ひとつ目のはなし

東京オリンピックは有終の美をもって終わりましたが、もうあと半年も経たないうちに、冬季オリンピックが始まります。

次期の冬季オリンピックは北京で開催されます。2015年7月31日にクアラルンプールで開かれた第128次IOC総会で決定されました。

1次選考を通過した都市は北京のほかにもうひとつ、カザフスタンのアルトマイがありました。事前には北京圧勝の見方もありましたが、結果は44対40と4票の僅差での辛勝となりました。

北京に肉薄したこのアルマトイを現地調査したIOC委員は「壮観な山と素晴らしい会場施設があり、冬季競技への情熱を持っている」と好評価するとともに「大会を成功させる要件を整えている」と述べました。

アルマトイは、オリンピック招致に関して2014年の冬季五輪開催都市にも立候補していましたが、一次選考で落選しています。

しかし、2011年に開催された冬季アジア大会は、首都ヌルスルタンとともにアルトマイで共同開催されたほか、2017年冬季ユニバーシアードの開催地にも選ばれるなど、国を挙げての冬季国際大会の誘致に貢献しています。オリンピックに招致において今回は中国に敗れましたが、将来の奮起を期待したいところです。

このアルマトイという都市はカザフスタンでは最大の都市であり、経済・教育・文化の中心地です。しかし、あまり聞いたことがない人も多いでしょう。

そもそもカザフスタンという国を良く知らないという人も多いのではないでしょうか。正式名は「カザフスタン共和国」で中央アジアに位置する共和制国家です。首都はヌルスルタンですが、もともとはアルマトイが首都で、1997年にここに遷都されました。

ヌルスルタンは美しい町のようです。古くはアスタナと呼ばれた小さな町でしたが、首都となった今、ベルリンを手本とした計画都市として生まれ変わりつつあります。

日本人建築家の黒川紀章の計画に基づいて計画が推進されていますが、未だ建設途上にあります。当初からの黒川さんの計画が今も継続されており、全体像の完成は2030年頃とされています。さながらガウディー設計のサグラダファミリアのようです。

位置的にアフガニスタンは、北をロシア連邦、東に中華人民共和国、南にキルギス、ウズベキスタン、西南をトルクメニスタンにそれぞれ国境を接している内陸国です。ただ、カスピ海、アラル海など海にも面していて、国際貿易港も持っています。

国名は、カザフ人の自称民族名カザク(Qazaq)からきており、これと、ペルシア語で「~の国、~の多いところ」を意味するスタン(-stān/)を合体させたものです。ちなみに、今話題というか問題になっているアフガニスタンも「アフガーン人の国(土地)」を意味します。パキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンも同様です。




かつては隣国のソビエト連邦に併合されていました。現在でも名前を変えたロシア連邦の影響下にあり、ともにユーラシア連合を提唱して経済統合を進めるなど政治・経済両面で密接な関係を持っています。

しかし独立心も旺盛で、ロシア語で使われるキリル文字の廃止を進めるなど、過度のロシア依存は避けています。ロシア、中華人民共和国、ほかの中央アジア諸国とともに上海協力機構(SCO)の創設メンバーであり、またトルコ共和国などを含むテュルク評議会のメンバーでもあります。

欧米諸国や日本を含むアジア諸国とも良好な関係を築いており、特に日本とはソ連時代から交流がありました。しかし活発といえるほどのものはなく、本格的な交流が始まったのは、1991年12月28日の日本の国家承認以後のことです。カザフスタンの独立はこの12日前の12月16日のことでした。

従って両国関係の歴史はかなり浅いといえます。しかし国交があるので互いに大使館を置き合っており、2006年には小泉純一郎首相が、2015年には安倍晋三首相がカザフスタンを訪問しました。

一方、カザフスタン側からは2019年10月に、30年近く大統領を務めたヌルスルタン・ナザルバエフ氏が新天皇の即位の礼出席のために来日するなど交流を深めています。

経済交流としては、特に原子力エネルギー面で協力関係にあります。カザフスタンはウランの有力な産出国であり、一方日本のは複数の原子力発電所を保有する国家であるためです。

2010年に日・カザフスタン原子力協定が締結されたほか、2004年に日・カザフスタン技術協力協定署名、2008年に日・カザフスタン租税条約署名、2014年月には日・カザフスタン投資協定が署名されるなど、21世紀に入って立て続けに経済・技術に関する二国間協定が相次いで結ばれるなど、両国の交流の度合いは着実に深まっています。

ただ、民間人の交流はまだ限られています。2019年時点で、カザフスタンに在留している邦人は171人、在日カザフスタン人は465人にすぎません。国交も結ばれていて特に渡航が禁止されているわけではありませんが、2016年に比較的大きなテロ事件があったためと、まだ十分な観光情報が日本に入ってきていないからでしょう。

