夜のキャンパス・マルティウス公園 デトロイト

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デトロイトは、アメリカ合衆国ミシガン州南東部にある都市です。南北をエリー湖とヒューロン湖に挟まれており、東はカナダのウィンザー市に接するという位置関係で、人工は70万人ほど。失業率、貧困率が高く、犯罪都市としても有名です。主要産業は自動車産業であり、「自動車の街」とも呼ばれます。

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写真は、キャンパス・マルティウス公園といい、この名称は、古代ローマにあった同名の公園に由来するようです。その中央にあるのは、南北戦争で戦ったミシガン州の兵士や海で亡くなった船員などの慰霊塔で、Michigan Soldiers’ and Sailors’ Monumentと呼ばれています。

1867年に南北戦争の碑として建てられたようで、日本では幕末にあたり、坂本龍馬が暗殺された年です。写真の撮影年の正確なところはわかりませんが、この公園が建造さ絵れてから50年ほど経った、1900年代初頭と推定されます。

当公園はデトロイトの繁華街のど真ん中にあり、元々は市民集会などのために造られたようです。2004年に再整備され、オリジナルの公園の面影を残しながら、アイススケートリンクなども新たに併設されましたが、2007年にはさらにその東側に、新しいキャデラック·スクエア·パークが建設され、地域の公園スペースの量は倍増しました。

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昼間のキャンパス・マルティウス公園 1914年

この公園のあるデトロイトは1805年の大火の後、計画都市として建設の当初から周到に計画された街です。施政が行われるようになって以来、元々、馬車や自転車製造が盛んでしたが、1800年代末から自動車工業が興り始め、1903年にヘンリー・フォードが量産型の自動車工場を建設しました。

この工場から生み出された、「T型フォード」のヒットとともに全米一の自動車工業都市として発展し続け、後にはゼネラルモーターズとクライスラーが誕生、フォード・モーターと共にビッグ3と呼ばれました。

市はモーターシティと呼ばれるようになり、全盛期には180万の人口を数えましたが、その半数が自動車産業に関わっていた人々です。しかし、1967年にはアフリカ系アメリカ人による大規模なデトロイト暴動が市内で発生し多数の死傷者を出し、白人の郊外への脱出が顕著になりました。デトロイトの人々はこれを、「ホワイト・フライト」と呼びました。

さらに、1970年代頃から安価で安全、コストパフォーマンスに優れた日本車の台頭により自動車産業が深刻な打撃を受けると、ビッグスリーは社員を大量解雇、下請などの関連企業は倒産が相次ぎ、さらに市街地の人口流出が深刻となりました。

同時に、ダウンタウンには浮浪者が溢れ、治安悪化が進み、これは「インナーシティ問題」と呼ばれました。都市の内部 “inner”にありながらも、治安悪化によりその都市全体の市民との交流が隔絶された低所得世帯が密集する住宅地域も存在するため、これが問題視されるためです。

日本がバブルを謳歌していた頃、特に市況はどん底に陥いり、これを逆手にとり、荒れ果てたこの街を舞台にした映画「ロボコップ」が製作されたのもこの頃です。

その後、限られた街区を更地にして巨大ビル群を建設するといった対策も実施されましたが、周囲の荒廃した地域に及ぼす波及効果が低く、都市再生の手法としてはあまり成功しませんでした。現在も依然としてダウンタウン周辺の空洞化は続いており、ダウンタウンには駐車場や空地、全くテナントのいない高層ビルも多い状態です。

また、富裕層は郊外に移住、貧賤な層が取り残され、治安の改善もあまり進んでいないのが現状であり、荒廃した地域では一戸建ての住宅が1ドルで販売されているところもあるといいます。

この街を形成したビッグスリーはどうかといえば、2009年にゼネラルモーターズは破綻、さらに続けてクライスラーも破綻しました。が、会社更生法の適用を受けて何とか生き残り、日本のマツダなどと提携することなどで破たんを免れたフォードを合わせた業績は次第に回復傾向にあります。

特にフォードモーターは、2010年には販売台数において全米で2位に返り咲き、またGMは中国向けなどが好調で、販売台数世界一位のトヨタ自動車に肉薄、フィアットの支援を受けて再建途上のクライスラーも2011年度決算で黒字を見込むなど好転の兆しを見せています。

このほか世界5大モーターショーの一つである北米国際オートショーの伝統的な開催地であることや、自動車の殿堂、ヘンリー・フォード・ミュージアムを始めとする自動車関連の博物館など自動車産業は観光にも少なからず貢献しており、依然として全米随一のモーターシティーとして重要な機能を果たしています。

さらに、2011年あたりから他業種の研究機関などもミシガン州を中心に進出が相次ぐなど、全米の他都市と比較しても急速に経済状況は回復しており、近年は失業率も低下傾向にあります。

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とはいえ、最悪の状態といえるまでに落ち込んだ市内の治安、特にインナーシティの環境改善は急務です。市当局は、1920年代に建てられ荒廃したままになっているビル群の再開発・再利用や、郊外企業のダウンタウンへの移転などに必死になって取り組んでいるようですが、なかなか改善の兆しはみえません。

2年前の2013年、デトロイト市はついに債務超過の状態に陥り、同年6月、会社組織の信用格付けで有名なスタンダード&プアーズは、財政破綻の懸念からデトロイト市の格付けをCCCマイナスに引き下げました。

そして、その翌月の7月、市長はついにデトロイト市の財政破綻を声明し、ミシガン州の連邦地方裁判所に連邦倒産法第9章適用を申請しました。負債総額は180億ドル(約1兆8000億円)を超えるとみられ、財政破綻した自治体の負債総額で全米一となりました。

市の発表している統計では、子供の6割が貧困生活を強いられており、市民の半分が読み書きもできず、市内の住宅の1/3が廃墟か空き部屋となっており、市民の失業率は18%に達するといいます。また、警官が通報を受けて現場に到着する平均時間は、人手不足のために58分かかるといい、日本では考えられないような状況です。

当然、治安は悪く、米国100大都市での犯罪率は最悪であり、2008年には、人口10万人あたり1,220件の暴力事件が発生。2009年、フォーブスがアメリカで最も危険な街と名指ししたほか、2010年にはCNNが「世界の治安ワースト10都市」の1つに選んだほどです。

2012年に発表されたFBIの統計では、1000人当たりの暴力的犯罪率は21.4%で、全米2位(1位はフリント市)、殺人件数は344に及んでいます。

ミシガン州知事のリック・スナイダーは、2013年、デトロイトの財政破綻に関連して「財政に持続可能性はなく治安の悪化にも歯止めがかからない現状を踏まえると、デトロイト市は崩壊していると言える」と語っています。

もし、これから旅行でデトロイトに向かわれる方がいればご注意を。無論、かつても今も美しいキャンパス・マルティウス公園を訪れる時もです。

いずれ時を選んでじっくり出かけても遅くなく、今はここよりももっと美しく安全なアメリカの他都市を選びましょう。