数字のメッセージ②~夢のお告げ~

2014-3575こんにちは、タエです。

前回の「数字のメッセージ」を書いた後、ブログ上でムシャからエラいプレッシャーをかけられ、少しばかりブルーになってます。

地方都市の広島で細ぼそと物書き家業をしていたのは十年近くも前のこと。錆びついたペンをキーボードに持ち替え、日々の幸せな発見を“マイペースで”綴っていけたら・・・と思ってます。どうぞ温かい目で、気楽~につきあってやってくださいまし。

で、前回の「数字のメッセージ」の続きです。

私が母の命日や誕生日にまつわる数字を立て続けに目撃することになった日の二日前、私は東京の神田神保町で、亡き母の弟…私にとっての叔父二人・従妹二人の四人と久しぶりに会っていました(私以外は全員関東在住)。約一年ぶりの昼食会です。顔を合わせなかった間に起きたこと、出かけた旅先の話など、おのおのが持ち寄った話題に花が咲き、それは楽しいひとときになりました。

そして皆の食事が一通り終わり、食後の飲み物に手が伸び始めた頃だったでしょうか。
「そうだ、この話をしておかなきゃ」と、私の中でにわかに思い出された話題がありました。それは、去年の秋にみた夢が発端となった一連のエピソードです。

私は一人っ子のせいか昔から夢見がちなところがあり、物語を読んではその世界を空想して遊ぶのが大好きな少女でした(NHKの朝ドラのヒロイン、花子そのままに)。そればかりか、放っておかれたらいくらでも寝ていられるロング・スリーパー。空想だけでなく現実の夢の方もたくさんみる性質(たち)で、近頃では気になった夢は「夢日記」に書き留めるようにしています。

その中でも去年の九月にみた夢というのが、非常にリアルな質感をした、すこぶる付きの気になる夢でした。紹介するとこんな具合です。

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明るい朝か昼間の時間帯。どこか見知らぬ家の広めの和室に私が寝ています。
他に何組も白い布団が敷いてありますが、寝ているのは私一人です。

その部屋と廊下を仕切っている五~六枚続きの襖。その一枚がスーッと開いてぞろぞろと人が入って来ました。その集団の三人目くらいに、九年前に亡くなった母が笑顔で現れ、寝ている私の右側に敷かれた布団の上に座ってニコニコしています。その光景が現実のように鮮やかでリアルな見え方のため、「これが夢?」と内心驚いているワタシ・・・。そう、このシーンは、“夢の中の夢”という設定なのです。

その“夢”の中で私は起き上がると、母より先に入ってきて私の枕元にある窓辺に腰かけた女性に
「どこから来られたんですか?」と話しかけます。すると、
「丸の内の“きわ”です」と彼女。
「ああ、東京ですか」と私。
その女性の向こう隣りにもう一人、年配の女性が微笑みながら私たちのやり取りを聞いています。

その間、グループの別の男性と話をしていた母でしたが、私が母の方へ向き直ると、亡くなった当時の七十年配そのままだった母の顔が、若くキレイな女性の顔になっているではありませんか。私が
「お母さん、キレイになったねー」と頬に手を当てながら言うと、
「あんたもキレイになったよ」と言ってくれ、それがとてもうれしい私でした。

やがて母たちの帰る時刻になったようで、立ち上がった母が
「三月の会(大会?)には来るんよ」と言います。
(その時、その会には三百人だか三千人?が集まるのだと声が聞こえてきました)
「それって、どこであるん?」と私が尋ねると、母は窓辺の女性の方へ眼をやりながら
「丸の内のきわ」と言うのです。

そのあと母は「来るんよ、いいね」と念を押すように言い残し、他の方たちと部屋の外へ出て行きました。

・・・そこで“夢の中の夢”から覚めた私は、部屋の中に入って来たスーツ姿のムシャに(仕事先から帰ってきたという設定)「今時間ある?ちょっと今みた夢の話を聞いてほしいんだけど」と言って、夢の話をし始めるのでした。

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この夢は、今思い出しても不思議な感じのする夢でした。

亡くなった両親の出てくる夢は結構みる私ですが、生前一緒に暮らしていた頃と同じような何げない夢がほとんどで、こんな風に「○○するのよ」と行動を促されたのは初めてです。しかも、「三月の会」「丸の内のきわ」・・・と、具体的な時期や場所が指定されているのです。

