ミシガン・セントラル鉄道トンネル

Title: Sinking last tubular section, Detroit River tunnel
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Date Created/Published: c[between 1900 and 1910]
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あけましておめでとうございます。本年も当サイトをよろしくお願いいたします。

さて、今日のブログのタイトル、「ミシガン・セントラル鉄道トンネル(Michigan Central Railway Tunnel)」は、デトロイト川の下をくぐり、アメリカ合衆国のミシガン州デトロイトとカナダのオンタリオ州ウィンザーを結ぶ鉄道トンネルです。

アメリカ側の入口は、デトロイト中心部にほど近いポーター・バーモント通りの南側にあり、このデトロイトは、人口等から全米9位の規模の町です。主要産業は自動車産業であり、かつては「自動車の街」とも呼ばれて繁栄しましたが、現在は、失業率、貧困率が高く、犯罪都市として有名になってしまいました。

こうしたこともあり、今も残る、デトロイト側のトンネル周辺は一般人の立ち入りが規制されており、デトロイト市警察などが定期的に巡回しているそうです。

一方、対岸側のウィンザーは、人口はおおよそ20万人。主な産業は加工組立、鉱業、観光、農業で、カナダ国内でも有数の自動車工業都市ですが、これはもちろん、対岸側のデトロイトの恩恵を受けてのことです。国境を越えアメリカ合衆国からも多くの人が訪れます。

両者を隔てるデトロイト川は、五大湖水系の全長約51kmの川で、川幅は最も狭いところでも700mほどあります。アメリカとカナダの国境にあるため、交通の要衝ですが、両国の行き来のためには、かつては船舶が主要な交通手段であり、鉄道もまた鉄道連絡船(フェリー)で接続していました。




このため、川の下を通るトンネルの建設が長年検討されていましたが、1906年10月に建設がようやく始まり、4年の歳月を経て1910年7月26日に開通にこぎつけました。冒頭の写真はそのもっとも最後期に建設のために用いられた埋設トンネルです。

沈埋トンネル(ちんまいトンネル)ともいい、あらかじめ海底に溝を掘っておき、そこに鉄やコンクリートで作ったトンネルユニット(沈埋函)を沈めた上で、その上から土をかぶせます。

写真の構造物下部はトンネル本体であり、その上にある筒状のものは、水を注入してトンネル本体を沈めるための「重し」です。沈埋後に取り外し、水を抜いて浮上させ、回収します。

沈埋トンネルの本体とその周囲の型枠は、この当時、鉄のみで形成され、埋設後に水中コンクリートなどでその周囲を固められたと推定されます。その後、技術が進化してのちは、埋設函自体が鉄筋コンクリート製となり、現在これは「ケーソン」と呼ばれています。

海底や川底などにトンネルを作る際に開削するよりも手早くできますが、水深が比較的浅く、短距離の場合に使われることが多かった工法です。


現在の沈埋函(ケーソン)

最近では、鉄道用の沈埋トンネルとしては、1990年に完成した東京臨海高速鉄道りんかい線東京港トンネル(全長1470m)のほか、2013年に開通した、トルコのボスポラス海峡トンネル(マルマライ・トンネル) が話題になりました。

ボスポラス海峡トンネルの、トンネル部分13.6kmは世界最長で、計画自体はオスマン帝国時代の1860年に設計図が描かれて以降、何度も計画が立ち上がったものの、政治的あるいは技術的理由により頓挫した経緯を持ち、トルコ国内では“トルコ150年の夢”として国民の関心も高かったものです。

その沈埋トンネル部の建設には高度な技術を必要とするため、主に日本の大成建設が施工しました。このため、開業記念式典・開通式典には日本の安倍晋三首相も出席しています。



ミシガン・セントラル鉄道トンネルのほうは、全長1.6マイル(約2.6キロメートル)にであり、ボスポラス海峡トンネルに比べれば随分と短いものです。しかし、これでも東京港トンネルより長く、この当時としては世界最高水準の技術で建築されたものであり、無論、鉄道用の沈埋トンネルとしては世界初です。

