今年も残りあとわずかとなりました。
「午」の年ということだったわけですが、改めてなぜこの文字が馬と読むのかなと思って調べてみたところ、「午」という字は「忤(ご)」という文字の省略形のようです。
「つきあたる」「さからう」の意味だそうで、草木の成長が極限を過ぎ、衰えの兆しを見せ始めた状態を表しているとされます。ではこれをなぜ馬と読むのかについてですが、これは他の干支も同じく、元は難しい漢字だったために、覚え易くするためにそれぞれに動物の名前が割り当てられたためです。
従って、午に相当するものをウシと呼んでもよかったのでしょうし、タヌキでもよかったのでしょうが、あとは訓読みにしたときの呼び方のゴロの良さなども考慮して今のような順番になったのでしょう。
干支は元々は中国が発祥の地ですが、日本も含めたアジアの他の諸国に伝来してからは、当然、言語が異なり、読み方も違うため、動物の種類もかわる例があります。例えばベトナムやロシアの一部の地方では、兎がネコになったりしています。
それにしても、この午の意味が、元々は「つきあたる」というのは、なにやら現在の日本を表しているようで、意味深です。今年一年を振り返ると、未だに経済状況は頭打ちだし多額の借金に加えて高齢化もさらに加速していて、日本は没落しかけているのではないか、という印象を誰でもが持っているのではないでしょうか。
さらに、今年の重大ニュースの中では、年頭2月の関東地方を中心とした大雪や、8月の広島での大規模な土砂災害、9月の御嶽山の噴火などがまちがいなく上位に含まれているでしょう。例年になく今年は災害が多かった印象があり、「頭打ち」にさらに水をかけられたような感じがします。
が、暗いニュースばかりでもなく、ノーベル物理学賞に青色LEDを開発した日本人の3氏が選ばれたことや、全米テニスで錦織選手が準優勝したこと、世界文化遺産に「富岡製糸場」がえらばれ、また「和紙」がユネスコ無形文化遺産に決定するなど、スポーツや文化の面では逆に明るい話題が多かったように思います。
ソチオリンピックでは、日本は金1、銀4、銅3と、やや振るわなかったものの、このうちの金メダルは日本男子フィギュア界初となる羽生選手の大活躍によるものでした。また、途中から怪我で失速はしたものの、ニューヨークヤンキースの田中投手が前評判通りの実力を示したのも記憶に新しいところです。
よく言われることですが、最近の日本はひところの経済成長が止まってあまり元気はないものの、文化的には成熟期に入ったという説もあるようで、この点、老大国、イギリスに似てきたという人もいます。
バリバリと稼げた中年の時代は過ぎ、老後の時代を迎えた、ということであり、今年一年を振り返るとまさに社会全体のありようも高齢化している、そういう印象があります。
そうした意味でも、今年の干支である「午」はまさに現在の日本にぴったりのようにも思え、この干支というものサイクルといいうのは、もしかして日本の上昇不沈のリズムに関連づけて決められたのかもしれない、とも勘ぐりたくなります。
そうなると、来年の干支である「未」の意味が気になることころです。これも調べてみたところやはり午と同じく略字化された文字のようで、元は「昧(まい)という文字だったようです。「暗い」の意味だそうで、えっ、そうすると来年はもっと暗い年になるのか、とも思ってしまいます。
しかし、この文字の本来の意味は、植物が鬱蒼と茂って暗く覆うこととされており、別の解釈では「昧」の同義語は、「味(み)」であり、これは訓読みでは「あじ」です。果実が熟して滋味が生じた状態を表しているとされており、単に暗いのではなく「味が出てくる」ということであり、悪い意味ではなさそうです。
今年よりもさらに日本ではあらゆる面で機が熟してくる、とも受け止めることができ、長い低迷時代を踏まえた老大国日本がますます円熟期を迎える、というふうにも解釈できます。
同様に見ていくと、さらに再来年の「申」は「呻(しん)」の略であり、これは「うめく」とも読みます。その真意は、果実が成熟して固まって行く状態を表しているとされるそうで、再来年ごろがこの円熟期の仕上げになる、という解釈ができます。
さらに次の年は、「酉」で、これは「緧(しゅう)」、「ちぢむ」の意味で、果実が成熟の極限に達した状態を表しているとされます。食べごろを通り越して、ザクロであれば、はじけたような状態をさします。
そして、「戌」。これは「滅(めつ)」「ほろぶ」であり、草木が枯れる状態を表しているとされます。
つまり、今年あたりから始まった成熟期は来年、再来年とさらにますます円熟期を迎えますが、3年後の酉年あたりには、そのピークを過ぎ、枯れてしまう、ということになります。
すわ、日本沈没か、というふうに思ってしまい、やっぱりそうかぁ、と悲観してしまう人もいるかもしれません。が、すべてのものには栄枯盛衰があるものであり、枯れるということは決して悪いことではなく、再生の序章でもあります。
そして、その次の年。この2020年は、「亥」であり、これは干支の最後の年でもあります。文字としては「閡(がい)」であり、これは「とざす」の意味です。が、これもけっして悪い意味ではなく、草木の生命力が枯れた実の中に閉じ込められた状態を表しているとされ、つまりは次の時代の「種」が宿る年ということです。
東京オリンピックが開催される年であり、まさにこの年に新生日本が生まれるタネが宿るとの暗示でもあります。
ここ数年はまだじっと我慢の年が続くけれども、その時代に培ったものはやがてタネを産み、次なる成長につながっていく糧になる、と考えると明るい気分にもなろうと思うですが、いかがでしょうか。
ただし、干支の意味そのままに推移していくならば、来年はまだまだ日本にとっては飛躍の年というわけではなく、おしんのようにじっと我慢の日々が続く、ということになります。しかし、「未」の文字が意味するところは、果実が熟していよいよ食べごろになるということであり、これを逆手に考えることもできそうです。
例えば、来年の目標をまだ立てていない人は、来年こそは味覚をより磨くべく、従来よりもさらに美味しいものを食べる、と前向きに考えると良いかもしれません。
しかし、ただ、単に食べるだけではぶくぶく肥ってしまい、健康にはよくありません。なので、これを少し改め、お金を貯めておいしいものを食べる、ということを目標にする、というならば気も張ってきます。
私自身もむしろダイエットをしたいほうなのですが、食べたいものがないわけではありません。今年は割と控えていたおいしいラーメン屋めぐりを、来年はぜひ実現させる、そのためにも仕事を頑張る、というのは一つの目標としてなりたちそうです。
年末から年始にかけて来年の目標を立てようと思っているあなたも、どうでしょう。おいしいものを食べるために仕事を頑張る、ぜひこれを目標に加えてみてはいかがでしょうか。