日本の外務省の渡航情報も現在のようにコロナウイルスが蔓延する前は「十分注意してください」のレベル1にすぎませんでした(現在は感染症のため渡航中止勧告レベル3)。今後、コロナが終息すれば、これまで着目されてこなかった穴場として脚光を浴びる日がくるかもしれません。





このカザフスタンには古くは「一眼族」が住んでいたという伝承があります。古代ギリシアの学者ヘロドトスやアリステアスらによる歴史書では、イッセドネス人やアリマスポイ人が住んでいたと書かれており、このアリマスポイ人が一つ目の民族一眼族であったとされます。またイッセドネス人は故人の肉を食す民族だったともいいます。

ただおそらくは神話の世界の話に尾ひれを付けた伝承でしょう。ギリシア神話にも一つ目の巨人が描かれておりこれとの関連が考えられます。この巨人、キュクロープスは、優れた鍛冶技術を持つ単眼の怪物です。ギリシア語のキュクローは円・丸の意で、ウプスは眼で、キュクロープスは額の中央に丸い眼が1つだけ付いていることを意味します。

キュクロープスは複数形です。天空神ウーラノスと大地母神ガイアの息子たちがこう呼ばれ、その一人アルゲースは落雷・稲妻、ステロペースは電光・雷光、ブロンテースは雷鳴であって、3兄弟です。いずれも雷に関連する名前であり、雷の精です。

彼らは父神に嫌われ、兄弟族のヘカトンケイル族とともに奈落タルタロスへ落とされました。弟族のティーターン神の1人クロノスが政権を握ったあとも、久しく拘禁されたままでしたが、全能の神ゼウス達によって解放されました。

キュクロープス達はそのお礼にと、ゼウスには雷霆を、ポセイドーンには三叉の銛を、ハーデースには隠れ兜を造りました。以後はヘーパイストスのもとで鍛冶業を続けたといわれます。

日本にもこのキュクロープスと似た神話があります。日本神話に登場する天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)や天津麻羅(アマツマラ)らがそれらです。ともに製鉄と鍛冶の神であってキュクロープスと同じく1つ眼です。同様に、巨人のダイダラボッチも隻眼だと言われます。こちらもたたら製鉄に関連した神に近い存在といわれます。

妖怪の「一本だたら」は天目一箇が凋落した姿とも言われています。一本踏鞴(だたら)とも書き、熊野地方の山中などに棲む一つ目で一本足の姿の妖怪とされます。また和歌山県と奈良県の境の果無山脈に棲む妖怪は、皿のような目を持つ一本足で、12月20日の日のみに現れるといいます。

この日は「果ての二十日」と呼ばれて厄日とされており、果無山脈の果無の由来は「果ての二十日」に人通りが無くなるから、というところからきているようです。

奈良県の伯母ヶ峰山でも同様に、12月20日に山中に入ると一本だたらに遭うという言い伝えがあり、この日は山に入らないよう戒められています。こちらの一本だたらは電柱に目鼻をつけたような姿だそうで、雪の日に宙返りしながら一本足の足跡を残すといいます。想像しただけでぞっとしますが、人間には危害を加えないそうです。

「だたら」はタタラ師からきていると考えられ、これは「鍛冶師」のことです。上で書いたとおり天目一箇神の零落した姿であって、鍛冶師の恰好をした妖怪ということになります。




これ以外にも、世界的にも「製鉄」という事項と隻眼(単眼)が関連づけられた伝承は多いようです。なぜでしょうか?

隻眼とは、文字通り、本来二つあるべき目のうちの片方が失われたか、または存在しない左右非対称な形象であることを意味します。また顔の真ん中に一つだけ目が存在する場合にも使われることがあります。

「隻」という字を使う場合、身体のその他の部分も片方だけしかないことを示すことも多いようです。隻腕などがそれで、それにまつわる伝承も多く、たとえばスコットランドの山の巨人ファハンは隻眼で隻腕、そして一本脚です。

ほかにもアフリカ、中央アジア、東アジア、オセアニア、南北アメリカなど非常に広大な範囲でこうした妖怪伝承があります。しかし隻眼と一本脚の組み合わせが一番多いようです。文化人類学者のロドニー・ニーダムはこれらをまとめて片側人間(unilateral figures)と呼びました。

古代人は、人と神を同一視することも多く、これらは人と神を合体させたものと考えられます。多くの国で人が零落して神もしくは妖怪になったとされる例がみられます。

なぜ隻眼・一本足(あるいは隻腕)なのかについて、それぞれの神話が別々の説明を与えています。たとえば。北欧神話の神オーディンが隻眼なのは、知恵を得るために片目をミーミルの泉に捧げたからです。これは知恵と知識が隠されているとされる聖泉です。

