DNAとは何か、と聞かれて即、デオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid)の略だ、と答えられる人はそう多くないでしょう。
中学校で習ったはずですが、多くの人が忘れていると思います。たしか、遺伝子のことだよな、と言う人もいるでしょうが、正確ではありません。
DNAとは、地球上の多くの生物において遺伝情報の継承と発現を担う「高分子生体物質」のことを指し、遺伝子とはそのDNA上に刻まれている「遺伝情報」を指します。
人間などの生物のもつ細胞の中にはそれぞれ核が存在し、その中には細長い二重らせん構造のDNAと染色体が絡み合うようにして存在しています。そしてその中で、「その生物を形作る情報」を特定して「遺伝子」と呼んでいます。
一般には「ゲノム」と呼び、すべての生物にあります。このうち、人のもののみを特定して「ヒトゲノム」と定義しています。人間を形作るために一人一人に設定された情報のことであり、いわばヒトの体を作るための設計図です
もう少し詳しく言うと、このヒトゲノムは、たんぱく質の造成とそれを組み合わせて体を作ることの指示のための仕事をしています。人間は各臓器ごとに異なる種類のたんぱく質を必要としており、その必要なたんぱく質の種類や配置を判別するための設計図と指示役をヒトゲノムが担っています。
こうしたヒトゲノムの情報がすべて解読できれば、人間のからだのしくみがより詳しくわかるだけでなく、いろんな病気の原因もわかりそうです。ヒトの細胞の中で、DNAと染色体中にどういうふうに並んでいるか、これを「塩基配列」といいますが、この全塩基配列を解析することでそうしたことを実現しようとするプロジェクトがかつてありました。
人間の遺伝子情報を解読しようとする計画であり、これはヒトゲノム計画(Human Genome Project)と呼ばれていました。1991年にスタートし、1953年のDNAの二重らせん構造の発見から50周年となる節目の年である2003年にその解読は一応、完了しました。
このプロジェクトは1990年に米国のエネルギー省と厚生省によって30億ドルの予算が組まれて発足したものです。15年間での完了が計画され、発足後、プロジェクトは国際的協力の拡大と、特に配列解析技術の進歩などのゲノム科学の進歩、及びコンピュータ関連技術の大幅な進歩により、まずその下書き版(ドラフト)が2000年に完成しました。
このドラフトの完成は予定より2年早いものでした。プロジェクトが加速した一つの理由としては、この公的なプロジェクトとは別に、アメリカのバイオ企業、セレラ・ジェノミクス社による独自の商業的なヒトゲノム解読の試みがあり、同社はその事業に莫大な投資を行いました。
そもそもこのセレラ社の事業の目的は、より高速かつ効率的なDNAシークエンシング法(DNAの配列を調べる方法)の開発であり、それを産業化に向けて技術移転することにありました。
このため、同社は「ショットガン・シークエンシング法」という新しい遺伝子情報の解析方法を開発し、これによって加速度的に解読が進められるようになりました。
最終的にはこうして発見された遺伝子情報を特許化し、私物化しようとしました。がしかし、これとは別にヒトゲノム計画が既に公的資金によって進められており、ヒトゲノムを解読しようとする試みは同じでしたが、その成果の運用は、公と私ということで拮抗してしまいます。
このため、その成果を特許化し、一企業が独占するということに対しては大きな批判が巻き起こり、結果としては、セレラ社が折れ、その成果は全ての研究者が自由に利用できるようにするという合意が成されました。
この合意では、セレラ社側がポリシーを変更し、非商業目的の利用に関しては無料で配列を公開する、ということになりました。ただし、研究者がダウンロードできる配列の量には上限を設けるという制限がついていました。
現在に至るまでにはその上限も撤廃されているようですが、とまれ、2003年に完了したこのプロジェクトによってゲノム研究は著しく進展しました。
各国のゲノムセンターや大学などによる国際ヒトゲノム配列コンソーシアムによって組織されるようになり、これまでにワーキング・ドラフトを発表し、現在もその改良版の発表が継続して行われています。
こうしてヒトゲノムプロジェクトヒトによって解読されたDNA配列に関する情報は、今日では多くの分野に生かされています。
