出国を前にして、なにかと落ち着かないが、これまでも日々似たようなものだった。
毎日がふわふわとしてとりとめがない。
今回の出張は長かっただけに、この現状が普通の日常になっている。
もともとは非日常であるのに、それがあたりまえになっているのが不思議である。
一方、散々苦労したくせに、もうここでの生活が終わるのか、とどこかで思っている自分がいて、笑ってしまう。
つくづく人間は環境に感化されやすい動物なのだな、と感じる。
それにつけても、今回の滞在は長く、かつ束縛が多かった。
仮にこの生活をあともう一月続けてくれと頼まれても、断固として拒否するだろう。
時間的な拘束もさることながら、自由行動も許されない、食事だって与えられたものしか食べることができない。
そのなかにおいて、インターネットが自由に使え、電話もできる、というのはありがたかった。
情報というものが、日々の生活の中でいかに大きなウエイトをしめているのかを、改めて実感した。
もしもそういうものがなかったら、ここは間違いなく牢獄と化していただろう。
とはいえ、その情報すらも一部は制限されているわけである。
日本語でのテレビやラジオの視聴はほぼできず、また携帯の利用も課金による制限がある。
帰国すれば、それらを浴びるほどに享受できる。
もっともそうした情報の氾濫が、動物としての人間本来の機能を損なう原因になっているのだが。
とまれ、情報にせよ、その他の環境条件にせよ、封印されていたものが、あとわずかで解禁されることになる。
そのとき、自分にどういった変化が起きるのかが、興味深い。
無論、うれしい、という感情がまず沸いてくるのだろうが、それ以外にどういう精神状態になるのかをよく観察してみたいと思う。
虚脱感に襲われたり、無気力になったりするのではなかろうか。
あまりのうれしさに、ハイになるということもあるかもしれない。
そのとき何をしでかすことだろう。爆買いや夜更かしに走るのではないか。
肉体的にも変化があるかもしれない。
暴飲暴食で、体重も増えるかもしれないが、自由に動けるようになることで逆に減るかもしれない。
体重は渡航前に比べて、9キロ減った。
ジョギングにも適した体である。
自由行動ができないために我慢していたが、帰ったら、野山を駆け巡ることになるだろう。
運動不足になりがちな中で、日々のトレーニングは欠かさなかったが、今後はさらに体力をアップさせる。
精神的にも自由になって、より安定させる。
秋以降、仕事も変わるだろうし、その中で新しい自分をみつけていけるに違いない。
そうした自分の変化が楽しみである。
大きくなって戻っておいで。
かなり前に流行ったそんなフレーズが頭に思い浮かぶ。
大きくならなくてもいいし、少しだけでいい。
これまでの自分よりも、綺麗になっていたい。