今年も早、夏至を過ぎました。ということは、これからは冬至に向かってどんどん陽が短くなっていきます。
今年の夏至は先週の6月21日でした。1752年のこの日、ベンジャミン・フランクリンが嵐の中、凧を上げて積乱雲が電気を帯びていることを確認する実験を行いました。彼は独学で科学を学び、今日の我々の生活にも深く関わる数々の発明をしたことで知られています。
フランクリンは、この当時発明されたばかりのライデン瓶というものの存在を知り、電気に興味を持ちました。そして、雷を伴う嵐の中凧をあげ、凧糸の末端にライデン瓶をワイヤーで接続し、瓶の中に電気が溜まることを証明しました。これにより、雷の電気にはプラスとマイナスの両方の極性があることも確認されました。
この実験によって彼の名声は高まり、ロンドン王立協会の会員にもなりました。しかし、この成功は奇跡的だといわれています。運よくライデン瓶に電気が伝わったからよかったものの、凧糸を持つ彼の体に雷の電気が走れば感電死していたかもしれないからです。
フランクリンは、この実験をきっかけとして、以後さらに多くの発明を成し遂げていきます。最も有名なのが避雷針であり、そのほかフランクリン・ストーブとして知られる燃焼効率の良いストーブ、遠近両用眼鏡といったものがあり、さらにはグラス・ハーモニカ(アルモニカ)というものも発明しました。
これは、グラス・ハープを応用したものです。グラス・ハープは、水を入れたグラスを多数並べてこれを擦ることで音を出しますが、準備に手間がかかりますし、その演奏の習得も大変です。これに対して、フランクリンが発明したグラス・ハーモニカは、径の異なるお碗状にした複数のガラスを用意し、これを大きさ順に並べて音階を創るというものでした。
その中心に鉄などの金属でできた回転棒に通し、回転させながら水で濡らした指先でガラスの縁をこするように触れると、その摩擦によってガラスが共鳴し、音楽を奏でることができます。グラス・ハープよりもさらに細かな音を出すことができ、同時に多数の音を出すこともできるため、これひとつでオーケストラ並みの演奏が可能になりました。
ヴァイオリンの名手ニコロ・パガニーニはその演奏を聞いて驚嘆し「何たる天上的な声色」と表現し、米国大統領トーマス・ジェファーソンも「今世紀の音楽界に現れた最も素晴らしい贈り物」と称え、フランクリン自身も「何ものに比べがたい甘美な音」と自賛しました。
ゲーテ、モーツァルト、ハッセ、テオフィル・ゴーティエなども、その音色を聞いて絶賛したといい、マリー・アントワネットも、これを習って演奏したといわれています。
この魅惑的な音色を持つ新しい楽器は、発表当初から熱狂的な支持を得、人々はその音色に酔いしれました。多くの人がその練習に熱中するようになり、これが発明された18世紀後半以降、少なくとも4~5,000台のグラス・ハーモニカが欧州各地に出回ったとされます。
また、関連する多数の著作物が生み出され、この楽器のために、400にものぼる作品が作曲されました。その中には、モーツァルト、ベートーヴェン、シュトラウス、ドニゼッティ、サン=サーンスなど、我々も良く知る大作曲家の作品も含まれています。
ところが、あるときから、このグラス・ハーモニカに悪い噂が立つようになりました。練習や演奏を行った結果、神経障害やうつ病、目まい、筋肉の痙攣などが発症するというのです。噂は噂を呼び、その美しい音色とは裏腹に大変怖い楽器だと言われるようになりました。
実際、精神病院に入院したり亡くなった人もおり、それがますます根拠のない憶測を招き、人々の恐怖を煽っていきました。あげくは、そのえも言われぬ甲高い響きが死者の魂を呼び寄せ、聞いた人の頭をかき乱してしまうのではとまで言われるようになりました。
さらにあるとき、グラス・ハーモニカの演奏会場で子供が死亡するという事件まで発生しました。演奏との因果関係は明らかではありませんでしたが、この事件をきっかけに、ドイツ各地で警察当局が、グラス・ハーモニカの演奏を禁止するという事態にまで発展します。