また、日本の民間伝承に登場する片目の神は、何らかのミスによって片方の目が負傷したからという設定になっていることが多いようです。例えば使っていた斧の柄が折れて目にあたったとか、戦いで避けきれなかった矢が当たったとかです。これらは神がもともと人だったことの現れと考えることができます。

なぜ「隻」なのかについては、学術的な観点からもいくつかの説があり、民俗学者の柳田國男さんは、もともと神に捧げるべき生け贄の人間が逃亡しないように片目や片脚を傷つけていたのがやがて神格と同一視されるようになったのでは、と言っています。

一方、同じく民族学者の谷川健一さんは、隻眼の伝承がある地域と古代の鍛冶場の分布が重なることに着目し、鍛冶の仕事で体を悪くした人を妖怪に見立てたのではないかと考えました。たたら場で働く人々は片目で炎を見続けるため、老年になると片方が見えなくなることが多く、またふいごを片方の脚だけで踏み続けると片脚が萎えてしまいます。

このことが、「製鉄」とい「隻眼」の組み合わせが多い理由と考えれば納得がいきます。

世界的にみても鍛冶屋と身障者との組み合わせが多いのは、それだけ鍛冶職人が多かったということでもあります。鍛冶で作られるものといえば農機具や武器が代表的なものであり、これらの伝承がある国ではそうした産業が盛んだったためと考えることができます。

ただ、こうした伝承で隻眼と一本足が共通するというのはあくまで偶然であって、「身体の完全性の欠如」に要因を求めるべきだとする説もあります。つまり、ただ単に体の不自由な身体障碍者と神をむすびつけて考えるようになったのではないかというわけです。





更には、こうした隻眼や一脚といった形象は鍛冶作業などによる身体障害などは関係なく、雨乞いや風、火などの自然現象に関係して発生したと指摘する学者もいます。

ウィーン大学で日本と中国の民族学・宗教学を学び、「日本学」の権威と呼ばれるようになったネリー・ナウマンは、ユーラシア大陸の様々な文化やアステカ神話に見られる隻眼・一本脚の形象を検討しました。

その結果、これらの伝承の起源が少なくとも金属器時代以前にさかのぼるものであると指摘しました。つまりは刀や農具を鍛える鍛冶という技術が登場する以前から人は一つ目や片足の妖怪が自然の中から現れてきたものと考える風習があったということになります。

古典学者アーサー・バーナード・クックは、それが太陽の象徴であるとしています。なるほど太陽も「独り者」であるわけであり、同様の思考で、男根が形を変えたものと考える民族学者もいます。男性しか持たないこれもひとつしかなく、「一物」とはよく言ったものです。

それにしても「片側人間」と呼ばれる異形の分布は、古今を問わずあまりにも世界的にみられることから、これは人間の心理における一つの「元型」と考えるべきではないか、とする学者もいます。

「元型」とはなんでしょう。英語では archetype(アーキタイプ) といい、これは有名な心理学者、カール・グスタフ・ユングが提唱した概念です。

ユングはこれを、夜見る夢のイメージや象徴を生み出す源となる存在だとし、しばしば人の心に作用すると考えました。元型の説明としては、通常、「作用像」が使用され、これはパターン化された「イメージ」または「像」のことです。

例えば、男性の心に「アニマ」のイメージが浮かぶ場合、その男性は夢に美しく魅力的な「乙女」の姿を見たり、魅惑されたりします。アニマはラテン語で、もともとは生命や魂を指す語ですが、ユングはこれを男性が持つ全ての女性的な心理学的性質と定義しました。

アニマに魅了されると、これまでは、まったく意識していなかった少女とか女性の写真や絵画、ときに実在の女性に、急に引き寄せられ魅惑されるなどといったことがおこります。

少女や乙女や女性の像・イメージが、男性の心のなかで大きな意味を持って来きますが、これは例えば少年漫画ばかり読んでいた少年が、ある日を境に少女漫画のあるヒロインに魅了されるようになる、といったようなことです。このようにして夢想されるようになった少女や女性のイメージ・像は、「アニマの像」と呼ばれます。

一方、アニマは男性が持つ女性的な元型ですが、同じものが女性にもあります。こちらは「アニムス」といいます。女性の心のなかにある理性的要素の元型で、しばしば男性のイメージとして認識されます。女性の場合は宝塚歌劇団の男役をイメージするとわかりやすいでしょう。

