レキシントン・モデル ”パイクスピーク”

AM-15B8レキシントン社は、アメリカ東部、五大湖のすぐ南にあるインディアナ州の ”コナーズビルという町にかつてあった自動車メーカーです。

設立当初から、他社から部品を調達し、自社ではアセンブルだけをやる、というスタイルで運営を行っていた会社で、1909年に設立され、1910年から1927年までクルマを市場に出していました。

とくに人気のあったのは、サラブレッドシックスとミニットマンシックスというタイプでこられのモデルを含め、毎年のようにモデルチェンジを繰り返して新しいものを出す、というスタイルが世に受け、全盛期の1920年には6000台もの車を供給していました。

Lexington_Model_R-19_Minute_Man_Six_Touring_1919ミニットマンシックス

しかし、20世紀前半に勃発した第一次大戦後の不景気のあおりをうけ、アメリカにおいては多くの自動車会社が撤退を余儀なくされる中、レキシントン社も姿を消しました。

冒頭の写真は、このレキシントン社の最盛期のころに製作されたショートホイールのレースカーで、”パイクスピーク“モデルと命名されたものです。強力なエンジンを搭載したこのクルマは、1920年の ”パイクスピークヒルクライム” レースで、第1位と第2位を独占し、1924年にも 18分15秒のタイムで同社にトロフィーをもたらしました。

この1924年の優勝を勝ち取ったドライバーは、オットー・ロッシュ(Otto Loesche)といいました。が、冒頭の写真に乗車しているのもその本人かどうかは確認できません。

Lexington_Motor_Company_1920 (1)レキシントン社の向上の前で

このレースは、正式には、パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム(Pikes Peak International Hillclimb)といい、アメリカ、コロラド州で毎年7月4日のアメリカ独立記念日前後に行われる自動車と二輪車のレースです。

別名「雲へ向かうレース(The Race to the Clouds)」としても知られるほど高所の山岳地帯を走るレースで、初開催は1916年。アメリカではインディ500に次ぐ歴史を持つカーレースでもあり、無論、現在までも続けられています。

例年では独立記念日より少し前から、緒戦が始まり、独立記念日前後に決勝が行われ、毎年だいたい150~180のチームが競いあいます。

舞台となるパイクスピークはロッキー山脈の東端、コロラドスプリングスの西16kmに位置する山です。標高は4,301mに達し、アメリカ合衆国の天然記念物に指定されています。1806年に探検家のゼブロン・パイク(Zebulon Pike)によって初登頂が行われ、一般に紹介されたためにPike’s Peak (パイクの頂)と名づけられました。

レースは標高2,862m地点をスタート地点とし、頂上までの標高差1,439mを一気に駆け上がるというもので、距離は19.99km、コーナーの数は156、平均勾配は7%という過酷なものです。

Pike's_Peak_2006_Suzuki_Grand_Vitara2006年のパイクスピークに出場したスズキ・グランドビターラ(日本名エスクード)

この競技が始まった当初のコースの大部分は未舗装路でしたが、2012年には全コースが舗装路になりました。しかし、山肌を走るコースにはガードレールがない部分が多く、ひとつハンドルを切り損ねれば600mの急斜面を滑落するという危険が伴います。

また、スタート地点とゴール地点で大きく標高が異なるため、気圧、気温、天候といった自然条件が大きく変化します。実際、スタート地点では晴れているのに頂上付近では雪や雹が降ることがあるといい、過去にゴール地点の標高を下げて開催されたこともあったそうです。

マシンセッティングも、希薄になっていく酸素濃度や急激な気圧の変化に対応して、過剰とも思える出力を発揮するエンジンチューン、特殊なキャブレーション、低い気圧でも有効なエンジン出力を得るための巨大なエアロパーツ、エンジン・ブレーキの冷却系の強化などなどが施されます。

ライバルとの争いというよりは、むしろ頂上へ向かうにつれて刻々と変化する自然との闘いといった意味合いの強いレースであり、各ドライバーに課される技術もかなりハイレベルのものが要求されます。また、一番高いコースの標高は、富士山の頂上より高く、いかに厳しい環境であるかは容易に想像できます。

レーススケジュールは一週間となっています。過酷なレース内容とは裏腹に、その開始日となる月曜日にはドライバー達の親睦を深めるゴルフコンペが行われるそうで、火曜日から木曜日までの3日間が予備予選となります。

クラスは、四輪の場合、8つあり、これは以下です。

・オープンホイール(外観はクロスカントリーバギーカーなど)
・パイクスピークオープン(主に市販車ベースのGTカーなど)
・ロッキーマウンテンヴィンテージレーシング(1980年代以前の車両)
・スーパーストックカー(市販車ベースの車両に改造を加えたもの)
・アンリミテッド(改造無制限)
・エレクトリック(電気自動車によるクラス)、
・タイムアタック(市販車ベースの2WD、4WD車によるクラス)
・エキシビション(トレーラーヘッド車などクラス分けに収まらないその他の車両)

各クラスとも、コースを3分割してのエリア毎のタイム計測。その合計タイムで規定台数枠の振い落としが行われ、金曜日の予選へ駒を進められます。 予選はスタート順決定のためのタイム計測となり、日曜日にコースを通した決勝が行われます。なお、金曜日の夕方にダウンタウンでファンフェスタがあり、土曜日は休息日だそうです。

RandySchranz

日本勢も1988年から参戦しており、この年にスーパーストックカークラスで出場したスズキの田嶋伸博選手は、現地レンタルのマツダファミリアに乗車して初挑戦で完走しました。

また、1989年にアンリミテッドクラスにスバル・アルシオーネに乗車した小関典幸選手が、14分25秒09と3位のタイムを叩きだし、ルーキー賞を獲得しました。

日本人の中での最速タイムは、1991年に、パイクスピークオープンクラスにおいて、 NISSAN R32 GT-Rに乗って出場した、亀山晃選手の11分42秒95がトップです。

上述のオットー・ロッシュが1924年に叩き出した18分15秒よりもかなり早いわけですが、これは当時に比べて、コースが舗装されているということも関係しているでしょう。

逆に70年も経っているのに…… という見方もでき、その間、数々の技術革新がある中でそれだけしかタイムが縮まっていないのは、それだけこのレースの難しいということを物語っています。

なお、1999年にホンダが、ニッケル水素電池を搭載したレース専用の電気自動車・1997 Honda EV PLUS Type Rの記録は、15分19秒91ですから、この1924年のタイムを3分上回っています。

EVの世界の技術は、舗装路の件もありますが、既にこの当時のガソリン自動車の水準を抜き去っている、あるいは抜き去りつつある、ということがいえるかもしれません。

残念ながらまだ日本人選手による優勝はないようです。が、上述の8つあるクラスにそれぞれ毎年のように日本の自動車メーカー、あるいは個人での出場が続いており、そのうちに快挙がもたらされるかもしれません。

日本製EV車の活躍とともに、日本人選手の今後の活躍を期待しましょう。