日々の気温がだんだんと高くなっていく中、昨日庭いじりをしていたら、今年になって初めて藪蚊にほっぺたを刺されました。
あぁそうか、今年もとうとうそんな季節になったかと、季節の移ろいの速さを思う反面、これから訪れる雨の季節とその後の暑い日々のことが頭に浮かび、少々気が重くもなったりします。
いっそのこと、夏のないところへ引っ越せばよかったなどとも思い、北海道という手もあったなとは思うのですが、さすがに北のはてまで行って住もうという気になれず、関東地方から近い利便さの魅力にも負け、ここ静岡へやってきたわけです。
ただ、これから残りの人生をすべてここで過ごすのかな、と考えてみると、どうもここが終の住処というかんじはなく、この点、タエさんも同じらしく、どうもまた別のところへ移り住むような気がする……とよく言います。
じゃぁそれがどこか、ということは今はさっぱり見当もつきませんが、二人にとっては郷里である地である広島や山口という可能性もなくはない。
郷里に近い場所というのは、親戚やかつての友人たちも多いわけでもあり、老後を過ごす場合、そうした知人が多いというのはやはり心強いもの。そうした人達に囲まれて過ごす残りの人生を考えると安心感がある……
……というようなことを最近よく思ったりするのは、やはり歳をとったからかな~と思ったりもします。
5×才はまだまだ若く、そこいらの運動不足のお兄ちゃんたちとは比べものものもないほど体力はあると思っているのですが、いかんせん、早晩老いさらばえていくことだけは確かなこと。魂は永遠ですが、いつかはこの肉体も滅びていくわけです。
ところで、「永遠」と書いていて、先日書いたブログ「アトランティス」との関連から、その昔読んだ手塚治虫さんの漫画、「青いトリトン」という作品を思い出しました。
主人公のトリトンは、「人魚族」の最後の生き残りであるという設定で、その一族を滅ぼそうとしている海の支配者ポセイドン一族と闘うという、海洋冒険SFマンガです。
トリトンは、最後の人魚族の子供でしたが、その父母もまたポセイドン族の一族の迫害に遭います。そして追い詰められて死に瀕したところで、トリトンをある人間(漁師だったかな?)に託します。人間に育てられて逞しく育ったトリトンはやがて海へ帰りますが、そこで、もう一人の生き残りの女の子「ピピ」と出会います。しかし、ポセイドンのワナにはめられ、二人は人間の敵に仕立てられてしまいます。
そして、ついにトリトンとピピは立ち上がり、人魚族の仇を打つためにポセイドンとの決戦を決意する……という話だったと思うのですが、なぜこれが「永遠」と関係があるのかというと、このトリトンの大敵である、ポセイドン一族の親分、王様が永遠の命を持っていたからです。
ポセイドン王は代々不死身の体を持っており、歴代の149人のポセイドン王が砦に眠っていて、一人がその「一生」を終えると、それで死ぬわけではなく、別の眠っていたポセイドン王に政権をバトンタッチ。自らはまた眠りに入ることでパワーを蓄える……みたいな荒唐無稽な話でした。
手塚治虫さんの原作も結構破天荒なストーリーでしたが、これがアニメ化されてテレビ放送になったほうもまた、かなり跳躍したお話であり、これが「海洋冒険SF活劇」と呼ばれる所以なわけでもあるのですが、実はこのテレビアニメを私は大好きで、毎回のように欠かさずみておりました。
手塚さんの漫画のほうは、「サンケイ新聞(現産経新聞)」に1969年から二年に渡って連載されたものでしたが、アニメのほうは、その連載が終わった翌年の1972年4月から9月末まで放送されたものです。
テレビアニメのほうのタイトルは「海のトリトン」に改題されていますが、手塚版のほうもアニメ版のほうにも使われている「トリトン」とは、ギリシャ神話に出てくる海の神様の一人の名前です。
が、いずれも内容そのものはギリシャ神話とは何ら関連を持っておらず、強いて関連といえばポセイドンもトリトンも海にまつわる神様の名前であり、漫画アニメのほうも海をテーマにしているという点でしょうか。
