自衛官たちの伊東 ~伊東市


先日、大室山に登った時、伊東港の沖合から一隻の自衛艦らしい船が入港してくるのが見えました。艦上部に大きな箱がのっかっているような奇妙な形の船なので、いったいどういった種類の船だろう……と疑問に思ったので家に帰って調べてみました。

するとどうやらこれは、海上自衛隊の潜水艦救難母艦の「ちよだ」という船だということがわかりました。横須賀にある、「第2潜水隊群」という潜水艦部隊の旗艦だそうです。艦名は江戸城の別名千代田城に由来し、この名を受け継いだ日本の艦艇としては4代目なのだとか。

海上自衛隊初の「潜水艦救難母艦」として建造され、「うずしお型」と呼ばれるちょっと古いタイプの潜水艦が万一沈んだときに、これの救難にあたる「深海救難艇」と「深海潜水装置」を装備しており、艦の後部にはヘリコプターも発着できる甲板があります。

艦の真ん中に穴があいたようにみえ、そこにオレンジ色の物体がみえますが、これが深海救難艇(Deep Submergence Rescue Vehicle、DSRV)のようです。

深海救難艇は海中で遭難艦を捜索し、発見すると艇体下部の「スカート」と呼ばれるハッチと遭難艦の専用ハッチを接合し、スカート内部を減圧・排水した後に深海救難艇と遭難艦のハッチを開いて、遭難艦に残された人を深海救難艇に移します。

一度に全員が救助できない場合は、深海救難艇が支援艦と遭難艦の間を何度も往復して遭難艦の乗員を救助します。深海救難艇は各国の海軍が持っていますが、その接合方法は共通になっているそうで、これは救助を行うのが必ずしも自国艦とは限らないためだそうです。

なので、深海救難艇の上部甲板には他国の艦船がみてもすぐわかるように救難ハッチの位置を明示する塗装がなされており、これがこのオレンジ色です。こういう色に艦艇を塗るのは、隠密行動を主とし一般には黒っぽい色を塗る潜水艦における塗装では唯一の例外なのだそうです。

潜水艦救難母艦の「ちよだ」のほうは、潜水艦救難艦としての機能のみならず、「潜水母艦」としての機能も付加されていて、潜水艦1隻分80名分の宿泊施設、ミサイル、魚雷、糧食、真水の補給物資、潜水艦への給電と充電を可能なのだとか。

大きな箱のようにみえたものは、この潜水艦の乗員のための宿泊施設、つまりホテルのようです。

艦首付近の喫水線下には「サイドスラスタ」と呼ばれる船を進行方向とは90度をなす横方向に動かすスクリューもついていて、これによって、波の高い海の上でも安全に潜水艦に静かに接舷することができます。

と、いうことがわかったのですが、それにしても何で伊東沖に?という新たな疑問が。そういえば前から伊東沖に来るたびにしばしばこうした護衛艦をみかけることがあり、伊豆へ新居探しに来た昨年には、潜水艦が停泊しているのを目撃したこともありました。

その理由をネットで探ってみたところ、どうやらこうした横須賀の艦隊基地に所属する自衛艦は、相模湾沖などで訓練をおこなったあと、訓練に励んだ乗員をねぎらうために、こうした伊東のような温泉のある港町に仮停泊することが多いようです。

横須賀基地だけでなく、舞鶴や佐世保、呉といった他の基地からの艦船も横須賀基地の艦船と合同で訓練を行うこともあるようで、そうした折に、伊東のような港に停泊することも多いのだとか。

伊東沖は、海岸から数十メートルで急に水深が深くなるうえ、海上が非常に静かなため、護衛艦の停泊地にとても適しているのだそうです。すぐ近くには、熱海もありますが、ここは海底に初島と本土を結ぶライフラインのための海底ケーブルやパイプなどが張ってあるため、停泊できるポイントが限られ、大型艦艇の停泊には不向きです。