その結果、家庭内の痴話喧嘩から、早産、ペットの痙攣、といったおよそ音楽とは関係のなさそうな問題までグラス・ハーモニカのせいにされ、それを演奏している姿が発見されると警察に通報され、逮捕されてしまうといった社会現象までおきました。
こうした一連の騒動をきっかけにして、その後グラス・ハーモニカは、ほぼ完全にこの世から姿を消してしまいます。愛好家の何人かが自宅に保存するものが残っていましたが、少なくとも公の演奏会では、どこにおいても見かけることはできなくなりました。
ただ、その消滅は、この頃の音楽の流行の変化にも起因しているともいわれています。18世紀から19世紀にかけての時代というのは、ベートーヴェンやその後継者たちによって音楽の嗜好が、それまでの繊細なものからより壮大なものへと移り変わっていった時代です。
それ以前は比較的小さなホールで演奏がなされ、グラス・ハーモニカはそうした場所での演奏にも適していました。しかし、宏壮な音楽が好まれるようなってからは、演奏会もより大きなホールで開かれるようになり、デリケートな音は好まれなくなりました。
同様に、チェンバロなどもほぼ同じ時期に見られなくなっており、この時期を境に音楽はそれまでのモーツァルトに代表される古典音楽から、「表現」に重点を置いたロマン派音楽に移行するなど、質そのものが変わっていったと考えられます。
こうしてグラス・ハーモニカは、1820年までにほぼ製造されなくなりました。その後も長らく「幻の楽器」とされていましたが、1984年になって、アメリカのゲアハルト・B・フィンケンバイナーというガラス職人がこれを「発見」しました。
その音に魅了された彼は自力でこれを復元し、演奏会まで開くようになました。その結果、少数ながらもこれに共鳴する演奏家たちが現れ始め、その魅惑的な音色は「伝説の音」として喧伝され、少しずつ音楽業界に浸透し始めました。
フィンケンバイナーはその後、マサチューセッツ州のウォルサムに自社工場を設立しました。同社はNASA等の国家機関から高純度なガラス製品など特殊な品物を受注しています。そうした本業の傍ら、プライベートな時間を使ってグラス・ハーモニカも製造しています。
しかし、すべて手作りであり、その生産数は極めて少量です。それゆえにグラス・ハーモニカの音に魅せられた人々にとっては、世界的にも貴重な工房となっています。
今日、グラス・ハーモニカによって発狂者が出たとされる原因のひとつは、鉛中毒ではなかったかといわれています。これが流行した当時のグラス・ハーモニカは柔らかい吹きガラスで作らており、これは鉛を25~40%含んだクリスタル・ガラスと呼ばれるものです。
このため指を濡らしてこれを奏でるとき、触れた指先から鉛が体内に入った可能性が指摘されています。今日、鉛の摂取で神経症状が起こることは広く知らており、日本でも1980年代末頃まで水道管に鉛管が使われていたことから、多くの人が鉛中毒になりました。
鉛は脳と肝臓に多く蓄積され、他の臓器や組織にも広く分布することから、数々の病気の原因となります。初期症状としては疲労、睡眠不足、便秘などがあり、ひどくなると腹痛、貧血、神経炎などが現れ、最悪の場合、重篤な脳障害の一種である脳変性を引き起こします。
このため、現在のG.フィンケンバイナー社製のグラス・ハーモニカには鉛やその化合物類は添加されておらず、高純度の無機ガラスで製作されています。またこの楽器は音量に乏いという欠点がありましたが、今ではマイクによって音を増幅できるようになりました。
日本では、ガラスの専門家である小塚三喜夫氏が第一人者といわれており、世界的にも有名です。復興活動にも積極的に取り組んでおられ、国内でも演奏活動が広がりつつあります。
ところで、このグラス・ハーモニカが流行していた18~19世紀のころ、モーツァルトのパトロンでもあったウィーンの医師、フランツ・アントーン・メスメルという人物が、これを使ったある治療を行っていました。
メスメルは、今日催眠術や催眠療法と呼ばれるものに近い方法を使った医療活動を行っており、その治療で、締めくくりにグラス・ハーモニカの演奏を行っていました。
