10月になりました。
英語での月名、Octoberは、ラテン語表記に同じで、これはラテン語で「第8の」という意味の “octo” に由来しています。われわれの暦では10番目の月ですが、紀元前46年まで使われていたローマ暦では、3月が年始であり、3月から数えて8番目の月、ということになります。
同じく、11月のNovemberのnovemは「第9の」の意味で、12月Decemberのdecemは「第10の」の意味になります。
タコを意味するオクトパス octopus のocto もラテン語から来ています。無論、タコの足が8本であることから来たネーミングです。
このタコの足ですが、実は足ではなく、学術書などでは「腕(触腕)」と表現され英語でも arm です。
また、見た目で頭部に見える丸く大きな部位は実際には「胴部」であり、本当の頭は触腕の基部に位置して眼や口器が集まっている部分です。
従って、一般的なタコの挿絵では、この短い胴体の下に足が生えているように描かれますが、実際にはタコには足はなく、これを逆さにして「頭から手が生えている」、と見立てるのが正しい表現です。
しかし、人間と同じくこの手を足とみなす習慣が長く続いたこともあり、同じ構造を持つイカの仲間とともにこれは足だと言われることが多く、学術的な分類でも「頭足類」の名で呼ばれます。
その柔軟な体のほとんどは筋肉であり、全身がバネのような存在です。体の中で固い部分は眼球の間に存在する脳を包む軟骨とクチバシのみであり、このため極めて狭い空間を通り抜ける事ができます。間口の非常に狭いタコツボに納まることができるのはこのためです。
比較的高い知能を持っており、一説には最も賢い無脊椎動物であるとされています。形を認識することや、問題を学習し解決することができます。例として、密閉されたねじぶた式のガラスびんに入った餌を視覚で認識し、ビンの蓋をねじって開け、中の餌を取ることができるそうです。
また、身を守るためには、保護色に変色し、地形に合わせて体形を変えますが、その色や形を2年ほど記憶できることが知られています。1998年には、インドネシア近海に棲息するメジロダコが、人間が割って捨てたココナッツの殻を組み合わせて防御に使っていることが確認されたといいます。
頭がいいといえば、サッカードイツ代表の試合の結果を予言し、国際的な名声を得たタコを思い出します。
かつてドイツ・オーバーハウゼンの水族館シー・ライフで飼育されていたマダコで、「パウル君」の名で親しまれ、2008年1月から 2010年10月まで3年弱を生きました。
サッカードイツ代表の国際試合の結果を予言し、EURO2008では全6試合のうち4試合を的中、W杯南アフリカ大会ではドイツ代表の7試合に決勝戦を加えた計8試合の勝敗を全て的中させたことで有名になりました。
ワールドカップ終了後、パウルの「予言」にあやかって「スポーツ試合の勝者当てアトラクション」が各国で行われ、タコだけでなくほかの動物を使うなどして様々な形で行なわれました。
日本でも2010年11月、Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝戦・ジュビロ磐田対サンフレッチェ広島の「タコによる勝者当て」が行なわれました。このタコは東京湾の佐島沖で水揚げされたマダコ「築地の源さん」といい、Jリーグ関連会社に2000円で買い上げられました。
水槽に入った2つのチームのエンブレム入り蛸壺が水槽内に入れられると、源さんは広島側の蛸壺に入ってこのチームの勝利を予言しました。しかし結果は5-3(延長戦)で磐田が勝利したそうです。
関係者は「源さんは、その日のうちに海に帰った」と話していましたが、広島のファンによってゆでだこにされ、即その日に食されたことは想像に難くありません。
このタコ、日本だけでなく、世界中で美味な海産物として知られ、美味なタンパク質の供給源として、世界各地の沿岸地方で食用されています。
