今日は、なぜか「かにの日」だそうです。
五十音順で「か」の文字が6番目、「に」の文字が22番目に登場するため、今日6月22日をカニの日にしたのだとか。また、星占いでも、この日から「かに座」の誕生月とされており、ダブルの理由でそう決めたようです。
誰がそんなもん勝手に決めたんじゃ、ということですが、これは大阪の「かに道楽」という料理屋さんです。道頓堀にあり、看板のどデカイ蟹のオブジェで有名です。2003年の阪神タイガースが優勝した時、この道頓堀店舗の巨大カニに暴徒化したファンがよじ登り、目玉をもぎ取られて阪神タイガースの旗が刺される、という事件もありました。
また、店頭の巨大なカニの使用権を、「かに将軍グループ」(株・かに将軍)と裁判で争い、勝訴したことがあるなど、この巨大ガニはこれまでも何かと話題になることが多いブツです。この巨大なカニの足を、中にいる人が自転車を漕いで動かしているという、まことしやかな都市伝説もあります。
上述のとおり、1990年に毎年6月22日を「かにの日」と制定してからは、同社では毎年6月には「かにの日月間」と銘打ったキャンペーンを行っています。今年は、関西、浜松限定ですが、「カニの箱寿司」半額販売をやるそうです。ただし、今日から3日間だけです。関西、浜松にお住まいの方は急ぎましょう。
私も行きたいところですが、今から浜松に行くのはちょっとしんどいかな……このブログをかに道楽さんが読んでいたら、これだけ宣伝しているのだから、一折送ってもらえないでしょうか…
このかに道楽さんの看板になっているカニは何だろう、と知らべてみましたが、どうやらズワイガニのようです。山口県以北の日本海と、茨城県以北からカナダまでの北太平洋、オホーツク海、ベーリング海に広く分布する種で、おもな生息域は水深200~600メートルほどの深海です。
冬の味覚の王様といわれるほど人気が高い食材であり、関西地方では、旅行代理店などが温泉地と結びつけたツアーを商品として扱っています。北海道・北近畿・北陸・山陰にはズワイガニ需要によって発展した温泉地も多いようです。
また、ズワイガニと同じく人気があるのがタラバガニであり、こちらも日本海、オホーツク海、ベーリング海を含む北太平洋の水深30~350m程度の砂泥底で獲れます。駿河湾や徳島県沖の水深約850~1,100mの深海で捕獲されたという記録もあります。
かつての、いわゆる「蟹工船」が対象としていたカニであり、漁獲したものを海上で缶詰に加工していた時代がありました。しかし、乱獲によって生息数が減少しており、日本ではオスについては規制がありませんが、メスの採捕が禁止されています。ただし、販売についての規制は特になく、ロシアからの輸入品が「子持ちタラバ」として流通しています。
このタラバガニによく似たものに、「アブラガニ」というのがあります。日本海、オホーツク海、ベーリング海沿岸域に分布し、タラバガニと同様に食用のために漁獲されますが、味はタラバガニよりやや劣るようです。
形もタラバガニとよく似ていることからしばしば混同されることもありますが、日本ではこのアブラガニを「タラバガニ」と表示して販売することは禁止されています。ところが、以前、といっても10年ほど前になりますが、札幌の二条市場で偽装販売が発覚したのに続き、広島のそごう百貨店でも偽装表示があったとして摘発がなされました。
このそごう広島店では、初夏の「北海道物産展」の折り込みチラシに、「日替わりご奉仕品」があたかもタラバガニであるかのように表示していましたが、実際にはアブラガニであった事実が発覚し、同社に加え、この商品に関わった流通業者ら3社に排除命令がでました。
これらの一連の報道をきっかけに、アブラガニの存在が広く知られるところとりました。これらの度重なる報道により逆に知名度が向上したためで、このため最近は値段も相応に安くなり、消費者による指名買いも増えているといいます。
このほか、日本近海の深い海で採れるカニには、タカアシガニがおり、生息域は岩手県沖から九州までの太平洋岸で、東シナ海、駿河湾、土佐湾です。こちらも水深150~800mほどの深海砂泥底に生息しますが、ズワイガニよりはやや浅い水深200-300mで獲れます。
