カエルと一酸化二水素

日本中のあちこちで田植えが行われ、蛙の鳴く声が良く響く季節になってきました。水田が多い地方などでは、夜にたくさんの蛙が一斉に鳴き出し、「蛙の大合唱」となります。初夏の風物詩といえます。

「ケロケロ」「ゲロゲロ」「クワックワッ」といったこのカエルの鳴き声ですが、意味にはいろいろあって、ひとつには「広告音」というのがあります。

繁殖期にオスが他の個体に対し、自分の存在をアピールして、メスを引き付けるための泣き声です。オスを排除するための鳴き声でもあり、田んぼでよく聞かれるカエルの合唱が、これにあたります。

同じ種類のカエルが同じように鳴いていても、その広告音は違っているといい、それぞれが、自分という存在をアピールしているわけです。こんな小さな生き物に自分という個性を主張する能力があるということは驚きです。

この広告音に似たものに「求愛音」というのもあります。これもまた繁殖期にオスがメスを呼ぶ声ですが、こちらは産卵を促すための鳴き声です。他のオスに対する縄張り宣言の意味が含まれている場合もあるようで、「縄張り音」とも呼ばれています。

カエルの声にはほかにも、解除音(他のオスにメスと間違われて抱接されたオスが、間違った抱接を解除させるための鳴き声)、警戒音(人や敵が近づいたときに発する鳴き声)、危険音(敵に捕まったときに発する鳴き声)などがあり、そのバリエーションの多さにも驚かされます。

「雨鳴き」というのもあって、こちらは低気圧が近づいたり、雨が降っているときに発する鳴き声で、アマガエルの雨鳴きが有名です。「ゲッゲッゲッゲッ…」「クワックワックワッ…」といったかんじで、鳴くのはすべてオスです。オスの喉には鳴嚢(めいのう)という袋があり、声帯で出した声をこの袋で共鳴させて大きな声を生みだします。

水辺から聞こえてくるこうした蛙の鳴き声は独特の情緒があります。ゆえに、古くから多くの俳句や歌に詠まれてきました。ヤマト民族は古くから農耕民族であり、身近なところにカエルの棲息に好適な水辺や水田があったことから、春から夏にかけての景物とされてきました。「万葉集」の中でもその鳴き声を愛でた詩歌が多数あります。

例えば山上憶良は、万葉集の第5巻に次のような歌を詠んでいます。

この照らす 日月の下は 天雲(あまぐも)の 向伏す(むかぶす)極み 谷ぐくの さ渡る極み きこしをす 国のまほらぞ

この月日を照らす下は、天雲のたなびく果て、カエルの這い回る果てまで、大君(天皇)が治められている。それほど秀れた国なのだ、といった意味です。太古の昔、天皇が納める国はそこら中、カエルだらけだったのでしょうか。

「たにぐく」とはヒキガエルのことであって、「多爾具久」または「谷蟇」と書きます。語源は「谷潜り」(たにくぐり)ではないかといわれており、谷間から聞こえるカエルの声は上に拡散してよく聞こえるので、こう呼ばれるようになったのでしょう。ヒキガエルは日本ではごく一般的なカエルであり、古事記では神の一柱として多邇具久が登場するほどです。




ここで、ガマガエルとヒキガエルは何が違うのでしょうか。実は、これは同じものです。混同されることも多いようですが、生物学的には「ヒキガエル」のほうが正しいようです。ヒキガエル科のもとに、アジアヒキガエル、ニホンヒキガエル(本土で最も普通種)、ナガレヒキガエル(渓流産)、オオヒキガエル(亜熱帯域原産の外来種)などがいます。

それでは、なぜヒキガエルをガマガエルと呼ぶようになったのでしょうか。これは「ガマの油」の口上で有名な傷薬から来ているといわれています。

このガマの油は、もともとは馬油(バーユ、マーユ)と呼ばれていました。戦国時代の大坂の陣に徳川方として従軍した筑波山・中禅寺の住職、光誉上人(こうよしょうにん)が作った傷薬で、刀傷を治す効能があり、馬の切り傷にも効くということで、馬油と呼ばれるようになりました。

江戸時代になると庶民にまで広く浸透するほど人気の薬となりましたが、江戸中期頃になって第5代将軍徳川綱吉によって“生類憐みの令”が発せられたため、馬油とは公言できなくなりました。馬油は、馬の皮下脂肪を原料とする油脂だからです。

そこで誰が考えたのか知りませんが、自分の家の馬から取った油なら文句を言われないだろうと、これを「我が馬の油」と言い換え、「我馬の油」としました。カタカナ表記してガマの油、とすればお咎めなし、というわけで、それがそのまま定着しました。

やがては、このガマの油を香具師(やし)と呼ばれる興行師が売るようになりました。行者風の凝った衣装をまとった香具師たちは、客寄せのために、綱渡りなどの大道芸をやったあと、この油を造る方法を語り出します。

「四六のガマ」と呼ばれる霊力を持ったガマガエルは、霊山・筑波山(伊吹山とも)でしか捕獲できません。自分の顔を在原業平(ありわらのなりひら・平安初期の歌人で男前といわれた)のような美形だと信じていますが、周囲に鏡を張った箱に入れられて、自らの醜悪さに驚き、タラタラと脂汗を流します。

この汗を集め、煮つめてできたものが「ガマの油」であり、香具師はこれを万能であると宣言します。そして、刀を手に持ち、その刀で半紙大の和紙を二つ折りにしたものを切り続け、「一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚……」と口上しながら、小さくなった紙片を紙吹雪のように吹き飛ばします。

こうして刀の切れ味を示したあと、今度は自分の手を軽く切ると、そこからはうっすらと血が出てきます。その切り傷にガマの油をつけると、あら不思議、血はたちまち消えてしまいます。

そして、もう一度刀で腕を傷づけると、ガマの油を塗った腕は、刃物で切ろうとしても切れません。止血作用のほかに防護の効能もあることを見せつけられた観客からは「おーっ」という声があがります。

