憂う少女 

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憂う少女  ニューメキシコ州の農場にて 1935/12/1

ニューメキシコ州は、アメリカ南西部にある州です。州の北はコロラド州に接し、東側はオクラホマ州とテキサス州、西側はアリゾナ州、南側はメキシコとの国境に接するという内陸州のため、海はありません。

ほぼ真四角な州であり、州の北側の境界と西側の境界の接点には、「フォー・コーナーズ」という町があり、その名の通り、ここでユタ州とも接しています。コロラド、アリゾナ、ニューメキシコを合わせた4州の接点ということでこの名が付けられたようです。

面積ではアメリカ合衆国で5番目に大きい州ですが、人口では36番目であり、人口密度では45番目になっています。州都のサンタフェ以外には大きな町もなく、カリフォルニア州などの西海岸の州に比べると日本人には馴染のない土地柄かもしれません。

ニューメキシコ州の歴史は、1500年代にこのエリアを探険したスペイン人が、インディアンのプエブロ族と遭遇した時に初めて記録されました。それ以降、スペイン統治時代,メキシコ統治時代を経て米国の連邦に組み込まれて現在に至っています。

穏やかな気候に恵まれた農業州ですが、同時に鉱物資源も豊かで一貫して州経済に大きな役割を果たしてきました。太古の昔からトルコ石が、その後は銅、銀、鉛、亜鉛、鉄、金、石炭が発見されました。

さらに1920年代以降、州北西部のフォーコーナーズに近いファーミントン市で石炭、石油、天然ガスが発見され、また州南東のテキサス州にまたがる地域でも石油、天然ガスが発見されて以降、ニュー・メキシコ州の産業構造は大きく様変わりしました。

多くの農民が出稼ぎにこれらの鉱物産出地に出稼ぎに出て働くようになったため、荒廃する農地も増え、その美しい景観から「Land of Enchantment(魅惑/魔法の土地)」と通称されるこの土地の風景もこのころから少しずつ様変わりしていったようです。

冒頭の写真の少女は、ちょうどこの時期のものであり、その自分たちの故郷の美しい風景の様変わりを憂えている、と考えることができるかもしれません。

少しやせた華奢なからだ。日の光を背に思い悩んでいるように見えるその姿は、思春期のころ、14~15歳といったところでしょうか。センシティブな年頃の少女の心には、自分の周りのそうしたちょっとした変化が深い悲しみをもたらす、ということはままあるものです。

この少女の悲しみを体現するかのように、その後ニューメキシコは、原子力爆弾という戦争兵器開発のメッカとなっていきました。

1950年代に州西部のグランツでウラン鉱発見が発見され、この発見は、アメリカにおける50年代のウラン・ブームを招きました。ニュー・メキシコ州は国の防衛政策とタイアップした技術開発を行いはじめ、この結果、原子爆弾の開発を目的として「ロス・アラモス国立研究所」が設立されました。

そして同研究所は、1945年7月に世界初の原子爆弾の実験に成功します。そのわずか1ヶ月後の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、日本の広島市に、原子爆弾リトルボーイが、投下されました。

続いて長崎にも投下された原爆は、結果として日本の闘争心を失わせ、終戦がもたらされました。これを受け、ロスアラモスでは、戦後も毎年多額の予算を国から受けるようになり、兵器開発、宇宙開発に向けた先端技術の研究開発を行うようになりました。

ニュー・メキシコ州政府もまた、こうした国の国防政策技術革新の担い手という顔を持つようになりましたが、ただ近年は国防だけでなく、宇宙政策とタイアップした研究開発にも力を入れるようになるなど様変わりを見せています。2011年には商業ベースの宇宙旅行の拠点として「スペースポート・アメリカ」を建設。

ここを拠点にバージン・ギャラクティック社、UPエアロスペース社などが再利用型宇宙シャトルを使用した民間人を乗せた宇宙旅行を計画しており、このほか州内にはUFOの飛行地といわれる、かの有名なロズウェル町もあり、宇宙ロマンの発信地でもあります。

観光業もまた最近は州の主な収入源となりつつあり、プエブロ・インディアンが暮らしている住居、「カールス・バッド洞窟群」のある国立公園や、数々の有史以前の遺跡群、州の最大行事であるバルーン・フェスタ(熱気球大会)などには、毎年何十万人もの観光客が訪れています。

1607年にスペイン人が建設した歴史ある町であり、州都でもあるサンタフェ市には、ロサンゼルスとシカゴを結ぶ大陸横断鉄道である、アムトラックのサウスウェスト・チーフ号が停車します。

かつて私も乗ったことがあります。カリフォルニア州ロサンゼルスまではわずか半日だったと記憶しています。アメリカ西部観光のついでに足を延ばしてみてはいかがでしょうか。