しかし、ヨーロッパ中北部では「悪魔の魚」とも呼ばれ、忌み嫌われてきました。ユダヤ教では食の規定カシュルートによって、タコは食べてはいけないとされる「鱗の無い魚」に該当します。イスラム教やキリスト教の一部の教派でも類似の規定によって、タコを食べることが禁忌に触れると考えられています。
また、タコは、年齢を測るすべがなく、いったい何歳なのかわかりません。上のパウル君は水槽で飼われていいたために年齢がわかりましたが、大海原に生息する野生のタコはいった何歳なのかわからないことが多く、年齢不詳の不気味さがあります。
なぜ年齢がわからないのか。これはタコでは耳石を用いた年齢推定が行えないためです。一部の種を除いて、どれくらい生きるのかはわかっていません。耳石(じせき)とは、脊椎動物の内耳にある炭酸カルシウムの結晶からなる組織で、魚の場合はその断面は木の年輪のような同心円状の輪紋構造がみられ、1日に1本が形成されます。
日輪(にちりん)と呼び、年齢推定を日単位で行うことができますが、タコの場合にはこれに相当するものがありません。従って、漁獲されたタコがいったい何歳なのかはわかりにくく、とくに長く生きたものの年齢は不詳です。
また、海の中では意外に荒くれ者です。稀にではありますが、大型のタコが小型のサメを捕食することがあり、また水族館では、ミズダコが同じ水槽で飼われていたアブラツノザメを攻撃し、死亡させた例もあります。
人間を見たことがない大型のタコは、潜水中の人を威嚇したり、ダイバーのレギュレーターに触腕をからませ、結果としてダイバーの呼吸を阻害することもあるそうです。
さらに、ほぼ全てのタコは毒を持っています。人間には無害のものが多いのですが、ヒョウモンダコという種類のタコは例外で、分泌腺内に寄生するバクテリアに由来するテトロドトキシンという猛毒を持っており、人間でも噛まれると命を落とすことがあります。解毒剤は見つかっていません。
その形態、生態はきわめて特徴的で、ユーモラスととらえることもできますが、海の中で体を伸縮させて泳いでいる姿はかなりブッキーです。外敵に襲われたとき、捕らえられた触腕を切り離して逃げることができるというのも、普通の魚にはできない芸当です。
切り離した触腕は再生しますが、切り口によって2本に分かれて生えることもあり、8本以上の触腕を持つタコも存在するといい、その姿はほとんどエイリアンです。
このように、海を代表する不気味さゆえか、ヨーロッパ、とくに北欧ではその昔、クラーケンKrakenというタコの化け物が出現して、海難を起こすとされていました。
語源は、crank であり、これは、捻じ曲がったもの、曲がりくねったもの、変わり者、つむじ曲がり、奇想のもの、を意味します。タコの持つ恐ろしげな湾曲性の腕を想起しての名付けられたのでしょう。
クラーケンは、タコ以外にも巨大なイカの姿で描かれることが多いようですが、ほかにも、シーサーペント(怪物としての大海蛇)やドラゴンの一種、エビ、ザリガニなどの甲殻類、クラゲやヒトデ等々、様々に描かれてきました。
姿がどのようであれ一貫して語られるのはその驚異的な大きさであり、「島と間違えて上陸した者がそのまま海に引きずり込まれるように消えてしまう」といった種類の伝承が数多く残っています。
古代から中世・近世を通じて海に生きる船乗りや漁師にとって海の怪は大きな脅威であり、怖れられる存在でした。
凪(なぎ)で船が進まず、やがて海面が泡立つなら、それはクラーケンの出現を覚悟すべき前触れである、とされました。姿を現したが最後、この怪物から逃れる事は叶いません。
船出したまま戻らなかった船の多くは、クラーケンの餌食になったものと信じられてきました。たとえマストによじ登ろうともデッキの底に隠れようとも、クラーケンは船を壊し転覆させ、海に落ちた人間を1人残らず喰らってしまうからです。
このクラーケン、日本にも似たような目撃談が多数あります。ただし、こちらは海坊主(うみぼうず)と呼ばれ、海に住む妖怪、海の怪異、とされてきました。