こちらは、大きなオスが脚を広げると3mを超えるほどの大型のカニで、甲羅も最大で40cmほどもあるものもある世界最大のカニです。上のズワイガニが脚を広げたオスが70cmほどで、甲羅は14cmほどですから、3倍以上の大きさです。
ただ、何でもそうですが、こうした大きいものは大味であり、タカアシガニも肉が水っぽく大味と評価されがちです。それゆえ大正初期の頃から底引き網漁でタカアシガニが水揚げされるも見向きもされていませんでした。
しかし、最近ではこれが採れる駿河湾などでは地元の名物料理の一つになっています。巷説では、1960年(昭和35年)に、西伊豆の戸田村の地元旅館主人が「タカアシガニ料理」を始めたとされているようです。
戸田港から出た小型底引き網(トロール網)漁船が捕獲して持ち帰り、塩茹でや蒸しガニ等にしたものが、港のあちこちにある食堂で食べることができます。私はまだ試したことはありませんが、この間テレビで見たときは、一ぱいが3000円くらいでした。地元で採れたものであるから安いとは限らず、やはり結構高級な食材であるには違いありません。
このカニ、というヤツですが、このタカアシガニや熱帯から極地まで、世界中の海に様々な種類が生息し、一部は沿岸域の陸上や淡水域にも生息します。
砂浜や干潟に生息するシオマネキや、岩礁帯によくいる、イソガニ、イワガニなどは身近な存在であり、海水浴に行くとたいていこれらのカニに出くわします。ちょっかいを出して、ハサミに指を挟まれ、痛い思いをした人も多いでしょう。これらの種類はあまり食には適しませんが、イソガニやイワガニなどはスープのダシに使うことがあります。
このほか、淡水域にいるカニの代表選手が、サワガニやモクズガニです。このうち、「沢蟹」は日本固有種で、青森県からトカラ列島までの広い範囲に分布しています。脚を含めた成蟹の幅は50~70mmほどで、体色は甲が黒褐色・脚が朱色のものが多いものの、青白いものや紫がかったものなども見られ、これらの体色は地域によって異なります。
和名どおり水がきれいな渓流・小川に多いので、水質が綺麗な水の指標生物ともなっています。同じく川に生息するモクズガニなどは幼生期を海で過ごさないと成長できませんが、サワガニの一生は川で生まれて川で終わります。
石の下に潜み、夜になると動きだしますが、雨の日などは日中でも行動します。また、雨の日には川から離れて出歩き、川近くの森林や路上にいることもあります。活動期は春から秋までで、冬は川の近くの岩陰などで冬眠します。食性は雑食性で、藻類や水生昆虫、陸生昆虫類、カタツムリ、ミミズなど何でも食べます。
海のカニと同様に、丸ごと唐揚げや佃煮にしてよく食べられます。和食の皿の彩りや酒肴などに用いられるため需要が多く、養殖もされています。このほか、子供にとってはとても身近で扱いやすいペットとなります。純淡水性で雑食性なので、低水温ときれいな水質を保つことができれば飼育も比較的簡単にできます。
一方、モクズガニのほうは、日本では小笠原を除く日本全国に生息し、そのほか、中国東岸部から東北部、朝鮮半島西岸を取り囲むように広範囲にわたって生息し、樺太やロシア沿海にも分布します。
川だけでなく、その周辺の水田、用水路などに生息しますが、一般的に、同じ川にすむサワガニよりは下流域に棲みます。乾いた陸上にあがることは少なく、淡水域にいる間は基本的に夜行性で、昼間は水中の石の下や石垣の隙間などに潜み、夜になると動きだします。
秋になると成体は雌雄とも川を下り、河川の感潮域の下流部から海岸域にかけての潮間帯で交尾を行い、産卵します。ここで孵化した幼生は0.4mmたらず。遊泳能力の乏しいプランクトン生活を送りますが、魚などに多くが捕食され、生き残るのはごくわずかです。
しかし生き残ったものは、浮力を調節し、垂直方向に移動することで潮流に乗り、広く海域を分散します。豊富なプランクトン等の栄養分を採って変態を繰り返して稚ガニとなり、しばらく成長したのち、甲幅5mm程度になると川へ入り、上流の淡水域へ遡上し始めます。
