神代植物公園

 

神代植物公園の大温室にて

先日、初めて調布市にある、神代植物公園へ行ってきました。20年以上多摩地方に住んでいるにも関わらず、都内で最大とも言われる植物公園に行ったことがないなんて、信じらんなーい、と誰が言ったわけでもないけれど、二人ともバラが好きなので、大きなバラ園もあるということで、初めて出かけて見ることにしたのです。

近くに「ゲゲゲの女房」で有名になった「深大寺」ありますが、「神代」と「深大」とは読みは同じだけど、どういう関係なのかな~ と気になっていたので例によってネットで調べてみました。

・・・すると、深大寺周辺は江戸時代から深大寺村と呼ばれていましたが、明治22年に深大寺村と近隣の佐須村・柴崎村などと合併して神代村が誕生したんだそうです。「深大寺村」で統一すればいいじゃん、と思うけれど、きっと佐須村・柴崎村の人達が、それじゃあ深大寺村の人達だけが住所変わらなくて不公平だ、別の名前にしてくれろ!・・・と言ったかどうかは知りませんが、「深大寺村」が「神代村」になった理由は、きっとそんなところでしょう。

その後、昭和15年東京府(現在の東京都)がこの地に「防空緑地」なるものを計画し、この神代村から名前をとって、「神代緑地」と命名され約71万㎡の土地を買収し開園したんだそうです。しかし、第2次世界大戦後の農地解放で約3/4の土地は農家へ返され、その後昭和36年(1961)に残った土地と再度買収した土地を合わせ、約25万㎡で現在の神代植物公園として開園したとのこと。25万㎡というのがピンとこないので、計算してみると、だいたい東京ドーム5.3杯分くらいみたい。確かに広いわ。

多摩の自宅から車で30分ほどの公園に着いたのは2時前。公園隣りの有料駐車場に車を止めて、早速中へ。入場料は一人500円。けっして高くはないが、もう少し安くてもいいんじゃないの、とも思いましたが、色々財政難の東京都なんだから、寄付と思えばいいか・・・と。
この日は、午後から晴れると言っていたのに、薄曇りでやや日が差す程度。中へ入ると、平日なので、それほど人は多くありませんが、平均年齢・高!というかんじ。若い人もちらほらいるにはいるけれど、私たちよりもさらに年配の人が多いようです。早速、散策を始めましたが、中の広いこと広いこと。さすがに東京都内一の緑地公園です。入口付近には季節は秋ということで、色々な菊の展示が。

菊模様・・・

幻想的な菊も・・・

鉢植えもあれば、寄せ植えもありで、好きな人は好きなんだろうな~ 近隣の町などで行われたコンクールで賞をもらった菊の展示物もあり、なかなかの壮観です。しかし、もとからあまり菊は興味がないので、ざっと見とおしたあとにバラ園へ。こちらも広い広い。全部一斉に咲いたならさぞかし壮観でしょうが、品種によって咲く時期もまちまちなので、一度に一斉に咲くということはないみたい。それにもう11月の中旬なので多くは旬の時期を終わってしまっていました。それでも満開の花も多く、色や形もさることながら、その芳醇な臭いを満喫できました。

おおかた終わっていたけれど、まだまだたくさんのバラが・・・

季節がもう晩秋に迫っているので、その他の花として、ダリヤ以外のめぼしいものはもうあまりありませんでしたが、大温室の中のベゴニア室では色とりどりのベゴニアが花を咲かせていてひときわ印象的でした。また、この時は咲いていませんでしたが、先日、花を咲かせたという巨大な花、ショクダイオオコンニャクもまだ蕾でしたが、巨大な鉢の上に鎮座しておりましたっけ。ニュースで見たけど、これって咲くと臭いんだってねー。

ショクダイオオコンニャクのつぼみ 巨大バナナみたい

初めて訪れた神代植物公園ですが、お目当てのバラが少し終わりかけていたので、少し消化不良の感あり。すぐ近くの深大寺も残念ながら時間切れで見学できず。また、移ろいゆく季節の中で、訪れる機会もあるかもしれませんが、来年静岡へ移住したあとは、なかなか行く機会もないかも。見おさめかもしれない、広い公園を後にしつつ、心は遠い伊豆の空へ向かっていました。

気がつけば師走

 

サーモンピンクの外壁にしてみました

師走になりました・・・というか、師走になってしまいました。

最近、新しい仕事を受け、忙しくなったせいもありますが、伊豆への本引越を前に東京の家の中のものを整理し、少しずつ持ち込もうと考えていて、そのパッキングやらで、なかなかブログも更新できず、一カ月も間を空けてしまいました。

この間、何度かリフォームの立ちあいで修善寺へ行き、先だっては内装工事がほぼ完成したというので、泊りがけででかけてきました。外壁はタエさんのご要望で、サーモンピンクに・・・。やや黄みがかった橙色です。面積の大きい家の外壁は、実際の色よりも明るくみえる、ということなので少し暗めの色にしました。