ちなみに、ギリシャ神話のほうでは、トリトンとポセイドンは親子ということになっています。トリトンは、父親のポセイドンと同じく、三叉の矛(トライデント)を持っており、波を立てたり鎮めたりするためにラッパのように吹く法螺貝もまた、彼のシンボルです。
高らかにこのほら貝を吹き鳴らすその音たるや、「強健な野獣のうなり声」のようだったといい、ギリシャ神話に居並ぶ巨人たちが、猛獣と勘違いして逃げ出すほど恐ろしいものであったそうです。
現代版のギリシャ神話、アニメ漫画のほうではその放映当初、トリトン族の赤ん坊をたまたま拾ってしまったある漁村の人間の少年を主人公とし、この少年が、ポセイドン族とトリトン族との抗争に巻き込まれるという、ど根性ものとして展開していく予定だったそうです。
ところが、プロデューサーさんがその途中で、純然たる冒険活劇とした方が作品として面白くなると考え直し、人間の子供を主人公にするのをやめ、海人の子、トリトンにこれを交代させたそうです。
我々と同世代の人の中には、このアニメをご覧になり、私同様にファンになった方も多いと思います。が、ご存知のない世代の方も多いであろうことから、そのストーリーの最後のほうをざっと、書いておきましょう。
トリトンは、失われたアトランティス大陸の遺跡の中、そこはポセイドン一族のアジトでしたが、ここに入ってポセイドン族と最後の対決をします。
ここで、トリトンは、父母の形見としてそれまでの戦いの中でも使ってきた「オリハルコンの短剣」の秘密を知ることになります。ポセイドン族が一族の守り神、象徴であり、かつパワーの源である「ポセイドン像」というものがあるのですが、これは「プラスエネルギー」を持つオリハルコンでできていました。
一方、トリトンが持つ短剣のほうは、マイナスエネルギーのオリハルコンで作られており、実はこの短剣は、ポセイドン族によって滅ぼされた古代のアトランティス人から受け継がれてきたものでした。
マイナスエネルギーのオリハルコンの短剣をもってポセイドン族を滅ぼすようにという願いを込めてトリトン族に託されたものであり、この短剣には、ポセイドン族の生命の源であるポセイドン像を破壊してしまうだけの力がありました。
このため、ポセイドン族は自らの安泰のためにも、トリトンを捕まえ、オリハルコンの短剣を始末しなければならなかったわけです。
そして、この海の中の古代アトランティス大陸のポセイドン宮殿の中で、ポセイドン一族とトリトン族の末裔である海のトリトンとの最終決戦が行われます。
最終的にはトリトンが勝ち、ポセイドン像を破壊、その爆発のためポセイドンの基地も宮殿とともに破壊されます。その後トリトンとピピは、イルカたちと共にいずこかへ立ち去っていくのであった……めでたしめでたし。
原作の手塚治虫さんの漫画のほうは、トリトンが不死身のポセイドンを追放するため、その歴代の王たちを全員引き連れて宇宙へ飛び立ちます。その後、ピピとの間に生まれた7つ子の息子のひとりが、地球に帰ってくる……という結末だったと思いますが、ストーリー的には断然アニメ版のほうが面白かったように記憶しています。
このため、これが放送されたころに小中高生だった子供たちには結構人気があり、この作品のために、テレビアニメとしては日本で初めてファンクラブが作られたそうで、中でもとりわけ女性ファンの人気が高かったといいます。
番組制作の録音スタジオには、トリトン役の声優さんを目当てに女子中学生や女子高校生が殺到するという、後のアニメ声優ブームの先駆けとなる現象も見られたといいます。
このアニメは、後年の「宇宙戦艦ヤマト」を生むきっかけにもなったといい、アニメブームの先駆としてその筋の方々からは重要なものであると位置づけられているとか。