たとえば、マウスやショウジョウバエ、ゼブラフィッシュといった試験生物を用いた研究、あるいは、酵母、線虫、また数多くの微生物や寄生虫などのモデル生物の配列解析の成果といったものであり、これらは今後とも生物学と医学の発展に重要な役割を果たすことが期待されています。
今日では、ヒトのDNA配列情報はデータベースに蓄積され、インターネットを介して誰でも利用することができるようになっています。
ただし、これらのデータは何らかの解釈を加えなければほとんど利用価値がありません。このことから、これらのデータを解析するコンピュータ・プログラムが数多く開発されています。たとえば、単純なDNA塩基配列の中から遺伝子の境界を特定したり、何らかの特徴を見出す技術は「アノテーション」と呼ばれます。
最高品質のアノテーションを行うには生物の専門家に頼らなければなりませんが、現在、アノテーションに用いられている技術として最も役立っているのは、人間の言語の統計モデルをDNA配列解析に応用したものだそうです。形式文法などのコンピュータ・サイエンスから導入した手法を利用しており、簡単にその意味が解釈できるといいます。
この技術を使って、たとえば微生物株の中から産業上有用な株を選定し、ゲノム解析を実施する、といったことが行われています。とくに、食品・健康・環境・エネルギーなどの産業において利用が期待される菌株について、大学・企業がそうした分析を行うようになりました。
かつてのヒトゲノム計画においては、2003年4月14日に解読完了が宣言されました。そう、今日がその記念日になります。この結果、この時点でのヒトの遺伝子数の推定値は3万2615個でした。
しかし、その後の解析によりこの推定値が誤りであることが判明し、新たな推定値は2万2287個であると2004年10月21日付の英科学誌ネイチャー に掲載されました。
ただし、実際の遺伝子数は個人差などにより多少の変動が見込まれるため、未解読の領域や重複領域等について解析が継続されており、2004年の報告以降も定期的に修正報告がなされています。
また、個人のゲノムにおいても父親と母親に由来する配列間でもある程度の差異があり、個人ゲノム配列の解析は医学研究に重要な意味をもつことから、2008年より1000人ゲノムプロジェクトも開始されています。このプロジェクトでは、異なる民族グループから少なくとも1000人分の匿名ゲノムの配列決定を行うことを目指しています。
こうしたゲノム情報の解明は、上の微生物菌株への応用のようなバイオテクノロジばかりでなく、医学上の飛躍的な発展に貢献することが期待されています。やがてはガンやアルツハイマー病などの疾患の治療に役立つものになっていくでしょう。
かつては不治の病といわれた癌についての応用も既に始まっています。例えば、ある研究者が何らかのガンについて調査していく過程で、ある遺伝子に着目したとしましょう。
この研究者はインターネットに公開されているヒトのゲノム・データベースを訪れることで、他の研究者がこれまでにこの遺伝子について何を調査したのか、すなわち3次構造はどうなっているのか、どのような機能があるのかを調べることができるようになります。これにより癌の原因が特定され、その治療法が進むことが期待されているのです。
また、他のヒトの遺伝子との進化上での関係はどうなっているのか、酵母やマウス、ショウジョウバエと比べてどうなっているのか、有害な突然変異が起こる可能性があるか、他の遺伝子と相互作用するのか、どの組織で発現しているのか、関連する疾患は何か…などなどについても調査することができるようになりました。
このように、公開されているデータによって医学上において有用な情報の種類は多岐におよび、これはいわゆる「バイオインフォマティクス」と呼ばれ、近年、大きな注目を浴びるようになってきています。
日本語では「生命情報学」といい、生物学の分野のひとつで、遺伝子やタンパク質の構造といった生命が持っている「情報」と言えるものを分析することで生命について調べる、といった研究分野です。
この生命情報学において、特にゲノム学と関連して注目を集めている技術として「マイクロアレイ」というものもあります。「DNAチップ」とも呼ばれるもので、これはプローブと呼ばれる「遺伝子断片」が小さな板の上に規則的に配置されたもので、3万件以上の遺伝子について、同時にそれらのサンプル内における存在量を測定できるものです。
このマイクロアレイの技術を使ったもののひとつに「マイクロアレイ血液検査」があります。血液を使った癌の検査で、これはがん細胞がつくり出すタンパク質などを測定することでがんがあるかどうかを診断するというものです。
