総括!

一年前の今日、我々はここ修善寺に引っ越してきました。あれからもう一年…… 長かったような、短かったような……とは、よく使われるフレーズですが、実際のところは、その中間……といったところでしょうか。

過ぎ去った一年で細かいところは思い出すものの、断片的な記憶が多く、じゃあその間に何をしていたか、というところが抜け落ちているのは何故でしょう。

齢を重ねた……というところがその理由の最たるものなのかもしれません。歳をとると細かいことをあまり気にしなくなるといいますから。

が、逆に細かいことを覚えていられなくなってるんだろう、といわれると、汗……というかんじです。そういえば最近、固有名詞が覚えられなくて……というか、覚えるのが面倒くさくて、テレビに出てくる女優さんとかで似たようなタイプのお顔をみると、みんな同じ名前しか思い浮かびません。

新垣結衣さんと戸田恵梨香さんが、どうしても同じにみえてしかたがなかったのですが、最近ようやく見分けがつくようになり、これを言い当てると、タエさんから、ハイ、よくできました~といわれます。

深田恭子さんと田中麗奈さんの見分けがつくようになったのもごく最近ですし……

もしかしたら、人やらモノやらの見分けがつかなくなるという、あの病気か!?とも思うのですが、こうしてブログもちゃんと書いていられるし、とりあえずここがどこだかであるかも認知しているつもりなので、今のところは大丈夫でしょう……たぶん……

さて、引越し一周年ということなのですが、今日は奇しくも東日本大震災があったその日です。なのであまりおちゃらけたことばかりを書いているわけにもいきません。今も苦しんでいらっしゃる方が大勢いることを考えると、こうして伊豆に落ちていていられること自体を感謝しなければなりません。

とはいえ、今日はあまり重い記事を書きたくはないので、この一年を振り返っての総括ということで、ここ修善寺という場所がどういうところなのか、もう一度検証してみようと思います。

立地

まず立地です。三島まで東京から高速で約二時間。三島からは約30分ですから、二時間半で都内へ出ることができる、という立地はけっして僻地……という感覚はありません。駿豆線を使えば主要幹線である東海道線まで30分で行けますし、三島には新幹線も止まります。

また、料金は高めで本数は少ないものの、ここからは修善寺駅までバスも出ていて、万一クルマを運転できなくなっても、一応暮らしていくことはできそうです。

近隣にある大きな町は、三島、沼津、伊東ですが、三島・沼津はほぼ同じ都市圏といってよく、東京で言うと、八王子と町田といったところ。

無論、市域の広さはぜんぜん違いますが、それぞれの商圏が競合を避けるために、似たような街づくりになるのを避ける傾向にあり、このため、三島と沼津それぞれで様々なバリエーションの異なった種類の店舗があるということは利用者にとってはありがたいことです。

この点、静岡中部にある、旧静岡市と清水市も似たような傾向があり、さらに西端の浜松もそのすぐ西にある豊橋と切磋琢磨しながらそれぞれ独自の商圏を確立しています。さらに東に目を向けると、熱海と小田原がありますが、この両者の形態もこれにやや近いのではないでしょうか。

こうした東海道沿いの中規模都市へ行くためにはそれなりに時間はかかるものの、ちょっとお買いものを楽しみたいとか、ちょっと気分を変えたいときには、そこへ行けばいいさ、というお手軽な距離にあります。

ただ、六本木や西麻布といったおしゃれな街……ということになるとなかなかこれに該当するものがなく、また新宿や日本橋のようにありとあらゆるものがそこで手に入るという場所が近くにないのはやはり、不便といえば不便。

例えば私の場合は写真をやるので、そのための特殊な必要機材が必要になる場合もあるのですが、ちょっとそれを買いに行って……というのができず、ネットで取り寄せるにも時間がかかるので、しかたなく別のもので間に合わせ……ということが、これまでにも何回かありました。

が、まあそれも時間をかけて取り寄せれば済む話であるし、また本当にどうしても必要ならば一番近い大都市である横浜までは2時間もあれば行くことができます。

それを考えると、ここ伊豆に引っ越してくる前の候補地であった、飯田や伊那といった長野県ではそうはいきません。名古屋まで3時間以上、東京となると4時間は覚悟しなくてはならないでしょう。