彼は患者たちを、個別療法と集団療法の両方で治療していました。個別治療においては、患者の前に膝が触れあうほどの距離で座り、患者の目を見つめました。次いで患者の肩から腕に沿って手を動かし、横隔膜の下を指で押し、時には長くそこに手を置いたままでいました。
これによって、多くの患者たちは奇妙な感覚を覚え、さらに治癒直前には指や手で押さえらえた場所が痙攣をおこしました。しかしその後、各々が抱える病状が消えたといいます。
集団治療も独特のもので、20人ほどの人々を円形に座らせ、その中央に置かれた「バケツ」の中から出したロープをそれぞれの患者に握らせ、さらに患者同士もロープで結びました。メスメルはバケツに何等かの気を注ぎ込むような行為を行い、それがロープを握る患者には「流体」として感じられたといい、その結果、参加者の症状が改善されたといいます。
そして治療が個別であっても集団であっても、メスメルはその最後に当時まだ発明されたばかりであった楽器、グラス・ハーモニカを自分で演奏していたそうです。
メスメルはこの医療行為を通じて、「動物磁気説」というものを唱えました。人間や動物、さらに植物も含めたすべての生物は、目に見えない自然の力を持っており、これを彼は「動物磁気(動物磁性)」と呼びました。
磁石は空間を隔てて作用します。このため古来より、物と物との間に働く目に見えない力があると認識されていました。この当時は、科学常識として空間には不認知の流体が満たされていると考えられており、これは「エーテル仮説」と呼ばれていました。
メスメルは、この流体を磁気に似た性質を持つ「磁気流体(magnetic fluid)」と呼び、これは生物も含めた物質内を貫流し、生体相互の間でも作用しているとしました。また、この時、生物の体内に入り込んだ流体を「動物磁気(animal magnetism)」と名付けました。
彼は体内においてこの磁気に不均衡が生ずると病気になると考え、これを均衡化させることが、当時治療法が不明であった病気の治療になると考えました。
これに先立つ1774年にメスメルは、ヒステリーを患うフランシスカ・エスターリンという女性を治療しました。鉄分を含む調合剤を彼女に飲ませた後、身体のあちこちに磁石をつけ、彼が言うところの「人工的な干満」を起こしました。彼女は体内を流れる不思議な液体の流れを感じたと言い、数時間後に症状が緩和されたといいます。
しかし、メスメルはこれが磁石で治療されたのではなく、彼自身の体内に蓄積された動物磁気が彼女に伝わった結果だと考えました。そして、磁石を使わず、患者の頭や背中の上に手を置く行為(按手)などによって自らの磁気を与えることで治療ができるという学説を唱え、またそれを実践するようになりました。上の個別・集団治療がそれです。
それから3年後の1777年、メスメルは18歳の盲目の音楽家マリア・テレジア・フォン・パラディスの治療を行いました。パラディスは歌手としてピアニストとして様々なサロンやコンサートで演奏を行っていた人気演奏家で、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第18番 変ロ長調」は彼女ために書かれたと言われています。
このときもメスメルは治療の最後にグラス・ハーモニカを演奏しました。しかし、上述の通り、このころこの楽器は既に人の気を狂わせ、奏する者や聴く者を死に至らしめる恐怖の楽器と恐れられており、正式に禁止令が発令されていました。
治療の結果も思わしくなく、パラディスの視力は回復しませんでした。人々はやはりグラス・ハーモニカが彼女の精神に悪影響を与えたと言いふらし、これが官憲の注意を引くところとなって、メスメルは禁止令に反した罪でウィーン追放を命じられました。
翌年、メスメルはパリに逃れ、金持ちや権力者が好む町の一角に部屋を借り、再び動物磁気による治療をはじめました。パリでは、メスメルのことを、ウィーンから追放されたもぐりの医者と見る者もいましたが、偉大な発見をした人物だと好意を寄せる人もいました。
