ふたたび渡り鳥になる日

先月の3月11日で、伊豆に来てからちょうど9年になりました。

10年目に突入という節目の今年、これから先をどう生きていこうか、などと考えたりもしていますが、これといってはっきりした展望はありません。ただ、最近夫婦の話題としてよく上がっているのが、「終の棲家」ということ。

今住んでいる家も悪くはないのですが、もともと二人とも中四国地方で生まれ、ともにあちらの環境に慣れ親しんで育った経緯があります。伊豆の暮らしも長くなりましたが、やはり人生の終わりには生まれ育った場所に戻りたいというのが正直な気持ちです。

静岡は気候もよく、交通の便や買い物他の生活基盤も整っていて暮らしやすい場所です。先日もニュースで日本で一番暮らしたいところだと報じられたばかりです。

なのになぜそこを離れようとするのか、と言われると返す言葉もありません。ただ、なんというか刺激が少ない気がします。歴史を感じさせる古い町があるわけではなく、また東京のように新陳代謝の激しい場所でもありません。自然豊かで風光明媚という点が最大の魅力ですが、こと暮らし・生活ということを考えるとすべてが中庸という感じがします。

また、伊豆という土地柄にはなんというか閉塞感があります。北では東海道に接続し、あちこちへのアクセスも悪くないのですが、それ以外の方角は海で行き止まりになっています。

かつてハワイに3年ほど住んでいましたが、そこに似ています。周囲が海で囲まれており、卒業して島を出る前にはもうどこもかしこも行ったところばかりになっていて、閉じ込められたような感覚になったものです。結局日本に帰ってきた理由のひとつはそれです。

このため、もし再度移住するならもっとオープンな土地柄で、しかも文化度も比較的高い場所がいいな、と考えています。候補としてはやはり、中国地方でも山陽側の瀬戸内のどこかですが、納得できる住処を先に選ぶことを重視すべきかもしれません。

今住んでいる家を決めたのも、やはり場所ではなく、家そのものがしっかりしていたことが決め手でした。風が強く、大きな地震の可能性があるものの、高台にあるため水害の心配はありません。自然災害で生活が脅かされる心配は小さいと判断しました。

そんないい条件のところを捨ててまでよそへ移りたいのかとまた言われそうですが、やはり故郷はいいものです。誰でもいつかは戻りたい場所があるのではないでしょうか。

人間にも動物と同じように帰巣本能のようなものがあるのかもしれません。遠く離れた場所からでも自分の巣に戻ることができる能力は多くの動物が持っています。犬には優れた嗅覚や感覚があって、どんなに遠くからでも方向を間違えずに飼い主の元に戻って来ます。




渡り鳥も遠く離れた場所と場所を間違えずに行き来します。その理由は、食糧、環境などいろいろですが、一般には繁殖のために寒さを避けるためと考えられています。このため、夏鳥、冬鳥、という分類法があります。

夏鳥は、日本より南方から渡ってきて、夏を日本で過ごし、繁殖期が終わると再び越冬のために南に渡って行く鳥で、ツバメなどがその代表例です。また、冬鳥は主として越冬のために日本より北方から渡ってきて、冬を日本で過ごし、冬が終わると再び繁殖のために北に渡って行く鳥で、ハクチョウやツルなどがそれです。

旅鳥、という分類もあり、これは日本より北で繁殖し、日本より南で越冬するため、渡りの移動の途中に日本を通過して行く鳥です。主として移動時期である春と秋に見られ、シギ、チドリの仲間に多いようです。

こうした渡り鳥の中には、キョクアジサシのように北極圏から南極まで、32,000kmもの長距離を移動するものもいます。また、ハシボソミズナギドリという鳥は、オーストラリアから北上し、太平洋を一周してまた元の場所へ戻ますが、その移動距離も30,000km以上です。

なぜこうした移動をするのか、どうやってその経路を知るのかは、鳥類学における長年の研究テーマのひとつでもあります。鳥を捕獲して刻印のついた足環を付ける鳥類標識調査(バンディング)が日本を含め世界各国で行われています。大型の鳥では、超小型の発信機を付け、人工衛星を使って経路を調べることまで行われています。