以上から、交通の便、立地という点では、ここ修善寺を選んだのはまずまずといってよいのではないかと思っています。

気候

次いで気候。これは人それぞれでしょう。雪が好きな人はもっと寒い東北方面へ行くでしょうし、海が好きな人は瀬戸内海や九州へ、山の好きな人は長野や山梨、広い大地を望む人は北海道と、選択肢はゴマンとあります。

我々が伊豆を選んだ理由は気候とかではなく、広島の霊能者Sさんのアドバイスによるものだったというのは、このブログの初期のころのものにも書きました。当初長野や山梨などの「夏が涼しいところ」への移住を考えており、最終的には伊那に決めかけていた我々に、そこはやめた方が良い、南西方向がいいだろう、と言ってくれたのがSさんでした。

そもそもは二人とも暑い夏が苦手で、できるだけ涼しいところということで移住先を探していたのですが、結果としては、Sさんのアドバイスに従い、雪などにはほとんど縁のなさそうな、夏もけっして涼しくないのではないかと思われる地域を選ぶことになりました。

が、所詮は温暖といわれる静岡です。けっしてそれほど涼しくはないだろう、という予想でしたが、その予想は大幅に裏切られ、実際には猛暑と言われた昨年でさえ、ここへ来てからはクーラーをつけることがほとんどなく、これは本当にありがたい誤算でした。

結果としては、Sさんのアドバイスが正しかったわけであり、これには今でも本当に感謝しています。

確かに日中は暑い日も多いのは確かなのですが、伊豆にあっても標高200mを超えるこの場所では気温が30°を超えることはほとんどなく、また夕方から夜にかけては急激に気温が下がり、真夏でも朝方などは毛布がなくては寝れないこともあるほどです。

ここに落ち着く前にみた伊豆の別の物件の中にはそれほど標高も高くないところもあり、こうした場所を選んでいたらこの評価もまた別のものになっていたかもしれません。

逆にもっと涼しそうなところもあり、それは例えば伊豆中南部に位置する天城高原などですが、ここは逆に冬の寒さもさることながら、雨が多く、おそらくはここに住んでいたら湿気対策が大変ではなかったかと思われます。加えて天城は交通の便が悪く、前述のような東海道筋の都市へ出るのは一日がかりになります。

そこに生活する、ということを考えたとき、交通の便と気候はもっとも重要な要素だと思います。これらの点から考えるとこの要素を満たすのは、伊東もしくは修善寺から伊東にかけての伊豆スカイライン周辺、あとは函南町あたりにかけての一帯ではないでしょうか。

そして気候と交通という二大要素を考えた上での伊豆でのベストポジションはやはり修善寺だと思います。

生活の便と環境

生活の便ということを考えたときに、日常の買い物をどこでするか、ということも大切なポイントです。この点、三島や沼津を除けば、大仁は伊豆の中でももっとも便利な町です。町自体はそれほど大きいわけではないのですが、大型のモールやスーパーが何軒もあり、またホームセンターもふたつあります。

食事どころもいわゆるファミリーレストランの主要なものが林立しており、このほかブックオフや、洋服の青山といった、都内の中堅都市の中心部で見られるような店舗のほとんどがこの大仁に集中しています。

伊豆のあちこちにある別荘地の人達も、平時の買い物はだいたい大仁まで出かけてきて済ませるようです。

もっとも我々も、これら大仁にある施設すべてを日常的にすべて利用しているかというとそうではなく、それぞれに行くのはごくたまに、です。

が、こうした便利な施設がすぐ近くにあるというのは住んでいて安心感があります。日常生活を送るのに必要なものがすぐに手に入るというのは、実はとても大切なことです。長野や山梨の山奥、伊豆の山奥ではそうはいきません。

ただ、住宅環境ということになると、ここは多少評価を下げざるを得ません。大仁や修善寺という比較的大きな町に近い分、この別荘地にも密集というほどのことはないにせよ、それなりの住宅がひしめいて建っているからです。これは交通の便や生活の便のよさとは裏腹のデメリットでもあります。