そうした人々の中に、シャルル・デスロンという医者がいました。彼は高い専門知識を持つ社会的地位のある人物で、メスメルの弟子になりたいと申し出、さらに動物磁気についての本を出版してはどうかと彼に勧めました。その結果、当時のメスメルの理論の要点を述べた「動物磁気の発見に関する覚え書」といいう本が出版されました。
この本は話題となり、ルイ16世の耳にも入った結果、国王は科学アカデミーのメンバー4人を動物磁気の調査のための委員として任命しました。
この4人は、化学者アントワーヌ・ラヴォアジエ、医師ジョゼフ・ギヨタン、天文学者ジャン=シルヴァン・バイイ、そして、当時在フランスのアメリカ全権公使になっていたグベンジャミン・フランクリンでした。言うまでもありません。グラス・ハーモニカの発明者です。
こうして1784年、この委員会は動物磁気に関する対照実験を行いました。これは二つの異なる環境で効果のあるなしを比較するというものです。ただ、実験はメスメルの治療結果を検証するものではなく、彼が発見したとする新しい物理流体を確認することが目的でした。
検証の結果、同委員会はそのような流体の証拠はどこにもないと結論づけ、その治療がもしうまくいったとしても、それは「想像力のおかげ」であるとしました。この結果メスメルの名声は地に落ちました。彼はパリを後にし、その後ドイツに亡命、1815年、メーアスブルクにて81歳で没しました。最後の20年間の行動はほとんど知られていません。
メスメルが唱えた治療法とは、彼に言わせれば、治療者が自らの磁気を患者に当てることで患者の体内の磁気を乱し、それによって磁気を均衡させ、治療するというものでした。
またメスメルは、この動物磁性による力が、治癒が必要な人だけでなく、日常生活を普通に送っている人にも影響があると信じており、自ら何度もその科学的立証を試みていました。しかし、その都度、実験は失敗に終わっていました。
彼の理論は斬新なものではありましたが、国王が招集した委員会の面々もそう感じたように、あまりにもオカルティックなものであったため、当時は否定されていました。しかし、治療術自体は何らかの成果があると見なす者も多く、その研究を引き継ぐ学者もいました。
こうした研究成果はやがて催眠術や催眠療法へと発展していくことになります。現代においても「催眠術」のことを”Mesmerize(メズマライズ)”といい、「催眠術師」のことを”Mesmerist(メズマリスト)”と言うのは、彼の名に由来してのことです。
それからおよそ四半世紀を経た1841年、イギリスのジェイムズ・ブレイドという外科医が、フランス人の興行師、シャルル・ラフォンティーヌがマンチェスターで行った興行、「メスメリズム」を見て、強い衝撃を受けました。
これは、動物に磁気術、つまり催眠術を施すというもので、当初動物園から借りたライオンで行っていましたが、後には人を対象にするようになりました。観衆を舞台に上げて催眠術をかけるというこのパフォーマンスは評判を呼び、各地で巡業が繰り返されました。ラフォンティーヌは、この術を使って盲目や聾唖、麻痺などの患者の治療も行っていたといいます。
ブレイドは実は外科医としては高名な人物で、内反足、斜視、脊椎側彎症の専門家として英ロイヤルカレッジの外科学のメンバーでもありました。彼自身も最初は懐疑的でしたが、メスメリズムを繰り返し見ているうちに、やがてこれがトリックでないことを確信します。
そして、この現象が動物磁気なるものによるものではなく「暗示」によるものだと考えるに至り、心理生理学的な現象として実験を繰り返した結果、科学的にこれを証明しました。ブレイド自身、メスメリズムを行う公開実験に成功し、メスメリズムに代わり、「神経催眠」”Neuro-Hypnotism”という言葉を創出しました。
これは”Neurypnotism”と短縮され、さらに”Hypnotism”=「催眠」とされました。Hypno-はギリシャ語で眠りを意味します。これはメスメリズムや動物磁気といった言葉のもつオカルト的、超科学的な意味合いを払拭するものでした。