気になった私はその日のうちに早速インターネットで色いろ検索してみました。

けれど、「きわ」という名前はもちろん、丸の内周辺で今年の三月に予定されているイベントのようなものは見つかりません。あったのかもしれませんが、その時は探し出せず、年が明けてその時期が近づいたらヒントのような何かが起きてくるのかもしれない、と思っていました。

それから二か月余りたった十二月。長い付き合いのある友人たちと会うため、私はひとりで約一年ぶりに広島に帰っていました。そこで会った一人が、ムシャのブログにもたびたび登場しているスピリチュアル・カウンセラーのSさんです。

彼女とはライター時代の仕事が縁で知り合って、もう二十年近くになるでしょうか。両親が生きていた頃から人生の節目節目に会ってはカウンセリングを受け、その的確なアドバイスや守護霊さんからのメッセージに励まされ続けて来ました(私に結婚の時期が近づいていることも、彼女が伝えてくれた亡き母からのメッセージで知りました!)。

ですから、広島に帰ることになった時、夢の謎解きをSさんにしてもらうことに何の迷いもなかったのです。

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そして、その夢に関するSさんのお見立ては・・・

「(その時の夢に現れた母以外の方たちは)空襲で亡くなった方たち。
最初に現れた女性に焦点を当てたら“空襲”“空襲”というイメージが出てくる。
何でその場所に行かなきゃいけないかというと、何かそこで語り合うみたい。
(私と誰かが?私たちの関係する魂さんたちが?)
戦時中の空襲で亡くなった人たちの大量浄化かも。
そこでタエさんと誰かが会い、語り合うことで、空襲に関係した人(霊的存在)たちが一つの区切りをつけるのかもしれませんね」

という風な内容でした。

でも、三月中にはそれらしき会合も「丸の内の“きわ”」に該当するようなキーワードも現れてくることはなく・・・実生活では三月末に当地で入院していた義母が退院してきたため、三人での新たな日常が始まって、夢のことは忘れ果てていたのです。

そうしたら、四月の下旬に差し掛かったころ。五月の連休明けくらいまでは滞在すると思っていた(ムシャの)母上が、四月の三十日には山口に帰ると言い始めました。そこで慌てて連絡を取ったのが、亡くなった先妻さんのお母さんのT子さんです。

・・・というのも、八王子在住時代からT子お母さんには息子君の面倒を見てもらったり何かとお世話になっており、修善寺の家にもお招きしたいと思っていたのに実現できないでいました。そこでかねてより「入院中の母上が退院してきたら、千葉の息子とも都合を合わせてぜひ我が家へいらしてください」という話をしてあったのです。

それで、息子君とも連絡を取り合ってもらい都合のつく日をあげてもらったところ、それがちょうど大型連休初日の土曜日。それだと、連休中の伊豆地方はものすごい人出になるため、車での移動が大変厳しいものになります。加えて息子君も大学の都合でトンボ帰りしなければならない日程だとのこと。それらの事情を勘案した結果、T子母上に我が家に泊まっていただくのは次回に譲って、急きょ都内で会うことになりました。

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で、どこで落ち合うかという話になった際、ムシャの提案したのが、東京駅の前の旧東京中央郵便局跡に新たにできた商業施設「KITTE(キッテ)」です。

そう・・・「丸の内の“きわ”」ならぬ「丸の内の“キッテ”」だったのです。

もちろんこの時のムシャの頭の中には私の夢のことなどひとかけらもなく、千葉から来る息子と、西東京から来るT子母上、修善寺から出向く我々の三組が、一番わかりやすく合流できる都内の最適地・・を考えて思いついただけのこと。

ここまでだったら、「なんだか似た名前の場所になったわね」というだけなのですけど、実際に待ち合わせた「キッテ」の6階・レストランで、ランチをいただきながら色いろおしゃべりしていると・・・東京の下町生まれのT子母上のご一家が、東京大空襲にあい亡くなられた縁者も多数いらしたことが判明!(母上は田舎に疎開していて難を逃れたとのこと)

この日は、ムシャの母上の快気祝いのようなランチ会だったので、その話に関してはそれ以上広がらなかったのですが・・・「もしかして、空襲で亡くなった人たちの大量浄化って、T子お母さんの関係者の方だったわけ?」と、後になればなるほど思えてきました。