この日は曇っていたので、写真ではかなり暗めにみえますが、朝日や夕日があたると、きれいなサーモンピンクが映えます。内外装ともきれいに仕上がっていて、リフォームをお願いしたTさんの確かな仕事ぶりに感謝感謝です。今後は修善寺に来るときには、東京の荷物を少しずつ運びこむことにしていたので、この日も本やら布団やらを車一杯に詰め込んで運びこみました。まだテーブルも何もないので、夕食は、広いリビングにホットカーペットを敷いて、近くのスーパーマーケットで買ってきたお惣菜を食べることに。

そして・・・待望の温泉にも入浴!熱いお湯に浸りながら、至福の時をすごしたのは言うまでもありません。特筆すべきは、寝る前に外に出て見上げた夜空。ここ、修善寺は人口も少ないので町灯りも少なく、見上げた夜空の星々はほんとうにくっきりはっきり見えるのです。天体観測もできそう・・・ということでまた新しい楽しみが増えそうです。

 伊豆から東京へ戻る途中、これから伊豆という土地にお世話になるのだから、伊豆一の神社と言われる三嶋大社にお参りしよう、ということで参詣してきました。実はムシャは学生時代の2年間を沼津で過ごしたことがあり、沼津・三島の一帯の土地勘があります。しかし、三嶋大社には一度もお参りに行ったことがなく、初めての参詣です。神社は三島市役所からもほど近くにあり、完全な町中。この日も晴天で神社詣でには最適なお日和。

着物姿の参拝者。めずらしい!けど、何やら格式の高さを感じさせます。

ところで、三嶋大社って、なんで「大社」なんだろう?と、素朴な疑問を抱いたので、ネットで色々調べてみました。すると・・・大社というのは、平安時代に制定された「官国幣社制度」という制度に基づいて、国や地方の宮司から指定された格の高い神社のことを指すということがわかりました。

このほかにも神宮、宮とかあるけれども、「神宮」は天皇が古代から皇室と深いつながりを持つ神社、あるいは天皇を祭神とする神社なのでそうで、「宮」は皇族を祭神とするものが多いとか。一般的な「神社」はそれ以外のもので、その名付け方でもっとも一般的なのは地名。鹿島神宮・八坂神社・春日神などがそれです。また、祭神名を冠するものも多く、稲荷神社・住吉神社・八幡神社といった神社は神様の名前なんですね。

伊豆は、そもそも「伊豆国」として地方の一行政区分として独立した国で、三嶋大社は、その伊豆国の第一宮であり、地方の神社の総代格、「総社」も兼ねていたらしい・・・というようなこともわかりました。源頼朝は、そのお父さんの義朝(よしとも)が平清盛らの平家と敵対して尾張で謀殺されたあと、13歳のとき、罪人として伊豆に流されたそうです。この伊豆流刑時代から三嶋大社を崇敬し、鎌倉幕府成立後も当社を重んじたということです。伊豆に流されたあと20年の歳月を経て、33歳のときに平家打倒のために決起しますが、このあたりのこともまた、詳しく調べてブログに書こうかなと思ってます。頼朝の流刑時代のお話は、来年NHK大河ドラマで放映される「平清盛」でも放映されるかもしれません。こちらも楽しみです。

三島大社の神様は、お二人いらっしゃって、大山祇命(おおやまつみのみこと)、と積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)とのこと。大山祇命は山森農産の守護神、また事代主神は、俗にいう恵比寿様だそうで、福徳の神として商・工・漁業者の崇敬をうけているそうです。これから商売を始める私にとっても守護神となる神さまになるに違いありません。

神社の境内でタエさんの指先に止まったトンボ。彼女は虫と遊ぶのが大好き。

三嶋大社の境内は南北に細長く、入口から神殿までは3~400mくらいはあるでしょうか。長い参道を歩んでいき、タエさんと神殿の前で手を合わせ、この地での幸運と商売繁盛を願いました。そして・・・新しい神社に行った時、我々二人はたいてい、おみくじを引きます。

 

三嶋大社のおみくじはお守り付き

ここのおみくじは、「しあわせ(幸福)みくじ守」といって、おみくじと一緒に小さなお守りが付いてきます。タエさんは大吉、一方の私は小吉。お守りのほうは、私が「銭亀」で、彼女は、「福銭」でした。銭亀は、延命長寿と金運招来、福銭のほうは開運招福と金運隆昌のご利益があるとのこと。二人とも金運がよくなるというご宣託で、お参りした甲斐があったというもの。来年の3月頃に予定している「本引越」に備え、幸先のよいスタートを切ったな、というかんじの一日でした。

境内の中にある池で日向ぼっこ中の亀。銭亀?