建設を行ったのは、デトロイト・リバー・トンネル会社という、アメリカ・カナダ両国のトンネル会社の合弁企業体で、両岸に鉄道を敷設していたカナダ・サザン鉄道向けに建設を行ったものです。その後この鉄道はニューヨーク・セントラル鉄道の所有となり、以後も持ち主が何度も変わっていますが、現在は「カナダ太平洋鉄道」が使っています。

1910年7月26日にまず旅客列車に対して開通し、9月15日からは貨物列車も運行が開始され、10月16日にはすべての列車がトンネルを経由するようになり、それまで使われていた鉄道連絡船は廃止となりました。


1900年代初頭の絵葉書、ミシガン・セントラル鉄道トンネルの内部


1911年の絵葉書、トンネル内を行く電気機関車

西側のアメリカ側では、ミシガン・セントラル鉄道の本線に接続しており、トンネル入り口から約4km西側に離れた箇所に設けられた分岐点に「ミシガン・セントラル駅」が1913年12月26日に開業しました。

地上18階建ての構造は、当時、世界で最も高い駅舎(駅ビル)であり、その後、1975年には、アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定。その後、大陸間横断鉄道として有名な アムトラックが市内に専用駅を建設したため、不要となり、1988年には、駅の営業を終了しました。




しかし、廃業後、あまりにも大きな構造物であったため転用は難しく、取り壊しもできず放置されたまま廃墟となりました。カジノや警察を含む公的機関の入居など、いくつかもの再開発計画は立てられましたが、巨額の資金を要することから次々と頓挫しました。

2009年にはついにデトロイト市が、駅舎周辺のスラム化を解消するために取り壊しを決議しますが、一方で歴史的建造物として保存を目指す機運が高まり、取り壊しは中断されるに至ります。

その後、アスベストの除去作業や窓ガラスの撤去などが細々と続けられてきましたが、2013年、デトロイト市が破産。保存や撤去を行う予算付けは、当面の間不可能となり、周囲を有刺鉄線付金属フェンスでめぐらされたまま、事実上放置されることとなりました。

現在もそのまま残されており、時折、映画ロケ地として利用されることもあります。実写版の「トランスフォーマー」や「アイランド」といった映画でこの駅がロケ地として使われたといいますから、映画を見た人は現在の状況がおわかりでしょう。

ミシガン・セントラル鉄道トンネルのほうは、いまだ現役です。ただ、2000年初頭には、新しい鉄道トンネルの建設計画が発表されました。

現在、近くのアンバサダー橋、デトロイト・ウィンザートンネル、デトロイト・ウィンザーフェリーなどの国境連絡交通の負担を緩和するために、既存のトンネルを2車線のトラック用トンネルに改造する、といったことが検討されています。

しかし、この計画はウィンザーおよびデトロイトの市政府、オンタリオ州とミシガン州、そしてアメリカとカナダの両連邦政府が将来的にどこに国境連絡を設定するかを検討するために保留されており、ウィンザー側では、トンネルよりも橋梁を作ってその上にハイウェイを作ったほうが好ましいといった声も上がっているようです。




ちなみに、日本初の沈埋トンネルは、1944年に開通した、大阪市にある「安治川(あじがわ)トンネル」です。

安治川は河川舟運の重要航路で、上下流を運搬船が頻繁に行き交っていました。一方、川を横切る陸路も重要路線でしたが、船舶の高さ限界との関係から、架橋も容易でなく、可動橋案も出ましたが、やはり舟運との兼ね合いで長年却下となっていました。

渡河するためにも渡船が航路を頻繁に横切っていましたが、渡船運航は困難を極めたため、この当時全国でも類を見ない河底トンネルが計画され、1935年(昭和10年)から建設が始められました。戦時中だったため、供出された鉄材を受けてまで工事は進み、1944年(昭和19年)に竣工しました。

排ガス問題などにより、自動車の運行は1977年に閉鎖されましたが、現在も歩行者・自転車用通路としては運用されています。近くまで行ったらぜひ見学してみてください。

自動車が通行していた頃の安治側トンネル:日本建設コンサルタント協会HPより引用
https://www.jcca.or.jp/dobokuisan/japan/kinki/ajigawa.html

ただ、その延長はわずか80mほどにすぎません。これより34年も前に、その30倍以上の長さの沈埋トンネルを完成させていた、アメリカという国と戦争をした日本という国の小ささを改めて感じてしまいます。