実は、刀には仕掛けがしてあり、切っ先だけがよく切れるようになっています。腕に刃を当てて血が出たのは、血糊を線状に塗って切り傷に見せただけです。また、切れない部分で腕を切っても血がでるわけはありません。しかし、何も知らない観客はこれを信じてしまい、ガマの油は飛ぶように売れていく、というわけです。

このガマの油売りの口上は、現在になっても続けられており、地方によっては伝統芸能にもなっています。筑波山には、「ガマ口上保存会」なるものがあり、2013(平成25)年には「筑波山ガマの油売り口上」としてつくば市認定地域無形民俗文化財第1号に認定されています。

ではこのガマの油の本当の正体は何か、ですが、ガマガエルの耳後腺および皮膚腺から分泌された粘液だといわれています。実は強力な毒液であり、ヒキガエルの皮膚、特に背面にある多くのイボから出されるものです。牛乳のようなこの白い粘液によって外敵から身を守り、同時に、有害な細菌や寄生虫を防いでいます。

人間にとっても有毒であり、いわゆる神経系・ステロイド系の毒素です。皮膚に付いた場合は炎症を発し、間違って口にしようものなら、神経系・循環器系に重大な障害を生じます。さらに、幻覚・嘔吐・下痢・心臓発作などが引き起こされる可能性もあり、最悪の場合は死にいたります。

不用意に素手でふれることは避けるべきで、ふれた場合は後でよく手洗いする必要です。しかし一方では漢方としても使われ、乾燥したものは蟾酥(せんそ)と呼ばれています。強心作用や血圧降下作用があり、救心製薬の薬、「救心」の原点となった「六神丸」はこの蟾酥が主成分です。

カエルの仲間には、こうした毒をもつものが多く、南米の森林の奥深くには、捕食者から身を守るためにモルヒネの毒性の200倍も強力な毒を蓄える種も棲んでいます。「ヤドクガエル」といい、コバルト色の体に美しい水玉模様を持っていますが、鮮やかな体色は、自分を食べようとする捕食者への警告です。

そんなに猛毒をどうやって作り出すのかと不思議になりますが、最近の研究では、こうした毒ガエルたちは、自分の体内で毒を作り出しているわけではなく、毒をもつダニやアリを食べて、その毒を体内に蓄えていることなどがわかっています。体のどこかでそれを濃縮し、体液として分泌して武器にしているのでしょう。




ところで、カエルは、カワズ(かはず)とも呼ばれます。その成り立ちには諸説ありますが、以下はそのひとつです。

すなわち、カエルの「か」は「からだ」を示し、「躯体」、「構造体、物」を意味します。また、「へ」は「はう(這う)」という意味で、「はいつくばる」、あるいは「平たくなっている」様を示します。

最後の「る」は、「・・の状態にある」ことを意味します。例えば「とる」ということばがあります。「手(と)る」「採る」「捕る」も「盗る」といろいろな漢字が与えられますが、これらの「る」は、「あるものをその状態にする」ことを表現したものです。つまり、「かえる」は「「体を」「平たい」「状態にしている」ものという意味になります。

一方の「かはず」も同じような由来です。「か」は「体」で、「は」は「這う」であり、「ず」は「すむもの」を簡略化した表現です。すなわち「体を」「這うようにして」「住んでいるもの」ということになります。

このように言葉の成り立ちはほぼ同じですが、古来より、このふたつは、一方が日常語として、また一方が歌語として使い分けられてきました。無論、「かえる」のほうが日常的に使われる呼称です。

一方、和歌などの中でよく使われるのが「かはず」で、これはたいていの場合カジカガエルのことを示します。「河鹿」と表記することもあり、夏の季語であって、夏になると「ケケケケケケケケ・・ケケ・ケ」涼しげに鳴くカエルのことです。聞いたことある人も多いでしょう。

このカジカガエルは、山地にある渓流、湖、その周辺にある森林などに生息する種で、北海道を除く日本中に生息しています。美声で唄うことから、江戸時代には専用の籠(河鹿籠)に入れて、ペットとして飼うことが流行っていました。

このようにカエルといえば、その声を愛でるものという向きもありますが、一方では古くから「食」の対象でもありました。日本書紀によると、吉野の国栖(くにす・現奈良県に居住したといわれる住民)たちは蝦蟇蛙(ガマガエル)を煮たものを「毛瀰(もみ)」と呼んで食べていたといいます。

この「毛瀰」が非常に美味しかったことから、関西では、それ以外のものを「もみない(毛瀰でない)」と呼び、「不味い(まずい)・美味しくない」という意味で使うようになったといわれています。関西出身の方には馴染みのある表現かと思います。

もっとも、近年の日本では、ヒキガエルは食べません。「食用蛙」といえば、普通ウシガエルのことを指します。体長は大きなものでは18センチメートルほどもあって、体重5~600グラムは、通常のカエルの3倍以上です。その肉は鶏肉のささみに似ており、淡白で美味であって、地方の料亭などでは高級料理として出しているところもあります。

日本に入ってきたのは戦前のことで、1918(大正7)年に、東京帝国大学の教授であった動物学者の渡瀬庄三郎氏が食用としてアメリカのニューオリンズから十数匹を導入したのがきっかけとなりました。戦後は逆に輸出するほど増え、1950年から1970年にかけては年間数百トンのウシガエルが生産されたといわれています。

しかし、大型かつ貪欲で環境の変化に強い本種は、在来種に対する殲滅的捕食が懸念されるようになり、現在では侵略的外来種とみなされて、むしろ駆逐されるようになっています。ヨーロッパや韓国でも輸入が禁止されているなど、世界中で嫌われ者です。

というわけでウシガエルはあまり食卓にあがらなくなりましたが、日本以外の世界中でカエルを食べる文化はあり、中国をはじめ、欧州など世界的にもカエルを食べることはいまだ特別なことではありません。

中国からインドネシアにかけての地域では、トラフガエル、ヌマガエルなどが食用に利用されており、フランス料理などの食材に使われるカエルは、ヨーロッパ原産のヨーロッパトノサマガエルです。