アニマとアニマスは対比してよく使われます。英語ではanimus と animaと書き、前者は「理性としての魂」、後者は「生命としての魂」の意味があり、ユングはこの言葉の違いから二つの元型を思いついたようです。男性は理性でもってものを考え、女性は生命を基本としてものを考える、と言われるゆえんでもあります。

同様の対比として「太母」と「老賢者」というものがあります。太母は、すべてを受容し包容する大地の母としての生命的原理を表し、老賢者は理性的な智慧の原理を持つ父性を表します。

そして、それぞれの異性が、自分に持っていない男性的な元型、女性的な元型を求めているのがこの世界といえるのかもしれません。

ただ、こうした「元型の像」は、男女のように対比できるものとは限りません。単に先の尖った峻厳とした高峰を「元型」として心に描く人もおり、あるいは、空を羽ばたいて飛ぶ大鷲のイメージを元型とする人もいます。

「太母」もまた単独で使われ、「グレートマザー」として地面に開いた、底知れぬ割れ目や谷、あるいは奥深く巨大な洞窟としてイメージ化されることがあります。上の単眼や一本足もまた体の悪い人たちを印象的に感じる気持ちが強くなった末に生まれた残像と考えることができます。

これ以外にも元型は多数あります。

一番わかりやすいのがヒーロー、すなわち英雄であり、神話の世界のみならず数多くの伝説や伝承の中で扱われているほか、映画や小説といった文化的な創造物の中にも数多くの英雄伝説が存在します。

あまりよく知られていませんが、トリックスターというのもあります。神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者のことで、主人公として扱われやすいヒーローやヒロインとは違い、どちらかといえば脇役です。往々にしていたずら好きとして描かれ、善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴です。

ギリシャ神話では、ゼウスの反対を押し切り、天界の火を盗んで人類に与えた存在として知られるプロメーテウスなどがその代表例といえます。孫悟空もトリックスターといわれます。中国では民間信仰のなかで最も活躍する英雄の一人ですが、「愚者」の一面を持っていることからそうであるとされます。

愚者といえば、占いに使うタロットカードに出てくる「愚者」もトリックスターのひとつです。正位置では自由、型にはまらない、無邪気、純粋、天真爛漫、可能性、発想力、天才を意味し、逆位置の意味は軽率、わがまま、落ちこぼれ、ネガティブ、イライラ、焦り、意気消沈、注意欠陥多動性を表します。

トリックスターは、時に悪意や怒りや憎しみを持って行動したり、盗みやいたずらを行いますが、最終的には良い結末を迎える、いうのが多くの物語に見られる往々のパターンです。抜け目ないキャラクターとして描かれることもあれば、乱暴者や愚か者として描かれる場合もあり、両方の性格を併せ持つ者もあります。

文化的に重要な役割を果たしているとき、例えば上のプロメーテウスのように火を盗むといった神聖な役割のときでさえ、おどけてみせたりもします。文化英雄であると同時に既存概念や社会規範の破壊者であり、あるいは賢者であるものの悪しき要素を持つなど、一面的な定型に納まらない存在といえます。

日本ではスサノオがトリックスターの代表例といえるでしょうか。日本神話に登場する男神のことで、「スサ」は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説や、「進む」と同根で勢いのままに事を行うの意とする説、出雲西部の神戸川中流にある須佐郷の族長を神格化したものとする説があります。

スサノオは多彩な性格を有しています。母の国へ行きたいと言って泣き叫ぶ子供のような一面があるかと思えば、高天原では凶暴な一面を見せたり、出雲へ降りると一転して英雄的な性格となります。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治をしたのもスサノオで、優秀な産鉄民を平定した象徴と見る一方、その時用いた草薙剣がその象徴であるとの解釈もあります。日本で初めて和歌を詠んだという伝承もあり木の用途を定めたとも言われるなど文化英雄的な側面もあります。

こういう一見、破天荒ではありますが、型破りでいかにもブレークスルーを行ってくれそうな人間像は人気があります。バッドマンやジョーカーといった悪役を自分自身のヒーローと考え、心のよりどころにしている人も多いのではないでしょうか。

何に元型を求め、それを拠り所にするかは、ひとそれぞれですが、それによって人の内面には膨大な心的エネルギーを蓄えられるといわれます。時には、自分が非常に大きな力・権力を持ち、偉大な存在であると錯覚することもあります。つまりは自分を神や仏と考える、といったことでこれを「自我インフレーション」と言うそうです。

自分こそは、世界を変革する英雄であり、偉大な指導者であるなどの妄想的な錯覚が生じることがあるとのことで、ヒトラーや麻原彰晃といった人物がそうだったのかもしれません。

頭の中だけでもいい、歴史的な大人物になってみたい?そういう方はぜひあなた自身の強い元型をみつけてみてください。