その結果、渡り鳥が移動する理由についてはまだ定説といえるほどのものは見つかっていませんが、どう移動経路を見定めているのかについてはわかってきており、現在では三段階ほどの過程を経てそれを決めていると推定されています。

まず最初の段階では、ある時間にある方向に向かって飛び、目的地から数百kmほどのところまで進みます。この移動には太陽や星の配置が指標になります。

そして次の段階では、磁場に頼ると考えられています。地球には地磁気というものがあり、鳥は生まれながらにしてこの磁場を感知する能力を持っており、これを頼りに目的地までさらに詳細な方向を探り、数kmの精度でそこまで進むことができます。

最後の段階では地形や環境の特徴を頼りに最終目的地に到達します。鳥は非常に細かい地図情報を持っており、この段階で頭の中にある精密地図を使います。この地図情報は先天的なものではなく、毎年の移動の際に組み込まれ、修正される後天的なもののようです。




このように渡り鳥は、地形だけでなく、太陽や星の配置、磁場の状況などありとあらゆる自然条件を把握してその目的地にたどり着きます。

しかし渡り鳥ではない鳥の中にもこうした能力に優れたものがおり、その代表的なものは鳩です。帰巣本能が優れ、千キロメートル以上離れた地点から帰巣できることから、古くから通信手段として使われてきました。こうした目的に使われる鳩は伝書バトと呼ばれます。

ローマ帝国では、軍事用の通信手段として広く使われ、以後も戦時の通信手段として重宝され、第二次世界大戦時のイギリス軍は約50万羽の軍用鳩を飼っていたといいます。紀元前約5000年のシュメールの粘土板にも伝書バトに関する記録があるほか、紀元前約3000年のエジプトの文書にも、漁師が漁の成果を知らせるために鳩を利用したと書かれています。

ただ、このころのエジプトでは、鳩だけでなく、様々な鳥で通信することが試みられていたようです。他にどんな鳥が試されていたかまでは記録に残っていませんが、鳩ほど巣へ戻ってくる本能が強いものは他にはいなかったようです。また、数ある鳩のなかでもカワラバトが一番人に馴れて飼いやすく、また飛翔能力、帰巣本能ともに優れていました。

これは、我々も公園でよくみかけるポッポポッポと鳴くあの鳩です。ユーラシア大陸、ヨーロッパを中心に世界的に分布し、日本でも北海道を含む全土で普通に見ることができます。

日本のカワラバトは飛鳥時代には既に渡来していたようです。ただ伝書鳩として使われるようになるのは江戸時代になってからであり、それも輸入されたものが最初のものだったようです。おそらくはオランダの東インド会社あたりが持ち込んだものだったでしょう。

伝書バトを飼育するための技術もこの頃に導入され、以後、京阪神地方を中心に商業用の連絡に使われるようになりました。大坂~大津間の米取引においては、大津の米商は伝書バトによって大坂の米価の情報得ていたようで、商人同士でその速さを競っていたといいます。

日本で普及したきっかけは戦争です。日清戦争や日露戦争では軍事連絡用に主に中国大陸の拠点間での連絡用に使われました。このころから、国産のカワラバトだけでなく、様々な系統の伝書鳩が欧米から輸入され、飼育されるようになりました。

当初、200km以内の伝令や偵察に使われ、のちには、医療用・畜産用等の通信ならび運搬手段として重宝がられました。電気が必要なく、フィルムや薬品・血清・家畜の精子等、軽量な物資を素早く運搬できるなど、無線通信などに比べて多くの利点もあります

民間でも報道用・趣味としても飼育が増え、明治26(1983)年に軍用鳩を払い下げられたものを東京朝日新聞が初めて報道で使用し、2年後に本格運用されるようになりました。このころ新聞各社は有楽町に集中しており、各社の屋上には鳩小屋が作られていたそうです。

その後の第二次大戦中には、食糧難から食用として使われたため民間の飼育量は激減しましたが、軍事用としての伝書バトは大事にされていたようです。戦後になると民間での飼育がブームとなり、とくに若年層の間で人気を呼びました。1964年の東京オリンピックの開会式での放鳩行事の影響もあり、5年後には年間の脚環登録羽数は400万羽に達しました。