とくにフランス人はこれが大好きらしく、高級食材として扱われています。フランス料理が世界中に浸透するようになってからはほかの国でも食べられるようになりましたが、古くからカエルを食べてきたフランス人のことを他のヨーロッパ人は揶揄を込めて「カエル喰い」と呼びます。

現在でも英語で frog eater (フロッグ・イーター)やJohnny Crapaud(ジョニー・クラポーといえば、フランス人に対する別称であり、クラポーは、フランス語でカエルのことです。frog だけでフランス人を指すこともあるようです。



茹でガエルの伝説

このようにカエルは食用としても扱われますが、研究用の実験動物として使われることもあります。とくに発生生物学や生理学の部門での研究では欠かせないものであり、アフリカツメガエルという種は実験目的で飼育されることで有名です。

スコットランド生まれのアレキサンダー・スチュアート(1673~1742)という生理学者が無頭ガエルを用いて行った実験が有名で、これは脳を切除したカエルの脊髄を刺激すると足が跳ね上がるというものでした。その後これは「脊髄ガエル」の実験と呼ばれるようになりました。

以後、多くの科学者がカエルを使って、数々の神経伝達のしくみを解明してきましたが、手に入りやすいカエルはその後、学校などでも教材として使われるようになりました。理科の授業でカエルを使った「解剖実習」を行ったという人も多いのではないでしょうか。私も小学校のころ、トノサマガエルを使った神経伝達の実験をした覚えがあります。

ところが、最近はこの解剖実習もかなり少なくなったようです。動物愛護の観点から、ということもあるようですが、田んぼの減少などで対象となるカエル減少したこともあり、またそれまでよく使われていたウシガエルが特定外来種に指定されたことなども関係しているようです。

とはいえ、実験や観察を重視する学校ではカエルを使った実験が今も行われることが多く、自然科学への興味関心を喚起するためには必須のものとされています。「百聞は一見にしかず」というわけで、教室で教科書と向き合って覚えた知識よりも、実際に自分の手で解剖し、自分の目で見て体験したことの方がずっと多くのことを学ぶことができるというわけです。

さて、カエルの実験と聞かされて、「茹でガエル」の話を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。これは、2匹のカエルを用意し、一方は熱湯に入れ、もう一方は緩やかに昇温する冷水に入れるというもので、前者は直ちに飛び跳ねて脱出・生存するのに対し、後者は水温の上昇を知覚できず、やがて茹でガエルとなって死んでしまう、とされています。

生理学的な見地から行われる実験のように受け取られがちですが、実はこの話が使われるのはビジネスの上においてのことのほうが多いようです。

ビジネス環境の変化に対応する事の重要性、困難性を指摘するためによく用いられます。例えば、業績悪化が危機的レベルに迫りつつあるにもかかわらず、従来型の経営を続けている企業の末路、といった具合に使われます。

一般に人間は環境適応能力に優れているといわれています。しかし、ゆるやかな環境変化には気づきにくく、その変化が致命的なものであっても受け入れてしまう傾向があり、気が付いてみれば大きな損害を受けていることがあります。ぬるま湯がいつのまにか熱湯になっていることに気づかずに死んでしまうカエルと同じというわけです。

心理学者や経済学者、経営コンサルタントなどがとくにこの茹でガエルの話を使いたがります。低すぎる営業目標達成を喜んでいる経営幹部や、敗色が濃厚であるにもかかわらず、なお好戦的な上層部の人々を批判する場合などに、この茹でガエルの話はうってつけです。

人間の生業では確かにそうしたことはありがちなのですが、では実際にカエルを茹でてみたら本当にそうなるのかどうか、というところは実は長い間誰も検証してきませんでした。本当かどうかを確認せずにこの話は広まったと思われ、いわば都市伝説の一つと今では考えられています。

そもそもこうした茹でガエルの実験というものを誰が行ったのかというところから紐解いていくと、話の発端は、1869(明治2)年にまでさかのぼるようです。この年、ドイツの生理学者フリードリッヒ・ゴルツ、という人が行った実験がそれらしい、という記録が残っています。

ゴルツは、脳を切除したカエルがどういう生体反応を見せるかという実験をいろいろやっており、その中のひとつとして行ったのがこの茹でガエルの実験でした。その結果、脳のあるカエルは摂氏25度から落ち着かない様子になり、温度が上がるごとに激しくもがき苦しみ、42度でそのまま水(お湯)の中で死んでしまったとされます。

一方、脳を切除したカエルはどうだったか、については記録がないようです。記録されなかったのか、脳があるカエルの実験しか行われなかったのかわかりません。が、もしかしたら死んだのは脳がないカエルだったのかもしれません。ともかくカエルは死んでしまった、という話だけがこのあたりから独り歩きするようになっていきます。

さらに、この実験から4年後の1873(明治6)年、今度はイギリスのジョージ・ヘンリー・ルイスという人物が、同じくこの茹でガエルの追試験を行い、やはり同様に茹でガエルは死んでしまったとされます。

しかし、このルイスという人物は、生理学者というよりも哲学者・文学者としてのほうが有名な人で、こうした実験はむしろ趣味として行っていたようです。エーテルとクロロホルムを使った実験をよく行っていたといいますから、こちらでも死んだとされるカエルには麻酔がかかるなど、何らかの操作が加わっていたのかもしれません。

こちらも本当のところはよくわかりません。いずれにせよ、ゴルツやルイスが行ったとされるかなり古い、しかもかなりあいまいな茹でガエルの実験結果については、それが正しいのかどうかという検証も行われないまま、長い年月が過ぎました。



その後この話は忘れさられていましたが、やがて第二次世界大戦後の東西冷戦の時代になって初めて科学以外の世界でこの話が取り上げられました。1960年代のアメリカなどで体制を批判する例えとして取り上げられたのです。敵対するソビエトも自国もにらみ合っているだけで、その状態に甘んじている茹でガエルだという批判がその内容でした。

さらに1980年代になり、終末論が流行るとここでも語られるようなりました。社会が政治的、経済的に不安定で人々が困窮に苦しむようなこの時代、その困窮の原因や帰趨が、それを見てみぬふりをしている指導者にあるとされ、彼らもまた茹でガエルだと揶揄されたのです。