このため海底地形をよく理解した熟練艦長以外の艦長は、熱海を嫌ってあまり行かないそうです。停泊の候補地としてはこのほかにも、東京湾の入口である館山等がありますが、ここは大型艦船の出入りが多く、事故のリスクが高い上、町には何もないということで、停泊地としても上陸地としても余り好まれないのだとか。

伊東市のある市議会議員さんが海上自衛隊の護衛艦の艦長に招かれて飲食を共にしたときのことを綴ったあるブログ情報によれば、海上自衛隊というところは、海軍の伝統が今なお生きているところで、優秀な司令、艦長ほど、独断専行が許されるのだそうです。

なので、特殊な錬成訓練や海上訓練以外の通常の訓練のときには、艦隊秩序さえ保たれていれば司令や艦長の単独の判断で航路や寄港地が決定できるそうで、多くの自衛艦の艦長さんは危険な港よりも停泊のしやすい伊東沖を好むということのようです。



この日本の「護衛艦」ですが、海上自衛隊が現在保有する艦艇隻数は2011年現在で148隻です。アメリカの海軍は原子力空母を中心とした「空母打撃群」によって構成されていますが、航空母艦を持たない日本の海上自衛隊では、ヘリコプター搭載護衛艦を中心とした「DDHグループ」と、ミサイル護衛艦(イージス艦)を中心とした「DDGグループ」それぞれ4つで構成されていて、横須賀、舞鶴、呉、佐世保のそれぞれにこれらの基地があります。

これらの艦艇には、4年周期で半年程度を要する大規模なドック修理があります。ドック修理終了から約1年間は、低練度艦として基礎的な訓練を繰り返し、その後1年間は、高練度艦として実戦的な訓練を消化します。

そしてドック修理から約2年経過後、約1年間を即応艦として実任務に対応し、残りの一年は次のドック修理までの予備の期間として準即応艦扱いで活動するみたいです。護衛艦の一般的な寿命は、約30年程度だということですから、一隻について、こういうサイクルをその生涯で7~8回繰り返したあと廃役になっていく計算になります。

この運用体制下では、即時実戦配備可能な護衛艦は全体の4分の1程度で、全護衛艦のおよそ3分の1は出港して訓練中、3分の1は移動中または帰投中、残り3分の1が入港して休養中または整備中となります。

最近の新造の艦艇にはステルス性能のアップも図られているそうで、形状を工夫してレーダー反射面積を低減させる設計や、対潜水艦戦に影響を及ぼす騒音の低減、船体磁気の消磁による磁気感応機雷対策、船体外観や排煙による被探知を避けるための設計などが行われており、その技術は世界でもトップクラスだとか。

自衛艦の平均的な年間出港日数は約120日程度で、出港中は24時間体制でレーダー、逆探知機、ソナー、目視などによって、海上輸送路(シーレーン)への脅威となり得る国籍不明艦船や潜水艦に対する哨戒を行なっており、護衛艦に搭載している哨戒ヘリコプターは、スクランブル発進に備えて、常時、哨戒待機(アラート)状態にあります。

こうした自衛艦の訓練中に一番警戒されるのが火災で、出港中の艦内で行われる各種訓練のうち、重大な被害をもたらす危険のある火災対しての消火訓練の回数が一番多いそうです。

船内での大量の放水は、船体の姿勢変化や沈没にもつながるため、放水が少なくても行える消火作業に重点が置かれ、消火器を用いた初期消火から、各種消火装置を使用した本格的な消火までの訓練が実施されます。そして油火災、電気火災なども想定しつつ、排煙通路の設定、応急電路の設定、隣接区画の冷却などの訓練を行いまた、被害が局部限定の場合の訓練なども行います。

自衛隊といえばやはり射撃とかミサイル発射訓練を想像しますが、こうした訓練はむしろ少なく、年に数回程度だそうで、しかもそのほとんどがシミュレーションで行うようです。ただ、ヘリコプター搭載護衛艦では、ヘリコプターの発着における制度が求められるため、実地において高練度の発着艦訓練が頻繁に行われます。

