千と千尋の裏話

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毎日良いお天気の日が続いており、これはどうみても梅雨明けでしょう。

気象庁からの発表はまだありませんが、天気図を見るとずいぶんと太平洋高気圧が張り出してきており、九州南部では早、梅雨明けをしているのではないか、とのたまう気象予報士さんもいるようなので、早晩気象庁からも梅雨明け宣言が出るに違いありません。

例年、梅雨があけるころがちょうど夏休みの入りであり、ここ伊豆もやがて若者にあふれかえることでしょう。東京に近いこともあり、とくに東伊豆のビーチはどこへ行ってもイモ洗いです。

人ごみの嫌いな私は、こういうところへはなるべく近寄らないようにしており、観光客が多くなる季節にもし海が見たくなったら比較的すいている西伊豆や南伊豆へ行くことにしています。伊豆暮らしも3年目になると、だいたいどこの海岸が綺麗とか富士山が良く見えるとかがわかるようになってきており、それはやはりこの地に住んでいる者の特権です。

ただ、それでも伊豆全部の海岸を走破したわけではありません。おそらくあまり知られていないような場所もあるに違いなく、これからはそうした海を探索して回るというのも楽しいかもしれません。

ところで、海といえば、その昔見たアニメ映画の「千と千尋の神隠し」の最後のほうで出てきた海は印象的でした。大雨で氾濫した湿原が海とつながり、その「海原」の中を鉄道が走っていくのですが、その背後の空の色調といい、どこまでも広がる海原の中にところどころにぽつんと民家や踏切が浮かんでいるといった描写も実に幻想的でした。

調べてみると、この鉄道には名称があり、その名も「海原電鉄」というのだそうです。しかし、「電鉄」と銘打ってはいるものの、架線は存在せず、列車自体は気動車のようです。

この電車の車体は木目調で両サイドにドアがあり、よく見ると型番の表示もあります。車内は赤い対面型のシートに木目調の内装が施され、扇風機なども取り付けられていてかなりレトロです。一方では、空調の室外機らしいものもあり、モデルとなったのは、相模鉄道と小田急電鉄と言われています。

こうした古いものに、近代的設備を付加したデザインというのは、宮崎作品にはよく出てくるものでもあり、様々な時代の特徴物をひとつのものにインテグレートすることで一層不思議感が増します。監督の得意とする手法のひとつでしょう。

二両編成で、前面には屋根上の丸型前照灯および赤色灯がついています。また正面中央には「中道」とかかれた表示板がつけられており、これはおそらく路線名または行き先だと考えられます。



実は、この中道というのは、仏教用語で、相互に対立し矛盾する2つの極端な概念や姿勢に偏らない生き方を言います。苦・楽のふたつを「ニ受(にじゅ)」といい、魂や様々な存在物について恒常的に「有る」とか、ただ単純に消えてなくなるだけで「無い」という見解を「二辺」といいますが、そのどちらにも囚われない、偏らない立場が中道です。

たとえば、厳しい苦行やそれと反対の快楽主義に走ることなく、目的にかなった適正な修行方法をとることなどが中道です。お釈迦様は、6年間にもわたる厳しい苦行の末、いくら厳しい苦行をしても、これでは悟りを得ることができないとして苦行を捨てました。

苦行を捨て断食も止めて中道にもとづく修行に励み、かといって楽も求めず、ついには悟りを開きました。この状態のことを「中道を覚った」といい、このように目覚めた人のことを「仏陀」といいます。

この電車の表示板に書かれていたのが、行先だとすれば、宮崎駿監督は、この「中道」の意味を知っており、この電車の終点としてはそこが理想的、と考えたのでしょう。

この物語では、主人公の千尋が、「油屋」で大暴れした「カオナシ」を連れて、この電車に乗り、「銭婆」の所に行く、という設定なのですが、その途中この電車はあちこちに停車し、その都度、この世界の乗客が昇降します。

この乗客たちは、不透明な黒い影のような人達で、顔を見ることはできません。中高年が大半のようですが、通常の人よりも少々大柄なようでもあり、中にはとてもくたびれた感じで座っていたり、立っていたりする人もいます。

