パイクス・ピーク・コグ鉄道

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パイクス・ピーク・コグ鉄道は、パイクスピーク(Pikes Peak)という山の斜面を登る鉄道です。1890年に開業した当時は、写真のように蒸気機関車が牽引車でしたが、現在はディーゼル車両になっているようです。

この山は北米でも最も著名な山の1つであり、1806年に探検家のゼブロン・パイクによって紹介されたためにPike’s Peak (パイクの頂)と名づけられました。

パイクス・ピークを含むロッキー山脈は、昔から風光明媚な場所と知られ、現在では毎年数百万人単位の観光客が訪れる人気観光地です。ハイキングやキャンプ、その他の野外スポーツなども人気であり、日本人にとっては新婚旅行の人気旅行先のひとつでもあるようです。

このパイクスピークでは、以前のこのブログ、「レキシントン・モデル ”パイクスピーク”」でも紹介したように、アメリカのモータースポーツの著名なレースの一つ、「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム」が行われることで知られています。

パイクス・ピークの東側の裾野には、コロラド州東部の主要都市であるコロラドスプリングスが広がっていますが、この街の中心部から8~9km西にいったところに、この鉄道の起点であるマニトウ・スプリングスの町があります。

炭酸泉が多数あり、飲泉が結核に効くとされたことから19世紀には保養地が出来始め、マニトウ・スプリングスという町もできました。“マニトウ”というのは、インディアンに伝わる精霊のことで、その昔同名のホラー映画があったのを覚えている方も多いでしょう。

このマニトウ・スプリングスからパイクスピークの頂上まではトレイルも整備されているようですが、その標高4301mの頂きに達するためには、マニトウ・スプリングスから2300mもの標高差を克服しなければならず、このため、この登山鉄道が敷設されました。

10.11_pikespeak_01始点のマニトウドスプリングス駅

パイクス・ピーク・コグ鉄道の「コグ(Cog)」とは、車輪にとりつけられている歯車のことで、この鉄道では2本のレールの間に設置されたラックレールをこの歯車で噛み合わせて勾配を上ります。「ラック式鉄道」という種類の鉄道であり、この派生形の鉄道に「アプト式」鉄道というのもあります。

日本でも信越本線の碓氷峠の一部区間でこの方式を用いていました(信越本線横川駅~軽井沢駅間1893年~1963年)。現在でも、静岡の大井川鐵道井川線などで同様の形式が使われています。

なぜこうしたものを使うかと言えば、それは急こう配の山を安全に登るためであり、またレールの距離は短ければ短いほどコストが安くなるためです。綴れ折りの長い登山鉄道を作るよりも、車両のほうに工夫を加えた直登方式のほうが安上がりになります。

それにしても、このピーク鉄道の麓と頂上の高度差は、他を断トツに引き離すほど大きく、また、到達点も4000mを超えており、「世界一高い登山鉄道」と言われます。頂上までの道のり約14キロメートルを1時間15分ほどかけて登るそうですが、頂上にはなんとギフトショップもあって、ここで食べる名物ドーナッツはおいしいそうです。

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パイクス・ピーク・コグ鉄道

このラック式鉄道は、1812年にイギリスのマシュー・マレーによって開発され、ミドルトン鉄道という鉄道の機関車で初めて採用されました。マレーは蒸気機関や工作機械、紡績機械など多くの分野で活躍し、革新的な技術者として評価の高かった人です。

ただ、彼が開発した車両は当時は急勾配を登るためではなく、平地における機関車の空転を防止することが目的でした。重い貨車を牽引しているとき、鉄の車輪では鉄のレールに対して十分な粘着を確保できないと考えられたため、ラックレールと歯車式の車輪を組み合わせたラック式鉄道が考え出されたのです。

世界初の登山用ラック式鉄道は、1868年アメリカで完成しましたが、これはパイクスピークではなく、同国北東部のニューハンプシャー州のワシントン山における鉄道でした。この山は標高1917mとそれほど高い山ではありませんが、アメリカ国内でも最初期の観光地として開発さました。

