氷上のチェス

Title: Curling, Van Cortlandt Park, New York
Creator(s): Bain News Service, publisher
Date Created/Published: [no date recorded on caption card]
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冬季オリンピックもそろそろ終盤に入ってきました。

今晩は、4強に残った日本女子のカーリングチームの試合が控えており、ここまできたら、ぜがひでもメダルを取って帰ってきて欲しいところです。

このカーリングですが、北欧が発祥地と思っている人が多いと思いますが、そうではなく、15世紀のイギリスのスコットランドが発祥地です。

氷上で石を使うカーリングの元となったゲームの最古の記録は、1541年2月にさかのぼり、場所はスコットランド、グラスゴー近郊のレンフルシャーです。これからおよそ40年後の1565年に描かれた「雪中の狩人(ベルギーの画家ピーテル・ブリューゲル作)」という絵の遠景にも、氷上でカーリングを楽しむ人々が描かれています。

それにしてもなぜ「カーリング」というか、ですが、曲がる、という英語の ”Curl” から来ているのは明らかです。

当時は底の平らな川石(自然石)を氷の上に滑らせていたそうです。初期のカーリングは、冬季に凍った自然の川や湖で行われており、このため、氷上を滑るストーンは、必ずしも平らでないこの氷の上を真っ直ぐに進まず、曲がることが多かったのではないかと思われます。

1630年のスコットランドの印刷物中にこの名称の使用が確認されており、以後、スコットランドでは16世紀から19世紀にかけて戸外でのカーリングが盛んに行われるようになりました。現在でもリンクや用具の寸法はヤード・ポンド法で規定されており、これはスコットランド発祥である名残でもあります。

ただ、現在の公式ルールは主にカナダで確立したものだそうです。1807年には、カナダ王立カーリングクラブが設立されており、1832年には、その隣国のアメリカにカーリングクラブが誕生しました。

さらに19世紀の終わりまでにはスイスやスウェーデンなどのヨーロッパ諸国へ逆輸入されるような形で広まり、1998年の長野オリンピックで初めて冬季オリンピックの正式種目として採用されました。現在では欧米諸国だけでなく、日本をはじめ、中国、韓国といったアジア圏でもさかんに行われています。




このカーリングの主役はなんといっても、ストーンです。上部に取っ手をつけた円盤型の石で、1チームが8個を使用し、カーリング競技を行うためには16個必要となります。取っ手部分の色は赤、黄が主流のようです。

公式なサイズは「円周が36インチ以内、高さが4.5インチ以上、重量は44ポンド以内」と決められており、国際大会で使用されるものは、高密度で強度と滑りやすさに優れた グレートブリテン島スコットランドのアルサクレッグ島特産の花崗岩がほとんどだそうです。

他産地の石では密度が低く、氷の上で石が水を吸い、吸われた水が再び凍ったときに石が膨張して割れてしまいます。アルサクレッグ島産の「粘りと弾性に優れた石」は、衝突が起こる胴体部に使われます。ただ、氷と接する底の滑走面には、「硬く滑りやすい石」が貼り合わせて使われています。

このアルサクレッグ島特産の石ですが、資源保護の観点から、採石は20年に一度しか行われないといいます。最近では、2002年に採掘が行われたようで、この次となると、東京オリンピックの後の冬季北京オリンピックのとき、ということになります。

ただ、採掘量は少ないものの、100年以上使用できるとされているほど耐久性が高いといいます。がしかし、需給のバランスなどから、1個10万円以上(1セット160万円くらい)する高価な物だそうで、基本的にはストーンは選手など個人で所有するものではないといいます。

このほか、カーリングに使う重要道具には「ブラシ」があります。滑っていくストーンの方向や速度を調整するために氷面を掃く(スウィープする)ための道具です。

冒頭の写真や次の写真をみてもわかるように、その昔は、掃除用具の箒を使っていたようです。しかし、現在ではデッキブラシ状のものになっています。また、その昔は柄は木製でしたが、その後グラスファイバー製となり、近年ではカーボンファイバーになっているようです。