別荘地というと、軽井沢のように林間にぽつぽつと住宅が建っているようなイメージを持つ人も多いと思いますし、そうしたところを希望する人が多いと思いますが、ここは建蔽率40%、容積率60%のれっきとした都市計画区域内にあり、一定規模以上の住宅は建てることができません。

それでも一軒一軒の敷地はそれなりに広いため、沼津や三島の市内のように住宅がひしめいている、ということはありません。ある程度お互いのプライバシーを保つことのできるややゆったりした住宅地、といったところでしょうか。

もう少しゆったりとしたカントリーライフを期待していたのは確かで、海でも見えれば最高なのですが、残念ながら標高が高いとはいえ、海は見えません。が、その代りに、日々刻々と姿を変える富士山が常に目の前にあり、箱根駒ヶ岳や遠くは南アルプスまで望めるという立地はそうそうありません。

別荘地内には時折、鹿やイノシシが出没するくらいであり、自宅から5分も歩けば森林地帯というこも、ここが紛れもなく都会ではないことの証明です。

特筆すべきは夜空のきれいなこと。これも近くに大きな町がなく、周辺に灯りが少ないためですが、この夜空の美しさを今年はもう少し満喫したいところです。具体的には天体望遠鏡が欲しいのですが、それはまだ先のことかもしれません。

ところが、別荘地というのは古今東西どこでもそうですが、こと人間ということになると、ここはやはり高齢者の巣窟です。私もその予備軍には違いなく、あと20年もすれば間違いなくそのお仲間ですが、近隣を見渡すと、やはりご高齢の方が多く、自治会などの地域の集まりがあったりすると、それがすぐにわかります。

とはいえ、若い人がまったくいないかというとそんなこともなく、すぐ麓にある小学校や中学校にここから通う小中学生もちらほらみかけることもありますが、やはり少数派であり、日常生活で子供の姿をみることは極めてまれです。

だからといってそれが何も悪いということではないのですが、もしここに震災や台風などの災害が起こったときに、共助できる地域体制が整っているかいうことを考えるとはなはだ心もとないかんじです。

町ぐるみで何かを達成するという場所ではないことは確かで、その点、自治組織が色々な取り組みをしている東伊豆の別荘地がうらやましく思えることもあります。とはいえ、ここへ来てまで一年。この別荘地のすべての人を見知ったわけではありません。今年、これから出会う人々に期待したいと思います。

災害

災害という点に目を転じてみると、さすがに地震に対しては不安になります。地震の巣窟といわれる駿河トラフが静岡沿岸には長々と横たわっており、東海・東南海地震の襲来は時間の問題ではないかといわれています。

しかし、こうした大震災の想定範囲をみてみると、最も震度の大きい範囲などでは伊豆半島はギリギリはずれており、被害の大きいだろうと考えられているのは、すぐ南側に地震の巣があって、これに面している沼津や清水、静岡です。

伊豆の被害が相対的に低いと考えられているのは、その地盤が強固なためです。都内においても八王子などの山岳地帯は比較的地盤が固く、東京でも地震を避けて住むならばできるだけ東京西部にした方が良いといわれるのはそのためです。

伊豆半島はもともと、もっと南にあった火山島がどんぶらこドンブラコと北へ移動してきて、どーんと本州にぶつかってできた半島であり、このときのぶつかった衝撃で地殻が盛り上がり、その後火山のマグマが冷え切ってできた岩体ともあいまってできた非常に強固な岩盤が地下にあります。

だからといって地震の被害をすべからくまぬがれるかといと、そうはイカのなんとかなのですが、それでも静岡の他の地域よりは安全だと思います。

富士山の噴火も気になるところですが、過去の直近で宝永山が噴火したときの噴煙のほとんどは、西風に乗って東、もしくは北東方面に流れており、このため火山灰や火山弾の被害は富士山東部から東北部にかけての場所に集中しました。

火砕流などが及んだ範囲も沼津のあたりが南縁であり、長岡や韮山にまで被害は及んでいません。ある程度の火山灰は降るでしょうが、ここ修善寺まで熱気を持った灰が及んで火災などが発生するということはまず考えにくいでしょう。

