伊豆へ来てから、空を見上げる機会が増えました。この場所が高台だということもありますが、窓を開けると晴れていても、曇っていてもどこまでも高い空を見ることができます。ときおり、夜になって外に出ると、そこには満天の星が広がり、その空が更に高いことを知ることができます。。

「智恵子は東京に空がないといふ、ほんとの空がみたいといふ。」
これは、彫刻家、高村光太郎の有名な詩集、「智恵子抄」の一節です。現在の福島県の二本松市に生まれ育った智恵子さんは、画家を志ざし東京に出ますが、光太郎さんと結婚したのをきっかけに画家の道に進むのをあきらめます。やがて40代後半から精神をやみ、やがて精神分裂症と診断されて入院。その後8年ほど経った昭和13年に52歳で亡くなっています。

精神病を発する前からの智恵子さんとの生活から始まり、発病、死に至るまでの出来事を哀切にうたったこの詩集にはなぜか惹かれるものがあり、高校時代に文庫版を手に入れてからは、ときおり取り出しては眺める、お気に入りの詩集のひとつでもありました。

大学を出て、就職のため、東京へ初めて出たときに、この「東京に空がないといふ」というフレーズを思い出し、なるほど、確かに東京には空が少ない・・・と思ったものです。私が東京へ出たのは昭和56年のことで、このころはまだ新宿副都心の高層ビル群などもなく、東京の空も今に比べるともう少し広かったのではないかと思います。今は、新宿だけでなく、東京都内のどこへ行っても高層ビルが立ち並び、さらに一層、京の空がせばまったかんじがします。

高層ビルなどほとんどない昭和の初めですら、「空がない」と思ったぐらいですから、智恵子さんが生きていて今の東京の空をみたら、どう思うでしょうか。

しかし、東京もビルの下を歩いていては空は見えませんが、ひとたび高いビルの上に上がると、そこには高く広がる空を見ることができます。最近できたスカイツリーには、予約がいっぱいだし、入場料も高くて、当分上がれそうもありませんが、東京都庁や、新宿の高層ビル群のどれかに登れば、タダでいつも高い空を見ることができる。

いや、高い空だけでなく、ずーっとはるか向こうの富士山や、丹沢と奥多摩、秩父の山々が見える。ときには海を見越して、横浜のランドマークタワーだってみることができるのです。こんなパノラマワールドをほんのちょっとの移動で見ることができる東京の人は幸せだと思います。

とはいえ、高所恐怖症の私は、足がすくんでしまうので、高いビルの上で窓の近くに寄るのが苦手です。どちらかといえばあまり、近づきたいとは思わない場所。それに、地震が来ると、そういう場所は大きく揺れることもあり、それが嫌いで、高所といえば、せいぜい5階くらいが限度。

結局のところ、東京に住んでいたころは、高い空をみたければ行けるところはあるのに、そうした場所へ頻繁に行くことはなく、地面を這う虫のごとく、平地を平地を、ということでひたすら地面に近いところを移動するのでした。

とはいいながら、東京では移動するためには電車に乗らなくてはいけません。ところが、東京で平面移動するためには、たいがい地下鉄に乗らなくてはならず、高台に登るどころか、逆に地下深くにもぐらなければなりません。昔できた銀座線や日比谷線なら、地下1~2階程度地下にもぐればいいのですが、最近できたばかりの南北線などは、あれは、いったいどのくらい深いところを走っているものなのでしょうか。エスカレーターで下っても下ってもホームに着かない。しまいには、もしかしたら入口を間違えたのかもしれない、と思うこともあるくらいです。

地下鉄のホームに着いたら着いたで新たな試練が待ち受けています。私は、高所恐怖症だけではなく、閉所恐怖症でもあるからです。低い天井に囲まれ、電車の進行方向と来た方向にしか視界がきかない地下鉄の狭いホームにいると、いつもなにか閉じ込められているような気がしたものです。もし、今地震なんかきたらどうなるんだろう、などと思うと、心拍数が一気に上がるような気さえします。銀座線のホームって、なんであんなに天井が低いの?

もっとも、東京では地震が来たときには、地上よりも地下鉄のホームなどのほうがより安全なのだそうです。最近は、耐震補強も進んでいるので地下のホームが崩れ落ちるというような心配はほとんどなく、がっしりした壁構造がその中にいる人たちを安全に守ってくれるとか。むしろ地上のほうが、ビルや器物の倒壊、ガラスの散乱などによって危険きわまりない場所になる可能性が高いのだそうです。

しかし、火事になって、地下に煙が充満したらどうなるんかなー。ネズミと一緒に燻製にになるんかしら・・・

・・・と、どんどん話が発散していくのを止めることもできず、今日の話の落としどころはいったいなんだろうと、考えておりました。どうしましょう。ようするに、伊豆の空は東京の空よりも高い、というあたりまえのことなのですが、その空の高さをふつうにありがたい、と思っていてはいかん、ということなのでしょうか。

いえいえ、伊豆には伊豆の空の良さがあり、東京の空には東京の良さがある。それを比較する必要はない、ということなのでしょう。東京の空は確かに狭いけれども、仕事の合間に見える空、地下鉄のホームから地上に上がって見上げたときに見える空、それはそれで都会の中でホッとできる大事な空間。その大事な空間をもっと拡大したい人は、高層ビルやスカイツリーに登ってもっと大きな空を満喫すればいい。私のように高所恐怖症でなければですが・・・

そして、東京を離れ、伊豆へ来る機会があれば、ぜひその高さの違いを見比べてみてください。伊豆の空が東京の空よりも高いのはあたりまえ。そしてそれでいいんです。なぜなら、その空は東京の人がもっとホッとしてもらうために、大事に大事にとってある空なのですから。