トラクションエンジン

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見慣れない、煙突のついたヘンな機械だな、とお思いでしょうが、これは19世紀後半から20世紀初頭に使われていた、蒸気式の農業用トラクターです。

トラクターは、英語では”tractor”と書き、「引く」という意味であり、それ自体で推進できないものを牽引したり、しばしば動力を供給したりする装置です。

が、トラクターという言葉は「農業用トラクター」の意味で用いられるのが最も一般的であり、この農業用トラクターは畑を耕すためのクワを引いたり、各種の作業用の農業機械、またはトレーラーを引くために使用されてきました。

最初に蒸気機関を移動に用いたのは、18世紀フランスの軍事技術者、ニコラ=ジョゼフ・キュニョーでした。これはキュニョーの砲車と呼ばれる大砲を牽引する目的で製作されたもので、1769年にパリで初めて公開されました。

しかし、キュニョーの砲車は最高速度がわずか時速4kmと性能的にも貧弱なものであり、また前輪の前にボイラーを備えていたため舵取りがむずかしく、公開運転の際、運転を誤った操作員によりレンガ塀に衝突してしまいました。そしてこれが世界初の自動車事故といわれています。

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こうした機械動力は、やがて19世紀初頭から据え置き式の蒸気エンジンとして一般にも販売されるようになりました。そして1850年頃までにボイラーが高圧化されていき、可搬式であっても充分な出力を得られるようなものが造られるようになりました。

さらにはこれに減速機と車輪をつける形でイギリスのトーマス・アベリングが1859年に開発したものが、こののちに世界的に使われるようになった蒸気式トラクターの原型といわれています。

以後、こうした蒸気式の機械動力は、一般的にはトラクションエンジン(Traction Engine)と呼ばれるようになり、農業用トラクターだけでなく、運搬用自動車、道路舗装ローラーの総称として使われるようになりました。

なお、その他の公道を走るトラクションエンジンは、スチームビークル(Steam Vehicle)、すなわち蒸気自動車と呼ばれ、トラクションエンジンとは区別されていました。

自動車の黎明期、この蒸気自動車は電気自動車、ガソリン自動車と覇を競いましたが、効率的な内燃機関であるガソリンエンジンの急速な発達によって表舞台から姿を消していきました。

蒸気式自動車はボイラーが爆発しやすく、また操縦者が駆動用ベルトに巻き込まれたりする可能性があるなど、安全なものとはいえなかったためです。

やがて、この内燃機関は、トラクターにも導入されるようになり、1892年、アメリカのジョン・フローリッチによって農業用のガソリンエンジントラクターが開発されました。

こうして蒸気自動車だけでなく、トラクターにもまた内燃式エンジンが積まれるようになると、蒸気式のそれは両者とも次々と姿を消していきました。

それでもなお、スピードを要しない工事現場などにおけるロードローラー等の分野では第二次世界大戦後まで一部で使用されていたといいます。ロードローラーでは用途上重量が重要となるため、一般的にデメリットとされるトラクションエンジンの重量もロードローラーの用途においてはメリットでもあったわけです。

蒸気式のトラクターの現存品は多くありませんが、その発祥の地であるイギリスでは動態保存された機体が多く存在し、毎年各地で行われるパレードでは往年の姿を見ることができるそうです。

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日本では、1909年(明治42年)に岩手県雫石町の小岩井農場が導入した蒸気式トラクターが、日本初といわれています。しかし、このわずか2年後の1911年(明治44年)には、北海道斜里町の農場にアメリカ・ホルト製の内燃機関式トラクターが導入されており、蒸気式のトラクターの寿命は欧米よりもはるかに短い間でした。

北海道空知郡上富良野町の農業博物館「土の館」に、1902年製のジョージ・ホワイト・アンド・サン社のトラクター動態保存されているほか、1919年ギャレット社製の「ベンデルプリンセス号」が栃木県壬生町のバンダイミュージアムに静態保存されているそうです。

もしご興味のある方は、ぜひ、北海道へ、あるいは栃木へ見にいってきてください。