がんに対する生体反応を遺伝子レベルで捉えてがんの有無を判定する最新の血液検査で、遺伝子の発現変化を見ることでがんの存在を突き止め、発生部位や進行度までも分かるという、非常に優れた血液検査です。
こうしたゲノムの解読によって得られた技術はこれからの医学・科学向けの診断用ツールとしての可能性を秘めていることから、大きな関心を集めており、また、ヒトゲノム計画の結果として今後も数多くの技術がここから派生すると見られています。
また、人間とその他の動物などの生物間でのDNA配列比較分析が可能となったことで、生物学においては新たな道が切り開かれており、現在では多くの生物学者が、とくに「進化」に関わる問題に関してこうした新しい分子生物学の手法を用いて研究を進めるようになってきました。
例えば、我々の細胞の中で、遺伝情報を読み取ってタンパク質へと変換する機構である「翻訳」のしくみなどが明らかになってきています。このほかにも「胚」の発生から各種器官への発達、免疫系がどうやってできるか、といったことまで分子レベルで関連付けて明らかにできるようになってきました。
こうした数々のプロジェクトのデータによって、今後はますますヒトとその近縁の種の違いや類似性に関する問題が解明されていくであろうと期待されています。
それにしても、ヒトゲノムは今後も新しいものが見つかったとしてもせいぜい30000~4000であると目されています。この数字は多いように見えて専門家からみれば、かなり少ないもののようです。
実は、このように少ない遺伝子からヒトの複雑な体や脳が構築されているという事実は、このヒトゲノム情報が開示された当初、科学者たちに大きな驚きと狼狽を与えました。
さらにその後の更なる研究によって、イネ科の植物の遺伝子がヒトよりずっと多いことや、下等生物と考えられていたウニの遺伝子の数がヒトとほとんど同じであることがわかりました。しかも70%がヒトと共通していることなどが判明すると、人間が遺伝子の数で他の生物より優位にあるはずだという予想は、間違いであることが確定的となりました。
このように、ヒトはほかの生物よりも劣っている部分もあるのではないかということが次第にわかってきており、なぜそうした他より劣っているのにもかかわらず、地球上の動物の頂点に立っていられるのか、などについては、まだまだ解明できていない、むしろ新しい疑問点が数多く出てきています。
ヒトゲノムの解読は終わったとしても、それが持つ意味の全てを理解したとは言えない、というのが現状であり、ましてや今後どのようにヒトが進化していくのかもわかっていないわけです。
昨今「地球温暖化」などの環境問題が叫ばれていますが、今後も何らかの環境の変化があった時ヒトはその環境に適応するため進化をするのではないか、という人もおり、その逆に今よりもさらに退化する可能性もあるわけです。
はたしてヒトは猿人からの進化の頂点にあって、まだまだ進化する可能性はあるのかないのか?
しかし、温暖化についていえば、これによってすぐに進化が起きるのなら、アラスカのイヌイットとアフリカ人やインド人はすでに別の種に進化しているはずです。
ところが、この二つの民族は人種的な差異はあっても種としての差はありません。イヌイットがアフリカで生活することもアフリカ人が北極圏で生活することも十分可能だし、結婚して子供も作ることができるわけです。
これはなぜかといえば、生物の進化というものは数十年単位程度では顕著には現れず、もっと長いスパンで起こるためです。250万年ともいわれる人類の長い進化の歴史をみれば、温暖化がおこる程度の時間ではそうそう簡単には進化したり退化したりすることはないからです。
また、生物学的にみれば、人類は生物史的にはつい最近二足歩行に進化したばかりともいえ、進化したとはいえ、構造的に色々と粗だらけ、という風に見ることもできます。
たとえば腰の構造は、中途半端に四足動物の特徴を残しており、このためすぐに腰痛になります。また、足の小指は機能的にも構造的にも実に中途半端ですし、虫垂炎を起こす虫垂も、なんでそんなものがあるのかよくわかっていません。あまり存在意義がないものがヒトの体の中にはゴマンとあります。
これらの構造はこれからも変化していく可能性があり、また医療はこれからもどんどんと発達していきますから、それらが「淘汰圧」となって、進化に影響を与える可能性もあります。