そのプロデューサーは、手塚治虫の「虫プロ」のマネージャーであった「西崎義展」という人で、手塚から自らその放映権を取得。テレビ局へ売り込んだところ採用され、テレビアニメ初プロデュース作品となったものであり、この成功がこの人の後の大ヒット作品「宇宙戦艦ヤマト」にもつながりました。
ほかにも「ワンサくん」「宇宙空母ブルーノア」などの作品があるようですが、やはり「宇宙戦艦ヤマト」の評価が最も高く、その後の活動も、一連の「宇宙戦艦ヤマト」の姉妹作品を中心としたものであり、現在も「YAMATO2520(ヤマトニーゴーニーゼロ)」といった関連作品手がけられているようです。
ちなみに、この海のトリトンには、テレビ版を再編集した劇場版があるそうですが、私は見ていません。日本コロムビアのコロムビアビデオと、パイオニアLDC(現・ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン)などからその前後編を合わせて収録したDVDも発売されているそうなので、この作品をもう一度見たい方は、探してみてください。
ところで、この海のトリトンに出てくる「オリハルコン」とはいったい何ナノでしょうか。実は先日のブログ、「アトランティス」にも出てきたのですが、紙面の関係から説明を割愛しました。
プラトン が「クリティアス」の中で記述した、アトランティスに存在したという幻の金属のことであり、語源は「山の銅」という意味で、プラトンの著述作品以外にも、古代ギリシャの色々な詩作品に登場します(「へラクレスの盾」や「ホメロス賛歌」など)。
これらの作品からは、オリハルコンとは、真鍮(黄銅、銅と亜鉛の合金)、青銅(銅と錫の合金)、赤銅(銅と金の合金)、天然に産出する黄銅鉱(銅と鉄の混合硫化物)や青銅鉱、あるいは銅そのものと解釈されるようです。またラテン語では「金の銅」を意味するといいます。
これに対してプラトンの「クリティアス」は、その性質は明らかにされておらず、名前のみが伝わっていた幻の金属として登場してきます。その作中4箇所5度にもわたってオリハルコンを意味する「オレイカルコス」という単語が登場するとのことで、例えば、
「アトランティス島ではありとあらゆる必需品が産出し、今では名前を残すのみだが、当時は名前以上の存在であったものが、島のいたるところで採掘することができた。即ちオレイカルコスで、その頃知られていた金属の中では、金を除けば最も価値のあるものであった」
とか、
「アトランティス島の)一番外側の環状帯を囲んでいる城壁は、まるで塗りつぶしたかのように銅(カルコス)で覆われており、城壁の内側は錫で、アクロポリスを直接取り囲む城壁は炎のように輝くオレイカルコスで覆われていた」
などの具体的な記述がみられます。このほかにも、ポセイドン神殿の天上や壁、柱、床などにオレイカルコスが使われていたこと、アトランティスを支配する10人の王たちの戒律がオレイカルコスの柱に刻まれいたことなどが、記されています。
このようにプラトンのアトランティス伝説におけるオリハルコンは、武器としては使われていたのではなく、硬さ・丈夫さよりも、その希少価値が謳われていたようです。
このため、オリハルコンは、真鍮、青銅、赤銅などの銅系合金、黄銅鉱や青銅鉱などの天然の鉱石、あるいは銅そのものと解釈する説を支持する学者が多いようですが、このほかにも鉄、琥珀、石英、ダイヤモンド、白金、フレスコ画用の顔料、アルミニウム、絹など、種々の解釈があります。
現代人ばかりかと思ったら、プラトンの生きたギリシア時代よりも少し下がった時代の学者たちの間でもこのオリハルコンが何であったかという議論がなされたようで、BC350年頃に、アリストテレス (BC384–322)が、このオリハルコンの定義について議論しているといいます。
以後、この議論は近代まで続けられており、シアン色の青銅であるという解釈や、王金(亜鉛25%含有の黄銅)、亜鉛の化合物、銅系鉱石や真鍮の一種、透明な銅のようなもの、などなど様々な解釈がなされてきています。