この人物たちが黒いのは、生きる希望も未来もなくなって死んだ人達である、という説があります。中には自殺者もいるであろうことから、途中に駅があるのはそうした自殺を踏みとどまらせるためだといいます。また、電車が行きしかなく、帰りの電車がないのもこの電車が自殺者を乗せるためのものであることを裏付けている、という人もいるようです。

九十九島

実は、この世界に迷い込んだ千尋や両親は、映画の冒頭で事故にあって瀕死になっていた、という説もあるようです。劇中の冒頭で、車を運転していた父親が突然スピードをあげて不思議な街の入り口のトンネルに向かっていくシーンがありますが、実はこの時に、事故を起こして、彼等は死に直面したのではないか、というのです。

改めて映画を見ると、確かに千尋のお父さんは確かに事故に遭っていておかしくない猛スピードでクルマを飛ばしています。また、千尋が向こうの世界に着いたとき、たびたび体が透けてなくなりそうになっていますが、これはこの電車に乗っていた人達と同様に千尋もまた死にかけているのだと考えることもできます。

さらにこの説を裏付けるものとされるものが、この千尋たちが最初に突入したトンネルです。赤い色をしていますが、映画の最後のほうで、この不思議な世界から帰る千尋たちが通るトンネルは、本来の石造のトンネルに変わっています。つまり、これは千尋たちが生還してこの世に戻ってきたためである、というわけです。

そもそも、千尋たちが、この不思議の町に入ることになったのは、家族の絆が薄れ、投げやりな生活をするようになったからだら、という説もあります。

この街は、こうした投げやりになってしまった人々に「生きる力」を呼び覚ますためのチャンスを与えてくれる場所です。そこで仕事を得て懸命に働くということは、「生きる力」を得るということでもあります。このため映画の中でも千尋は必死になって仕事を得ようとします。

しかし、ここでも働くことをせず、投げやりになったままだった父親と母親はブタの姿に変えられました。やがては消滅させられる運命だったといい、千尋とともに二人とも生還できたのは、その後この世界での更生がうまくいったからだといいます。

さらに、千尋とともにこの海原電鉄に乗る「カオナシ」は、「自分の欲望の固まり」そのものなのだそうです。劇中、カオナシは、手から沢山の金を出して、「千尋がほしい」と迫ります。しかし、もし、千尋がこれを欲しいという欲望に負けてしまったなら、カオナシに呑み込まれ、この世界から戻ってくることが難しくなっていたかもしれません。

仮に、日常世界に戻って来られたとしても、お金の亡者の様な人になっていたかもしれず、しかし、千尋はお金の欲望に負けず、見事に金を突き返したため、「欲のない素直な女の子」のままこちらに帰ってこれたというわけです。

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ところで、この海原電鉄の乗客の黒い人物たちの中には、明らかに少女らしい人物もおり、ホームから走り去る列車を佇んで眺めている様子が描かれており、なにやら意味ありげです。

実はこの少女は同じジブリ作品の「火垂るの墓」に登場し、最後のほうで亡くなる4歳の少女「節子」だという説があります。無論真偽は不明ですが、映画「火垂の墓」の中では、この節子は兄の清太より先に亡くなっており、この兄もまた戦後まもなくして「駅舎」で餓死しています。

海原電鉄は死者を運ぶあの世の電車であるわけですが、兄よりも先に着いた節子は駅のホームで兄が迎えに来るのを待ち続けている、というわけです。

ところが、これ以外の乗客たちは、この「沼原駅」という駅で、ほとんど全員が降車していきます。海原電鉄が死者を運ぶ電車であるならば、これすなわち、ここで降りた大勢の人達は皆、「極楽」に向かったと考えることもできます。

駅のすぐ前は、特になにもない原っぱですが、遠くに町があるようで、ここは映画館や温泉などもあるネオン街になっていて、ここで降りた乗客たちはどうやらこの街に行くようで、つまりはこの街こそが天国というわけです。

この駅には出口が水面下へと続く有人改札口が1つだけあり、この「沼原駅」という駅名はその脇にある表示板に書かれています。先ほどの少女は、この駅のすみっこで走り去る列車を佇んで眺めていました。

この海原電鉄がどこから来て、どこまで行くのか不明です。が、映画ではこの沼原駅以外にもいくつかの駅名が出てきます。ひとつは、「南泉駅」でこれは沼原駅の表示板に記されており、沼原駅の一つ手前の駅のようです。また、この表示板にはまた「北沼駅」の名があり、これは沼原駅の表示板に記されており、沼原駅の1つ先の駅です。

