運河を航行するスチームボート~バッファロー

LS-39バッファロー(Buffalo)というと、日本ではパソコンの周辺機器をなどを造っているメーカーというイメージがありますが、これは、もともと別名、アメリカバイソン(Bison bison)と呼ばれるウシ科の動物で、かつてアメリカ合衆国中西部、カナダ西部にはたくさん生息していました。

ネイティブ・アメリカンであるインディアンは、弓や、群れを崖から追い落とすなど伝統的な手法によりこのバイソンの狩猟を行い、貴重なタンパク源としていましたが、ヨーロッパからの白人入植者は、彼らの主要な食料であったアメリカバイソンを保護せずむしろ積極的に殺していきました。

白人支配に抵抗していたインディアン諸部族は食糧源を枯渇させ、飢えさせるためであり、このため彼らは、アメリカ政府の配給する食料に頼る生活を受け入れざるを得なくなり、これまで抵抗していた白人の行政機構に組み入れられていきました。

バイソン駆除の背景には牛の放牧地を増やす目的もあったとされ、バイソンが姿を消すと牛の数は急速に増えていき、この結果、19世紀末にはバイソンの数は約750頭にまで減少しました。が、現在では環境保護策により、バイソンの頭数は北米全域で約36万頭にまで回復しているそうです。

このバイソンが多数生息していた、アメリカ東部にも同名の「バッファロー」という町があり、冒頭の写真はこの街の風景を撮影したものです。

私は、この町の名前はこのアメリカバイソンから来ているのだとおもっていましたが、改めて調べてみると、そのネーミングはこの動物とは全く関係なく、ここにフランスからの入植者がやってきたとき、ここに流れる小川をみて、フランス語で beau fleuve (美しい流れ)と呼んだことにちなむそうです。

そしてこれが訛って、Buffaloになったということなのですが、実は同名の都市はアメリカ国内に多数存在しています。これらはあるいはアメリカバイソンにちなんでつけた名前かもしれません。

が、これら数あるバッファローの中でも最大の人口を抱え、知名度が最も高い都市であるこの街の名前はまぎれもなく、フランス語からきたもののようです。

位置的にこの街は、ニューヨーク州に属します。ニューヨークというと、東海岸の町、というイメージがありますが、意外にも五大湖のうちの一番南のエリー湖のあたりまでがニューヨーク州のテリトリーです。

このバッファローは、エリー湖の一番東端にあり、エリー湖とその北側にあるオンタリオ湖の間は、「ナイアガラ川」で結ばれています。そして、エリー湖とオンタリオ湖のちょうど中間あたりのこの川の中にかの有名なナイアガラ滝あります。そのためバッファローはアメリカ側におけるナイアガラ観光の基地としての役割をも有しています。

川には上流と下流がありますが、このエリー川はバッファロー側のほうが標高が高く、こちらが上流ということになります。

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バッファローというのはそういう位置関係にある町です。

また、バッファローは、東海岸のニューヨークから北へと北上するハドソン川の途中から西に向かって掘削され、1825年に全通した「エリー運河」の起点でもあります。この運河により、ニューヨークと五大湖は、水路で結ばれるところとなり、このためバッファローは五大湖の水上交通においても重要な都市です。

ニューヨーク州第2の都市であり、重要な工業都市ですが、人口はおよそ30万人とたいしたことはありません。が、このバッファローが属するエリー郡とナイアガラ郡にまたがる地域は五大湖周辺の地域でもかなり大きな人口を擁する地域であり、これらを「都市圏」とすると、その人口120万人近くにもなります。

バッファロー自体もアメリカ側の人口は30万にすぎませんが、ナイアガラ川を挟み、カナダ側のオンタリオ州南東部にまでの都市域をも含めると、この一帯には約45万人が住んでいます。従って、上述のアメリカ側「都市圏」」と合わせると実質180万人弱の大都市圏となります。

この地方におけるヨーロッパ人の入植は、上述のとおり、1758年のフランス人による入植が初めてのこととされます。しかし、バッファローへこれらの人々が入植し、本格的に町を造り始めたのは1789年のことです。

丸太小屋を建てて住み、地元のアメリカ原住民であるインディアンの集落と交易しつつ生活を始め、1808年にはニューヨーク州ナイアガラ郡(現在のエリー郡を含む)が設置され、バッファローはその郡都となりました。

1825年にエリー運河が開通すると、バッファローはニューヨーク市と水路により直結され、その商業上の価値を増し、このとき約2400人だったバッファローの人口は急速に増加し、1832年に市に昇格した時の人口は1万人を超えました。

奴隷開放運動時代、バッファローはいわゆる「地下鉄道」の終着点でした。これはのちに南北戦争の発端となる、全米的な黒人奴隷解放運動の高まりから、南部から脱出した黒人奴隷たちを奴隷解放に賛同する白人たちが助けるために作った秘密ルートです。町々における抜け道であり、原野における小川であり、時には夜間鉄道であったりもしました。