ということで、災害に関しては地震や富士山の噴火については、まあなんとか大丈夫というレベルにあるといえるのではないでしょうか。

ただ、問題は風です。住んでみてわかったのですが、ここはおそろしく風の強いところです。とくに秋から冬にかけての風はすさまじく、空は真っ青な良いお天気なのに、風だけは台風なみのものが吹きます。

最初は、ここが山の上だからなのかなと思っていたのですが、どうやらすぐ麓の大仁や修善寺温泉街などでもかなりの風が吹くらしく、修善寺温泉街の南の端っこにあるバス停に「うなり石」という名前がつけられているのは、昔から巨大な石を揺らすほどの強い風がふくためです。

以前、学生のころに沼津に住んでいたときにもこの風の強さは感じていました。これを科学的に説明してくれているサイトもあるのではないかと思いますが、なかなかうまいこと書いているものがみつかりません。

が、私が察するには、箱根から伊豆半島につらなる山岳地帯は、西からの風を堰き止める壁のような役割をしているはずです。ここに風が吹き溜まり、これが東へ抜けようにも山があるために抜けきれず、このため、その西側の町では風が強まるのではないのでしょうか。

そしてこの山の上の別荘地はといえば、ここらあたりにちょうどその風が抜ける通り道があり、ここを求めて風が集中するため、いつも強風が吹き荒れている……というのが私の推測です。

推測ですが、おそらくあたっているでしょう。……ということは、この地の最大の弱点は台風などによる風害ということになるかと思います。ここに住むようになってから、近隣の人からここで過去に大きな風害があったという話を聞いたことはまだありませんが、風が強いというのはみなさんやはり口にされます。

災害というのはいつも思いがけないときにやってくるもの。いつ何時竜巻でも起こって屋根ごと吹きとばさされる可能性がないとはいえません。いくら気を付けても、災害はいつ何時やってくるかもわからず、先日のロシアの隕石のようなものがここに降ってこないとも限りません。

心配しすぎてもしょうがないとは思うのですが、今年から二年目を迎え、こうした想定される災害の予兆だけには常に気を配り、事前準備を心掛けていきたいと思います。

そして自然

さて、長々と書いてきましたが、最後にここに住み始めて最もよかったと思うこと、それはやはりすぐれた自然や景勝地に囲まれていることでしょう。

すぐ近くには修善寺虹の郷や修善寺自然公園といった伊豆の環境をうまく生かした公園施設があり、さらに山の上かとおもいきや、ほんの20分ほどもクルマを走らせれば海に出ることもできます。

同じく車で20分ほどで行くことのできる達磨山はここへ移ってきてから最も気に入っている場所のひとつであり、ここからは富士山はもとより、眼下には青く広がる駿河湾、その先には青々と横たわる南アルプスを望むことができます。

まだ踏破していませんが、南へ行けば伊豆最高峰の天城山もあり、その周辺には浄蓮の滝や河津七滝などの景勝地、さらに天城山の東側に広がる伊豆高原から細野高原に至る一帯は、日本でも有数なリゾート地であるとともに、多くのレジャースポットが点在する一大観光地でもあります。

さらに、伊豆最南端の町、下田。アジサイがあり、水仙が咲き誇り、なおかつ歴史的にも重要な史跡も数多くあるこの町には、まだまだ何度でも足を運びたいものです。

すぐ北にある街、韮山にも頼朝や北条早雲ゆかりの史跡が多く、こられの場所にもまだまだ行っていない魅力的な場所がたくさんあります。

こうした場所場所へすべて1~2時間もかければ行けるという、この修善寺の立地は、まさに伊豆観光の中心地と言っても過言ではなく、事実多くの鉄道会社やバス会社がここを拠点にしています。

ここへ移住してきてまだ、あまり行っていない西伊豆から、南伊豆にかけての場所もまた魅力です。アクセスが悪いために観光客もあまり行かない場所であり、それだからこそ、手つかずの自然もまだまだたくさん残っているに違いありません。