私とムシャ、息子君、ムシャの母上にT子お母さん・・・この顔合わせでは初めてとなるお食事会の場所が、たまたま東京駅を見下ろせるビルの6階になり、戦時中多くの人々が命を落としたその場所で、家族の絆を確かめ合ったこと(というとカッコいいですが、要するに楽しくクッチャべったこと)。それが、どれだけ魂さんたちの浄化に役立ったのかはわかりません。

けれど、修善寺に帰った晩にT子お母さんから電話があって、「今帰りました。今日は本当に楽しかったです~」と弾んだ声で言っていただけたときは、また一つお役目を果たせた気がして、「よかったぁ~」と、心底思ったのでした。

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・・・と、長くなりましたが、これらの一連の話を先月会った叔父や従妹たちの前で話したわけです。すると、皆もよく知っている亡き母の登場する夢でもあり、かなり意味深な内容とその顛末だったこともあって、「へぇ~」「面白―い!」と予想以上のリアクション。

「そういえば昔、近所のおばさまに『夢日記をつけるとイイわよ』と言われたことがあった」とか、
「そうか、普段つけてる日記に夢日記も加えるとイイのかもしれないな」など・・・
それぞれの“夢”に関する話題が広がって、ネタを提供した側の私もこれまた一つお役に立てたかも・・・と、手前みそながら大変うれしくなったのでした。

そんなことがあった二日後だったのです。母の誕生日や命日にまつわる数字を外出先で立て続けに目にしたのは・・・。これはもう、母からのOKサインに違いありません。

実はもう一人、広島で夢解釈をしていただいた方がいて、その方には
「お母さんが三月ごろに大切なテスト(霊的なお試し)があることを、夢を通して前もって教えてくれている。そのテストに正解をしなければいけない。それは“正しさ”が基準になるんじゃない。大切なのは“愛”だよ。いいね。」
と言われていました。

私が母の教えてくれた大切なテストに正解できたのかどうかはわかりません。
しかし、母の夢がきっかけとなって、結婚後にできた新しい家族と、結婚前からつながっていた母方の親戚・・・その双方と楽しい時間を過ごすことができた。そのことについては、母も喜んでくれたんじゃないでしょうか。

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そんなことを考えていた先日の昼間、リビングの窓から見える朝顔のプランターに黒っぽい小さな蝶…ミスジチョウが現れました。それを目で追いながら何げなく窓辺のテレビに目をやると、画面には母の誕生日である「6月22日」の文字が!(見ていた番組が上半期の総集編を放送していて、私が目をやった時にたまたま6月22日放送分を映していたのです)

母が元気でいた頃、「お互いに万が一のことがあってこの世を去るようなことがあったら、残されたものに(そばにいることが)分かるように必ずサインを出し合おうね」と言い合っていました。これまでにも色んな形で母の存在を感じて来ましたが、今回の夢のお告げに始まる数字のメッセージほど分かりやすいサインもありません。
(もしかしたら、母以外の守護霊さんが私に気付かれやすいサインとして送ってくれている場合もあるとも思うのですけど・・・)

一説によると、天使が送ってくるサインで最も多いのが、数字の組み合わせだそうです。
車のナンバープレートや郵便番号に住所の番地、電話番号、時計の時刻表示・・・等々。皆さんの中にも、なぜか気になる数字の組み合わせがあるんじゃないでしょうか。
その数字の向こうには、やがて明らかにされるのを待っている大切なメッセージが隠れているのかもしれません。

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数字のメッセージ

2014-3-5276 こんにちは。突然ですが、タエです。

 先日、ムシャと買い物に出かけた道すがら、私たちの車の前に一台のタクシーが入ってきました。そんなことはよくあることで、いつもなら気にもとめないのですが、いつもとは違っていたことがありました。それは、タクシーのリアウィンドウに貼ってあった車体番号です。

 車体番号“515”。その数字は、9年前に亡くなった私の母の命日…5月15日と同じ数列だったのです。

 その番号を見てもう一つ思い出したのは、私が半年前にそのタクシーに乗ったことがあるということでした。約半年前の1月下旬、私は義母の入院先である病院から美容院へ向かうため、タクシーを利用しました。

 伊豆へ越して来て2年目にして初めて乗る地元のタクシーです。年末に山口から遊びに来た義母が、我が家に着いたその晩に股関節を骨折・入院して以来、「非日常」な日常が続いていたこともあって、車内の私はいつも以上にテンション高め。

