アイススケート・イン・セントラルパーク

Title: [Skating in Central Park, New York, N.Y.]
Related Names:
Detroit Publishing Co. , publisher
Date Created/Published: [between 1900 and 1910]
Medium: 1 negative : glass ; 8 x 10 in.

上の写真の撮影年は、1900年から1910年の間とされています。

セントラルパークが、1876年にほぼ現在の形に完成したのち、30年ほど経ったころであり、このころからもう既に地域住民の憩いの場となっていたことが、この写真からもわかります。

それにしても、スケートをしている人々の服装は、かなりフォーマルなものであり、この当時、ここは公園であると同時に、社交場として位置づけられていたことが想像されます。

無論、現在でも冬季にはスケートリンクが開かれていますが、下の写真を見てもわかるように、スケートを楽しむ人々の姿は昔と異なり、まったくカジュアルです。

引用:http://www.cntraveller.com/article/new-york-city-ice-skating-rinks

セントラル・パークはアメリカで景観を考慮して設計された最初の公園です。公園内はまるで自然の中にいるように錯覚する風景ですが、高度に計算された人工的なものです。湖がいくつかと、これを利用した2つのアイススケートリンク、各種スポーツ用の芝生のエリア、自然保護区、そしてそれらを結ぶ遊歩道などがあります。

道路は景観を崩さないために人工的に窪地に造られており、これはダイナマイトで岩盤を破壊して造ったものです。マンハッタンはもとは丘の多い地形で、非常にしっかりとした岩盤(マンハッタン片岩)が地下にあるため、超高層ビルの建設に適した地形でもあります。

公園内は自動車での通行が禁止されており、週末は公園を囲む9.7kmの道はジョギングをする人々、サイクリングやインラインスケートを楽しむ人々などで賑わいます。また、ここはニューヨークシティマラソンのゴール地点にもなっています。

渡り鳥たちのオアシスにもなっており、バードウォッチングも盛んに行われています。夏には園内のデラコート劇場で有名な映画スターによるステージが行われます。

マンハッタン島の都会的景色・喧噪の中のオアシスとしての働きを果たしており、公園に面してその景色が視野に入るアパートメント・コンドミニアムは、近隣の中でも高く評価される物件となっています。

しかし、そんなセントラルパークも、当初は建設される予定になかったといいます。1811ころの計画によって、ニューヨークの市街地は北へどんどん拡大していきましたが、セントラルパークの建設は当初の計画には含まれていませんでした。

ところが、市街開発が進むにつれ、膨張したニューヨークに大きな都市公園が必要であると、詩人ウィリアム・カレン・ブライアントやアメリカ初のランドスケープ・アーキテクト(造園家、造景家)とされるアンドリュー・ジャクソン・ダウニングらによってその必要性が唱えられました。

ロンドンのハイドパークやパリのブローニュの森のような屋外でのんびり過ごせる場所が、このころ急拡大を遂げるニューヨークにあって、多くのニューヨーカーにも望まれてもいました。これを受け、1853年にニューヨーク州議会によりこの地が公園用地として指定されることとなります。

1857年には当時ここに住んでいたアフリカ系、アイルランド系住民、約1600名は立ち退きの憂き目にありましたが、彼らの犠牲により、同年、現在よりも少し小さい範囲で開園しました。翌年1858年には公園の拡張と景観整備のコンペが行われ、一般にアメリカ人造園界の父といわれる、フレデリック・ロー・オルムステッドらの設計案が採用されました。


1865年ころ




コンペが行われたその年に建設が始まり、1873年に正式に開園。ただ、この公園が本格オープンした1870年代には、ニューヨーク市の住民の大多数はマンハッタン島の最南端に位置する、ニューヨーク南部のロウワー・マンハッタンに住んでいました。

1876年にほぼ現在の形でセントラル・パークは完成しましたが、彼らにすれば、せっかく立派な公園ができても、直線距離で20kmもあるそこまで行くには、何時間もかかりました。その緑の恩恵を一番必要としていた住民には手の届かない場所だったわけです。

文人、医師にして教育家のオリヴァー・ウェンデル・ホームズがニューヨーク市を訪問した際にも、この公園を絶賛しましたが、マンハッタン5番街の23丁目からここまで行くのに、交通費が4ドル(当時)もかかったことに不満を漏らしています。

実のところ「多くの人にとって、「公園は100マイル(約160km)離れた場所にある」のと同じで、「年に一度の遠足でも遠すぎる」と言われていました。実際には2~30kmの距離にすぎませんが、交通がまだ現在のように発達する以前には、ここは遠すぎました。


1897年ころ

その後ニューヨークの市街域が北に移動するにつれ、セントラルパークは市民の憩いの場としてその力を発揮し始めました。ニューヨークという不夜城の中にあって、この公園は文字通りオアシスの役割を果たしてきました。

しかし、1930年代頃よりここに住み付くホームレスたちが増加し、また、暴力やレイプなどの夜間の治安悪化が問題となっていきましたこれを危惧したニューヨーク市警察がここを重点地区にと指定したため、現在はかなり安全な公園になっています。

2017年現在、ここで起こった犯罪は100件未満に抑えられているそうです。1980年代初頭の犯罪件数は、1,000件以上もあったといいますから、かなり治安はよくなっているようです。

ちなみに、東京23区の中でも元も治安の悪いとされる新宿区の年間判事件数は7,940件だそうです。統計の取り方と、発生した犯罪の内容によるため単純比較はできませんが、数字だけをみると、セントラルパークはかなり安全そうにみえます。

そうした安全が認められたこともあり、恐らくアメリカで最も訪問者が多い都市公園であり、毎年約3,500万人の観光客を受け入れています。人工的に造られた公園にもかかわらず、公園のほとんどが自然に見えるのは、植物や地形によるほか、公園には元からあった湖や池を巧みに使い、完全に美化がなされたという点です。



見どころとしては、1937年に 一般公開された。コンサーヴァトリー・ガーデンで、この庭園は、中央がイタリア式庭園に、北側の円形公園はフランス式、南側はイギリス式庭園風にしつらえられており、それぞれの異なるテイストの庭が鑑賞できるようになっていて、人気があります。

このほか、屋内施設として、ベルヴェデーレ城、スウェディッシュ・コテージ人形劇場、カルーセル(Carousel)と呼ばれる、歴史的な回転木馬などもあります。

さらに、7つの主要な芝生があり、シープ・メドウズ、グレート・ローンとタートル・ポンドやザ・ランブルとレイクなど小さな草原や池(湖)が存在し、ニューヨーカーのみならず観光客が、静かに過ごすエリアとなっているようです。

ニューヨークを訪れたらぜひセントラルパークへ行ってみてはいかがでしょうか。