年末でいろいろ新年の準備をしなければならないというのに、風邪をひいてしまい、日曜日の夕方から寝込んでいました。
症状としてはそれほどひどくはないのですが、微熱があって食欲がなく、体のあちこちが痛む、といった典型的なそれです。
ひどくなる前に、広島の知り合いから送ってきた生ガキを大量に食したので、すわノロウィルスか、とも思ったのですが、普通の風邪のようで、不幸中の幸いとはこのことかと思っている次第。
やれやれそれならそれで、布団の中でじっくり考え事でもしようかな、と思っていたものの、熱のためか思考がまとまらず、同じことを何度も何度も反芻して考えるだけで、結論めいたものは何一つ得られず、結局横になっているだけの一日となりました。
今日はだいぶ回復した感があるので、こうしてブログでも更新しようかという気にはなっているのですが、何をテーマに書こうとか目的意識などなく、ただ単に指を動かして目で文字を追っているだけ、といった風情です。
最近、風邪らしい風邪をひいたことがなく、ひいたとしても軽い症状で済んでいました。我が家には温泉が出るのですが、以前から温泉に浸かっていると風邪をひかない、とはよく人に言われていたことです。今の今まであまりひどい感冒にかからなかったことは、この温泉入浴と無縁ではないでしょう。
では、これほど重い症状だったのは…と思い起こしてみると、記憶にあるのは、一昨年の正月のこと。ですから、およそ2年ぶりの病気といえば病気になるわけです。そのころは何をしていたかな~と考えているのですが、よく思い出しません。が、何やら仕事の方向性や何かのことで色々悩んでいたような気がします。
以前、このブログでも紹介したことのある、「病気が教えてくれる病気の治し方(トアヴァルト・デトレフゼンと、リューディガー・ダールケ共著、柏書房)」という本では、こうした病気については、すべてスピリチュアル的な意味がある、という観点から理論展開をしています。
今日はあまり元気がないので、詳しいことはこの本を読んでいただくとして、この本には、生きた人間の体は、非物質的なもの、つまり意識と精神のはたらきによって機能しており、意識や精神の醸し出す情報が、物質的な肉体に伝えられて動かされ可視化される、といったことが書かれています。
従って病気もまた意識という「魂」と精神という「命」によって示された何等かのメッセージだというわけです。
そこで、今の私のテーマである、この風邪についてのこの本における記述について、もう一度まとめてみましょう。
風邪は呼吸器官を激しく消耗させる病気です。風邪といっても色々な種類があるようですが、一般的にはウイルスの感染による上気道(鼻やのど)が炎症を発した状態のことです。のどのいがいがや痛み、くしゃみ鼻水、鼻づまりなどの局部症状とともに、しばしば発熱、倦怠感、頭痛など全身症状をひきおこします。
もともと、ウィルスによって体の健全な組織が攻撃されているため、体内の細胞たちが抗体を作ってこれをやっつけようとしているわけですが、これをスピリチュアル的に考えると、我々の魂はウィルスというものに形を変えた精神障害に対して「葛藤」し、これを「消化」している状況になります。
従って、風邪をひいた場合は、精神レベルで何かの問題があってその症状を発しているのであって、その炎症の起こっている場所や領域を調べれば、なぜその風邪をひいたのかがわかる、ということになります。
例えば、風邪をひくとたいてい、くしゃみや鼻水など、たいていといっていいほど「鼻」に症状が出ます。「病気が教えてくれる病気の治し方」によれば、これはつまり、なにかが「鼻もちならない」危機的状況のときと考えることができるといいます。
危機的状況といっても、命が危険にさらされるようなものではなく、日ごろよくある状況で、大騒ぎするほどではないけれど心の重荷になってしばらくそこから逃げたくなる、そんな状況をさします。