人類は進化の過程おいて、何等かの環境変化が起こることによってひとつの「選択」をしますが、これが進化であり、その与えられる環境変化が「淘汰圧」です。医学がその環境変化であれば、それによって人類は新たな選択、すなわち「変化」をする可能性があるわけです。
もっともその「変化」は、このあと何千何万年もかけて起きる現象なのですぐに目に見える変化ではないでしょう。しかも、その変化が必ずしも進化であるとは限りません。退化である場合もあります。
その変化はあくまで淘汰圧による微妙な適応変化にすぎないので、それがはたして優れた存在への変化なのかどうかは、すぐには答えはでません。長い間経過を見た結果、実は退化だった、ということもありえるわけです。
例えば2000年前の人類に比べて現代人が知能が高いかと言うとそんなことはないようです。
古代ギリシャ時代の時点で現代でも最高峰の数学理論は完成されており、現代最高峰の数学者たちがこの時代の数学理論を解明しようとやっきになっています。地球の円周や直径はこの時代の人々の計算によって既に答えが出ていました。
もしかしたら、大昔の縄文人は現代の日本人よりよほど頭がよかったのかもしれません。頭脳に関していえば、言語能力や知能などの大脳系は向上していますが運動をつかさどる小脳の機能や五感の機能は低下しています。ほかにも、類人猿の骨格と現代人の手を比較すると、指の精密さを獲得したかわりに強靭な握力を失っており、これは退化といえます。
極端な話、環境次第では、今後人類が言語能力や知能を失って類人猿や四足動物へ進化していくこともあり得るわけです。ただし、それも何千万年単位のそれなりの時間がかかってわかることになりますが。
ちなみに、生物学者がもっとも完成度の高い動物と認識している生き物はヒトではなく昆虫だそうです。あまりの生物としての完成度の高さは目をみはるものがあるとまでいい、「昆虫は宇宙人が作った地球征服用のロボットだ」なんてジョークもあったりするほどです。
今後の人類は自らを「自主的退化」させる可能性もあり、そうした時代には昆虫によって世界は支配されているかもしれません。自主的退化とは、私たちが人間としてもはや十分に進化したといえる地点まで人間の種を戻し、新たに再構築する、というものです。
人類は過去に悪行を繰り返してきており、地球環境を崩壊させてきました。これに対し、人類が文明を持つ以前の状態に一旦リセットすることで、人類自身や動物、惑星そのものの脅威となることを避けられるはずだ、というわけです。その究極のゴールは文明の終焉でありジャングルへの回帰であるわけであり、将来起こる得ることだと考えられています。
その論法でいけば、「自主的人類絶滅」という可能性もあります。こちらは、いっそ人類が滅亡してしまえば、地球の平穏は保たれるのではないか、というわけです。現在においてもすでに海外では「人類絶滅運動」を推奨する人々が活動中であるといいます。
組織の名前は「VHEMT」と呼ばれ、Voluntary Human Extinction Movementの略です。邦訳は「自主的な人類絶滅運動」であり、彼らは積極的に人類の繁殖を止めるような運動を展開中で、人類の種を減らし、やがて絶滅させることを望んでいるそうです。
そのスローガンは、「長寿は絶滅に至る」だそうで、自分たちこそが、「地球の生態系に対する無神経な搾取や大規模な破壊を防ぐ、選択肢を示している」と主張しています。少子高齢化が進み、長寿大国となっている日本は絶滅の道を歩んでいるといえ、いずれこの団体によって「モデル地区」に指定されるかもしれません。
こうして人類が滅亡したあとには、新たなるポストヒューマン(Posthuman)が現れるともいわれます。
無論、仮説上の未来の種ですが、「その基本能力は現在の人類に比べて非常に優れていて、現代の感覚ではもはや人間とは呼べない」ものではないか、といったことがいわれているようです。
ポストヒューマンの形態として、人間と人工知能の共生、意識のアップロード、サイボーグなども考えられます。例えば、分子ナノテクノロジーによって人間の器官を再設計したり、遺伝子工学によって創られるものです。
こうした新人類は、精神薬理学、延命技術、ブレイン・マシン・インターフェース、進化した情報管理ツール、向知性薬、ウェアラブルコンピューティングなどの技術を適用したものである可能性もあります。
