恋におちるということ

河口湖にて

久々にスピリチュアルをテーマにしてみたいと思います。最近読んだ中に「スピリチュアル・ヒーリング2」という本があります。筆者はベティ・シャイン(Betty Shine)さんで、イギリス人。表紙裏のプロフィール紹介によると、「幼いころから透視や予知能力などの超能力を発揮する。さまざまな超常現象を体験し、「心のエネルギー」によって人を癒す力を身につけ、オペラ歌手からヒーラーに転身」とあります。

イギリスでは有名な方のようで、テレビなどにも出演されていたようですが、残念ながら2002年に亡くなっています。この本は、最後に執筆された本ということで、遺作になるようです。

その中身は、人と霊、すなわち、生きている人と亡くなってしまった人それぞれの心のエネルギーについてのさまざまなエピソードが、彼女の心霊治療を通じて書かれています。すべて紹介することはできませんが、その中でも本題でもある「恋におちること」では、恋におちるということは、スピリチュアル的にみるとどういうことかということが書いてあります。

最近、若い方から恋の悩みの相談を受けたことがありますが、なかなか思うような方向に恋愛が進んでいかない方も多いかと思います。こういう方々は、ベティさんによるスピリチュアル的な観点からの恋愛論を垣間見てみると大いに参考になるのではないでしょうか。いつものように引用したいと思いますが、ただ、訳者による邦訳文は、原文を忠実に翻訳してあるためか、少々わかりにくい部分がありますし、著作権の問題もありますので、以下は重要な部分を抜粋し、私的な解釈も加えて書きなおしたものです。少々長くなりましたが、ご一読ください。




恋におちるということ(原文は恋におちること)

恋におちるということは、すべての人にある「心の波」の中でも、最もわくわくさせるものの一つでしょう。一目惚れによって胸がわくわくするのは、この人は前世で知っていた人だということが分かったからで、その発見は脳の働きを大きく変えます。

お互いに一目惚れで恋に落ちた恋人達は、本人達は意識していないかもしれませんが、二つの心を融合させて一つにしたいという、共通の考えと欲求を持っています。

しかし、この欲求が問題なのです。恋に落ちてしまった瞬間から、妻、夫、子供、家族、友人、これらはみなわきへ押しやられる ──存在することをやめてしまうのです。常識や他人への忠誠はもはや何の意味も持たず、自分達の世界しか見えなくなる・・・

もし、二人が自由に恋をする立場にあるなら、その恋は自然に育っていく場合もあるでしょう。しかし、いつも事がそう簡単にいくとは限りません。

狂ったように相手を縛りつける恋は多いものです。同じ職場で出会ったある若い二人は、会った瞬間から、「一目惚れ」で激しい恋に落ちました。しかし、その後1年間もの間、いつもお互いのためだけに生きていたため、仕事がおろそかになりました。二人は二人をとりまく全世界を完全に黙殺しました。そのあげく、男性は職を失い、女性は両親と疎遠になってしまいました。二人は完全に自制心を失ってしまったのです。

その後、女性の両親の援助もあり、男性は新しい仕事をみつけることができましたが、他の女性と一緒に仕事をすることを彼女が嫉妬したために、しまいには二人の関係はダメになってしまいました。

「一目惚れ」で多くの場合問題になるのは、片一方だけが熱が冷めた場合、もう一方は執着し、憎しみをもち、両者が悪夢のような状態に追い込まれるという点です。

一目惚れなどしたこともなく、これからの人生においてもそういうことはけっして起こらない。自分には分別があり、我を忘れるような恋愛はけっしてしないつもりだと思っている人も多いでしょう。しかし、そういう人でも、ひとたびそういう状況に陥ったら、ほかの人と同じように周囲が見えない状態になるのです。

