変化を受け入れる

月末にまたホテルを移動するという。

何の意味があるのか、まったく理解できないが、この事業をけん引するひとたちが決めたことである。

経費削減のため、というもっともらしい理由をつけているが、主が良いところに住めと言っているのに、わざわざあばら家に移り住むようなものである。

リーダーの資質に疑問を感じざるを得ない。

意見をさしはさむこともできなくはないが、私が手を下さなくても、それが間違った選択であるならいずれ彼らにも鉄槌が下るだろう。

むしろ、こうした流れなのだと、受け止める気持ちになっている。

変化を受け止めるということと、諦めるということは違う。

後者は消極的な運命の受容であるのに対し、前者には積極性が認められる。

これから起こることに、すすんで関与しようという意思がうかがわれて潔い。

かりにそれが悪い変化だと思えたとしても、それが自分を向上させてくれると信じている。

災い転じて福となす、ということわざがあるが、マイナスな部分をあえてプラスと考えて勝ちを取りに行こうという意気込みを感じさせる。

対して、諦めるというのは敗北である。

おおきなもの、強いものに巻かれて、それに屈服することで、何とか生き延びようとする弱いこころの表れだ。

たいていは、諦めたあとに、苦い後悔の思いが残る。

自分に負けたと感じ、大なり小なりそのふがいなさを責める。

一度や二度ならばまだよいが、それが重なり合っていくと、やがて自分を見失うことにもつながる。

自分という人間に価値を見いだせないということであり、つまりは自分を愛していない、ということでもある。

あえて変化を受け止めるという姿勢は、これとは違う。

さらに自分を向上させようとする自己愛からくるものである。

新たな変化に対応させ、さらに魂の成長を促そうとするハイヤーセルフの意思がそこにうかがえる。

厳しい条件に自らをさらして鍛え、さらに高いハードルを目指すことで、強い意志が形成される。

そのことでさらに成長できるのだよ、と言っているのである。

つまり、変化を受容できるかどうかというか課題の中には、自分を愛せるか否か、という大きな命題が隠れているわけだ。

変化を受け入れる=自分を信じる  諦める=信じていない ということになる。

であるからして、今回の移動もあえて受け入れようと思う。

もしかしたら新しい出会いがあるかもしれない。

それは人とは限らず、何か新しい風景かもしれないし、もっと別のものかもしれない。

過度の期待はしなくていい。

一方では悪いことも起こるかもしれないが、、なにごとにつけても、否定的に受け止めないことが肝要だ。

起こることにはすべからく意味がある。そう思えるほどに変化に対しての受容ができるようになりたいものである。

帰国後にはさらに大きな変化が待ち受けているであろう。

新たな出会いやシチュエーションだけでなく、さらに難しい仕事に直面する、といったこともあるかもしれない。

それはそれでステージが上がることになり、さらに生きにくくなる可能性もある。

しかし、その中に大きな飛躍が待っている、と信じたい。

良い晩年だった。

すべてを受け止めることができれば、きっとそう思えるようになるに違いない。