とくに人々が熱狂したのが、伝書鳩レースです。1978年から1980年にかけて漫画雑誌「週刊少年チャンピオン」で連載された「レース鳩0777」もそのブームに拍車をかけました。そのあらすじを簡単に書いておきましょう。

ある日主人公の少年が空から落ちてきた一羽の鳩を拾います。「0666」という文字が刻まれた足輪をつけたそれはただの鳩ではなく、レース鳩界の権威である一人の老人が飼っている名鳩グレート・ピジョン号でした。病気にかかり弱っていたグレートを少年は必死に介抱し、その結果一命をとりとめた鳩を少年は飼い主の元に戻します。

老人はそのお礼にとグレートの子供を少年に与えますが、この鳥の足環番号が78-0777・Bであったことから、少年はこの鳩を「アラシ」と命名しました。花札を使った賭け事のことを「おいちょかぶ」といい、このゲームでは3枚の数字がすべて同じ場合、これをアラシと呼び、無条件で勝ちとなります。「アラシ」の名はこれにちなんだものです。

少年は、アラシ号と共にレースに参加し、様々な出来事や出会いを通してひとりの鳩レーサーとして心身共に成長していく、というのがこの漫画のストーリーです。高度成長時代も一段落したこの頃、新たな趣味を求めていた人々は飼鳩をテーマとするこの話に熱狂しました。



ただ、伝書バトはこれ以前の1965年頃には既に報道では使われなくなっていました。交通の発達や電話や電信の技術が進み、その必要がなくなったためです。この漫画が流行った頃にも既に実際に通信や物資の運搬に使われることは稀でした。

その後もレース用の飼鳩だけは残り、現在でも頻繁に鳩レースが行われています。日本鳩レース協会という社団法人があり、各地で色々なジャンルの鳩レースを主催しています。そのうちの地区ナショナル・レースは、全国60地区ごとに距離600km以上で行われており、1地区で約1万羽の参加鳩があるところもあって、人気レースのひとつです。

また、競馬と同じように、菊花賞レースというのもあり、これは毎年秋に行われる若鳩レースで、その年度の若鳩日本一を決めます。レースは協会傘下の団体ごとに距離300km以上で行われ、全国最高分の速鳩に優勝杯が授与されます。

しかし、1970年代の往時に比べると、飼鳩を行う人はかなり少なくなっているようです。伝書鳩レースの開催回数も漸減傾向にあります。その原因はブームが下り坂になったためばかりではなく、動物愛護の観点や環境保護の観点からのようです。

さらに、鳩レースの平均帰還率が近年、低下傾向を辿るようになったためともいわれています。数千羽規模の登録レースでも、最終レースを待たず全滅することが各地で頻発しており、イギリスでは帰還率が5割を切ったというレースもあったそうです。

その原因は解明されていません。猛禽類の増殖、地球の自転速度の減少と地磁気減衰の影響、携帯電話の電磁波影響などの説がありますが、どれが本命かは確かめられていません。

ただ、地磁気の減衰の影響が最も大きいのでは、ということが言われているようです。鳩はその体内には磁気コンパスがそなわっておりそれを用いて旅をしているらしいとは以前から言われていました。磁場で方位を感じ取る能力がある渡り鳥と同じです。

1988年6月、フランスからイギリスへ向けて行われた国際伝書鳩レースでも、大量の鳩が未帰還に終わりました。このレースは、たまたま強い磁気嵐が起きている日に行われてしまったといい、放たれた5000羽の鳩のうち、2日後のレース終了までにゴールに到着したのはわずか5%程度という、稀に見る悲惨な結果になってしまいました。

この事件をきっかけに鳩の帰巣能力と鳩の磁気との関係を検証するいくつもの実験が行われるようになり、鳩が帰巣のために磁気コンパスを用いていることが証明されました。

地球の磁場は、概ね磁気双極子です。つまり、北極部がS極、南極部がN極に相当し、地球の中心に南北に置かれた棒磁石とみなすことができます。そしてそれぞれを北磁極と南磁極と呼びます。こうした磁場は、地球を磁石とみなしているため「地磁気」とも呼びます。