二人が相思相愛だった場合、その恋は同じ振動をもつ心と心のエネルギーの融合といえます。すべては振動であり、二つのものが一つになると、短所や長所、とりわけ二人の欲求は倍加します。同じ感じ方をする人とたまたま出会い(実はたまたまではなく、必然だったりするのですが・・・)、その人の心の波の振動の仕方が自分のものと一致するなら、相手に話しかけられたり触れたりしなくても融合は生じます。双方とも自分らしさを失っていないつもりでいても、関係が続いているあいだは一体化して一人の人になったかのようになります。いつも相手の人と一緒にいたいという気持ちが頭から離れなくなるのです。

以前は自分にとって大事だった人のことさえ忘れてしまうのはこのときです。

こういう愛は一種の病気です。それによってへとへとになるのですが、容易に断ち切ることができなくなるのです。実際のところ、やめようという気にはまったくならず、むしろ外の人間を排除するような利己的な関係にエスカレートしていきます。それは麻薬のようなもので、そうであればそうであるほど美味なのです。

ところで、恋を持続させるためにはもうひとつ別の重要な要素があります。それは、ロマンス(恋愛感情)です。ほとんどの女性はどんな代価を払っても真の恋愛関係を得たいと思うでしょう。ただし、その際、セックスの問題は別です。それは恋愛のほんの一部でしかありません。

恋愛の最初の段階ではセックスは重要な意味をもつかもしれません。しかし、その恋が長びけば長びくほどセックスは重要ではなくなっていきます。もし二人のうちのどちらかが、あるいは二人ともが豊かな人生経験を持っていれば、二人の関係を持続させる要素の90%はロマンス(恋愛感情)であることを二人ともやがて知るでしょう。恋愛感情がなくなれば、二人の関係はおしまいです。恋愛感情は本物でなくてはなりません。本物でない場合、相手には本能的にそれがわかるのです。

大多数の人は恋愛感情が二人の関係を続ける上で欠かせないものであるということを知りません。どんな人でも、その人生において恋に陥る用意ができている時期があり、相手と心の波の振動が合いさえすれば、順調に?恋愛関係は発展していきます。しかし、最初は心の振動が融合したとしても、お互いの恋愛感情を維持できなくなってしまった場合、この上なく幸運か自分を欺くかしない限り、関係を続けることも結婚にこぎつけることもできなくなってしまうのです。

恋愛感情を持ち続け、ふたりが幸せになるためには、利己的ではない愛にまで高め、相手に縛りつけられることなく、相手と溶け合っている自分の心の一部を自由にすることが必要です。自分自身の独立と思考を失わないでいられれば、周囲の人々を傷つけることなく、その恋は深い愛に変わっていく可能性が高いのです。

さて、本論の心のエネルギーの問題に戻りましょう。人によっては一生のうちに一目惚れなど全くしない人もいることでしょう。こういう人がラッキーなのか、不幸なのかという議論は脇に置いておくとして、たまたま?一目惚れをしてしまった人は、その恋を決して忘れず、肉体的にも精神的にも最もひどい傷を負っても、悔やむことはめったにありません。

心と心が深く融合すると、決して切れることのない心のエネルギーのつながりができるからです。結局は分かれることになっても、相手のことを思い浮かべるだけで記憶がよみがえり、つらい出来事などなかったように思え、恋の始まりの時点に戻ったような新鮮な気持ちが蘇ります。

ただ、二人の関係が良かった時の思い出しかなければ、別れは耐えがたいものになるでしょう。一方では、悪かった時の思い出が多ければ、それを思い出すことで別れに耐えることができるという側面もあります。

しかし、いずれにしてもその恋を決して忘れず、ひどい傷を負っても多くの場合その恋を悔やむことはないのです。

心と心の融合によって激しさを増したエネルギーは、犯罪さえ引き起こします。二人の人の心が融合したあと、一方が逃げ出したいと思ったとしましょう。それは、このまま一緒にいては自分というものがなくなってしまうという怖れからくるもので、自己保存の本能のためであるかもしれません。また、相手の心と自分の心が一体になるあまりに、すべてがわかってしまい、新鮮さがなくなってしまうためかもしれません。