さらには、1990年代には地球温暖化問題においても、茹でガエルは例えとしてよく使われるようになりました。何も環境対策をせずに放置した結果、地球はいまや瀕死の状態にある、というわけで、ここでの批判対象は世界中の指導者ということになります。

地球温暖化を阻止しようと国連が招集した国連気候行動サミットで、各国の対応を痛烈に批判した16歳の少女スウェーデン人のグレタ・トゥーンベリさんの演説の内容もまた、この茹でガエルの話を彷彿とさせるものでした。

このように、各時代ごとに茹でガエルの話は広まり、いまや「一般論」として定着するようになっています。ところが、1995(平成7)年になって、アメリカのビジネス誌「Fast Company」が、そもそも論を持出し、120年以上も前に行われたこの実験は果たして正しいものなのかを検証する目的で特集記事を組みました。

Fast Companyの編集者は、まずハーバード大学の細胞生物学者で、発生生物学の権威、ダグラス・メルトンにコメントを求め、これに対してメルトンは、「熱湯に入れれば飛び出す前に死んでしまうし、冷たい水に入れれば熱くなる前に飛び出してしまうはず」と答えました。

メルトン博士は、全米科学アカデミーおよびアメリカ芸術科学アカデミーのメンバーであることから、その発言は重いものでした。またFast Companyは、国立自然史博物館の爬虫類と両生類の学芸員であるジョージR.ツークの意見も掲載し、彼もまた、「カエルが逃げる手段を持っていれば、確実に逃げるだろう」と述べ、茹でガエル説を否定しました。

さらに、2002(平成14)年、オクラホマ大学の動物学者で、両生類の熱に関する脆弱性を研究していた、ビクター・H.ハッチソンもまた、この説を否定しました。否定するだけでなく、ハッチソンは、実際の検証実験を行いました。

この実験では、多くの種類のカエルについての試験が行われ、その手順は1分間に水の温度を華氏2度ずつ上げて様子をみる、というものでした。その結果、温度が上がるごとにカエルはますます活発になりましたが、どのカエルも一定の温度になると水から逃れようとしたといいます。

正常性バイアスの危険

こうして一世紀以上にもわたって独り歩きしてきた茹でガエルの仮設は、真実ではないということが証明されました。よくよく考えてみればカエルも動物である以上、茹でられて体温が上がれば熱くなって本能的に逃げるがあたりまえでしょう。

しかし、不思議なもので、ヒト以外の生物、ましてやカエルのような下等生物ならば、徐々に温められればそういうこともあるかもしれない、とどこかで思う気持ちが湧いてくるのは確かです。なぜかそういう「本当らしい話」を信じてしまうというのは人間の特性ともいえ、人の心は、予期せぬ出来事に対して、ある程度「鈍感」にできているようです。

日々の生活の中で生じる予期せぬ変化や新しい事象に、いつも心が過剰に反応してしまっては疲弊してしまいます。そうならないように、人間の心にはある程度の限界までは、正常の範囲として処理するメカニズムが備わっており、こうした機能を「正常性バイアス」といいます。

バイアスとは、英語で“bias”と書き、「偏り」のことです。ここでは「偏見」と訳すのが適当でしょう。これに正常性をつけて正常性バイアスといいますが、これは自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう、といった偏った見方をする人の特性を意味します。

茹でガエルのような信ぴょう性も定かでないような話を信じてしまう、といったケース以外にも、自分にとって何らかの被害が予想される、といった状況下でも正常性バイアスは起こりえます。

例えば自然災害や火事、事故、事件といった場合などがそれです。そうした非日常的な出来事すらも、日常の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価してしまいます。その結果として「逃げ遅れ」が生じ、最悪の場合は人を死に至らしめます。

正常性バイアスは、「正常化の偏見」、「恒常性バイアス」とも言い、災害に直面した人々がただちに避難行動を取ろうとしない心の作用として、とくに先の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)以降、注目されるようになりました。

この東日本大震災では、津波避難をめぐる課題として「警報が出ているのを知りながら避難しない」人たちが少なからずいたことが明らかになっています。地震発生直後のビッグデータによる解析でも、ある地域では地震直後にはほとんど動きがなく、多くの人々が実際に津波を目撃してから初めて避難行動に移り、結果、避難に遅れが生じたことがわかっています。

宮城県の石巻市では、海岸から5キロメートル離れた大川小学校で、校庭にいた児童74名と、教職員10名、合わせて85名の学校関係者が亡くなりました。その避難先の決定を誤らせたのも正常性バイアスによる根拠のない楽観的思考ではなかったかといわれています。

大津波に先駆けで地震が生じた当初、教師らは児童を校庭に集めて点呼を取り全員の安否を確認していました。そして、来るかもしれない津波に対しての避難先について議論を始めていたといいます。このとき、学校南側の裏山に既に逃げようとしていた児童たちもいましたが、この教師らは彼らに戻るよう呼びかけ、連れ戻した、とされます。

この裏山というのは、校庭のすぐそばにある緩やかな傾斜の小山で、児童らにとってシイタケ栽培の学習でなじみ深い場所でした。有力な避難場所でしたが、降雪により足場が悪く、未曾有の大地震の直後のため土砂崩れや落石などの可能性もありました。従って、危険な場所である、と判断したのもあながち間違っていたとはいえません。

一方、教職員の間では、いややはり裏山へ逃げたほうが安全という意見もあり、校庭にとどまり続けたほうがいいという意見と対立しました。

このとどまり続けたほうがいいという意見の背景には、もうひとつ理由がありました。この小学校は、一般児童の学び家であると同時に、地域の避難所でもあり、このため学校外から避難してきていた老人もいました。このため、老人たちが避難するためにも、平地ではない裏山は適当ではないと考えられたのです。

さらに、学校に避難してきていた一般人の中には、学校から約200m西側には、周囲の堤防より小高くなっている場所(新北上大橋のたもと)があり、ここへの避難のほうが安全だという人もいました。