地磁気は常に一定ではなく、絶え間なく変化しています。そうした変化のうち、一日周期の変化を日変化と呼び、一日周期で数十 nT (ナノテスラ)程度の変化が見られます。地磁気の大きさの単位はテスラ(T)ですが、通常、地球の磁場はとても弱いので、1億分の1テスラであるナノテスラが使われます。

日変化は地球で発生している磁場の影響を受けて起こります。これは地球内部のマグマの活動による地磁気の変化や永年変化によるものですが、地磁気は年々弱くなっており、ここ 100 年で約 6% 弱くなりました。結果として日変化も小さくなっています。

長い地球の歴史ではこれ以上の磁場変化もあり、この程度の磁場変動はそれほど珍しいものではありません。また、我々人間に影響を与えるほど大きなものでもありません。ただ、鳩の帰巣本能に地磁気の減少と日変化の縮小が大きな影響を与えている可能性があり、これが最近の鳩レースでの帰還率が落ち込んでいる理由とされているわけです。

一方、磁場は太陽が出す放射エネルギー、「太陽放射」の影響を受けており、地球上の磁場は時に場所に激しく乱高下します。太陽表面における爆発現象は太陽フレアと呼ばれ、小規模なものは1日3回ほど起きていますが、ときどき巨大なものが起こり、このとき地球上では地磁気が大きく乱れる「磁気嵐」が発生します。

これは数秒で収まることもあれば、数日のスケールで続く場合もありますが、典型的な磁気嵐では地磁気は数時間から1日程度の時間をかけて減少し、その後数日かけて徐々にもとの強さまで回復していくという過程をとります。

磁気嵐に伴う地上の磁場変化は通常時の1000分の1程度ですが、大規模な磁気嵐のときは通常時の100分の1程度にまでなることがあります。こうした激しい磁気嵐が起こる場合、同時に激しいオーロラ嵐も一緒に発生することも多く、その場合、高緯度地域ではその効果による激しい磁場の変化が観測されます。

このような大きな磁場変化は地上の送電線などに誘導電流を作るので、人々の生活にも大きな影響を与えます。例えば1989年3月13日に起きた磁気嵐はカナダのケベック州で大停電を起こすなどの被害をもたらしたほか、米国の気象衛星の通信が止まるなど、北米各国の社会インフラに深刻な影響を与えました。

この一週間前の3月6日には、X15クラスの巨大フレアが発生していました。太陽のフレアの大きさはX6からX28までに分類されており、X15は上から6番目に大きなフレアで、最大級のものです。さらに4日前の3月9日には、太陽活動に伴い、太陽から惑星間空間内へ突発的にプラズマの塊が放出される大規模な「コロナ質量放出」が発生しました。

3月13日の午前2時44分、このころ既に深刻な磁気嵐に襲われていた地球では、さらに極域で非常に強いオーロラが発生しました。このオーロラは、いつもはオーロラなど観測されないアメリカのテキサス州やフロリダ州などの南方でも観測されたほどです。

この時はまだ冷戦の最中であり、多くの人々がこのオーロラを見て、核攻撃が始まったのかと心配しました。また同日の午前、地球周回上にあったスペースシャトル、ディスカバリーが、追跡データ通信衛星を放出しており、これが原因と考えた人も多かったようです。

この激しいオーロラの発生は短波長域での電波障害を引き起こし、さらには、短波、AM、FMにより28の言語でヨーロッパに放送を流していた「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」やソビエト連邦へのラジオ放送の放送断絶も起こしました。

ヨーロッパの人々は初め、ラジオ電波がソビエト政府によって妨害されたと考えましたが、やがてそれだけでは説明のつかない現象が続いていきます。夜になり、電離層では西から東に荷電粒子の河が流れ、同時に地中の至る所にも強い電流が流れました。その結果、極軌道上のいくつかの衛星では、何時間にもわたってコントロールが失われました。