中には甲幅10mmほどになるものもおり、大型のものはかなり上流まで分布域を拡げます。このサイズになると垂直な壁もよじ登ることができ、このためあまり高くない堰程度であれば楽々乗り越えます。魚道の護岸壁をよじ登って移動している個体もよく目にします。
私も昔、魚類の調査をやっていたのでそうした光景をよく見ました。岐阜県に今渡ダムという堤高が34mもあるダムがありますが、ここの魚道を遡上しているのも見たことがあります。下流ではなく、上流のダム湖近くでの目撃であり、それもかなりの数でした。
いくつかの河川では漁業資源としてこのモクズガニを保護しているところもあるため、こうしたダムや堰では、魚道などにもカニが移動しやすいように、漁協や河川工事事務所が麻などでできた太い綱を水面近くに垂らしている場合もあります。
しかし、苦労して川を上った個体もまた、淡水魚に捕食される可能性が高く、とくにニゴイなどは天敵です。時に胃袋をカニで満杯にするほど大量に捕食している場合もあります。しかし、こうした万難を排して移動を続けつつ大きくなり、変態後1年で甲幅10mm台、2年で20mm台に達し、多くは変態から2~3年経過したのち夏から秋に成体になります。
大人になったあとは、また産卵のために秋から冬にかけて川を下ります。しかし、現在の日本でダムや堰がない川はほとんどなく、この下りの旅でまた多くの成体が死にます。
滝や堰を下るカニには水に流されて落下するものも多く、落差の大きな堰やダム、堰の直下にコンクリート製のたたきがある川では、叩きつけられて死んでいるカニがみつかることもあります。しかし、なんとか河口域にたどり着くものも多く、9月から翌年6月にかけてのほぼ10ヶ月、雌は4~5ヶ月の間に3回の産卵を行います。
そして、繁殖期の終わりになると雌雄とも疲弊してすべて死滅し、河口付近では多数の死体が打ち上げられ、その死骸は海鳥にとってはよい餌となります。一度川をくだり繁殖に参加すると、雌雄とも繁殖期の終わりに死亡するため、二度と川に戻ることはありません。
寿命は産卵から数えると、多くは3年から5年程度と考えられています。こうしたモクズガニの生活史をみると、私などは、本当に涙がでてきそうです。子孫を作るために、遠路はるばる苦労して川を下り、また生まれ変わっては障害を越えて川を上り再度同じことを繰り返す、というのは何やら人間の輪廻を見ているような気になってきます。
……といいつつ、このモクズガニはこれまたおいしくいただけます。標準的には「藻屑蟹(モクズガニ)」ですが、千葉などではモクゾウガニと呼び、ここ伊豆では、ズガニと呼びます。このほか、長崎など九州ではツガニ、ツガネと呼び、他に徳島などでは、ヤマタロウ、カワガニ、ケガニ、ヒゲガニ、ガンチなどと言います。
広島では、なぜか「毛ガニ」と称してスーパーで売っている場合があり、北海道などから来るタラバガニなどは「花咲ガニ」などと称して区別しています。「モクズガニ」というのはおもに関東地方の呼び名であり、西日本ではツガニやズガニが多いようです。
これを食べる県と食べない県があるようですが、食する場合でも「地産地消」となる場合が多くあまり流通には乗りません。九州は消費の盛んな地域であり、漁獲量が多いようですが、やはり九州地方内で消費され、それ以外の場所へはあまり流れません。
関西でも比較的消費量が多く、これらの地方のモクズガニは、富山や福井から出荷されたものが多いようです。なお、四国では仁淀川や四万十川のものが有名です。取引きされる場合、多くはkgあたり1000円から2000円程度の卸値で扱われますが、関東や九州などの一部の地域では季節により3000円以上の高値が付くこともあります。
伊豆では、「ズガニ料理」と称して、あちこちのレストランや割烹店で食べられます。茹でガニでが出てくる場合が多いようですが、すり潰して「がん汁」にしたものが人気があり、このほか鍋物として提供する場合や、うどんに入れて出されるケースも少なくありません。