こうして、裏山へ逃げた方が良いという意見と、学校にとどまり続けた方が良いという意見、さらに学校の外に出て別の高台に逃げた方がいいという意見も出るなど、意見が錯綜する中、時間はどんどんと過ぎていきました。

このとき、教頭は「山に上がらせてくれ」と言ったといいますが、「ここまで(津波は)来るはずがないから、三角地帯に行こう」という意見も根強く、「喧嘩みたいに揉めていた」という話も残っています。

この議論の間、20人ほどの保護者が児童を迎えに来て帰宅して行きましたが、このとき既に大津波警報が出ていることを報告した親がいたことも確認されています。しかし、やがて教師たちの意見は「学校のほうが安全」「帰らないように」「逃げないほうがいい」に傾いていき、逆に帰宅しようとしていた保護者達を引き留めるほどだったといいます。

このとき、山に逃げたものの連れ戻された児童らの中には、「津波が来るから山へ逃げよう」「地割れが起きる」「ここにいたら死ぬ」と教師に泣きながら訴える者もいたことが、これらの保護者達により目撃されています。

こうして、東北地方太平洋沖地震に伴う津波が本震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸・追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)を津波が遡上してきました。その結果、河口から約5kmの距離にある大川小学校を直撃し、教師と学童合わせて85名のほか、学校に避難してきた地域住民や保護者、スクールバスの運転手が死亡しました。

学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件・事故としては戦後最悪の惨事となり、この事件から3年後、犠牲となった児童23人の遺族は、宮城県と石巻市に対して総額23億円の損害賠償を求める民事訴訟を仙台地方裁判所に起こしました。

この裁判では、一審の地方裁判所、二審の仙台高裁ともに学校側の防災体制の不備を認定し、二審では、1審判決よりも約1000万円多い総額14億3617万円の支払いを命じました。学校側は最高裁への上告を求めましたが、2019年10月11日までに上告が退けられ、2審仙台高等裁判所判決が確定しています。

学校側の誘導ミスが認められた結果ですが、未曾有の大地震があった直後の現場は、集団パニック状態かそれに近い状態であったと推定されます。この裁判でも、様々な情報や意見が行き交う中で、正しい判断を行うことが困難な状況であったことなどが取沙汰されました。

誰が良いとか悪いとかいう問題ではなく、こうした例は異常な環境下では誰もが正常性バイアスに陥る可能性がある、という教訓と捉えることができます。

この東日本大震災から3年後に起きた2014(平成26)年9月27日の御嶽山噴火でも、似たようなことがありました。御嶽山の噴火で登山者58人が噴石や噴煙に巻き込まれて死亡したこの事件では、死亡者の多くが噴火後も火口付近にとどまり噴火の様子を写真撮影していたことがわかっています。

携帯電話を手に持ったままの死体や、噴火から4分後に撮影した記録が残るカメラもあり、彼らが正常性バイアスの影響下にあり、「自分は大丈夫」と思っていた可能性が指摘されています。

この年(2014年)には、隣国の韓国でも大きな事故がありました。乗員・乗客の死者299人、行方不明者5人、捜索作業員の死者8人を出した「セウォル(世越)号事件」です。この事件においても、正常性バイアスと思われる現象があり、これは乗っていた修学旅行中の高校生を誘導する側の船舶関係者に起こりました。

のちにこの船は不適切な船体改造により高重心となり、過積載とバラスト水の操作ミスによって転覆したことがわかっています。転覆後、徐々に沈んでいく船の中では、「救命胴衣を着用して待機してください」という自動船内放送が流れました。これを受け、乗客の避難誘導を行う乗員も乗客に対して「動かないでください」と繰り返していたといいます。

おそらく、誘導員も船内放送を信じて大丈夫だと思ったのでしょう。このため、船内にいた多くの高校生たちのほとんどはその指示に従って待機したままでした。船員の不適切な誘導もさることながら、船内に残された乗客の多くもギリギリの段階まで、どこか大丈夫だ、と思う気持ちがあったのではないかと考えられます。

韓国では、これより11年前の2003年2月18日にも、大邱(テグ)地下鉄放火事件という事件があり、大きな社会問題になりました。

この事件は、大邱広域市地下鉄公社(当時)1号線の中央路駅構内地下3階のホームに到着した列車の車内で、自殺志願者の男が飲料用ペットボトルの中に入れていたガソリンを振り撒き放火したというものです。

停車中の車内が大火災となったこの事件では、多くの乗客が逃げずに車内に留まりました。煙が充満する車内の中で口や鼻を押さえながらも逃げずに座っている様子が乗客によって撮影されており、ここでも正常性バイアスが乗客たちの行動に影響したとのではないかといわれています。

「被害はたいしたことがないのでその場に留まるように」という旨の車内放送が流れたという証言もあり、この事件は、「セウォル号事件」とよく似ています。車上員のこうした間違った判断によって被害が拡大されたと思われるこの火災では、当時において世界の地下鉄火災史上で2番目となる198人以上の死者を出しました。

韓国人はより正常性バイアスに陥りやすいのではないか、とつい思ってしまいますが、そんなことはないでしょう。我々日本人も同じような状況に巻き込まれれば同様の行動をとってしまう可能性はあるのです。

きさらぎ駅

茹でガエルの話とこうした正常性バイアスの結果と思われる事件の共通点としては、多くの人が嘘やデマを信じてしまう、という点です。そうした意味では「都市伝説」と似ていなくもありません。

都市伝説とは、本当にあったとして語られてはいるものの、「実際には起きていない話」であり、あるいは、実存しない可能性が高い人間が体験した虚偽について作られた物語のことを指します。

正常性バイアスのように、「実際に起きている」異常な環境下で判断を誤るというところが異なりますが、間違った情報に基づいて人が惑わされるという点では同じです。

一般に、都市伝説といわれるものには起源や根拠がまったく不明なものも多いようですが、何かしらの根拠を有するものもあります。特定の、とはいえ、たいていは何でもない事実に尾ひれがついて、伝説化することもあり、たとえば「東京ディズニーランドの下には巨大地下室があり、そこで賭博等の行為が行われている」といった類の話です。