アメリカでは、気象衛星であるGOESとの通信が断絶し、貴重な気象データが失われました。またスペースシャトル・ディスカバリーによって放出されたばかりのデータ中継衛星TDRS-1でも、荷電粒子により、250以上もの電子部品の異常を起こしました。

地磁気の変動は、さらにカナダ・ケベック州の電力公社、ハイドロ・ケベック社の電力網のブレーカーを落としました。同社は長大な送電線網をケベック州に敷設しており、同州の北部のほとんどが楯を伏せたような緩やかな台地「カナダ楯状地(ケベックシールド)」であったため、電流が地中に流れることを妨げました。

その結果、行き先を失った電流は、より抵抗の低いその周辺の送電線に流れ込みました。これにより、ケベック州の西側に位置するジェームズ湾に沿った送電網は、90秒以内に非接続状態になり、これが原因となってケベック州内に大停電を引き起こしました。電源消失は9時間に及び、電力公社はその復旧のために夜を徹しての対応を迫られました。



このように、大規模な磁気嵐が発生すると、通信のみならず電気、電子機器などの設備において著しい障害が出るほか交通にも影響が出ます。2012年の1月に起きた磁気嵐では、ナビゲーションシステムに使用される高周波無線通信に影響を与える可能性があるため、米デルタ航空が北極付近を通る航空機のルート変更を行うなどの処置がとられました。

現代社会において、こうした電気、電子機器は生活していく上で必要不可欠なものです。世界中で普及するインターネットやコンピュータもまたその機能を失ってしまう可能性があることから、その影響を未然に防ぐために各国が磁気嵐を予測する研究を進めています。

アメリカでは、National Space Weather Program(国立宇宙天気プログラム)という計画が2000年からスタートし、2012年からは、実際に「宇宙天気予報」が出されています。

具体的には、太陽フレアの発生による磁気嵐を予測し、宇宙開発機関などに流して電子機器等の保護を促したり、人工衛星や探査機の軌道変更を促したりしています。また、宇宙飛行による人体への影響や航空機への影響を予測し、地上においても磁気異常による方位誘導装置(ジャイロコンパス)への影響などを警告したりしています。

すでに各種のサービス機関や商業セクターが登場しており、「宇宙天気プロバイダー」の名称が確立しようとしています。宇宙天気データモデルの開発が進み、その派生製品やサービスの配布を提供する小規模な会社や大企業内の小さな部門の設立が相次いでおり、かつて日本で天気予報の商業化が許可されたときと同じようなブームが起こりつつあります。

日本ではまだ研究が始まったばかりですが、総務省所管の国立研究開発法人、情報通信研究機構 (NICT) の傘下に、「宇宙天気情報センター」が設立され、1988年(昭和63年)から情報提供が開始されました。2004年(平成16年)以降は、公式ウェブサイト上で公表されています(https://swc.nict.go.jp/)。いずれ日本でも産業化が進んでいくでしょう。

2010年6月、NASAは「太陽活動の極大期を迎える2013年5月頃に大きな磁気嵐が発生する可能性がある」という見解を発表しました。実際、同年5月中旬には最大Xクラスの太陽フレアが2日間で4回発生しましたが、活発な黒点群が地球の正面側を向いていなかったことが幸いして特に被害などは出ませんでした。

その後の経過研究から、近年ではおよそ11年周期で太陽活動が活発になる傾向にあることがわかっており、最近一番活発だったのは、2007~2009年にかけてでした。11年後は昨年の2020年であり、もうそろそろ次の大磁気嵐が起こっても不思議ではありません。

終の棲家は、こうした磁気嵐の影響を受けないところにしたいものです。しかし、地球に住んでいる以上そんな場所はなさそうです。

住み場所を転々とする人のことを「落ち着かない者」という意味をこめて「渡り鳥」と呼ぶことがあります。私は過去に19回引越しをしており、今度さらに引っ越せば20回目となります。まさに渡り鳥です。

渡り鳥をやめ、今度落ち着く先では、磁気嵐が起きても生活に支障をきたさないようにしたいものです。電気・電子機器を一切使わないアナログで原始的な生活もいいかもしれません。どなたか、そうした暮らしができる良い移住先をお教えいただけませんでしょうか?