数字のメッセージ

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こんにちは。突然ですが、タエです。

先日、ムシャと買い物に出かけた道すがら、私たちの車の前に一台のタクシーが入ってきました。そんなことはよくあることで、いつもなら気にもとめないのですが、いつもとは違っていたことがありました。それは、タクシーのリアウィンドウに貼ってあった車体番号です。

車体番号“515”。その数字は、9年前に亡くなった私の母の命日…5月15日と同じ数列だったのです。

その番号を見てもう一つ思い出したのは、私が半年前にそのタクシーに乗ったことがあるということでした。約半年前の1月下旬、私は義母の入院先である病院から美容院へ向かうため、タクシーを利用しました。

伊豆へ越して来て2年目にして初めて乗る地元のタクシーです。年末に山口から遊びに来た義母が、我が家に着いたその晩に股関節を骨折・入院して以来、「非日常」な日常が続いていたこともあって、車内の私はいつも以上にテンション高め。

30代後半くらいの運転手さんと、結構プラベートナことまでおしゃべりしていました(タクシーに乗ると、情報収集も兼ねて話しかけるのが私の常です)。

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その内容はほとんど覚えてないのですが、降りる段になってしゃべりすぎたことを少し反省していたとき、目に入ったのが車体番号の“515”。

「この番号って、母の命日と同じなんですよ。しゃべりすぎたのも、そのご縁ということで、許してやってくださいね」とかなんとか言い訳したことだけは鮮明に覚えています。

「いやぁ、私も楽しかったです」と笑顔で答えてくれたあの時の運転手さん。その見覚えのある眼元が、前を走るタクシーのバックミラーに映っています。そうこうするうちにタクシーは右折し、私たちの視界から消えてしまいました。

「このタイミングで“515”って、お母さんからの何かのメッセージかな?」
「さぁ・・・」問いかけられたムシャも首をかしげるばかりです。

でも、それだけではありませんでした。

そのあと買い物をした1件目のスーパーで支払いをしたところ、レジで受け取ったお釣りが「622円」。次に立ち寄ったお店で支払った金額が「6224円」。両方に共通する数字“622”は、母の誕生日6月22日を表わす数列なのです。

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そんなのただの偶然じゃないか。きっと多くの方がそう思われるでしょう。けれど、我が家には、この誕生日や命日にまつわる不思議な偶然がたくさんあります。

その代表的な例として私がよく話のネタにしているのが、私の家族の誕生日です。

先ほどふれた母の誕生日の6月22日。この数列を逆にした2月26日が父の誕生日なので、二人は生前よくこの偶然を、夫婦仲のよいカップルの印のように自慢していました。もしそれが運命で定められたパートナーを探す目印になるのであれば、こんなにわかりやすい目印もありません。それなら私も自分の誕生日の数列を逆から並べ替えた誕生日の彼を探せばよいわけです。

しかし、残念ながら私の誕生日は12月21日。逆から読んでも12月21日なので、「な~んだ、私はひとりで完結しちゃってるのね。それか、同じ誕生日のパートナーを探せってこと?」なぞと、自嘲気味に思っていたものです。

それが、長い長いパートナー探しの旅に疲れ果てた末たどりついた(?)元同級生のムシャは、12月21日の数字をそれぞれ足した3(1+2)月3(2+1)日生まれ。彼の息子は、12月21日をバラして並べ替えた11月22日生まれ。

それを知った時は「はぁー、そう来たかー」と、ひとりで感心したのでした。

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長かった独身時代にも、父と同じ誕生日の男性や女友達と親しくなったり、好きになった相手と友達が同じ誕生日だったり(そういうケースは2件ほどありましたが、どちらの場合もあえなく玉砕)・・・あまりにそういうことが重なるので、あるとき霊的な能力のある方に聞いてみたことがあります。

すると、その方曰く、そういったことはすべての人に当てはまる法則ではなく、私にとってのサインとして現れる現象なのだとか。つまり、私に何かメッセージ的なものを感じ取らせるためのサインとして、誕生日(や命日etc.)の法則があるみたいなのです。

結婚してからもこの種の偶然は続きました。私の父は、2000年の12月25日(ミレニアムクリスマス)に亡くなったのですが、この12月25日というのは、ムシャの姉の誕生日。今年知り合った地元の町内会の役員の男性も、同じ誕生日だということがわかりました。

また、現在千葉でキャンパスライフを満喫している11月22日生まれの息子くん。彼が去年の秋からつきあいだした1年後輩の彼女の誕生日が、同じ11月22日だというのです。

こうなってくると、これらの数字のメッセージに意味を感じないわけにはいきません。

この世で起きてくることに偶然はなく、すべては必然。ユーミンの歌にもあるように「目に映るすべてのものはメッセージ」だとしたら、それを見落とさないようセンサーの感度をつねに磨いておきたいものですね。

ところで、最初にふれた亡き母からの数字のメッセージ・・・それは、その2日前の出来事を母が喜んでくれたサインなのだろう、と私の中では結論付けたのですが・・・
その出来事についてはまた、次の機会に譲らせてもらいましょう。

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