この例では、ディズニーランドには、実際に従業員用の地下通路がほんの少しあることが起源の一つになっていますが、人が集まってゲームをしたりできるような地下施設はありません。敷地内の多くは、埋め立て地であり、そうした大きな施設を作るのは不可能です。

ほかにも、こうした都市伝説はそれこそゴマンとありますが、ここではそのうちの有名なものをひとつ取り上げてみましょう。とくに、都市伝説として長い間語り継がれてきたもので、もしかしたら本当にあったのかも、と思えてしまうようなものです。

それは「きさらぎ駅」といいます。2004(平成16)年にインターネット掲示板の「2ちゃんねる」に投稿された「体験的」な記事の中で登場した謎の駅です。

この記事で、きさらぎ駅とは、人里離れた沿線に忽然と現れた謎の無人駅とされました。体験談の内容からは、ある程度の場所が特定でき、それは静岡県のどこか山奥にあるものではないかと推定されましたが、はっきりとした場所はわかりません。そしてそこに降り立った一人の若い女性のまわりに次々と奇怪な現象が起こっていきます。

そもそも、この話は、「2ちゃんねる」のオカルト板に、「はすみ(葉純)」と名乗る人物が書き込みをしたのが始まりです。「板」とは、掲示板で話し合われる話題のおおむねの方向性のことで、この板では「オカルト」がテーマでした。

オカルトといえば、心霊現象・怪談から、超常現象、未確認飛行物体(UFO)、ネッシーなど未確認動物(UMA)と言ったお馴染みの物から、魔術、超科学、神秘学、超古代文明、果ては呪詛や秘密結社など幅広い話題を含みます。

オカルト板は、毎年季節的に怪談シーズンの夏になると賑わう板で、正式には「オカルト超常現象@2ch掲示板」で通称「オカ板」と呼ばれていました。しかし、「事件」が起こったとされるのは、夏ではなく真冬のころでした。

2004(平成16)年1月の深夜、このオカルト板の中に問題のスレッドが立ちました。スレッドとは、ひとつの板の中でもさらに特定の話題を話しあうための投稿の集まりのことで、ある話題について初めに投稿をすることを「スレッドを立てる」といいます。またスレッドは、「スレ」と略されます。

ややこしいですが、スレに対する返信のことをレスといい、これはレスポンス(返信)の略です。ひとつのスレに対するレスに対して、また別の人のレスが加わり、やがてたくさんの人がそのスレにレス書き込んで、ああでもない、こうでもないと話し合われればそのスレッドは賑わいます。

その賑わいこそが掲示板の醍醐味であり、自分の興味のある話題ならば、誰しもが参加をしてみたくなるものです。

また、スレには「実況スレッド」というものがあります。通常のスレはある程度時間をおいて書き込みが進みますが、このスレは「実況行為」を目的としたものであり、時々刻々と書き込みが進んでいきます。最近はスマホでこうした書き込みは簡単にできてしまいます。

ネットで放映されある野球中継の中でこうしたスレッドを見たことがある人も多いと思います。生放送の番組に対する感想をリアルタイムで書き込んでいくもので、ホームランが出ると、「おオおオおー!」といった短い書き込みがなされ、それに対しても敵チームの別の人からは「チッ、やりやがったな」といったレスがなされます。

ただ、この場合の実況スレッドの舞台は野球場などの街中ではなく、静岡県浜松市のどこか山奥とされました。「はすみ」と名乗る女性が最初に書き込んだそのスレッドには当初、静岡県の新浜松駅から発車した遠州鉄道の電車の中にいる、と書かれていました。

いつもは5~8分間隔で停車するはずの電車が20分以上も走り続けている、と続き、やがて到着した駅が「きさらぎ駅」でした。当人曰く、聞いたこともない無人駅で、以後、0時を過ぎて翌日未明にかけてのあいだ、延々と「はすみ」とスレ参加者との応答がリアルタイムで進行していきます。

「はすみ」によれば、そこは周囲には人家などが何もない山間の草原で特に特徴はないということでした。自分がどこにいるかわからないため、自宅に電話して親に迎えに来てもらうように頼みますが、場所がわからないと言われ、110番するようにと言われてしまいます。

言われたとおり警察に電話し、一生懸命現在の状況を説明しますが、いたずらだろうと怒られてしまい困惑。近くに交番やタクシーもないため、仕方なく彼女は線路沿いを歩き始めます。すると遠くの方で太鼓を鳴らすような音とそれに混じって鈴のような音も聞こえてくるではありませんか。

さらに「おーい危ないから線路の上歩いちゃ駄目だよ」という声が後ろのほうからするので、駅員かと思って振り向くと、10メートルほど先に片足だけの老翁が立っており、しばらくすると消えてしまいました。

怖くて動くことができなくなった「はすみ」。どうしたらいいかわからなくなってしまいますが、勇気を振り絞って歩き続けていくと、今度はトンネルに出くわしました。そこには「伊佐貫」と書かれていましたが、トンネルの中は真っ暗です。

しかしスレ参加者に励まされて、なんとかトンネルを走り抜けると、そこに誰か立っています。やがて、「助言して頂いた通りにして正解だったようです。ありがとうごうございます」という投稿が続き、さらに「親切な方で近くの駅まで車で送ってくれる事になりました」と書き込まれました。

ところが、やがて車は山のほうへと向かいはじめ、「はすみ」はどうやら男性らしいその人物の様子がおかしいことに気づきます。

「先程よりどんどん山の方に向かってます~(中略)~全然話してくれなくなってしまいました。」そんな投稿の後、携帯電話の電池が残りわずかになったのか、「もうバッテリーがピンチです。様子が変なので隙を見て逃げようと思っています。」と「はすみ」。