これらの訓練は、それぞれの艦で個別に行われます。しかし、こうした個艦での基礎的な訓練を終えて錬度が上がったあとは、同じ部隊の僚艦との共同訓練をおこなったり、実際の潜水艦を使用した実艦的対潜訓練、航空機との空水共同訓練、補給艦との洋上補給を行います。

時々テレビなどでアメリカ軍との合同訓練の模様が放映されたりしますが、こうした派米訓練やアメリカ海軍以外の同盟国との環太平洋合同演習なども時々行い、こういう演習のときにはかなり実戦に近い訓練を行うようです。

自衛艦ではこれらの洋上での訓練のほか、入港中にも訓練が行われます。その内容は主に、「整備」、「補給」、「広報」の三つであり、これに加えて各種教育なども行われます。入港時には、その地域の人々のレセプションや見学会なども催されることも多いため、停泊中の船体の塗装などの整備作業も重要な作業といわれます。

停泊中であっても、緊急の事態や災害派遣の必要性などが生じた場合に船は緊急出航をする必要があるため、自衛官は警急呼集を受けた場合、2時間以内に帰艦できるよう定められています。

このため、行動範囲外に出る場合などには別途に申請をして許可を受けるなど、上陸した乗員の行動にはある程度の制限が課せられており、また乗員は常時、携帯電話を携行することを義務付けられています。入港中の艦内では、艦長さえいればいつでも出港できるように当直員が確保されており、完全に無人になることはないそうです。

東日本大震災に関する緊急出航では、こうした当直制度のおかげで発災から1時間以内に複数の護衛艦が緊急出航を実施することができ、追って数時間以内に全国の基地から20隻を超える護衛艦・補助艦艇が被災地に向かうことができたそうです。特に、横須賀地方隊では発災当日のうちに稼働する全艦艇を緊急出航させることができたとか。

こうした厳しい艦内勤務をこなす隊員の生活ですが、航海中は3時間3交代、6時間2交代、または交代なしの総員配置による哨戒配備を行います。また、停泊中は、昼間の8時間勤務が標準となります。

艦内飲酒は一切許可されないそうです。その昔の明治時代の海軍はイギリスの海軍を手本としてため、酒は「紳士の嗜み」として許されていましたが、戦後の海上自衛隊はアメリカ海軍を手本としたため一切許可されず、艦内で飲酒した隊員には厳重な罰則が与えられます。

その日常ですが、4月1日から9月30日までの夏季の平日は、「総員起こし」と呼ばれる午前6時起床ではじまり、体操後に朝食、午前8時から11時45分と午後1時から午後4時30分までが基本的な勤務時間です。停泊中などの通常時には午後7時30分には巡検が行われ、午後10時消灯となり、哨戒担当以外の人員は床につきます。

しかし、実際には交代で哨戒にあたったりするため、この間の食事や入浴などの時間帯も特に洋上にある場合にはそれぞれの任務の状況に応じて変わります。航行中、停泊中それぞれのシチュエーションにおいてこれらの生活パターンが変化するわけで、かなりのストレスの溜まる任務といえます。

食事は、1日3回でます。かつては夜食もあり1日4回だったそうですが、現在は、行事訓練等の所要に応じ不定期に夜食が供されるそうです。長期にわたる遠洋航海途上等において、乗員の曜日感覚を維持する目的で、毎週金曜日には海軍カレーが出されるというのは有名なお話です。

艦にもよるようですが、各艦には結構料理上手なコックさんが乗船しており、この海軍カレーは「かなり」うまいそうです。かつては土曜日に提供されていた時代もあったそうですが、公務員の週休2日制が一般的になってからは休みの前日を知らせる昼食という意味も込められ、金曜日になったそうです。

食事の調理に使う熱源はすべて電気か蒸気で、ガスは使用されません。火災を引き起こす可能性があるからです。従来は米を研ぐ際は海水を使用し、炊くときに真水を使用していましたが、最近の船では最新の海水淡水化装置が積まれていて、豊富な真水が使えるため、現在はほとんどの艦で真水を用いる洗米機を使用しているそうです。