この北沼駅の次の駅が、「沼の底駅」であり、ここで千尋とカオナシは降車します。銭婆の家の最寄り駅であり、駅前には壊れた時計だけしかなく、駅自体も至極小さなもので、周りは文字通りの沼と森林に囲まれています。

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駅はこれで全部かと思いきや、実はこの映画冒頭では、もうひとつ駅が出てきます。千尋たちが最初に迷い込んだ場所には、時計台のような建物があり、この駅はこの時計台そのものの中にあるか、時計台付近にあるようです。時計台の一階が待合室になっており、駅らしい設備として映画に出てきたのはそこのみです。

この時計台駅には駅名表示があり、これは「楽復時計台駅」というものです。この駅の周辺には、夜になって神々がやってくるころになると、油屋周辺の飲食店街以上に賑やかな街が出現するところを見ると、海原電鉄の中でも主要駅に数えられるようです。

推測ですが、ホームはおそらくこの地下にあり、この後前述の南泉駅や沼原駅に通じているものと考えられます。映画公開当時のパンフレットで、宮崎駿監督が、この楽復時計台駅から油屋までは路線がふたつあり、いずれも地下トンネルを通って沼原方面へ向かっている、と書いているそうです。

この二本の路線は油屋のたもとで線路が合流します。そしてそこから地上に出て、沼原、沼の底方面へ向かうのだといいます。映画の中で、菅原文太さんが声をやった「釜爺」が、「昔は戻りの列車もあったらしいが今は行きっぱなしだ」と発言していることから、その昔は復路も電車が運行していたことがわかります。

また、この映画のファンによれば、釜爺の発言から、この路線は少なくとも40年以上は運行していることも読み取れるといい、踏切の通過シーンや線路を映したシーンから数学的に計算すると、海原電鉄の運行速度はおよそ60km/hなのだそうです。

いかにもオタク的な推論なのですが、そこまで調べてもらえるとよりリアリティーが増します。さらには、千尋が油屋駅を午後1時に出発し、沼の底駅に午後7時に到着したと仮定したならば、一駅区間は60kmとなり、油屋から沼の底まで360kmほどの長大な路線になるのだそうです。

ちなみに360kmは東京から京都ほどの距離があり、もし途中駅を間違えて降りてしまったら、往路線もないことですから、大変な事になるはずです。

ところで、映画の最後のほうで、千尋とハクの別れのシーンがありますが、この後、ハクはどうなってしまったのでしょうか。元々の住処であった川はもうないので帰るところはないわけです。

これについては、ハクが銭婆に誘拐された坊を連れ戻しに行くシーンで、湯婆に坊を取り戻してくる代わりに、「千と両親を人間の世界へ戻してやってください」と懇願し、これに対して湯婆は、「それでおまえはどうなるんだい。その後あたしに八つ裂きにされてもいいのかい」と毒づいています。

これに対してのハクの回答はなく、すぐにシーンは変わってしまいますが、本当に八つ裂きにされてしまうのか、と心配する人も多かったことでしょう。

再会

これについて、この映画の公開当時、ジブリのHPでハクの最期についての説明があるそうで、それによれば、「すべてのことはルールに従わなければならない」という世界観により湯婆の言葉通り八つ裂きにされる運命をハクは受け入れた、と書かれているそうです。

千尋と最後に別れるシーンで、手を繋いでいた千尋の手が離れ、ハクの手だけが名残惜しく画面に残っていますが、これについても、宮崎監督は、このシーンは2人の永遠の別れを表現している、と書いているそうです。

従って、悲しいかな、湯婆の宣言通り、ハクは八つ裂きにされるのではないか、と考えることもできます。が、最後に千尋と別れる間際にハクは、「私は湯婆と話をつけて弟子をやめる。平気さ、ほんとの名を取り戻したから。元の世界に私も戻るよ」と語っており、「またどこかで会える?」と問う千尋に対して、「うん、きっと」と約束しています。

つまり、このようにハクが千尋と再び会う約束をしているのは、ハクは八つ裂きにされるものの、その魂は蘇って人間界に行く、という風に解釈できると思われ、必ずしも悲しい結末ではない、と考える人も多いようです。




