デュケイン・インクライン

Title: [Duquesne Incline, Pittsburgh, Pa.]
Related Names:
Detroit Publishing Co. , publisher
Date Created/Published: [between 1900 and 1915]
Medium: 1 negative : glass ; 8 x 10 in.(original)

デュケイン・インクラインは、ピッツバーグの南部に位置するワシントン山に設置された「インクライン(鋼索鉄道)」で、長さ800フィート(244 m)、高さ400フィート(122 m)あり、30度の角度で傾斜しています。

ピッツバーグ(Pittsburgh)は、アメリカ東部、ペンシルベニア州南西部に位置する都市です。

かつては鉄鋼生産の中心地として栄えましたが、鉄を精錬するために大量の石炭が必要であり、当初このインクラインもその運搬を行う目的で建設されたようです。このため、ワシントン山には、”Coal Hill(石炭丘)“の別名があります。

このピッツバーグは、オハイオ川の河岸段丘のそばに作られた街です。丘が連なる起伏に富んだ地形となっており、勾配の急な坂道が多いことで知られています。

標高は地区によってかなりの開きがありますが、ダウンタウンの標高は220-250m程度、オハイオ川の河岸は標高216mです。これに対して崖上のマウント・ワシントン地区の標高は約320-350mと、河岸から一気に100m以上高くなります。

1860年代にピッツバーグは、鉄鋼生産の産業基盤を大きく拡大し、このとき多数のドイツ人が移入してきました。勤勉な彼らは、街の産業発展に大いに尽くしましたが、移民であったため、街の中心部には住まず、主にワシントン山の上の地区に定住しました。

このため、崖下にあった工場地帯に彼らドイツ人労働者を運ぶための利便にと作れたのがこうしたインクラインで、現在のピッツバーグにはこのディケイン・インクラインともうひとつ、モノンガヒラ・インクラインが残っており、両方とも19世紀末のほぼ同時期に作られたものです。


モノンガヒラ・インクライン

インクラインとは、標高差の大きい場所での輸送を容易にするための装置で、通常のレールのほか、ワイヤロープなどで台車を昇降させます。日本では東京の西にある高尾山のケーブルカーがかなり近い形態といえるでしょう。

しかし、高尾山のケーブルカーは電動ですが、ピッツバーグのこれらのインクラインは 当初、蒸気駆動でした。

上述のとおり、当初は石炭の運搬目的で設置され、その稼働のためにも石炭が使われました。その後、ドイツ人他の労働人口も増えるにつけ、労働者移動の上でも重宝されるようになり、構造上の強化なども徐々に図られていったようです。

現在残されているふたつのうち、最初にできたのは、モノンガヒラ・インクラインで1870年。 ディケイン・インクラインのほうはその7年後の1877年に完成しました。19世紀末から20世紀はじめの最盛期には、これ以外にも複数のインクラインが完成し、稼働していたようです。




第二次世界大戦中には、ピッツバーグでは9500万トンもの鉄鋼が生産されていました。しかし、この頃になると、鉄鋼を生産するのに必要な石炭の燃焼に伴って大気汚染が著しくなり、毎日のようにスモッグが発生するようになりました。

下の写真は1900年ころのもので、崖の上からピッツバーグを見たものですが、このころすでに遠くのほうがスモッグによって霞んでいるのがわかります。

戦後、アメリカでは急速なモータリゼーションが進み、ピッツバーグでも多くの道路ができるとともに、ワシントン山の上下を結ぶ道路も多数できました。これにより、インクラインは不要となり、1960年代までには多くが廃止され、最後に残ったのが、このモノンガヒラ・インクラインとデュケイン・インクラインというわけです。

1960年代に入ってもピッツバーグの産業は発展を続けていましたが、1962 年には、デュケイン・インクラインもついに永久閉鎖が決定されました。長年の使用による痛みも著しく、大きな修理が必要であったためですが、それを存続させるための後援者もいなかったためです。

ところが、この廃止を聞いた崖上のデュケイン・ハイト、という地区の住民が、インクラインの存続を叫び始め、 資金集めに乗り出しました。 この試みは成功し、保存に専念する非営利団体が結成されると、その保護のもと、1963 年 7 月 にインクラインの運行が再開されました。

その後、1970年代に入ると、ピッツバーグの鉄鋼業は衰退に転じていきました。工場は相次いで閉鎖に追い込まれ、街には大量の失業者があふれるようになっていきます。

しかし1980年代に入ると、街は鉄鋼業に依存していた従前の産業構造から脱却し、新たな産業を模索しながら地域経済を発展させるように舵を取り始めました。

もともと、この街の鉄鋼業は、ピッツバーグに本部を置く財閥、メロン財閥(モルガン財閥)とロックフェラー財閥の投資によって成り立っていましたが、両者もこの時期からは鉄鋼業に見切りをつけ、地域のハイテク産業・保健・教育・金融に投資をはじめました。

これにより、街は活気を取り戻し、現在はロボット・生物医学技術・核工学などのハイテク産業や、保険・金融・観光・サービス業を中心とする産業が活発な町として全米を代表する町になりました。



ピッツバーグの中心業務地区(CBD)である「ピッツバーグ・ダウンタウン」には超高層建築物が林立し、世界的にも有名な企業や団体の本部がある地区となり、しばしば「ゴールデン・トライアングル」(Golden Triangle)とも呼ばれています。

ドイツをはじめ、欧州とのつきあいが長いピッツバーグは学術都市でもあります。

カーネギーメロン大学・デュケイン大学・ピッツバーグ大学など、多数の大学が市内および都市圏内にキャンパスを置きます。カーネギーメロン大学とピッツバーグ大学がキャンパスを置いているオークランド地区は、高等教育・研究機関や文化施設が特に集中しています。

この街の発展とともに、残っていたインクラインもまたその内容を一新しました。 観光産業もまた、この街の大きな収益のひとつとなってきたためです。

19世紀後半にフィラデルフィアの J. G. ブリル会社((J. G. Brill and Company)により製造された車両はリニューアルされて、近代的な雰囲気を装うようになったともに、頂上には新たに展望台が追加されました。

ここからは、「ゴールデン・トライアングル」 の光景が一望でき、デュケイン・インクラインは今ではピッツバーグ市の観光において、最も人気の高い呼び物となっています。

現在のデュケイン・インクラインとゴールデントライアングル
(上の写真と見比べてみてください)

ちなみに、このインクラインは、 ラッセル・クロウ主演の映画、スリーデイズ(The Next Three Days)の中でも登場するとともに、1983 年の映画 フラッシュダンス (Flashdance)のなかでもピッツバーグの象徴として扱われていました。

ビデオ店でこれらの映画を見るときには、ぜひ現在の姿を確認してみてください。