比較的最近では、英国の神智学者ウィリアム・スコットという人が、「アトランティス物語」という本を1896年(明治29年)に書いており、この中で、アトランティスには「二種の白色の金属と一種の赤色の金属からなる、アルミニウムよりも軽い合金」で作られた戦闘用飛行船が存在する」と書いています。
これがオリハルコンであるとははっきり書かれていないようですが、アトランティスで使われていた軽合金といえば誰でもこれを思い浮かべます。その動力源には、「ヴリル」と呼ばれるSF小説にも出てくるようなものが使われていたとまで書かれています。
ここで、「神智学」というのは、現在世界中にあるいろんな宗教や神秘思想、オカルトを1つの真理の下で統合することを目指している学問というか、一種の「思想」です。
神智学の主張によると、宗教、神秘主義、オカルトの奥義は、それが支配する力の大きさや危険性から、どの時代においても一部の選ばれた少数の人間にのみ伝授され守られてきたとしています。
オカルトをも統合するといいますが、「一部の選ばれた少数の人間にのみ」といった考え方自体がオカルト的な雰囲気であるため、現在ではやはり異端の学問とみなす人も多いようです。
神智学では、宗教、神秘主義、オカルトに関する知識は、自分自身の内的な認識、超能力、神秘体験、霊覚、直接的な観察などによって得られるとされています。
このため、宗教、神秘主義、オカルトなどそれぞれの分野でかつて活躍してきた思想家たちは、古代のエジプトやインドの賢者たちも含め、客観性や合理性を重視する実証主義的な現代の科学者達よりも、ある意味では優れた認識や理解を持っていると神智学の学者たちは考えています。
そうした宗教、神秘主義、オカルトの教義に精通し、神秘の奥義を伝授されている人間を「秘教の秘伝への参入者」と呼び、その中でも特に奥義を体得している者達は、様々な超常的な力(物質化、テレパシーなど)を持っていたり、肉体を通常よりもかなり長い期間に渡って維持することができると主張しています。
さらには、こうした人達は宇宙の諸現象を理解する能力を持ち、人類への愛の面で卓越しているとも考えており、これらのことが、神智学が学問ではなく、どちらかといえば「思想」に近いものであると人々が異端視するゆえんでもあります。
しかし、「神智学協会」という非常にまじめな団体もあり、具体的な思想として、万物の一元性、宇宙や文明や人種の周期的な発生と衰退、三位一体の顕現、太陽系や人間の七重構造、厳正な因果律、輪廻転生、太古の文明、超能力、高次の意識、原子や鉱物や惑星の進化、生命体の進化に伴う天体間の移動、などなどについて研究しています。
イギリスの神智学者ウィリアム・スコットが、「アトランティス物語」の中で披露したる飛行体の記述も、こうした神智学的な見地によって「秘教の秘伝への参入者」から得た情報ということのようです。
スコットはこの飛行隊体や動力源をオリハルコンと特に結び付けた言及はしていませんが、 アトランティス人の生まれ変わりを称するかの有名な予言者「エドガー・ケイシー」は、そのリーディングでオリハルコンが未知の新素材や動力源と関連付けられると語ったということです。
無論、現代の科学では何の証明もされていないどころか、存在すらもしていない物質ですが、昨年の「ヒッグス素粒子発見!」以降、これまで幻であった物質の実在が次々と証明されようとしており、オリハルコンもまたいつかは、実際に存在する物質であった!という報道が突然なされる日がくるのかもしれません。
とはいえ、「永遠の肉体」を持たないわが身はその発見の報に接する可能性は少なそうです。が、現世では無理としても、来世では可能かも。その来世があれば……のはなしですが……
せいぜい生きている間できるだけ精進し、「秘教の秘伝への参入者」となれるように努力しましょう。それがオリハルコンや素粒子の秘密を知る最も近道のようですから……