さらに「先程から訳のわからない独り言を呟きはじめました。いざという時の為に、一応これで最後の書き込みにします。」

この投稿を最後に彼女からの投稿は二度とありませんでした。投稿時間は1月9日の深夜3時44分を指していました。

きさらぎ駅を舞台にした一夜限りの奇妙なこの体験談は、その後ネットコミュニティの注目を集めました。やがて、この最初のスレに便乗するかのように、きさらぎ駅や類似の架空の駅の体験談が相次ぐなど、事態はエスカレートしていきます。

東海道本線の愛知県域にあるとされる「月の宮駅」という駅や、きさらぎ駅の隣接駅とされる「やみ駅」と「かたす駅」などにいる、といったスレが相次ぎました。しかし最初に公表された「はすみ」の一夜限りの奇妙な出来事の方が人気が高く、やがてネットコミュニティ参加者だけでなく、一般の人も噂する都市伝説になっていきました。

その後長らくオカ板に「はすみ」からのスレはありませんでした。しかしその後7年も経った2011年になって、今度は、都市伝説をテーマにした別のサイトのコメント欄に、オリジナル投稿者「はすみ」を名乗る人物から書き込みがありました。

それは、「あの、信じてくれないと思いますが」で始まり、7年経ってようやく普通の世界に戻れたという、「はすみの声」でした。

それによれば、その後くだんの運転手は暗い森の中で車を止めました。すると闇の向こうから光が見えはじめ、そのとき、右の方から別の男が歩いてきたと思った瞬間、運転手は消えていました。その男性は、「ここにいてはダメだ!今のうちに逃げろ」と彼女にうながし、さらに「光の方へ歩け」と言ったといいます。

泣きながら走った「はすみ」が、まぶしくなったとたん目をあけると、普段から見慣れた駅の前で彼女の両親が車から私を呼んでいました。そして、そのときそこは2011年の4月だった、といいます。

「きさらぎ駅」から無事に戻った、というこの「生還報告」の真偽のほどは明らかではありません。7年という過ぎ去った時間をうまく使った別人物による創作と考えることもできますが、もしかしたら…、と考えてしまう人も多いのではないでしょうか。

このまことしやかな後日談もまたその後話題を呼び、さらにTwitterやYouTubeといったメディアでできさらぎ駅に関する投稿が相次ぐようになりました。元祖の2ちゃんねるでもこれに関連する目撃談や実況体験談を寄せる投稿がしばらく続いたといいます。

2014(平成26)年には、Googleマップの中で、筑波大学構内に「きさらぎ駅」というスポットが何者かによって登録されるという「珍事」も起きました。ルート検索をしたことがある人はおわかりでしょうが、これによって「きさらぎ駅」への架空のルート検索ができるようになります。

しかし、オリジナルの体験談にあったきさらぎ駅やはすみの正体が明かされることは、けっしてありませんでしたが、以後現在に至るまでネット上にはその真相を巡って様々な空想的考察が語られ、話題は膨らみ続けています。

きさらぎ駅を題材としたフィクションまで作られるようになり、「はじまりの夜行列車」「きさらぎ駅並行」といった題名の作品も作られました。

2018年には舞台となった遠州鉄道が、きさらぎ駅のエピソードを描いた水野英多の漫画「裏世界ピクニック」をテーマとしたPR列車を運行させました。きさらぎ駅の都市伝説が広く知られるものとなり、遠州鉄道本社にも問い合わせが寄せられるようになったためで、そのブームにあやかった形です。

きさらぎ駅はさらに海外でも知られるようになり、特に台湾や香港で「如月車站」として紹介され、日本と同様にフィクション作品が書かれています。当地を舞台にした架空の駅の都市伝説が台湾でも語られているといい、いまでも日本の「元祖きさらぎ駅」のコンテンツがしばしば引き合いに出されているそうです。

きさらぎ駅の都市伝説が、このように長きに渡って語り継がれる理由のひとつは、実在する列車に加え、いかにもありそうな地名や登場人物を使うなど巧妙な物語設定がなされているということがあります。

また、「世にも不思議な物語」「本当にあった怖い話」といったかなりひねったストーリーがもてはやされる風潮のある中、こうした昔ながらのシンプルに怖い「神隠し」的な話にロマンを見出す向きが増えているということなのかもしれません。

DHMO

このように人気のある都市伝説というものは、やはり真実味があるものが多いようです。ここでもうひとつ紹介したいのは、多くの人が本当だと信じてしまったことが、実はまったくの虚構であった、というものです。都市伝説ともいえますが、ある種のジョークといったほうが良いかもしれません。

それは、1983年のこと、ミシガン州の週刊新聞、デュラン・エクスプレスにDHMOが水道管内で見つかった、とする記事が発表されました。その記事には、それは致命的な物質であり、「蒸気化することで水ぶくれを引き起こす可能性がある」といった警告が書かれていました。

さらにDHMOは、dihydrogen monoxide=ジヒドロゲンモノオキシドと説明され、これは和訳すれば一酸化二水素です。

化学式 で書くと、H2O で表される水素と酸素の化合物ですが、この説明を読んで、ん?と気づかれた方は賢明です。H2Oとはこれすなわち水そのものであり、実はこの放送は、4月1日のエープリルフールに放送されたものでした。

水をわざと難しい表現に変え、水ぶくれを引き起こすから危険、としたものですが、確かに水を加熱して蒸気になったものがかかれば火傷して水ぶくれができます。巧みな言い換えによって、見事なジョークに仕立てたものですが、これをさらに発展させ、さらに細かい表現を加えてより発展させたのが、カリフォルニア大学サンタクルーズ校の学生たちでした。

DHMOについて語るサイト“DHMO.org”までも作ってしまい、その後これは秀逸なジョークとして知る人ぞ知るものとなりました。1990年に立ち上げられたそのサイトにおいて、DHMOには次の性質があるとされました。

水酸と呼ばれ、酸性雨の主成分である。
温室効果を引き起こす。
重篤なやけどの原因となりうる。
地形の侵食を引き起こす。
多くの材料の腐食を進行させ、さび付かせる。
電気事故の原因となり、自動車のブレーキの効果を低下させる。
末期がん患者の悪性腫瘍から検出される。
その危険性に反して、DHMOは頻繁に用いられている。