この時、相手の捨てられそうになっている人は、逆にその恋から離れられなくなっている場合があります。相手の心と融合したままでいたいという激しい気持ちは、かなり強い麻薬を常時注射してもらわないといけないという状態に似ています。麻薬が与えられないと一時的に狂乱状態におちいり、こういう状態のもとで人を傷つけたり、極端な場合、殺人にまで至ったりするのです。殺人まで犯す人はふつう、魂が体から抜け出す体脱状態にあり、何も覚えていないといいます。そこまで魂が極限の状態に追い込まれているのです。

それでは、相手から離れられなくなったとき、それを断ち切る方法はあるのでしょうか。

ただ一つの方法は、相手に会わないようにすることです。それによって心のつながりは少しづづゆるくなっていきます。何年か相手に会わないと、心のつながりはさらに弱まります。ただ、弱まるだけで、決して消滅することはありません。相手に残された、あるいは自分に残った心のエネルギーを消し去ることはできないのです。それはいつまでもあなたとともにあります。あなたにできるのは、ニ度と会わないことによって相手の拘束力を弱めることです。転居することが不可能ならば、二度と会わないよう決心しなければなりません。

ある妻子のある男性が職場の同僚の女性と恋に陥りました。男性は妻を愛していて裏切るつもりはありませんでしたが、その女性と別れることはできませんでした。男性と女性は逢瀬を続け、ついには妻が怪しみだしました。男性は家庭を失うことがとてもこわかったので、今後絶対にその女性と会うまいと心に決めました。腹を決め、それで一件が落着したかに見えました。

しかし、あいにく相手の女性は違う考え方を持っていました。女性はこの麻薬のような関係から離れられなくなっており、関係を終わらせたいとは思わなかったのです。男性は追い回され、ついには姿を隠さざるを得ないようになりました。

言うまでもなく、二人の関係は妻に見破られ、二人は一緒に住んではいても以前のような関係ではいられなくなりました。

──よくある不倫の話です。

もし、男性がすべてを失う前の恋愛の早い段階で、逢瀬を続けることを断ち切っていれば、男性と妻子の幸せな家庭は続いていたかもしれません。しかし、男性にはそれがどうしてもできなかったのです・・・

恋におちるということに関しては、だれが悪いとか悪くないとかいう議論はあてはまりません。誰もが被害者なのです。どんな人もこれについて反論することはできないでしょう。心と心のエネルギーがぶつかって融合するということは、ごく単純なプロセスです。それは一瞬にして起き、またどんな人にでも、どういう年齢であれ起こります。たとえ70代の人で、自分にはそんなことは起こらないと思っていても、どうなるかわからないのです。

しかし、恋愛の形はすべて同じというわけではなく、年齢を重ねた人の恋愛よりも、10代、20代の若い人達の恋愛のほうがより利己的です。若い人の恋愛は育っていくのに時間がかかることも多いものですが、自分達が愛し合っているということがついに分かりはじめると、二人はお互いのためだけに生きていこうと思うようになります。その結果として家族や友達や仕事はみなほったらかしになっていく・・・

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途中ですが、ここまでが、ベティさんの「恋におちること」の部分を記述を私なりに解釈した改訳文です。原文では、このあと、「若い人の愛」「無私の愛」「憎しみ」と続きます。いずれも面白い、といってはなんですが、ためになる内容なので、また日を改めてご紹介しましょう。

ただ、最後にもうひとつ、私の解釈を加えたいと思います。それは、人と人が出会って恋に落ちるということは、やはり必然であり、その恋の行方がハッピーエンドであろうが、悲惨な結末を迎えるものであろうが、当人達にとっては大きな学びの場であるはずだ、ということです。もちろん、周囲の人達も巻き込んでの大騒動になることだってあるでしょうが、そのまわりの人達も本人達の恋愛を通じて、何かを学んでいくのでしょう。それもまた必然なのだと思います。