モクズガニは、甲を開くと現れる「カニミソ」がウマいと評判であり、海産のカニと異なる独特の甘みの強いこのかにみそは、珍味です。卵巣の発達したメスは特に珍重されます。
このモクズガニの一種で、中国および朝鮮半島東岸部原産のイワガニ科のカニは、チュウゴクモクズガニといい、これは日本では一般に「上海蟹」の名で知られています。上海、香港などで、秋が旬とされる重要な食用種であり、最も有名な産地は、中国江蘇省蘇州市にある陽澄湖(ようちょうこ)です。
陽澄湖産のものは海外でも有名であり、高値で取り引きされるため、別の産地で育ったものを、陽澄湖の養殖池の水に浸けただけなどという偽物も出回ることがあります。本当に陽澄湖で育てたものには、はさみにタグを付けたり、甲羅にレーザー光線でマークを焼いたりして、区別をすることが行われています。
この本物には香港や台湾などから多数の予約が入っていて、主に輸出されるため、地元に出回る比率はかなり低いようです。日本国内にも生きたままで輸入されて流通しており、また山形県、秋田県等で養殖も行われています。日本産と比べても成長が早いといいます。
上海蟹の旬は、メスは10月、オスは11月で、10月ごろのメスは甲羅の中にオレンジ色の内子を持っており、これがほくほくしてウマイと評判です。藁で縛ったままの状態で蒸し、藁を切って食卓に出されます。そして、生姜の糸切りを入れた黒酢につけて食べます。
が、無論、本来の蟹肉の味を楽しみたければ、酢を付けずに食べれば良く、このほか、中国本土では、生で老酒(紹興酒)に薬味と一緒に漬けたものがガラス瓶に入れて密封し売られており、生の身に酒の味がしみこみ、なめらかな食感だそうです。
この上海ガニについては、こういう伝説があります。
その昔、漢族の祖先は長江の南の地方に定住し、稲を植え、漁労をして、徐々に豊かな土地を切り開いていました。しかし、ここは土地が低いため、いったん雨が降れば水害が起きやすく、しかもこのあたりには、2本のはさみと8本の足を持つ「虫」がいて、水田に入り込んで、稲を喰ったり、はさみで人を傷つけた、といった悪戯をしていました。
このため、人々はこれを「夾人虫」(きょうじんちゅう)と呼んで、まるで虎や狼のように恐れていました。あるとき、この地方の王の大禹(だいう)は、巴解(はかい)という勇猛な男に河口に通ずる水路の工事を命じました。
工事が始まり、夜に火を焚くと、これを見た夾人虫の大集団が泡を吹きながら集まってきて、作業員達を襲いました。人とこの虫達との血生臭い戦いは一晩続いたといい、朝になって人々はようやく「夾人虫」を撃退しましたが、多くの作業員が殺されてしまいます。
これでは工事ができない、と困った巴解は、一計を案じ、堀を巡らせた城を築き、堀に湯を入れました。夜になると火を焚いて「夾人虫」をおびき寄せましたが、再びやってきた彼等は、巴解の思惑通り、湯の入った堀にどんどん落ちて死んでいくではありませんか。
次から次にやってくる夾人虫を相手に、どんどん堀に湯を足して殺してゆくと、彼等は次第に赤くなってきました。いい香りもするようになったため、巴解がその一匹を手に取り、甲羅を開いて食べると非常に美味だったので、他の仲間にも食べるように薦めました。
こうして、夾人虫を退治する方法を考えた巴解は、勇猛な男とあがめられ、夾人「虫」は巴「解」の足元にいる虫という意味で「蟹」と書かれ、カニと呼ばれるようになりました。
中國でも、カニというのはこのモクズガニのように身近な存在であるだけに、こうした民話が生まれたのでしょうが、日本でも、モクズガニに関してはいろんな伝承があります。たとえば、福岡県の大牟田市には、大蛇の生贄にされようとしたお姫様を大ツガネ(モクズガニ)がハサミを振って格闘の末、救ったという伝説があります。
ツガネのはさみで大蛇が3つに切られ3つの池となったとい、この地方の炭鉱、「三池炭鉱」の「三池」は、この3つに分かれた池に由来します。市の夏祭りには10メートル余りの大蛇(龍)の山車が出され、勇壮な大蛇の目玉争奪戦がくりひろげられます。