ただし、それを自分に認める心の準備がまだないので、まずは体に症状として現れます。そして風邪をひくことによって意識せずにその隠された願い~現実からの逃避~を実現することができます。
例えば風邪をひいて休むことができれば、誰もが状況を理解してくれます。風邪さえひきさえすれば、やっかいな状況から距離を置いて自分をいたわることもできます。そして繊細になってしまっている心の状態を、体レベルで表現することで外部に示すことができるわけです。
このほか、風邪の症状としては、頭が痛い、目に涙がたまる、体の節々が痛む、いらいらするといったことがあり、全般的に「感じやすく」なります。このため、人から近寄られたり触れられたりするのを極端にいやがり、鼻がつまってコミュニケーションができなくなります。
自分で意識する、しないは別として、くしゃみによってさらに守りを固めるところとなり、やがては喉が荒れて、コミュニケーションの媒介として言葉を話すことも制限されていき、とどのつまりは孤立します。孤立してしまえば、何人からも妨げられることもなく、ひとりの世界の中で、今抱えている問題をじっくり考えることもできようわけです。
しかし、いつまでも自分の殻に閉じこもってばかりいても、問題は解決しません。新たな自分を見つめ直し、風邪を治して新たな方向性をみつけていかなくてはなりません。
こうした風邪の症状に対応するためには、まずは、背負った問題を化膿した粘液として体外に出そうと試みればうまくいきます。「鼻持ちならない状況」を起こした原因を考え、それが自分に起因するならばこれを修正し、他人が引き起こした状態ならばその人との和解を考えます。
自分が引き起こした問題であり、自己責任として処理する場合も多いでしょう。そこは謙虚に自分を見つめ直し、それが功を奏してひとつひとつ問題解決の糸口がみつかり、がんじがらめになった課題のしがらみから解放されれば、まず気が楽になります。
あらゆる通り道をふさいでいるねばっこい粘液が再びさらさらと流し出す、というイメージを持つことが大事です。こうして「鼻持ちならない」状況を起こした風邪は流動的になり、やがて小さな進歩の訪れを告げます。
風邪がすっかり治っているころには、なぜあんなに悩んでいたのだろうか、とウソのように問題は解決しているでしょう。私もよくあるのですが、風邪をひく前とそれが治ったああとでは精神状態がガラッ変わっていることがあります。
しかし、もし風邪が治らず、長続きするようならば、何も問題解決の糸口が見えていないのかもしれません。
ただ、ある自然療法では、風邪は体から毒を洗い流す健康な洗浄作用とみなされているそうです。精神レベルでも毒は問題であり、これが排出されることで、体も心も元気になって危機を脱するのです。
従って、風邪もなかなか治らず、何も問題も解決されていない、と嘆かずとも、少なくとも体の中からある種の毒は抜けつつあるはずです。そして時間がかかってもやがてはその毒気は抜けるはずであり、リフレッシュしたその心と体で新たな一歩を踏み出しましょう。そうすればきっと道は開けるはずです。
こうしたことを踏まえ、今回の自分の風邪は何だったのかな、と自問してみるのですが、ひとつはやはり忙しさから逃げたい、逃げ出したい、はあったように思います。またなんでもかんでも自分ひとりでしょい込みがちな性格から出た閉塞感、という側面もあるように思います。
そして、しばし体を横たえ、ぼんやりとした頭の中でこれらの問題の対処方法を考えていたら、少し風邪もやわらいだような気がします。
なので、皆さんもいかがでしょう。年末年始、人ごみの多いところへ出かけることも多くなると思いますが、そこで貰った風邪は必ずしも単なるインフルエンザではなく、自分の精神状態から出たものだ、と考えるとまた対処方法が違ってくるのではないでしょうか。
ただし風邪は誰でも何度もひきます。風邪をひかないでいられるのは次に何かが鼻持ちならなくなることが起きるまでのひとときです。
次の風邪をひかないよう、つねに自分のこころとからだを見張って問題の根っこは常日頃摘み取っておきましょう。