592A0533ワシントン山におけるラック式鉄道

1852年には麓に石造りの重厚なホテルも建設され、多くの観光客を呼び寄せましたが、1908年に火事で焼失しました。しかしその後再建され、州の歴史史跡に指定されており、現在でも人気観光スポットのようです。今もこのホテル付近からワシントン山頂に至るラック式鉄道が残っており、現役で使用されています。

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マウントワシントンホテル

こうした成功例から、19世紀末から20世紀初頭にかけて世界各地で多数のラック式鉄道が相次いで建設されるようになりました。しかしその後ケーブルカーやロープウェイが発明されるようになると、こちらのほうが多くなり、ラック式はほとんど使われなくなっていきました。

ところが、20世紀末に山岳観光地における環境負荷の少ない交通機関として見直す動きが起こり、オーストラリアで久々に新しいラック式鉄道が開業しました。日本でも上述の大井川鐵道井川線において1990年にラック式鉄道が完成しました。

これは大井川の流れに沿って山間を縫うようにゆっくりと走る鉄道で、大井川上流に建設されていた長島ダム建設の建設に伴い、資材の運搬などに使われていましたが、奥地の住民の足としても使われていました。

しかし、ダム完成に伴い、一部区間が水没することになったため廃止が予定されていました。ところが、ダム湖によって水没する地域住民の家の代替補償金でその再興が図られることになり、湖岸に新線を建設することが決まりました。日本においては、最も新しいラック式鉄道ということになります。

愛称に「南アルプスあぷとライン」と名付けられたこの鉄道の沿線に民家は非常に少なく、利用者は大半が観光客であり、駅の半数がいわゆる秘境駅です。ダム湖がある終点駅の井川駅は静岡市内ですが、南アルプスのふもとにあり、文字通りド田舎です。

が、その渓谷美は見るべきものがあり、私も学生のころにここに行きました。その当時はまだこのラック式鉄道はありませんでしたが。

榛原郡川根本町の「千頭(せんず)」が始点で、全列車がDD20形ディーゼル機関車が推進・牽引する客車列車によって運行されています。ちなみに、千頭からは「大井川本線」という鉄道が出ており、これは、静岡市西部にある街、島田市の金谷駅で東海道線と接続しています。

大井川本線 金谷~千頭が、39.5km、井川線 千頭~井川が 25.5kmという路程になります。

Oigawa_Ikawa_Line_ABTアプト式区間を通る井川線の列車

この大井川本線は電車であり、ワンマン運転が行われています。が、井川線のほうは、全列車が機関車牽引の客車列車であるため、ワンマン運転は行われていません。

なお、大井川本線では、SL急行の運行が行われており、「かわね路号」の名で親しまれています。臨時列車の扱いですが、原則毎日、金谷駅~千頭駅間に1日1往復運行されているようで、休日など期間によっては2往復または3往復に増便されることもあるそうです。

実は私もまだ乗ったことがなく、このSL+ラック式の鉄道、というのは鉄道ファンならずとも大いに興味がそそられるのではないでしょうか。

話しが少々逸れてしまいましたが、このほか日本にあるラック式鉄道としては、足尾銅山観光トロッコ鉄道(栃木県足尾町)、シグナス森林鉄道(兵庫~大阪)、那須りんどう湖 LAKE VIEWスイス鉄道(栃木県那須町)などがあるようです。が、いずれも「トロッコ」と呼ばれるような小規模なものであり、大井川鉄道のような本格的なものではありません。

また、これらは大井川鉄道やかつて存在した信越本線碓氷峠区間ように、営業用鉄道路線として用いられているのではなく、あくまで観光用です。さらに、足尾銅山観光トロッコ鉄道とシグナス森林鉄道がリッゲンバッハ式、那須りんどう湖スイス鉄道がフォンロール式であるなど、アプト式とは少し異なる形式です。