また、ポストヒューマンは、現在の人間の尺度から見て「神」のような存在になるとする考え方もあります。そう聞くと、SFによくあるような高い知能を持ったコンピュータのような存在形態を思い描くかもしれません。神のような人工知能を人々が崇めているような未来を想像するかもしれませんが、そういう意味ではありません。
ポストヒューマンの知性や技術があまりにも高度で洗練されているため、人間が見たらその意味を理解できないだろうという意味であり、現在のわれわれが想像だにしないような姿や形をしている可能性もあるわけです。
それにしてもどこまで変化(進化)したら人間はポストヒューマンになるのか? そしてその最終形はどんな形をしているのでしょうか。
これについては、誰にも答えを出すことはできません。
あるいはそのポストヒューマンは、形などを持たず、現在我々が身にまとっているような肉体を捨てたエネルギー体のようなものなのかもしれません。
宇宙空間はこれまで真空や虚空と呼ばれていましたが、実は宇宙空間には現在科学の検出装置ではもみえない「ダークエネルギー」が蔓延している、ということが言われるようになってきています。それと同時にそのエネルギーの中に何等かの情報が内蔵されているのではないか、ということまで言われるようになってきました。
日本の研究者によって、幽霊素粒子といわれたニュートリノの質量があるのが発見されて以降、最近、素粒子に関する新発見が相次いでおり、これまで謎とされてきたものがこれからはさらにその正体が暴かれていくに違いありません。
従来、宇宙人といわれてきたものも、その正体もそうした研究の中から明らかになってくるのかもしれません。その形態としてもまさにそうしたエネルギーのようなものでできているようなものもいるのではないかという研究者も既におり、そうなるとこれはまさに「意識体」です。
そうしたものが宇宙に遍満しているとすると、あるいはそれは「宇宙意識」といえるようなものであるのかもしれません。
コンピューターサイエンスの概念で言えば、「クラウドコンピューティング」と似ています。このクラウドコンピューティングでは複数のコンピュータがグリッドや仮想化の技術で抽象化され、インターネット(雲)で接続されたコンピュータ群が巨大な1つのコンピュータになるというものです。
将来的にはそのコンピュータの一つ一つはさらに小型化が進み、究極の世界では素粒子のひとつひとつがコンピュータである、というようなクラウドコンピュータの世界もあるいは実現するかもしれません。そして、そうした時代には、そのスーパークラウドコンピュータに人間の意識をアップロードする、ということも普通に行われているかもしれません。
荒唐無稽な話かもしれませんが、将来的にはこうした進化したクラウド技術を使って、人間は自分の頭脳を仮想化させるようになっている可能性もあり、そうなるともう人間は肉体を必要としなくなるのかもしれません。
アップロードされたブレイン・データは時間の速さを調節することが可能なので、例えば新たな山や海が生まれ、それがなくなるという、地球規模の地形の変化、あるいは星々の誕生や滅亡すら見ることが可能になります。また、アップロードされたブレイン・データは体から体へ移動できるので、様々な外見の自分に遭遇することができます。
その「体」はもう肉体である必要はないわけで、あるいはロボットのようなものでもいいわけです。他にも、コンピュータ生成環境の基本的なパラメーターを変えることができるので、バーチャルな仮想空間や異次元空間を見ることができます。
これはもう、人を超えた新たなる人類であり、途方もない未来の人類シナリオといえます。こうして創りだされたクラウド世界は、文字通り雲のような宇宙意識の情報であり、古代から現在、そして未来へ受け継がれていく人類の叡智は、すべてこの中に取り込まれていく可能性もあります。
宇宙中に過去から蓄積されてきた生命力が満ち満ち、巨大な空間に存在する宇宙の至る所に存在する目に見えないエネルギーがある、という状態なのかしれず、これが、いわゆる「アカシックレコード」と呼ばれるものなのかもしれません。
宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層であり、人類だけでなく、元始からのすべての動物、植物、その他のすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念です。
そしてこの中に過去のあらゆる出来事、そしてこれから起こる未来の痕跡が永久に刻まれていくわけであり、ポストヒューマンの最終形とはまさにこうした宇宙意識との合体に違いありません。