ブレイドの用いた催眠導入法は、今日では凝視法とも呼ばれるもので、被験者を一点に集中させて目の疲れを促し同時に暗示を入れます。古典的催眠手法の一つであり、彼はこれによって、磁力など用いずに人を催眠状態にすることに成功していたのです。
ブレイドはまた、1844年の公演で、従来催眠によって発現するとされた、透視、千里眼、読心などが間違いであることも証明しました。これによって、彼は現在に至るまで、催眠療法と近代催眠の父として称賛されるようになりました。
ただ、ブレイドは、このころすでに外科医として十分な名声を得ており、催眠の大家と称されることをあまりよくは思っていなかったようです。その思いとは裏腹に彼の創出した理論と催眠という言葉は受け継がれ、その後も世界中で支持されるようになりました。
ブレイドは、死の直前まで、催眠に積極的な関心を示し続けましたが、1860年3月25日、脳卒中で64歳で亡くなりました。1997年には催眠療法の普及発展を目的とした「ジェイムズ・ブレイド協会」が設立されています。
その後の第1次、第2次世界大戦では、激しい戦闘によって傷ついた兵士たちが、無感動、衝動的攻撃行動、麻痺、健忘など戦争神経症にかかりました。このとき催眠療法が兵士の症状除去、記憶回復に使われ、短期的には症状が除去できたと言われています。
またこのころ、ベルリン大学のヨハネス・ハインリヒ・シュルツは、自己暗示を組織化した自律訓練法を提唱しました。これはリラクゼーション法として現在でも使われる手法です。
第二次大戦後、催眠研究は隆盛を極めますが、それはこれら戦時の試みが成功したおかげです。しかし、その後医学での催眠利用は廃れていきました。当初、痛みや出血を抑えるためにも導入されましたが、その後は麻酔技術が進歩したため必要がなくなったためです。
リハビリテーションの分野でも、早期発見・早期治療が進み、筋肉が萎縮する前にリハビリテーションを行うようになったため、無痛を求める必要がなくなりました。
人間の意識は、9割が潜在意識であって、覚醒時に論理的に思考する顕在意識は1割とされています。そして催眠とは、意識レベルをこの潜在意識レベルに誘導することといえます。
しかし催眠状態というような特別な状態がはっきりと存在している訳ではありません。催眠状態といえば特別なシチュエーションのように思えますが、電車の中でうたた寝をしているのに近く、誰しもが入りこむことができる状態です。
こうした催眠状態では意識が狭窄しているので、外界からの刺激や他の概念が意識から締め出されています。このため、1つの事象が意識を占領することによって、暗示のままに動かされたり、様々な幻覚が作り出されたりします。例えば、10数えたらあなたはウサギになります、といわれればその真似をしたりしてしまいます。
催眠が医療の現場であまり見られなくなったとはいえ、その効果を用い、潜在意識に働きかけて治療する試みは今もなされています。対人恐怖症やあがり症の治療などがそれです。また臨床心理学や医学の一部で研究され、医療援助法として取り上げられることもあります。
ただ、催眠を医療に用いる試みはアメリカでは積極的に行われていますが、日本では積極的な医療機関は限られています。一般的には、まず薬物療法など他の治療法を十分に試みた上で、適用可否の判断を含めて訓練を受けた専門家により行われるべきものとされています。
かつて、グラス・ハーモニカで精神に異常をきたした人が出たのもあるいは催眠による効果だったのかもしれません。しかし、後に復興されてから現在に至るまで、多くの人々や演奏家がこの楽器を奏してきました。にもかかわらず、この楽器のせいで精神を病んだといった症例が医学界に報告されたり、それを証明したという発表はいまだなされていません。
現に、これを発明したフランクリン本人でさえ、何事もなく84歳までの長寿を全うしています。彼はこの楽器の無害を自ら証明するために、世評に動じず生涯演奏し続けました。
現代においても真相は不明です。しかしその不思議な音色ゆえに、怪奇な伝説さえもこの楽器の逆説的な魅力として人々の興味を強く惹きつけています。
最近、少し神経症気味というあなた、一度試してみてはいかがでしょうか。