なお、現在は公式競技が屋内で行われるため、滅多にお目にかかることはないものの、野外で試合がある場合には、氷上の霜を取るために、昔ながらの箒が使われることがままあるといいます。

ちなみに、日本人で初めてカーリングをやったのは、陸軍の軍人だったようです。1950年に中国の黒龍江省で、イギリスの将校からカーリングを習っている日本の軍人を描いた絵がアメリカのカーリング博物館で発見されています。

ただし、一般に日本でのカーリングの始まりと言われているのは1936年のことで、ドイツで開催された冬季オリンピックに参加した選手団が、日本にストーンを持ち帰り、長野県の諏訪湖でデモンストレーションを行いました。

その後は、あまり流行らなかったようですが、約30年のブランクを経た1969年、蓼科湖にてゲームが行われ、1973年第一回カーリング大会が開かれました。しかし、このときにもあまり脚光を浴びず、普及には至りませんでした。

日本において競技として定着させる礎となったのは、カーリングをカナダの指導者とともに紹介した社団法人北方圏センター(現公益社団法人 北海道国際交流・協力総合センター)であり、これを後援した北海道の旧常呂郡常呂町(現在は北見市と合併して消滅)です。

1980年の北海道とカナダのアルバータ州との姉妹提携を機に、北方圏センターがカーリング講習会を道内各地で実施するようになると、当時の常呂町は当初からビールのミニ樽やプロパンガスミニボンベなどでストーンを自作し、町(自治体)を上げての普及に取り組みました。

1981年には第1回NHK杯(北見放送局)カーリング大会を開催、1988年には国内初のカーリングホールを建設、国内外の大会を開催してオリンピック選手を多数輩出するなど、大きな功績をもたらしました。上で述べたとおり、1998年の長野オリンピックで公式競技として導入されたのは、こうした背景もあったからです。

1998年の長野オリンピックでの男子チームスキップ、敦賀信人の健闘は多くの人の目にとまり、また2002年のソルトレイクシティオリンピックでの出場がテレビで中継されたことでも徐々に認知が広がりました。



さらに、2006年に開催されたトリノオリンピックに出場した女子チーム(チーム青森)が全試合を中継された中で7位入賞という活躍を見せたことで、日本におけるカーリングの認知度が一挙に高まりました。今回のピョンチャンオリンピックでの女子チームの活躍によって、さらに人気が高まっていくことでしょう。

しかし日本ではまだ競技施設は非常に少なく、そのため競技人口も少なく、現在の競技人口は、選手が約3千人、趣味で楽しむ人はその倍程度ということです。

現在24の都道府県協会と日本チェアカーリング協会があり、これを公益社団法人日本カーリング協会が統括していますが、こうした協会の活動によってより競技人口が増えることを期待したいところです。

ちなみに、冒頭の写真は、アメリカ、ニューヨーク近郊の「バン・コートランド パーク」におけるもので、撮影年は不詳ですが、1890年代と推定されます。

1146エーカー(464ヘクタール)もある広大な公園で、現在でも存在し、2つのゴルフコースと数マイルのコースがあり、スイミング、野球、サッカー、テニス、乗馬、クロスカントリーランニング、クリケットなどの小規模施設があります。また、五つのハイキングコースやその他のウォーキングコースが含まれています。

その真ん中に、淡水湖である「ヴァン・コルトランド湖」というのがあり、その昔はここでカーリングが行われたいたようです。カーリングだけでなく、アイススケートリンクとしても使用されていて、1899年までに、湖は平日に最大3000人のスケーターによって、週末には10,000人によって使用されていたといいます。

現在はそれほどの需要はないようですが、冬季に氷結する際には、一部が使われているようです。真冬にニューヨークへ行ったら、訪れてみてください。