船倉は3フィート半(約1.1メートル)にわたって浸水していましたが、船は他の点では良好な状態であり、操船も可能でした。が、不思議なことに、船内にはひとっこひとりいませんでした。

ただ、前ハッチも食料貯蔵室も共に開いており、掛時計は機能しておらず、羅針盤は破壊されていました。しかも六分儀とクロノメーターは失われており、このことから船員がこれらを持って故意に船から脱出したことなどが想像されました。

その証拠にこの船唯一の救命ボートが失われており、このボートを降ろした場所近くの3箇所の手すりには血痕が付着し、また1つの手すりには説明のできない引っかき傷があったそうです。

結局原因のわからぬまま、メアリー・セレスト号はデイ・グラチア号に牽引されて、当初の目的地のジェノヴァに到着し、積荷の1700樽のアルコールもここで降ろされました。

その後の船内臨検では、このうちの9樽が空であることがわかりましたが、それ以外の6か月分の食料や水はそのまま残されていたそうです。船内の書類は、船長の航海日誌以外は全く見つかりませんでしたが、その最後の日誌の記入は11月24日の、アゾレス諸島の西方100マイルの海上にいたと書かれていました。

この場所はその翌日には、そのすぐ近くにあるセント・メアリー島という島に到着できる位置であり、そんな近くで船を放棄したことも大変不思議なことでした。

その後メアリー・セレスト号は、デイ・グラチア号の乗組員によって、スペイン西部のジブラルタルまで曳航されました。

このとき、ジブラルタルの海事裁判所事務官はアルコールの9樽の中身がなくなっていたことなどから、デイ・グラチア号の乗組員が不正行為を行っていたのではないかと疑い、彼らによる海難救助の申請を事実上の裁判として扱いました。

しかし結局、裁判所はメアリー・セレスト号を発見、牽引してきたデイ・グラチア号の功績を認め、乗組員に船体と積荷の価格の15%に相当する賞金を与えました。

メアリー・セレスト号はその後修復され、12年間さまざまな所有者により利用され、最後の船長は保険金を得るため、故意に船を沈めようとしたそうですが、リーフ上だったために座礁しただけに終わりました。

その船の残骸は、2001年8月9日に有名な海洋冒険作家のクライブ・カッスラーとカナダの映画プロデューサーのジョン・デービス(カナダECO-NOVA Productions社長)が率いる調査隊によって発見されています。

メアリー・セレスト号が遭難したその翌年の、1873年初めには、スペイン沿岸に2隻の救命ボートが上陸したと報じられました。

1隻には1人の遺体とアメリカ合衆国国旗が、もう1隻には5人の遺体があったそうですが、これがメアリー・セレスト号の乗組員とその残留物であったか否かについての照合が行われたかどかの記録は残されていません。しかし、失われた救命ボートは1隻だったはずであり、このことは事実とあいません。

これらのことから、この発見された遺体などもメアリー・セレスト号と関連付けるのは無理があると思われます。それ以降、メアリー・セレスト号の乗組員と、同乗していた船長の家族は、共にその消息は全くわかっていません。

このため、彼らの運命を巡っていろんな憶測が飛び、それらの中には興味本位に虚構を織り交ぜたような話もあります。

有名なものとしては、デイ・グラチア号の船員がメアリー・セレスト号に乗り移ってみると、船内には食べかけの朝食がまだ暖かいまま残っており、ほんの一瞬前まで全員が何事もなく乗船していたようであった、というものです。

しかし実際にはデイ・グラチア号の船員は、後の調査でそのような事は全く無かったと証言しており、これは後付されたデマです。救命ボートがすべてそのまま残っていたとする話も伝えられていますが、これも後に創作されたものです。

この事件で最大の謎とされるのは、なぜ船長の家族を含む乗組員が船を放棄して行方不明になったかという点です。

その謎を説明するために、世俗的なものから、ファンタジックなもの、もっともらしいものに至るまで、いくつもの説が提出されてきましたが、最も有力で信憑性のある説としては、その積荷がアルコールの樽であったため、船長らがこれを危険と考え、それから離れようとした、という説です。

もし、失踪した9つの樽からアルコールが漏れていたとし、アルコールが樽から激しく吹き出したため船長は船が爆発すると考え、全員に救命ボートに移るよう命令した、という説であり、このとき急ぐあまり、彼らは丈夫な引き縄で船と救命ボートを適切に結びつけることができなかったのではないか、と推定されます。

しかし、その後海上が荒れ、風雨が激しくなったため、船は救命ボートから離れてしまい、やがては命綱が切れて、ボートに乗った者は溺れたか、あるいは海上を漂流して飢え、渇き、死んだのではないか、というのです。

このアルコール漏れ説は、その後、実際にそういうことがあった場合に引火爆発の危険性があるかどうかについて実験まで行われており、その結果、船倉内のアルコール蒸気が燃焼すれば十分に船員たちに畏怖の念を抱かせるほどの爆発は起こり得ただろうとの結論が得られています。