しかし、造水能力が向上したとはいえ、やはり洋上では真水は貴重品であるため、航海中の入浴は海水を使用しているそうで、艦にもよりますが、風呂上がりのシャワーのみ真水の湯の使用が許されていることが多いようです。しかし、この海水風呂も慣れるとなかなか良いものらしく、海水風呂でないと風呂に入った気がしない、という自衛官も多いとか。

艦内の娯楽はそれほど多いとはいえません、乗員居住区や食堂に、テレビが1台以上置かれている場合が多いようですが、陸岸から離れるとテレビの地上波は届かない上、衛星放送のセッティングも日本列島本土に合わせてあるため、海上遠くになると映りません。

乗員は私物や官給の本や雑誌を読んだり、ビデオ、トランプゲームなどで自由時間を過ごすことが多いそうですが、飽きるでしょうね~。

しかし、個々の居住空間は、新鋭艦になるほど大型化されて広くなり、生活環境は改善されており、電気も自由に使えるようなので、こうした個室ではパソコンなども使えるようです。ただ、金属で覆われた艦内では携帯電話の電波が届く箇所は限られているため、無線LANなどでインターネットを使えるケースは少ないようです。

家族との通信は、カード式公衆電話が設置されており、衛星通信による通話が可能ですが、訓練の状況などによってはこの使用も制限されます。携帯電話も金属で覆われた艦内では電波が届かず、電話できる場所は限られておりまた、秘密保全の関係で持ち込むことができない区画もあります。

陸上の施設と違い、空間の利用に制限がある護衛艦では、女性用トイレや風呂の設備を作る余裕がなかったことから、女性自衛官の配置制限が行われてきたそうですが、2009年に就役した「ひゅうが」からは女性自衛官の配置が開始されたそうです。今後は自衛艦に乗る「護衛艦ガール」も増えてくるに違いありません

こうした厳しい艦内生活を送る自衛艦にとって、伊東沖での停泊時の外出許可はなくてはならない息抜きになっているといいます。だいたい4~5000トンクラスの護衛艦の場合、
通常の乗員は170~200名程度ということで、これらの人員が上陸する場合には、交代で上陸します。

1回につきだいたい3分の2くらいの隊員が上陸するそうで、こうした船が二日間停泊すると町に繰り出す人数は二日間で200人以上となります。最近は伊東沖に停泊する護衛艦や掃海艇が増えているそうで、こうした上陸人数を考えると自衛隊員が伊東市の飲食費や娯楽施設に落とすお金も馬鹿になりません。

前述した、伊東市のある市議会議員さんの試算によると年間52週、一週間に一隻として、同じクラスの艦艇が平均してやってくると仮定すると、年間12000人程度の誘客効果を生むそうで、一人一万円程度とすると1億2000万円の経済効果になります。

実際にはもっと小さな船も多いようですから、これほどのお金が実際に伊東市に落ちているかどうかはわかりませんが、それでも町にとっては自衛隊さまさまです。だからといって昨今の沖縄のように無礼者の兵士ばかりの軍隊とは違って規律正しい自衛隊員のことです。きっと町の救世主になっているに違いありません。

普段目にすることのない変わった艦船を見ることができるのは、船好きの私にとってもありがたいこと。これからもどしどし来て欲しいものです。

もっともあまりたくさんの自衛艦がやってきすぎて、前にあったような一般漁船との衝突などというのがあっては困ります。せいぜい今と同じくらいのペースで一週間に一隻ほどでいいのかも。そしてそういう船がやってきたら、ぜひ艦内の公開などの広報活動もやっていただきたいもの。それが評判になればそれだけでも十分な町興しになります。

伊東市も観光が落ち込み地盤沈下が著しいといいます。市議会議員さんたちもぜひ頑張ってこうした形での自衛隊の平和利用を実現してみて欲しいと思います。