それぞれの急こう配に適応させるためレールと車輪の噛み合わせをよくする点は同じですが、例えばリッゲンバッハ式は、浅いコの字の形をした鋼材と台形断面のピンを使用したラックレールを用いるなど、機関車の車輪の歯車との噛みあわせをより完全にしたものであり、いわばアプト式の変形版です。

ラック式鉄道にはこのほかにも、さまざまな形式があり、それらは、はしご型、複合型、挟み込み式、単純型などなど、いちいち説明しているとキリがないくらいです。

日本では、アプト式を含めて上述のような数種類しか採用例がありませんが、こうしたすべての方式の採用例があり、ラック式鉄道が世界で最も普及している国はスイスです。

国土の2/3がアルプス山脈などに囲まれた山岳地帯である上、観光立国であることからケーブルカーやラックレールを用いた登山鉄道も多く敷設され、その中には、ヨーロッパ最高所を走る鉄道であり、世界中から多くの観光客が訪れるユングフラウ鉄道は有名です。

4158メートルの標高を誇るユングフラウの途中まで登る登山鉄道です。最大勾配250‰。路線の4分の3以上がトンネル内ですが、終点駅のユングフラウヨッホ駅はラック式鉄道でヨーロッパ最高所である標高3454mにあります。

一般人が到達できる最高地点は、エレベーターで昇る「スフィンクス展望台」ですが、十分な装備をした雪山経験者ならここからユングフラウの山頂まで登山することも可能だといいます。

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ユングフラウ鉄道

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Station_Eigergletscher_01アイガー氷河が観望できる途中駅の、アイガーグレッチャー駅

このほかのラック式鉄道としては、1000m進むと480m標高が上がるという(480パーミル)世界一の急勾配を誇るピラトス鉄道などもあり、スイス国内には内外にその名をとどろかす著名な登山鉄道が数多く存在します。

登山鉄道だけでなく、通常の鉄道の数も尋常ではありません。私鉄主導で多くの路線建設が行われた結果、現在スイスにある鉄道路線は国の面積が九州よりやや小さい程度しかないにもかかわらず、5,380kmと九州のそれの約2倍の総延長にもなっています。

当然路線密度では世界一であり、「スイス国内では、国内のどこでも16km歩くと旅客鉄道の便がある」とまでいわれているようです。従って、ラック式鉄道のような山岳鉄道だけでなく、自称他称鉄道オタクと言われるような人は、ぜひスイスを訪れるべきでしょう。

ただ、5年前の2010年7月には、マッターホルン・ゴッタルド鉄道区間内を走る「氷河急行」と呼ばれる列車の一部車両が脱線、転覆し、この事故で乗客の日本人団体観光客の1人が死亡し、他の乗客の多数が負傷したという事件がありました。

スイスを代表する山岳リゾートを、約8時間かけて結ぶ特別列車で最高地点2033mのオーバーアルプ峠を越え、7つの谷、291の橋、91のトンネルを抜けて走ります。

平均時速は約34kmになるため、「世界一遅い急行(特急)」とも呼ばれており、「スイス・グランドキャニオン」と称されるライン峡谷などの絶景をみることができる列車として人気が高いようです。

GlacierLandwasser氷河急行

この事故での負傷者の大半は日本人団体観光客であり、この当時大きく報道されたので覚えている方も多いでしょう。その後の調査の結果、事故の原因は制限時速35km/hの区間を56km/hで走行した34歳の運転手の過失ということになったようです。

あってはならない事故でしたが、スイスでこうした事故が起きるというのはむしろ珍しいようで、これは日本と同じように真面目な国民性によるものでしょう。時計を初めとする精密機械工業がさかん、時間に正確、四季折々の気候変化や食べ物を楽しむといったところは、日本人と類似性が高いとはよく言われることです。

事故後も再発防止に積極的に取り組み、安全管理システムの敷設・徹底化と運行記録のデジタル化などの改革も進めているといい、いまでは従来にも増して安全性は向上していることでしょう。

ぜひ、アメリカのパイクス・ピークとともに訪れてみたいものです。みなさんもいかがでしょうか。