このほか、「さるかに合戦」に登場するカニも、モクズガニです。どんな話だったかもう忘れている人も多いと思うので、一応あらすじを書いておきましょう。
ある日のこと、蟹がおにぎりを持って歩いていると、ずる賢い猿がそこらで拾った柿の種と交換しようと言ってきました。蟹は最初は嫌がりますが、種を植えれば成長して柿がたくさんなってずっと得すると猿が言ったので、おにぎりとその柿の種を交換しました。
蟹はさっそく家に帰って「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌いながら種を植えると一気に成長して多くの実をつけました。そこへ再び猿がやって来て木に登れない蟹に代わって自分が取ってやろうと木に登りますが、ずる賢い猿は自分が食べるだけで蟹には全然とってやろうとしません。
蟹が早くくれと言うと猿は青くて硬い柿の実を蟹に投げつけました。このとき蟹は身籠っており、このショックで子供を産むとすぐに死んでしまいました。そのカニの子達は、長じて親がサルに殺されたことを知ると、親の敵を討とうと奮い立ちます。
そこへ、栗と臼と蜂と牛糞が助太刀をいたす、と現れたため、彼等と共に子カニ達は、猿への復讐の算段を始めます。そして猿の家に偵察に行き、栗は囲炉裏(いろり)の中に隠れ、蜂は水桶の中に隠れ、牛糞は土間に隠れ、臼は屋根に隠れることにしました。
そしてついにリベンジの機会はやってきます。その日は寒い日でした。寒がりのサルはブルブル震えながら帰ってきて囲炉裏で身体を暖めようとしましたが、そこへ栗が囲炉裏の灰の中から勢いよく飛び出し、体当たりをしたので、猿は大やけどを負います。
急いで水で冷やそうと水桶に近づきますが、こんどは桶に隠れていた蜂に刺され、驚いた猿は家から逃げようとします。が、今度は土間に「寝ていた」牛糞に足をとられ、滑って転倒、家の外へ倒れ込んだところを、今度は屋根から臼が落ちてきました。こうして猿はぺっちゃんこに潰れて死に、見事子供の蟹達は親の敵を討つことができました……。
この話は、江戸時代に創作されたようですが、昭和末期以降も「おとぎばなし」の定番としてもてはやされました。が、原作では猿は死ぬことになっているのにこれらの近代の作では、蟹や猿は怪我をする程度で、猿は反省して平和にくらすと改作されていました。
これは「敵討ちは残酷で子供の教育上問題がある」という意見のためだったようです。また牛糞は「汚い」「衛生的でない」ということで登場しない場合もあるようで、私も子供のころに読んだ話にはこのクソの話は書いてありませんでした。
このように原作の改変版は多く、1887年(明治20年)に教科書に掲載された「さるかに合戦」では、クリではなく卵が登場、爆発することでサルを攻撃しているそうで、また牛糞の代わりに昆布が仲間に加わってサルを滑って転ばせる役割を果たしています。
このほかにも地域によってタイトルや登場キャラクター、細部の内容などは違った部分は持ちつつも似たような話が各地に伝わっており、たとえば関西地域ではクソの代わりに油が登場するバージョンもあるといいます。
こうした改変は時代背景と、地方性によって当然あってしかるべきものです。しかし、原作の「敵討ち」の精神を勝手に捻じ曲げるのはけしからん、と思う人も多いようで、明治・大正期を代表する小説家である芥川龍之介は、蟹達が親の敵の猿を討った後、逮捕されて死刑に処せられるという、その名も「猿蟹合戦」という短編小説を書いています。
日本では、その昔、明治の初期ごろまでは「敵討(仇討ち)」、あるいは「お礼参り」が認められていました。直接の尊属を殺害した相手に「私刑」が許されるというもので、江戸期前から既に慣行としてあり、江戸期には警察権の範囲として制度化されていたほどです。
代表的な敵討ちといえばやはり、赤穂浪士の討ち入りであり、このほか曾我兄弟の仇討ち、高田馬場の仇討ちなど、討手は、武士はいうまでもなく、町人、農民にまで及びました。
