キャンベル・キッド

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写真は、”Campbell Kid”と呼ばれるこの当時流行した人形で遊ぶ少女たちです。ニューヨークで1912年3月に撮影されました。

Campbell(キャンベル)といえば「スープ」、というぐらい、スープ缶詰を売りにした会社です。起業当時以来、広告に多額の投資をしており、最もよく知られているのが、この「キャンベル・キッズ」スープシリーズの広告です。

この人形には名前があり、「ドリーディングル」といいます。そのもととなったのは、人気コミック作家だった「グレース・ドレイトン」の作品で、「ピクトリアル・レヴィー」という女性誌の中に描かれていました。

写真で少女たちが遊んでいるような人形もこのコミックとのコラボで発売されたようですが、なにぶん100年以上も前の話であり、おそらく現存していたとしても非常に希少なものでしょう。下のイラストがこのドリーディングルであり、冒頭の写真と見比べてみると、写真のほうは横向きに寝せてありますが、同一のものであることがわかります。

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キャンベルの最もよく知られた製品といえば、その濃縮スープでしょう。近年では非濃縮の特製スープ、乾燥スープミックス、グレイビー(肉汁ソース)を始めとするその取扱濃縮食品に加えて、より広範囲の食品全般を包括するまでに成長しています。

キャンベルは1869年に青果商のジョセフ・A・キャンベルとアイスボックスメーカーのエイブラハム・アンダーソンの手によって設立されました。設立当初の社名は「ジョセフ・A・キャンベル保存加工会社」と呼ばれ、缶・瓶詰めのトマト、野菜、ゼリー、スープ、薬味や挽肉を製造・販売していました。

1896年になる頃、アンダーソンは共同事業を退き、新会社「ジョセフ・キャンベル株式会社」を再建・組織するために最初の会社をあとにしました。1897年、新しいキャンベル社の協力者となる、ジョン・T・ドーランス博士が、週給僅か7ドル50セントの賃金で働き始めます。

マサチューセッツ工科大学とドイツのゲッティンゲン大学で学位を取得する程の才能に溢れる化学者であったドーランスは、最も割合の大きい材料である水の量を半分に減らすことにより、スープを濃縮する商業的に実現可能な製法を開発しました。

世紀が20世紀へと変わる頃、当時アメリカの食生活においてスープは必需食料品ではありませんでしたが、ヨーロッパではよく食べられていたものでした。しかし、ドーランスの開発した濃縮スープは、1缶10セントという手ごろな値段とその利便性がすぐに大衆の間で大人気となりました。

1900年にはパリ万国博覧会にこの濃縮スープ缶製品が出品され、現在もそのラベルには、このとき受賞したゴールドメダルがあしらわれています。

その赤と白のデザインは、1898年、キャンベルズの重役の一人であったハーバートン・ウィリアムズが、自身も参加していたコーネル大学のアメリカン・フットボールチームで使用されていたユニフォームの爽やかな色彩に感化されて採用されたものです。

ウィリアムズが重役会にこの赤と白のラベルデザイン案の採用を打診した結果採用となりましたが、そのデザインと上述の1900年パリ万国博覧会で獲得したゴールドメダルの組み合わせは、今日までほとんど変わっていません。

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キャンベル・スープ社は、冒頭のキャンベル・キッズなどの広告キャンペーンを初めとして他にも多数の広告を出しており、過去にその販売推進キャンペーンに使用されたデザインの多くは、現在でもアメリカの収集用広告市場でも価値のあるものとなっています。

1916年に出版された「ヘルプ・フォー・ザ・ホステス」の中でキャセロール料理のつなぎとして手作りしたクリームソースの代わりに濃縮クリームスープの缶詰を使うことが提案され、北米の家庭料理から手作りのクリームソースが駆逐されるきっかけとなりました。

野菜ジュースである「V8」が発売された1933年以降、この当時の映画俳優で、のちにアメリカ合衆国第40代大統領となる、ロナルド・レーガンに依頼し、彼の姿が宣伝用ポスターなどに使われました。

1949年には「”Easy Ways to Good Meals”(簡単にできる美味しい食事)」というレシピ小冊子の中でスープの缶詰を2、3種類混ぜ合わせて新しい味を作り出す提案をしています。ただし、缶詰のスープを混ぜ合わせること自体は1930年代にすでに行われており、キャンベル・スープ社の発案ではありません。

1968年には、1960年代に流行していたペーパードレスにスープ缶が描かれた「スーパー(Souper)ドレス」を、スープ缶を2缶購入した消費者に1ドルで提供しました。

このほか、キャンベルズ製品のメニューブックや、料理本シリーズである「ヘルプ・フォー・ザ・ホステス」なども製作しています。この中でこの当時とくに親しまれたレシピの一つには、現代人の味覚としては少々へんな感じがしますが、「トマトスープ・ケーキ」などでした。

同社は著名な商業用公演施設も所有しています。主なものに、以前はアメリカ人俳優のオーソン・ウェルズがニューヨークに設立したマーキュリー劇場があります。現在では、キャンベル・プレイハウスに名称を変更しています。キャンベルズはまた1938年の12月に、この劇場が運営するラジオ劇場番組のスポンサーを引き受け、現在でも続けています。

1994年時点での売り上げ上位3製品はチキン・ヌードル、クリーム・オブ・マッシュルーム、トマトでした。消費者は一年毎におよそ25億個ものスープ缶を購入しているといい、最新のデータはよくわかりませんが、おそらくこれ以上の売り上げがあるのではないでしょうか。

至る所で目にするその赤と白の缶のデザインは、1960年代のアメリカを代表するポップアートの芸術家・アンディー・ウォーホルの作品「キャンベルのスープ缶」の素材となったことでも有名です。

この缶を題材とし、1962年から1968年にかけて描かれた因習打破的な一連の絵画は、その多くがペンシルベニア州にあるアンディー・ウォーホル美術館(ピッツバーグカーネギー美術館)に展示されています。

ウォーホルの作品として取り上げられたことを祝すキャンペーンとして、2004年に同社は、通常の赤と白のデザインとは異なるラベルの全4種の限定デザイン缶を公表しました。これら新しいラベルはウォーホルの絵画を模してシルクスクリーンの色調を使用し、上半分が影部分で底側半分は違うデザインといったものです。

その一つにはオレンジ色とピンク色を基調とした部分のものがあり、別の影部分は青色である。通常の缶のデザインラベルから逸脱したこのキャンペーンは、同社の100年を越える歴史の中でも数少ない珍しい事例となりました。

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これら限定デザイン缶の販売はアメリカ合衆国東海岸を中心に展開され、アメリカの大手スーパーの一つであるジャイアント・イーグルを通じて西海岸側でもゆっくりと流通の幅を広げています。

日本においては、キャンベル・ジャパンとSSKセールスを通して日本向けに味を調整した製品が数種類発売されているほか、都市部の輸入食料品店ではオリジナルの各種スープが販売されています。

また、沖縄県では米軍統治時代から家庭の常備食として広く親しまれており、特定の銘柄については米国とほとんど変わらない価格(1缶数十円程度)で購入することが可能だということです。