 30代後半くらいの運転手さんと、結構プラベートナことまでおしゃべりしていました(タクシーに乗ると、情報収集も兼ねて話しかけるのが私の常です)。

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 その内容はほとんど覚えてないのですが、降りる段になってしゃべりすぎたことを少し反省していたとき、目に入ったのが車体番号の“515”。

 「この番号って、母の命日と同じなんですよ。しゃべりすぎたのも、そのご縁ということで、許してやってくださいね」とかなんとか言い訳したことだけは鮮明に覚えています。
 
「いやぁ、私も楽しかったです」と笑顔で答えてくれたあの時の運転手さん。その見覚えのある眼元が、前を走るタクシーのバックミラーに映っています。そうこうするうちにタクシーは右折し、私たちの視界から消えてしまいました。 

「このタイミングで“515”って、お母さんからの何かのメッセージかな?」
「さぁ・・・」問いかけられたムシャも首をかしげるばかりです。

 でも、それだけではありませんでした。
 
 そのあと買い物をした1件目のスーパーで支払いをしたところ、レジで受け取ったお釣りが「622円」。次に立ち寄ったお店で支払った金額が「6224円」。両方に共通する数字“622”は、母の誕生日6月22日を表わす数列なのです。

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 そんなのただの偶然じゃないか。きっと多くの方がそう思われるでしょう。けれど、我が家には、この誕生日や命日にまつわる不思議な偶然がたくさんあります。

 その代表的な例として私がよく話のネタにしているのが、私の家族の誕生日です。

 先ほどふれた母の誕生日の6月22日。この数列を逆にした2月26日が父の誕生日なので、二人は生前よくこの偶然を、夫婦仲のよいカップルの印のように自慢していました。もしそれが運命で定められたパートナーを探す目印になるのであれば、こんなにわかりやすい目印もありません。それなら私も自分の誕生日の数列を逆から並べ替えた誕生日の彼を探せばよいわけです。

 しかし、残念ながら私の誕生日は12月21日。逆から読んでも12月21日なので、「な~んだ、私はひとりで完結しちゃってるのね。それか、同じ誕生日のパートナーを探せってこと?」なぞと、自嘲気味に思っていたものです。

 それが、長い長いパートナー探しの旅に疲れ果てた末たどりついた(?)元同級生のムシャは、12月21日の数字をそれぞれ足した3(1+2)月3(2+1)日生まれ。彼の息子は、12月21日をバラして並べ替えた11月22日生まれ。
 
 それを知った時は「はぁー、そう来たかー」と、ひとりで感心したのでした。

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 長かった独身時代にも、父と同じ誕生日の男性や女友達と親しくなったり、好きになった相手と友達が同じ誕生日だったり(そういうケースは2件ほどありましたが、どちらの場合もあえなく玉砕)・・・あまりにそういうことが重なるので、あるとき霊的な能力のある方に聞いてみたことがあります。

 すると、その方曰く、そういったことはすべての人に当てはまる法則ではなく、私にとってのサインとして現れる現象なのだとか。つまり、私に何かメッセージ的なものを感じ取らせるためのサインとして、誕生日(や命日etc.)の法則があるみたいなのです。

 結婚してからもこの種の偶然は続きました。私の父は、2000年の12月25日(ミレニアムクリスマス)に亡くなったのですが、この12月25日というのは、ムシャの姉の誕生日。今年知り合った地元の町内会の役員の男性も、同じ誕生日だということがわかりました。

 また、現在千葉でキャンパスライフを満喫している11月22日生まれの息子くん。彼が去年の秋からつきあいだした1年後輩の彼女の誕生日が、同じ11月22日だというのです。

 こうなってくると、これらの数字のメッセージに意味を感じないわけにはいきません。

 この世で起きてくることに偶然はなく、すべては必然。ユーミンの歌にもあるように「目に映るすべてのものはメッセージ」だとしたら、それを見落とさないようセンサーの感度をつねに磨いておきたいものですね。

 ところで、最初にふれた亡き母からの数字のメッセージ・・・それは、その2日前の出来事を母が喜んでくれたサインなのだろう、と私の中では結論付けたのですが・・・
その出来事についてはまた、次の機会に譲らせてもらいましょう。

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