シカゴ、ユニオン駅待合所の光景

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ユニオン駅 (Union Station) は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴにある鉄道駅です。

シカゴに初めて鉄道が敷かれたのは1848年のことです。1848年というと、日本では幕末のころのことであり、このころはまだ鉄道などはまったく夢の次元のお話でした。ちなみにこの年には、のちに日本海海戦でロシアを打ち破った連合艦隊司令長官の東郷平八郎が生まれています。

ほどなく、シカゴにはアメリカ東部を中心とした各地からの鉄道が乗り入れはじめ、やがて米国で最も重要な鉄道の連結点となりました。

ところが、シカゴに乗り入れた鉄道各社は、それぞれ別の場所にターミナル駅を建設したため、シカゴで乗り換えをしようとする乗客にとってははなはだ不便な乗換を強いられることになりました。

このため、1874年にシカゴに乗り入れていた鉄道事業者5社による「ユニオン駅建設合意書」が締結され、ユニオン駅の建設が開始されました。1881年に一応の完成をみましたが、その当時の写真映像は残っていません。が、絵としては残っており、下にあるようなシックないでたちだったようです。

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その後、さらに利用者が増えたことから、1913年には建替えされることが決まり、工事が開始。しかし直後に第一次世界大戦が勃発したことから、労働力不足及びストライキの影響で工事進行が遅れました。

1925年、ようやく建替え工事が完成し、ほぼ現在のような様相になりました。メイン・ビルディングは、プラットホームやコンコースといった鉄道が乗り入れる場所から1ブロック西にありました。

アメリカン・ルネッサンス時代を象徴する「ボザール様式」によるこの駅舎は、伝統的建築技法と技術工学・動線パターン及び都市計画を組み合わせていました。

ボザール様式とは、この当時の建築様式の一つです。フランス・パリにあるフランス国立美術学校エコール・デ・ボザールで建築を学んだアメリカ合衆国人卒業生がみずからの成果を本国において披露した際に用いた、ヨーロッパ風な古典的建築様式をさします。

1880年代から1910年代にかけてはこうした洋式の建物がたくさん建てられており、ニューヨーク大学図書館やアメリカ自然史博物館、などが代表作として知られ、現在も残っています。

日本でも、初代三井本館や旧帝国劇場、旧株式取引所、三越百貨店本店、明治生命館、日本勧業銀行、日本興業銀行、などなどがありますが、戦争で破壊されたものも多く、ほとんど残っていません。

この初代ユニオン駅もその後、鉄道旅客輸送の衰退とともに一部が取り壊されたため、当初の形では残っていません。

建築当初は、ダウンタウンのシカゴ川西側に位置し、その広さは全体で約9.5街区に及びました。が、現在ではかなり規模が縮小され、メイン・ビルディングを除くそのほとんどは道路及び高層ビルの地下にあります。

冒頭の写真は、このメイン・ビルディング内にある「大待合室」の一角で撮影されたものであり、おそらくは大待合室に続く、乗継用待合室のものと思われます。四角い灯り取り窓から差し込む陽射しを浴びる旅客の姿は幻想的であり、印象に残ります。

新古典主義の建造物として現在も高い歴史的評価を得ている華やかなボザール様式建築であり、「グレート・ホール」(Great Hall)と呼ばれるこの部屋は、木製ベンチの並ぶ天井高34m以上の大待合室です。

そのアーチ型天井(ヴォールト構造)の天窓や彫像、乗継用ロビー、階段及びバルコニーから成るスペースはすばらしいデザインであり、また米国有数の屋内公共空間として知られています。

実は私はここを訪れたことがあります。まだ20代のころに、フロリダからカリフォルニアへ行く大陸横断鉄道、アムトラックに乗車し、このときシカゴで途中下車し市中を見学したときのことです。この圧倒的な広さを誇る空間に感動したことは、今も鮮明に覚えています。

第二次世界大戦中は、一日あたり300本もの列車と10万人の乗降客が利用する、ユニオン駅にとって最も繁忙な時期であり、冒頭の写真も1943年の撮影ですから、ちょうど戦争たけなわのころのものです。

別の写真家が撮影した写真もあり、下の写真には、利用客向けに書籍や飲食物が販売されているのが見て取れます。壁面には、合衆国の地図とともに”FOR US BONDS”の大きな文字が見えますが、これは国債を買おう!という政府によるキャンペーン広告です。

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また、ちょうどこの反対の壁面を撮影したのが下の写真であり、ここには“FOR THEM BOMBS”とあり、爆弾の絵が描いてあります。“THEM”とは無論、我々日本やドイツのような連合国に敵対する枢軸国のことであり、戦意高揚のための広告であることがわかります。

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よく見ると、ところどころに戦時下を反映してか、軍人らしい姿も見えますが、この広大な空間にこれだけの人が行き交いしていることをみても、この当時この駅の利用者が多かったことがわかります。

このように戦前は隆盛を誇ったユニオン駅ですが、戦後は、モータリゼーションの波によって利用客著しく減少し、これに伴い、1969年には地上コンコースが取り壊されました。駅全体が取壊しとなる予定もあったようですが、利便性のためにこれは回避され、後に新コンコースが地下に設置されました。

1971年には、大陸横断鉄道である「アムトラック」が成立したため、ユニオン駅の存続の意義も出てきました。現在、ユニオン駅はアムトラックのシカゴ発着路線全線と、州内鉄道であるメトラのうち6路線のターミナルとして使用されています。

2007年の一日平均利用客数は約54,000人で、うちアムトラック利用客6,000人でした。1992年には大改修も行われました。メイン・ビルディングは、アムトラック子会社のChicago Union Station Company社が所有しています。

なお、グレート・ホールは、数々の映画やドラマで使用されています。映画「アンタッチャブル」の有名なシーンの撮影で使用された大階段(Grand staircases)はグレート・ホールの東側入口内にあり、これは上の写真の“FOR THEM BOMBS”と書かれた壁画の左側にある階段だと思われます。

他にグレート・ホールが使用された映画には「ベスト・フレンズ・ウェディング」(1997年)、「チェーン・リアクション」(1996年)などが、またテレビドラマには「ER緊急救命室」、「Early Edition」などもあります。また、グレート・ホールは、貸切にも応じており、300~3,000人収容のイベント開催が可能だといいます。

私が訪れたときは、往年ほどの人のにぎわいもなく、中を歩いている人も数人しかおらず、なんとも寂しいかんじがしましたが、ときにここでコンサートや演劇なども催され、多くの人で賑わうのでしょう。

アメリカの良き時代を象徴する記念的な建築物だと思いますので、皆さんもシカゴを訪れた際にはぜひ、見学に行ってみてください。