今年も、こうした自然や景勝地を訪ね歩き、またたくさん良い写真を撮って、またこのブログで紹介していきたいと思います。乞うご期待……です。

さて、河津桜はもうそろそろ終わりですが、これからはソメイ吉野が本番です。伊豆各地へこれを見るための行脚が今から楽しみです。

皆さんの町の桜もそろそろピンクに染まってきたのではないでしょうか。地元の桜も良いですが、今年はぜひ伊豆の桜も見に来てください。

そしてそれがきっかけになってみなさんも伊豆暮らしをしたくなるかもしれません。その時はこのブログも少しは役に立つかもしれませんね。

そうではなく、今実際に移住先を探している方々の参考にもなれば幸いです。すぐ近くへ越してこられたらぜひお声掛けください。ぜひ、一度お花見をご一緒しましょう。

東急 vs 西武


先日、爪木崎の水仙を見に行った帰り、海岸沿いの135号が道路工事のために混雑していたため、修善寺へ帰るために伊豆西海岸を通って帰ることにしました。

下田から国道414号を通って北上し、途中の谷津から西進して県道15号を通り堂ヶ島へ向かうルートをとりましたが、この途中、河津から下田へ向かう伊豆急行の「蓮台寺駅」の側を通過しました。

辺鄙な山の中にある駅であり、なんでこんなところに駅あるんだろう、なぜ海側に線路を通さなかったのだろう、と疑問に思いましたが、昨日このブログでも取り上げた五島プラネタリウムの創設者、五島慶太のことを調べていてその理由がわかりました。

五島慶太は、東急グループの創設者であり、昭和の鉄道王として知られた人物ですが、ここ伊豆の観光開発にも力を注いだ人で、この伊豆急行も彼が率いる東急電鉄によって伊東から下田まで延伸されました。

その際、当初は海岸沿いに線路を敷設する予定だったものが、その予定地がすべて他社により買収されており、線路を通すことができず、やむをえずこんな山側の場所にまでトンネルを掘って線路を敷設し、下田までの開通を果たしたというのです。

この海岸沿いの土地を買収したというのが、ことあろうか東急グループの総帥として知られ、五島慶太の生涯の最大のライバルで、西武鉄道グループを率いる「堤康次郎」でした。そして、この鉄道建設にあたっては、「伊豆戦争」と呼ばれる激烈な企業間争いがあったこともわかりました。

この二人は、伊豆や箱根といった観光地の開発をめぐって長い間の対立を繰り返しており、ここ伊豆だけではなく箱根での争いは「箱根山戦争」と呼ばれており、人をして「戦争」とまで呼ばしめたこの争いは、現在でも語り草になるほど熾烈なものだったようです。

そもそもの事の発端は、戦前にその当時日本国有鉄道(国鉄)が熱海~下田間に鉄道を敷設する計画を立てたことでした。

伊豆では熱海や伊東より以南にもたくさんの良好な温泉があり、とくに海岸線沿いには風光明媚な場所が多いことから、戦前より下田までの鉄道敷設が地元民から要望されていました。

しかし、戦前の1920年代以降は、徐々に戦争へと突入していく時代であり、軍備拡張のため、大蔵大臣や総理大臣を歴任した濱口雄幸などが緊縮財政政策を推進したため、こうした国内の観光開発に絡む鉄道事業はなかなか実現されず、熱海~伊東間のみが「伊東線」の許可を受けることができ、なんとか路線が開通するにとどまっていました。

しかし、戦後の復興期になり国民の生活が落ち着いてくると、伊豆方面に湯治や観光に出かける人も増えるようになり、これに目をつけた五島慶太の東急でした。

東急は1956年(昭和31年)に伊東・下田間地方鉄道敷設免許を国に申請しましたが、これとちょうど時を同じくして、力をつけてきていた西武グループの堤康次郎も、地元有力者と謀って国鉄に伊東~下田間の鉄道敷設を働きかけます。

しかし、伊豆東部の各所にある温泉の有力者をまとめきれずこれに失敗。急遽系列会社であった「伊豆箱根鉄道」に同区間の免許を申請させます。しかし、この申請書は急ごしらえであったためか不備が多く、結局同じころに申請書を出していた東急側に免許が与えられました(1959年(昭和34年))。

