バタフライエフェクト

日々、静かに時が流れてゆく。

天気の良い日も続いていて、何事も平穏だ。

しかしここまで無風だと、逆になんだか怖い。

堕落してしまわないだろうか、と不安な気分にもなる。

大丈夫、何も起こらない、と自分に言い聞かせるのだが、やはり心配になる。

これまでの人生でも、こうした時には突発的に何かが起こってきた。

どちらかといえば悪いことが多かったような気がする。

 ・・・

そう思ってしまうから不安な気持ちになるのだろう。

何か起こるとしてもいいことばかりだ、と思えるようになりたい。

実際にもそうであってほしい。

しかし、まったく波風が起きないということはありえない。

平安な生活を乱されたくはない、と思う気持ちはあたりまえだが、そうもいかない。

それが人生というものなのかもしれない。良しにつけ悪しにつけ何かが起こる。

実はそれを引き起こしているのは自分だ。

日々、何もしていないつもりでも、生きていることこそが小さなインパクトである。

どんなに小さな存在であっても、何かを始めれば、それが波紋となってどんどんと広がっていく。

バタフライエフェクトというやつだ。

自分の存在がこの世界の一部であることは間違いない。。

私だけでなく、人類全体、もしかしたら地球外に住まうすべての住人がそれを創っている。

肉体だけではない。思考もまたパワーを持っていて影響を与える。

思考はエネルギーだという説がある。

何か考えるだけでその波動が周囲に及んでいく。

ネガティブな思考ならば、周囲も暗くなる。

ポジティブなら、空気がきれいになる。

宇宙はそうした思考エネルギーで満たされている。

だから、悪いエネルギーを発すれば、やがてそれはめぐりめぐって自分に帰ってくる。

より良い世界で生きていたいと思うならば、ネガティブなことを考えるのはやめるべきだ。

これからはいいことばかりが起こる、という前向きな姿勢が自分の棲む世界を浄化する。

ほんの少しだけでもいい。プラスのエネルギーを発すれば、かならずプラスになって帰ってくる。

やがて、いいことばかりの循環が起こるようになるだろう。

だから、不安になるのはやめよう。

楽しいことばかりを考えて過ごそう。

さすれば平凡な日々もまた楽園になる。

常にポジティブシンキング。

そこに人生の極意があるように思う。



海恋し

松が取れ、三連休も終わって、仕事はじめとなった。

と、はいえ毎日勤めがあるわけではない。

日々、自己完結の中での暮らしであって、責任はすべて己に帰する。

その中で自分を律し、何をかやを成し遂げる、というのが理想だ。

人に邪魔されたり、何かを強制されるという心配はほぼない。好きなことをやればいい。

しかし、それをやっていて飽きずに楽しいというものはなかなかない。

早くそれをみつけなければ、と思っているうちにどんどんと月日は流れていく。

老後とは、あるいはそういものなのかもしれない。

多くの人がそれを見つけられないまま死んでゆく。

父もそうだったかもしれない。

彼の場合、過去への憧憬がその晩年のテーマだったようだ。

満州という、自分が生まれ育った土地への郷愁を募らせることが日課であり、それを生きがいにしていた。

ひとそれぞれだ。しかし、ノスタルジーにはおおむね進歩性がない。

私はそれはしたくない。

過去ではなく未来を見据え、何かに挑戦し続ける晩年でありたいと思う。

ただ、そのためにはエネルギーが要る。

何をテーマに選ぶかもさることながら、それをやり続けるための源泉が必要だ。

なんだろうかと考えるに、そのひとつが健康であるということだけは間違いない。

生き続けて、事を成すためには健全な肉体を維持し続けることが最も重要だ。

ほかには何が必要だろうか。

お金とか食べ物とか人間関係とかいろいろあるだろうが、私的には美しいものをいつも眺めていたい、ということがある。

花鳥風月は人の心を豊にする。美しい景色は創作意欲を掻き立て、年齢を忘れさせてくれる。

そうした意味ではこの地は恵まれている。

目の前にそびえる富士は美しいし、麓を流れる狩野川は心を癒してくれる。

少し車を走らせれば、静かに時を過ごすことができる里山がそこにある。

ただ、海が身近にないのが残念だ。

物心ついたころから、海が自分の人生の一部のように感じていた。

それをテーマにした学校を選び、学び舎のそばにはいつも海があった。

結婚式もしかり。海上神殿ともいえる島で新たな人生のスタートを切ることができた。海がこの人生の象徴であることの証だった。

その海から遠ざかってから長い。

東京で20年、伊豆で10年、人生の半分を陸や山の中で暮らしてきた。

もうそろそろいいだろう。

自分へ回帰したい。

健康でいて、海のそばで過ごす。そこでやりたいことをやる。

何をやるかは、そこへ住むようになってから決めるでもよかろう。

今年は、ぜがひでもそのための手がかりをつかみたい。

西へ。

そこから何かが始まるに違いない。