ここでもうひとつ疑問なのですが、このときハクは、千尋に対して、「私はこの先には行けない。千尋は元来た道をたどればいいんだ。でも決して振り向いちゃいけないよ、トンネルを出るまではね」と言っています。

なぜハクは千尋に「振り向かないで」と言ったか、ですが、これについては、もし振り向いてしまったなら、トンネル付近にあった不気味なダルマのような石の像に変えられてしまうから、という説があるそうです。

映画の中では、実際に千尋が後ろを振りかえろうとするシーンがありますが、しかし振り向こうとした瞬間、銭婆からもらった髪留めがキラっと光り、そのおかげで踏みとどまり、間一髪で振り向かずに済む、というふうに描かれています。この髪留めの光は実はハクの涙が光っていたのだという説もあります。

もし振り向いてしまったら、石に変えられてしまい、永遠にこの世に戻ってこれなかったわけですが、ここでもまたハッピーエンドの結末が演出されていたわけです。

このように、「千と千尋の神隠し」は、細部を見ればみるほど、意味深なシーンが出てきますし、ストーリー全体をみても、かなりスピリチュアルを意識した造りになっています。宮崎監督がそうした方面に造詣が深いのかどうかはよくわかりませんが、上でも述べたとおり、仏教用語らしいもののほか、あちこちにそうした超自然的な描写が出てきます。

ここで書いたようなことも前知識として持ちながら、もう一度お宅にあるこの映画のDVDを見直してみてはいかがでしょうか。無論、レンタルでも構いませんが、きっとまた新しい発見があるに違いありません。

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さて、今日は思いがけず(いつものことですが)、ジブリ映画の裏話に走ってしまいました。この映画は、2001年の公開作品で、興行収入304億円、観客動員数2300万人を越え、それまでの映画興行成績における歴代トップ「タイタニック」を追い抜き、国内記録を打ち立てました。

現在においても、ジブリ作品の中で2位の「ハウルの動く城(196億円)」、3位の「もののけ姫(193億円)を抜いて、断トツ一位の人気ぶりで、公開当時も夏休み公開映画であったにもかかわらず、翌年の春休みまで上映が続くという異例のロングラン興行となったそうです。

さらには、ベルリン国際映画祭において、アニメーションとしては史上初の最高賞である金熊賞を受賞。その他アカデミー賞をはじめ日本国内外の多くの賞の栄冠に輝いた名作であり、私もジブリ作品の中では、「となりのトトロ」と並んでこの映画が一番好きです。

この不朽の名作を作った宮崎駿さんも昨年引退されてしまいましたが、ジブリ作品としては今年の夏もまた新作が出るようです。

「思い出のマーニー」がそれで、これはイギリスの作家、ジョーン・G・ロビンソン原作による児童文学作品で、日本でも1980年に岩波少年文庫から刊行されています。監督は、「借りぐらしのアリエッティ」を製作した米林宏昌さんで、7月19日公開といいますから、今週末です。

そのストーリーはというと、他人に心を閉ざしている少女がある日、海辺の町に引っ越してきます。少女はその町にある古い屋敷になぜか心を奪われ、やがてその屋敷に住まう「マーニー」という少女と仲良くなります。が、あるとき二人の間にちょっとした、いさかいが生じ、二人は疎遠になると同時に少女は寝込んでしまいます。

ようやく元気になり、よりを戻したいと考えた少女は、マーニーの屋敷を訪れますが、彼女は消えてしまっており、そこには彼女が残した一冊の日記がありました。その日記を読み進むにつれ、彼女はマーニーの正体を知るようになる……

といった話のようです。私はだいたいの結末は知っているのですが、ネタバレになるので、ここではこれ以上書きません。が、先日映画館で見た予告編やパンフレットによれば、舞台は北海道になる予定とのことで、ストーリー以上にその美しい映像のほうも楽しめそうです。

なので、夏休みになったら伊豆へ遊びに来る予定の方は、ぜひそれを止めてこちらを見るために映画館に足を運ぶことをお勧めします。きっと面白いこと請け合いです。

で、私ですか?無論、映画もみて、そのあと人気の少ない伊豆の海を満喫したいと思います……

暑い夏がやってきます。熱中症にはくれぐれも気を付けましょう。

2014-0804