ちなみに、東急側が勝ち取ったこの路線の権利は元々国鉄の計画路線であったため、免許発行には「早期に着工・完成させること」「国鉄の規格に準じて建設すること」「国鉄が列車の乗り入れを求めてきた時は応じること」「国鉄が買収を求めてきた時は応じること」という4条件がつけられました。

この条件のうち、「国鉄が買収を求めてきた時は応じること」だけは実現していませんが、ほかはその後その通りとなり、二番目の条件の「国鉄の規格に準じて建設すること」も忠実に守られたため、今でも伊豆東岸を走る伊豆急行線は国鉄規格に準じる1067mm幅の狭軌路線となっています。

伊豆開発に一歩遅れをとる形となった西武側ですが、東急側だけ免許を与えられたことを不服に思ったのか、はらいせなのかよくわかりませんが、鉄道の経由予定地であった下田市白浜周辺の土地を押さえるという実力行使に出ます。このあたりの土地の権利の多くは現在でも西部が持っており、例えばこの地には現在、下田プリンスホテルが建っています。

このため海沿いを走る予定だった伊豆急行線は河津駅の南で山側へ進路を変更せざるを得なくなり、長大な谷津トンネルを掘削して下田までの伊豆急行線を通すことになりました。我々が目にした蓮台寺駅は、このトンネルを抜けて二つめの駅になりますが、本来は海側に造られるべき駅だったわけです。

が、こうしてルート変更が行われた結果、ここに河内温泉という小さな温泉街もでき、今もそれなりに賑わっています。

こうして進路変更を余儀なくされた伊豆急行線なのですが、迂回を余儀なくされた河津~伊豆急下田間にできたこの蓮台寺駅は、その後、ここから松崎、堂ヶ島など西伊豆方面への玄関口となりました。

バブル期を経て1996年(平成8年)までには全ての特急列車が停車するなど伊豆急行線の主要駅の一つとなり、西伊豆における観光化に大いに貢献しました。

しかし、この蓮台寺から西伊豆へは当然ながらバスでしか行けません。伊豆急行線が開通した当時、この路線におけるバスは、戦前より伊豆半島全域にバス路線を持ち、国鉄との連帯運輸も行っていた「東海自動車」が運行していました。

ところが、この東海自動車は、東急と西部の間の伊豆戦争の最中にあっても中立の立場をとり、東急・西武のいずれにも与しませんでした。

このため東急が東海自動車の買収を画策したり、西部傘下の伊豆箱根鉄道が下田の中小バス会社の昭和乗合自動車を買収し、「伊豆下田バス」と改称して東海自動車のテリトリーである下田への進出を図るなど、争いは鉄道以外にも広がりました。

しかしその後バブルが崩壊したことで伊豆方面への「豪華旅行」も自粛されるようになるなど旅行形態が変化し、またモータリゼーションの進展もあいまって、伊豆半島を南へ南へと争いながら拡大抗争を繰り広げた両者とも、次第に事業の縮小がみられるようになっていきます。

一時は東証二部上場企業であった伊豆急行は、業績悪化に伴い2004年(平成16年)に東急の完全子会社になりました。

また蓮台寺駅からの西伊豆方面観光もふるわなっていき、2007年(平成19年)よりスーパービュー踊り子号が通過するようになり、さらに2009年(平成21年)からは踊り子号を含む全ての特急列車が蓮台寺駅を通過することが決定されました。

西部グループの伊豆箱根鉄道も、2006年(平成18年)には事業展開が望めないとして伊豆下田バスの解散とバス路線の廃止を決定し、かつては敵対していた東海自動車へ事業譲渡しています。

一方の東海自動車は、当初の伊豆急行線の開業により大打撃を受け、1971年(昭和46年)には既にこの両者のどちらにも属さない小田急グループの傘下に入りました。

その後鉄道と競合するバス路線を廃止し、拠点駅から特定観光地までのフィーダー輸送や南伊豆・西伊豆方面の輸送に注力するなど、業績の回復をめざしましたが、経営の悪化に伴い1999年(平成11年)には地域分社化を余儀なくされました。