しかし明治になると司法卿の江藤新平らによる司法制度の整備が行われ、1873年(明治6年)、明治政府は「敵討禁止令」を発布し、敵討は禁止されました。現在では報復行為を国が代行するかわりに国民から報復権を取り上げています。
国による報復の究極は死刑ですが、仮にこれもなくなるとすれば、被害者遺族の報復権が不当に制限されるという意見もあり、これが死刑撤廃の大きな壁になっている理由です。
一方で、殺人など凶悪犯罪の加害者が法により保護されるのに、被害者側に報復が認められないのはおかしいと考え、昔のように報復を認め合法化すべきという意見もあります。
が、近代法制度では、「私刑」は認められていません。相手を誤認して無関係の第三者を殺傷したり、報復の連鎖を招く危険があるといった反対意見が多いためであり、現在も広い論議には至っていません。
また実際に私刑に及んだケースというのは少なく、1984年の大阪産業大学付属高校同級生殺害事件、1985年の豊田商事会長刺殺事件、2006年の山形一家3人殺傷事件等数件です。
しかし、表出した私刑の数は少ないものの、実際には昔より深刻になっているのではないかと言われています。インターネット時代になってからは報復もより陰湿になってきており、学校や職場でのいじめに対して「逆ギレ」してブログを炎上させたり、執拗なメールを送りつけたりといった、ストーカーまがいの行為に出る輩も増えているようです。
最近は、「復讐代行」を行うサイトまであるようで、依頼者から報酬を受け取り、その依頼者が恨みを持っている標的の人に対する復讐を請け負うといいます。
実際に検索してみれば復讐代行を行う業者が大量にあるようで、彼等は復讐対象者に対して無言電話をかけたり、大量の出前をしたり、ポストに異物を入れたりするなどの嫌がらせを繰り返して精神的に追い込み、対象者の家族や勤務先に中傷メールを送ります。
最近ではさらにその技術?も進化し、その復讐方法も、電磁波攻撃・音声送信 思考盗聴などなど高度化しているといいます。しかし、こうした代行業者に依頼をする人物が実際に対象者から不利益を受けているとは限らず、単なる逆恨みによる場合も多いようです。
「目には目を、歯には歯を」で有名な、古代メソポタミアの「ハンムラビ法典」は報復を奨励したものではなく、無制限報復が一般的だった原始社会で報復行為を制限する目的のために造られた法典だといいます。
現在ではインターネットによる報復が無制限になっている時代といえ、こうした新たなハンムラビ法典の導入が望まれています。
そんなせちがない世の中にあっても、カニ達は今日もせっせ、せっせと子育てのために川を上り下りしています。海や川で魚に食べられても、鳥に襲われても敵討ちに走ることなく日々をたんたんと過ごします。
「蟹の死にばさみ」ということわざがあります。カニがいったん物を挟むと、爪がもげても放さないことから、欲深さや執念の深さを例えたものですが、人への恨みはまさにこの死にばさみです。
「うろたえる蟹穴に入らず」というのもあります。穴もぐりの名人といわれるカニも、慌てふためくと、自分の穴がどこにあるのかわからなくなる、という意です。冷静に物事に対処しないと、適切な判断や行動が出来ず失敗するという意味でもあり、人を憎いと思ったときには、この言葉をかみしめ、冷静に考えましょう。
そうしていれば、いつかは「後這う蟹が餅を拾う」になります。いつも鵜の目鷹の目でせかせかしていなくても、思わぬ幸運に行き当たることもある、という意味です。人のあらさがしばかりせず、あっさり日々を過ごしていれば、そのうち良いことが訪れるでしょう。
そして、「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」を実践しましょう。蟹は自分の甲羅の大きさに合わせて穴を掘るものであり、人は自分の力量や身分に応じた言動をするものだということであり、人はそれ相応の願望を持つべきです。
さて、蟹が口の中でぶつぶつ泡を立てるように、いつまでもくどくどと呟いてばかりはやめましょう。まるで「蟹の念仏」です。それでも呟きたかったら……
そろそろツイッターでも始めましょうか。