工業用の溶媒、冷媒として用いられる。
原子力発電所で用いられる。
発泡スチロールの製造に用いられる。
防火剤として用いられる。
各種の残酷な動物実験に用いられる。
防虫剤の散布に用いられる。洗浄した後も産物はDHMOによる汚染状態のままである。
各種のジャンクフードや、その他の食品に添加されている。

どうでしょう。ここまで詳細に書かれるとまるで劇物のようです。これほど詳しくその悪性が書かれると、誰もがそれを水とは思わなくなります。

後年、このHPを見た者の中からこれをネタにして誰かをだましてやろうという数々の輩が出てきますが、その後しばらくはこれを使った悪ふざけは特に起こりませんでした。

ところがそれから10年ほども経った2002年、このジョークが復活します。アトランタのあるラジオトーク番組で、アナウンサーがアトランタの水道局が給水システムをチェックした結果、そえが汚染されていることが判明したと発表しました。

その汚染物質は一酸化二水素と表現され、次いでその危険性についての例の学生たちがHPで捏造した説明も加えられ、これを地元のテレビ局もこの「スキャンダル」を取り上げるなど、事態は次第にエスカレートしていきます。

あまりにも話題になり、ついには市の水道局がインタビューに応じることになりましたが、その中で水道局の役人は「法律で許可されている以上の一酸化二水素は入っていない」と答えてしまいました。

さらにその翌年の2003年には、今度は同じアメリカのカリフォルニア州はアリソ・ビエホ市の議会で別の事件が起こりました。ここでも“DHMO.org”に書かれたジョークを真に受けた職員がおり、市議の間でその危険性が取沙汰された結果、ついにはDHMO規制の決議を試みようという事態にまで発展しました。

結局この決議は、直前になってその用語の中に怪しいものがあると気付いた職員がおり、調べた結果、ジョークであることが判明し、大ごとにはならずに済みました。

その後しばらくこのDHMOは話題になりませんでしたが、さらに10年後の2013年に再燃します。このとき事件が起こったのはフロリダ州でした。フロリダ半島の南西部のガルフコースト(リー郡)にあるラジオ局が、水道からDHMOが出ており、水道局は数日水道を止める予定だ、と放送したのです。

実はこれもDHMOのことを知るDJがぶちあげたエイプリルフールのジョーク企画でしたが、この放送によって水道局に問合せが殺到し、町中がパニックになりました。やがて慌てたラジオ局が謝罪し、事態は収束していきましたが、これに関わったとしてDJ二人がその後謹慎処分となりました。

その後DHMOをネタにした大きな事件は起こっていません。しかしそれにしてもこれほどまでに長い間同じジョークが使われ続けるのはその出来があまりにもよいからでしょう。多くの人が惑わされる創作物というものはやはりよく練られており、それを元として実際に事件が起きるほどリアリティがあります。

また、普段我々の生活の周りにあるごく普通のものが少し表現を変えるだけで、まったく別のものにすり替わってしまうということに驚かされたりもします。現実と仮想の間には紙一重の部分もあり、そのツボを押さえれば誰でもこうしたジョークが作れてしまいます。

その違いを見破れずに信じてしまうというのは人の悲しい性(さが)といえるのかもしれませんが、むしろその違いを見破ろうとはせず、信じようと思う心が誰しもにもあるのかもしれません。人間というものの善良性を示すものであって、それは、むしろ高く評価すべきものなのかもしれません。

こうしたジョークがどれほど人をだます効果があるかについては科学者も興味を持つようで、各種の調査も行われています。実はDHMOでもそうした調査が行われており、その結果出された論文名は「人間はいかにだまされやすいか?」でした。

1997年に実施されたこの調査では、被験者に対して冒頭、DHMOについて「水酸の一種であり、常温で液体の物質である」「DHMOは、溶媒や冷媒などによく用いられる」との説明がありました。被験者にとって非日常的な科学技術用語を用いた解説がなされ、次いでその毒性や性質について否定的かつ感情的な言葉で説明が加えられました。

その後、「この物質は法で規制すべきか」と50人に質問をしたところ、43人が賛成してしまったといい、ほかには6人が回答を留保、DHMOが水であることを見抜いたのはたった1人だけだったといいます。

DHMOの説明にはほかに「吸引すると死亡する」というのもあります。実はこれは水死のことであって、水を大量に飲ませると溺死してしまうということを示していますが、「吸引する」と書かれると何か違う事態のように勘違いしてしまいます。

表現を一つ買えるだけで命の危機さえ感じさせることもできる、ということがこの例からもわかります。人はいかに騙されやすい動物かであり、言葉ひとつで人を恐怖に陥れることはそれほど難しいことではないように思えます。

もっとも大量に水を服用すると死ぬ、というのは嘘ではありません。水中毒というものがあり、過剰の水分摂取によって生じる中毒症状です。水を飲み過ぎることによって、血液中のナトリウム濃度が低下し、これによって血症や痙攣を生じ、重症では死亡に至ります。

下痢などで激しい脱水症状を起こしたとき、スポーツドリンクを大量に飲むと水中毒になることがあるほか、特に乳幼児がなりがちだといいます。こうしたときの水補給には、ナトリウム濃度が低すぎこうしたドリンクではなく、経口補水液のほうが良いそうです。覚えておいてください。

さて、カエルの話題に始まり長々と書いてきましたが、最後にDHMOと似たようなジョークをもうひとつ。それは「○○は危険な食べ物」というものです。

以下の説明をお読みください。

犯罪者の98%は○○を食べている。
○○を日常的に食べて育った子供の約半数は、テストが平均点以下である。
暴力的犯罪の多くは、○○を食べてから24時間以内に起きている。
○○は中毒症状を引き起こす。被験者に最初は○○と水を与え、後に水だけを与える実験をすると、2日もしないうちに○○を異常にほしがる。
新生児に○○を与えると、のどをつまらせて苦しがる。
2020年、どの家でも○○を食べるようになり、死亡原因の第1位は癌となった。

私の場合、○○にラーメンを入れてみたいと思います。みなさんは何を入れるでしょうか。