地域分社化というのは、経営環境が厳しくなる状況下において、運営の効率化を果たすため、もともとの会社事業を細かく分けて分割し、これを中枢機能を持たせた管理会社が統合運営するというものです。

東海自動車では、タクシー事業を1999年(平成11年)に第一交通産業に譲渡するとともに路線バス事業を5つの運行会社に分割し、貸切バス事業も分社化。もともとの東海自動車は統括管理会社となり、この際に、従業員は全員退職となり、希望者を再び雇用する形になりました。

この分社化によって経営は持ち直し、その後2002年(平成14年)には、既に傘下に入っていた小田急グループ全体の効率化の一環として、同グループの「箱根登山鉄道」の熱海営業所の事業を引き継ぐようになったほか、沼津東海バスは、小田急傘下の沼津箱根登山自動車の事業も引き継いで「沼津登山東海バス」となりました。

なお、この「箱根登山鉄道」と「伊豆箱根鉄道」は私もよく混乱するのですが、前者は小田急グループに属し、後者は西武グループに属する別会社です。間違えないようにしましょう。ちなみに三島から修善寺まで乗り入れている駿豆線は、「伊豆箱根鉄道駿豆線」が正式名称であり、西武グループの一員ということになります。

この東海自動車の地域分社化による伊豆各地の事業の再編においては、地域毎の自治体が関わっていることも多く、両者の連携によって維持される路線も多くなっており、「東海バス」の名称で伊豆のあちこちを走っているバスの多くは半官半民の形で運行され、文字通り「地域の足」になっています。

東海バスは、前述のとおり、西武グループが手放した「伊豆下田バス」の事業を2006年(平成18年)に引き継ぎこれを吸収しており、これによって南伊豆地区を走るバスのすべてが東海自動車に統一されることとなり、伊豆半島のほとんどのバス路線は東海バスが仕切るという形になっています。

ただし、西武グループの伊豆箱根鉄道は、終点の修善寺駅から伊豆中部の観光地である長岡温泉や修善寺虹の郷、三津シーパラダイスといった観光地などを中心にバスやタクシーを運行していて、バス路線の一部では東海バスと競合しています。

東海バスはオレンジ色を主体としたバスですが、西武グループのバスはブルーが主体であり、その横腹や背後に西武グループのシンボルである、ジャングル大帝の「レオ」の顔がプリントしてあります。

こうして地元の自動車会社なども巻き込んだ、かつての東急と西武の「伊豆戦争」は現在ではすっかりなりをひそめています。

が、今ではその名残として、伊豆の東海岸では東急電鉄の運営する伊東~下田間の伊豆急行線が、また伊豆の中央部には西部グループが運営する駿豆線、そして伊豆の南を中心とする地域では路線バスを運営する小田急グループ傘下の東海自動車が君臨し、伊豆は大きく分けて三つの交通会社グループがしのぎを削っています。

ただ、東急や西武グループが鉄道乗り入れしていない西伊豆と伊豆南西部の地域は、いまだ交通網が手薄であり、厳密にいえば東海バスの運行が細々と行われているのですが、運行本数も少なく、マイカーを持っていない人達がこの地域に行くのには少々不便です。

実はマイカーを持っている我々もまだ西伊豆の堂ヶ島以南の松崎や南伊豆町といった地域には行ったことがなく、ここが唯一伊豆での「空白域」になっています。松崎には古い町並み、南伊豆町には波勝崎や石廊崎といった景勝地あるということで、今年はぜひ出かけてみたいところです。

今はまだ少々早いようですが、河津桜もあちこちで咲き始めているとのことであり、この2月3月はお出かけラッシュになるかもしれません。

寒い冬にうんざりしている関東地方や名古屋方面の方もそろそろ、梅や桜の開花が気になるところでしょう。

今週末は天気がよさそうです。ちょっと遠出をして南伊豆まで行ってはいかがでしょうか。その際、西武グループの鉄道を使うか、東急グループにするか、はたまた小田急グループにするかは自由です。が、我々はどのグループにも属さない我が家の愛車で行くことにしましょう。