ニューヨークの牡蠣売り

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世界で最も牡蠣(カキ)を食べる国はどこか?

日本でしょうか、それともフランス?。とんでもない。フランス人は一年に一人当り26個、また日本人は40個しか食べませんが、英国では120個食べ、そして一番はなんとアメリカです。一年に一人当り、660個も食べている、という統計もあるそうで、これは驚くべき数字です。

ネットから収集したデータなので、出所もはっきりせず、この数字の真偽は定かではありませんが、意外なことにアメリカ人が牡蠣が大好きなようで、冒頭の写真にもあるように、ニューヨークには、昔から巷でオイスター売りが多数おり、現在でもオイスターバーがあちこちにあります。

アメリカ人がカキを好きな理由、それは、アメリカに移住し開拓した人々は、当初陸産物の収穫はほとんどなく、満足に食えるような状況ではなかったため、日々の糧を海産物に求めたためといわれます。

中でもカキは急激に成長するため養殖すれば収穫しやすく、入植したアメリカ人にとっては貴重なたんぱく質でした。そして、食糧の手に入りにくい冬場などは、これで飢えをしのいだことから、このカキには特別の思い入れがあるといいます。

基本的には魚介類を生で食べる習慣が根付いていないアメリカにおいても、カキは特別で、生で食べる習慣があるのはそのためのようです。

しかも、実はこの古きアメリカで食されていたアメリカのカキは、日本の養殖技術を輸入して増産したものだ、といわれています。

当初、アメリカのカキ市場は、90%を占めるイースタンオイスターと、残りの10%がウェスタンオイスターであり、これはともにヨーロッパから渡ってきた養殖技術で生産されていたものでした。

ところが、このうちののウェスタンオイスターが乱獲と寒さに弱いため生産が減少。東部のカキをはじめ、様々なカキを用いて養殖を試したがうまくいきませんでした。そんなときに日本から輸入した「マガキ」を試したところ、これが寒さに強いうえにさらに成長速度もはやいという結果が得られます。

ときは明治30年代半ば、1900年頃のことであり、アメリカは南北戦争が終わって数十年経ち、ようやく世情が落ち着いてきたころのことでした、

輸入元となったのは、主に松島などの宮城県のカキであり、これらの種ガキが大量にアメリカに運ばれるようになり、主として西海岸の各地で日本のマガキベースのカキが養殖されるようになっていきました。

このカキは「パシフィックオイスター」と呼ばれ、その美味しさが評判となり、西海岸だけではなく、やがて東海岸へも伝わり、ニューヨークっ子たちもその味のとりこになりました。

しかし、やがて第2次大戦に突入し、日本からの種ガキの輸入ができなくなると、1940年代から50年代初頭にかけて、カキの乱獲やキ自体の病気も原因で、日本産のマガキの養殖は絶滅の危機に瀕するようになりました。

この頃の日本はまだ、戦争の痛手をいやすのに忙しく、自分たちの食もままならないのに、アメリカへ種ガキの輸出などできるような状態ではありません。

ところが、その後、日本に駐留していたマッカーサー元帥は、この自国のカキ生産の危機を知り、特別に日本から種ガキを本国に輸出するよう命令を出しました。

これを聞いたアメリカのカキ養殖業者は小躍りし、当然、戦前にも人気があった宮城県のカキを要望しました。ところが、戦争の余波で仙台を初めとする、宮城県の漁場などの壊滅的な被害を受けており、人手、資材の不足などもあって、アメリカが望むような大量の発注には対応できないことがわかりました。

そこでアメリカ人が次に目をつけたのが広島でした。元々、宮城県以上のカキ養殖のさかんな土地柄であり、大量のカキを輸出できる能力のある養殖技術者は国内ではここを置いて他にはありません。

ところが、第2次大戦直後ということは、つまり広島は、原爆の後遺症で対応できない状態であることは明白でした。無論、原爆の被害を受けたのは町の中心地だけだったため、その周辺の地域では被害はあまりありませんでしたが、原爆被害に遭った人々はけっしてアメリカの言いなりになろうとはしませんでした。

自分たちの撒いた種とはいえ、ここでもアメリカ人たちは自分たちのために輸出できるような、カキは得ることはできませんでした。

そこで、他にもカキ養殖をするところはないか、と探し回ったところ、意外なところでカキが生産されていることがわかりました。

そしてそれは、熊本県でした。日本の調査員に同行していたアメリカ人のひとりは、この熊本産のカキの味をためし、アメリカで好まれている、一口で食べられる小ぶりの牡蠣に似ていて、しかも、アメリカのものより味が濃く美味しいことを発見したのでした。

こうして熊本からは、その当時この地で養殖されていた地牡蛎が、本国アメリカに持ち帰られる運びとなりました。この熊本産カキの種は非常に生命力が強く、成長もはやいのが特徴だそうで、このため、アメリカでも病気にも打ち勝ち、大量生産を実現しました。

そして、のちにアメリカの養殖業者はこの熊本産や、従来からの宮城産、広島産の種をも参考にして研究を重ね、アメリカ独自での品種に改良し、さらに養殖を進めました。

やがて、アメリカ産のカキとの配合にも成功し、さらに味もよくなった現在のアメリカのカキが誕生したといわれています。

一方の熊本では小ぶりな牡蠣は好まれないことが影響し、いつのまにやら本場でありながら生産されなくなり、いまでは「クマモトオイスター」という名前のまま、逆にアメリカのカキとして輸入されることさえあるといいます。

最近の貿易統計では、日本はアメリカからカキを輸入しているものの、逆に日本からアメリカへの輸出は、統計上では限りなくゼロに近いと言います。

意外なことですが、アメリカはアメリカなりの「カキ文化」が成立していることを、日本人の多くは知らないままでいます。

アメリカへ行かれたら、ぜひあちらの「本場のカキ」を召しあがってみてください。