病院船ソレースの帰投

Title: [Memphis, U.S.S., caskets of dead, brought home by U.S. Hospital Ship S̀olace’]
Creator(s): Harris & Ewing, photographer
Date Created/Published: [between 1914 and 1918]
Medium: 1 negative : glass ; 5 x 7 in. or smaller

写真は、病院船「ソレース」を出迎えるアメリカ軍の儀仗兵たちと思われます。

「儀仗(ぎじょう)」とは、本来、国家元首や他国の高官が来訪した場合に、敬意を表するための儀式であり、これを行うために「儀仗隊」というものが組織され、この隊にはほかに要人の警護にあたる役割などがあります。

この写真は、病院船で帰国した死者の棺を出迎えるため、アメリカ海軍が儀仗隊を繰り出したものと思われ、こうした儀式は、国を守るために死した魂を最高礼で迎えるという、欧米諸国の長年の習わしでもあります。

タイトルにある“caskets of dead”は棺のことであり、これから棺が下され、葬礼の儀式が行われたものと想像されます。また儀仗兵たちとともに軍楽隊らしき人々が待ち受けており、下の写真をみると、棺を運んでいると思われる馬列らしいものが写っています。



この病院で運ばれてきた死者とは、おそらくはアメリカ合衆国がヨーロッパ戦線で失った兵士たちでしょう。

アメリカは第一次世界大戦においては当初、ヨーロッパでの国際紛争には関与しない孤立主義を取っていましたが、1917年の初めにドイツが無制限潜水艦作戦を再開したことなどから1917年4月6日にドイツへ宣戦布告、12月にはオーストリアに対しても宣戦布告しました。

連合国艦隊に参加するため大西洋各地に艦隊を送ったほか、ドイツと連合国がベルギー南部からフランス北東部にかけて激しく戦ったいわゆる「西部戦線」戦線にも遠征軍を送りました。

しかし、アメリカ遠征軍(AEF)の指揮官であったジョン・パーシング将軍は面攻撃戦術に固執したため、結果としてアメリカ軍は1918年夏と秋の作戦で非常に高い死傷率を経験しました。

32万人もの死傷者を出したといわれ、そのうちの戦死者は5万3千人あまりでした。また1918年秋期のインフルエンザの世界的大流行もこの遠征軍の兵士の命を多数奪い、これによる死者も2万5千人に上ったといわれています。

ソレース内の病室ベッド




写真で「帰国」した死者たちが戦闘で亡くなったのかインフルエンザで亡くなったのかは不明ですが、儀仗隊まで出ているところをみると、おそらくは西部戦線の激闘で亡くなった兵士たちなのでしょう。

写真に写っている病院船は「ソレース」といい、アメリカ海軍がこれまでに20隻保有してきた病院船のうち、二番目に就航した初期の病院船のひとつです。

病院船(hospital ship)とは、戦争や飢餓、大災害の現場で、傷病者に医療ケアを提供したり、病院の役割を果たすために使われる船舶のことです。現在も世界中のさまざまな国々の海軍が運用していますが、医療システムにかかる維持費等のコストが莫大であることから、輸送艦や強襲揚陸艦として運用されている病院船も少なくありません。

ちなみに、アメリカにおいて現在就航している20隻目の病院船、「コンフォート(USNS Comfort)」は、石油タンカーから病院船に改装されたもので、もともと医療目的で建造されたものではありません。このあたりに軍縮後のアメリカの軍備に対する考え方がみてとれます。こうした装備にはあまりお金をかけたくないわけです。

病院船コンフォート

とはいえ、現在、アメリカ海軍が保有する病院船はこのほか「マーシー」(USNS Mercy)」などがあり、両者とも世界でもっとも大型の救命救急の船舶として知られています。

戦場において傷病兵への医療活動を行う船は、既に古代ローマ時代には出現しており、近代においては1850年代のクリミア戦争でイギリスやフランスの病院船が活動したことが知られています。1860年代アメリカの南北戦争では、レッドローバー号(1859年就役)が南北両軍の傷病兵を治療しました。

このころ、赤十字活動の勃興とともに、病院船の戦時国際法上の地位も確立されていきました。その後、第一次世界大戦、第二次世界大戦などでは、いくつかの国で客船を改装した病院船が整備され、運用されるようになりました。イギリスのブリタニック号などが有名であり、日本でも現在横浜港に係留されている氷川丸などが活躍しました。

ソレースの外観

近代戦時国際法のもとでは、病院船は一定の標識を行い、医療以外の軍事活動を行わないなどの要件をみたすことで、いかなる軍事的攻撃からも保護されることになっています。今日では1949年のジュネーヴ第2条約が明文規定を定めています。

第一次世界大戦、二次大戦を経て時期によって若干の変遷はあるものの、その基本的要件は以下のようなものです。

船体の塗装 : 船体は白色とする。軍用病院船は緑色、民間病院船は赤色の帯を引く。
赤十字標識 : 赤十字(または赤新月)の旗を掲げる。船体や甲板にも標識し、夜間は電飾する。
非武装: ただし船内の秩序維持などのための小火器を除く。
軍事的活動の禁止 :兵員・軍需物資の輸送、軍事情報の発信などには利用しない。
交戦国への通知:船名等の基礎データを通知する。

ソレース内の食堂



過失による撃沈を防ぐ為に病院船は夜間も明かりを灯し病院船である事を主張しましたが、実際には保護されるべきはずの病院船が、敵艦から意図的に攻撃を受ける事件も過去には多数ありました。

純白の美しい外観、病院船という任務目的からか、付近の味方艦船乗員の心理的安堵感が増し、気が緩んだ隙に病院船周囲を周回している敵の潜水艦に撃沈(多くの場合は誤認)されるという凄惨な例もあったといいます。

もっとも保護を悪用して、病院船を軍需輸送に使用する例もあり、1945年(昭和20年)に日本陸軍が国際法に違反して病院船として運用していた「橘丸」(東海汽船、1,772トン)は、部隊・武器を輸送し、国際法違反によりアメリカ海軍に拿捕されました。

ソレースの乗員、看護師、医療チーム

一方では、日米間の協定で安全航行を保障され、病院船に準じた保護病院船とされていたのに攻撃された貨客船「阿波丸」のような例もあります。

1945年(昭和20年)4月1日にシンガポールから日本へ向けて航行中であった貨客船阿波丸は、アメリカ海軍の潜水艦クイーンフィッシュ(USS Queenfish)雷撃により撃沈され、商船員480人、三井物産支店長以下の商社員・技術者・大東亜省次官以下の公務員など非戦闘員600人、軍人・軍属820人、合計2000人以上の乗船者のほとんどが死亡しました。

現在、日本の海上自衛隊には病院船が在籍していません。ただし、はしだて型迎賓艇、潜水艦救難艦が有事や災害時の医療機能を考慮して設計されており、おおすみ型輸送艦、ひゅうが型護衛艦、いずも型護衛艦が野外手術システムを搭載していて高度な医療機能を有しています。また、各護衛艦、補給艦には小規模な医務室と衛生員が配置されています。

過去には、超党派の国会議員による病院船建造推進議員連盟の働きかけで、病院船建造の調査費が計上されたこともありましたが、新造では建造費用が350億円かかる、維持費も高価であることから専用船の新造や中古船改造は断念されています。

現状では、大規模自然災害や武力紛争など有事の際は、既存民間輸送船に野外手術システムを積む予定であり、今後試験運用が行われる予定だといいます。