このほか、海賊の襲撃があったのではないかとする考えもありましたが、海賊なら、頑丈な船とその船荷を残しておく事はなかっただろうと推察され、また、船員らを誘拐して身代金を取ろうとしたということもなかったことから、海賊説もまた否定されています。

しかし、結局このメアリー・セレスト号事件の乗組員の失踪の理由については、現在までも確固たるものは特定されていません。

船そのものが十分に操船できる状態で発見されたにも関わらず、乗組員が発見されないという怪異な事件は過去にはなく、またこれほど物証が数多く残っているにも関わらず、原因がわかっていないというものも他に例をみません。

しかし、過去に起こった海難事故の中には、遺留品がまったく発見されない、といった例はゴマンとあります。

遺留品が発見されない場合、これらの単なる遭難事故を「怪事件」に仕立て上げてしまうことは簡単であり、そのつどいろんな「専門家」現れて原因仮説をたてたがります。

それらの中には、バミューダ海域には宇宙で見られるようなブラックホールが密かに存在し異世界と通じていて、それに飲み込まれてしまうと戻れなくなるのだろうという「ブラックホール説」や、宇宙人がUFOを使い、航空機や船舶そのものや乗客・乗員をさらったという「宇宙人説」など、ちょっと行き過ぎではないの?というのもみられます。

しかし、れっきとした大学教授などによってたてられた「メタンハイドレート説」のように、本当にあるかも、と思わせるようなものもあります。

これは、オーストラリアのメルボルンにあるモナッシュ大学ジョセフ・モナガン教授らによって2003年にアメリカの物理学雑誌に発表された説で、海底のメタンハイドレートによってメタンの泡が大量に噴出し、これに船舶などが瞬時に飲み込まれ、浮力を失うことで沈没するという、説です。

また、航空機の場合でも、エンジンが大気中を上昇したメタンを吸い込むことで酸欠が生じ、これによって不完全燃焼を起こし、出力低下から揚力を失い墜落することもある、とモナガン教授は説明し、この現象はレシプロ、タービンエンジン両方でも説明が可能であるとしています。

ただし、「メタンハイドレート説」の矛盾としては、この海域で過去に生じた失踪事件がもしこれが原因だとすれば、多数の残骸が残るはずなのに実際には残骸が残っていない、という点です。

海流で流されたと考えられなくもありませんが、まったく痕跡を残さず残存物が消え去るということはありえず、何らかの形で残る物もあるはずですし、また生存者が全く無いというのもいささか不自然です。

このほか、メタンハイドレートは世界中の海底に存在し、特にこの海域にのみ多いというわけではないようで、メタンハイドレートを多く産出する日本近海でも起こってもおかしくなさそうですが、過去にそういう事実はなさそうです。

このほか、海洋上に発生した大量の冷気の塊が海面に落下し、バースト(破裂)したように強風を引き起こす「マイクロバースト説」をとなえる学者もいて、これは従来のレーダーに捉えられず、短期間で収まるため、消滅事件の原因としては十分にありえるとして注目されたこともあります。

ただ、マイクロバーストは低空でしか発生しないため、高空を飛行する飛行機で事故が発生する理由は説明できていません。

このようにバミューダ・トライアングル、というものが実際にあるかどかは別として、それ以外の海域も含めて、そこでの船舶や航空機の失踪事件を完全に説明することについては今のところ、これといった決定打はなさそうです。

ま、海だけでなく、陸上でも未解決な失踪事件は多数あり、それをすべて解決するというのはどだい無理な話です。

ただ、これを超常現象と考えれば、フィクションの題材としては大変面白いので、これまで多くの作品が発表、出版、上映されてきており、それはそれで我々の想像力をゆたかにする材料であり、これらがこの世に存在することを否定されるものでもないでしょう。

バミューダ・トライアングルが登場する作品としては、小説やアニメ、漫画、ドラマ、ゲーム、音楽と幅広く、これらの作品の中には、我々のインスピレーションを大いに刺激してくれるものも多数あります。

少々古いですが、シンセサイザー奏者として有名な冨田勲さんが1978年に発表した「バミューダ・トライアングル」は、バミューダの海底にあるといわれている巨大なピラミッド型隆起を舞台に、メドレー形式で進んでいくといった内容であり、なかなか壮大なミュージックでした。

秋の夜長にこうした壮大な音楽を聞きながら、バミューダ・トライアングルの謎を自分なりに解いてみるのもまた一興かも。

この世には不思議なことが満ち満ちています。が、それがすべて解決してしまったら、この世もあまり面白い世界とはいえないかもしれません。少しくらい、現在科学をもってしても解決不能なことがあっても良いでしょう。それゆえに人間の探究心が育てられるといった側面もあるでしょうから。

さて、今、あなたにとって一番の不思議はなんでしょうか?

私にとって今一番の不思議は、夜な夜な減っていく酒瓶の中身です……