黒人たちはこの秘密ルートを抜けてバッファローに到着し、主としてキリスト教のバプテスト教会などに匿われたのち、ナイアガラ川をフェリーで渡って、エリー湖の北側に広がるカナダ側に渡りました。

カナダ側の受け入れ口は、バッファローの対岸にある、オンタリオ州のフォートエリーであり、ここから彼等はカナダ各地へ逃れ、自由の身となりました。が、そのままバッファローに居残り、南北戦争後にはアメリカ国籍を得た者も多かったようです。

ちなみに、バッファローに縁のあるアメリカ大統領には、大統領就任前にバッファロー住民だったミリヤード・フィルモア、バッファロー市長を務めたグロヴァー・クリーヴランド、バッファローで1901年9月5日に狙撃されたウィリアム・マッキンリーなどがいます。

また、アメリカ史上最も有名な大統領のひとりとされる、セオドア・ルーズヴェルトも通常はワシントンで行われるその大統領就任式を1901年9月14日に、ここバッファローで行っています。

冒頭の写真はこのルーズベルトが大統領に就任する一年前の1900年の撮影とされますが、このころのバッファローは、人口50万を超え、アイルランド、イタリア、ドイツ、ポーランドからの移民が多数住む、アメリカの主要都市のひとつとなっていました。

バッファローはナイアガラの滝に近く、このためここに設置された水力発電所から供給される電力を利用した工業が盛んとなりました。とりわけ、20世紀初頭では鉄鋼都市として知られ、数カ所の製鉄所が煙を上げており、またた、製粉工業でも知られ、穀物倉庫が多数ありました。

写真の運河は、おそらくはナイアガラ川に通じる市内の掘削運河であり、その両側に広がっていたのがこうした穀物倉庫と思われます。うずたかく押し込まれた穀物がこの倉庫から船に満載され、エリー運河を通って、遠く離れたニューヨークなどの大都市に届けられていたのでしょう。

現在のバッファローはこうした重工業よりも、化学、電器・機械工業などがさかんであり、昔のような工業地帯、といった雰囲気はまったくといってありません。

一時は主要産業であった鉄鋼、製粉業の衰退によって治安悪化と市街地荒廃が深刻となっていたようですが、近年の市街地再開発と医療、教育分野の育成が実を結び、今日ではアメリカの大都市の中でもかなり治安はいい、とされるまでになりました。

2001年にはアメリカを代表する新聞、“USAトゥデイ紙”が「アメリカで最もフレンドリーな都市」である評し、また、2005年には、リーダーズ・ダイジェスト誌で同市は全米で3番目に清潔な都市、と褒めています。

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整然と並んだビル群から形成される近代的な都市であり、この地域における文化・教育・医療の中心地でもあります。

歴史的な構造物も多く、1927年にカナダのフォートエリー市とこの町を結ぶために建設されたピース・ブリッジ橋は文字通り、米加両国の懸け橋です。

この橋の建設は当時の一大国家事業であり、開通式には英国側からイギリス皇太子(後のエドワード7世)、弟アルバート・ジョージ王子(後のジョージ5世)、イギリス首相、およびカナダ首相が、米国側からは副大統領およびニューヨーク州知事が出席したそうです。

バッファローの現在の市庁舎も1932年に建築されたという古いものです。30階建てで、展望デッキからはエリー湖を含む眺望が得られます。またバッファロー動物園は全米で3番目に古い歴史を持ちます。

しかし、この街の観光における地位はやはり、ナイアガラ滝を訪れるための拠点、ということでしょう。バッファローには、全米横断鉄道であるアムトラックのバッファロー駅があり、シカゴとニューヨークおよびボストンを結ぶ遠距離列車レイクショア・リミテッド号や、トロントとニューヨークを結ぶ国際列車メイプルリーフ号が停車します。

特に後者はナイアガラフォールズを通るため、観光需要が高いようです。また、ダウンタウンにあるグレイハウンドのターミナルからもナイアガラフォールズへもバスの便があります。

市内を走る、ナイアガラ・フロンティア交通局(NFTA)が路線バスと地下鉄を運営しており、同局はナイアガラフォールズへのバスや無料のメインストリート・メトロレールも運営しています。

市の玄関口となっている空港は「バッファロー国際空港」です。さすがに日本からここへの直通便はなさそうですが、アメリカ国内線およびカナダへの便が発着することから、ニューヨークを経由してここへ来ることができます。

ナイアガラの滝への最寄り空港といえ、ナイアガラへ行くならここが近道となります。ニューヨークからニューヨーク・ステート・スルーウェイ (New York State Thruway)という、ニューヨーク州を横断するアメリカ合衆国で一番長い高速道路使えば、その距離は681km。途中休まなければ、だいたい7時間で行けるはずです。

途中、ニューヨーク州ののんびりとした田舎を見ながら、ところどころに立ち寄る、といったロングドライブもまた、楽しいかもしれません。そしてその行き着く先には雄大なナイアガラとさらにその向こうに広がる、五大湖、そしてカナダがあります。

アメリカ旅行を計画されている方はぜひ、ご検討されてはどうでしょうか。