海に出没し、多くは夜間に現れ、それまでは穏やかだった海面が突然盛り上がり黒い坊主頭の巨人が現れて、船を破壊するとされます。大きさは多くは数メートルから数十メートルで、かなり巨大なものもあるとされますが、比較的小さなものもいるという伝承もあります。
1971年4月。宮城県牡鹿郡女川町の漁船・第28金比羅丸がニュージーランド方面でマグロ漁をしていたところ、巻き上げていた延縄が突然切れ、海から大きな生物状のものが現れ、船員たちは化け物といって大騒ぎになりました。
その「生物」は灰褐色で皺の多い体を持ち、目は直径15センチメートルほど、鼻はつぶれ、口は見えなかったといいます。半身が濁った海水の中に没していたために全身は確認できませんでしたが、尾をひいているようにも見えたといいます。漁師がモリで突く準備をしていたところ、その化物は海中へと消えてしまいました。
目撃談では水面から現れた半身は1.5メートルほどだったといい、全身はその倍以上の大きさと推測されます。本職の漁師たちが魚やクジラなどの生物を化物と誤認することはないと考えられることから、あれはいわゆる海坊主ではなかったか、と今でも言われているようです。
クラーケンとこの海坊主が同じである、といったことが証明されているわけではありませんし、そうした研究はないようです。ただ、最近その実在が確認されたダイオウイカの例もありますから、広い大海原にこうした未知の巨大生物が生息していないとは誰も否定できないでしょう。
とくに1000m以上の深海の生物では、未だ確認されていない種が多数おり、この深さまで人類が到達できる技術を持ったごく最近、ようやくその研究の端緒が開かれたといった段階のようです。
また、クラーケンや海坊主は、その伝承から“危険な存在”とされていますが、本当にそうなのかはまだわかりませんし、すべてがそうだというわけではないようです。
ニュージーランド近海で観察されたダイオウイカの調査からは、彼らが捕食する獲物は、オレンジラフィー(タイの一種)やホキといった魚や、アカイカ、深海棲のイカなどであることがわかっており、また人間を視認して襲うといった攻撃性は確認されていません。
この宮城沖に現れたという海坊主も特段危害を加えたというわけではないようであり、逆にあちらのほうが突然現れた人間にびっくりしたのかもしれません。
また、日本に大昔から伝わる伝承の中においては、海坊主はむしろ温和かつ無害に描かれることもあるようです。愛媛県宇和島市では海坊主を見ると長寿になるという伝承があり、幸福の使者とされています。
また北欧のクラーケンの排泄物は、この世のものとはいえないほど良い臭いを発するといい、これをもと餌となる魚をおびき寄せているともいわれています。
京都市中京区にある永福寺には蛸薬師(たこやくし)があります。そのいわれは、タコが人助けをしたというものです。
ある街中に棲む男が病の母を思って、母の好物のタコを戒律を破ってまで買ってきたところ、そのタコが池に飛び込んで光明を放ち、病がたちまち快癒したという言い伝えがあります。このお寺の前の通りの名前は「蛸薬師通」といい、この伝承由来のものです。
このほか、大阪府岸和田市には「蛸地蔵」と呼ばれるお地蔵さんがあり、こちらは岸和田城落城の危機に、大蛸に乗った地蔵の化身が城を救ったという伝説に基づいて祀られるようになったものです。
天正12年(1584年)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が尾張へ向けて大坂城を出発しましたが、これはいわゆる「小牧・長久手の戦い」の前哨戦です。その隙を突いて、紀州征伐で敵対する根来衆・雑賀衆といった紀州の一向一揆の軍勢が、秀吉配下の中村一氏が寡兵で守る岸和田城へ攻め込み、大乱戦となりました。
数で圧倒する紀州勢の勢いが物凄く城が危うくなった時、蛸に乗った一人の法師が現れて、次々と紀州勢を薙ぎ倒したといいます。しかし、紀州勢が盛り返して、蛸法師を取り囲もうとした時、海辺より轟音をたてて幾千幾万の蛸の大群が現れ、紀州勢を殺害することなく退却させたそうです。
一氏は大いに喜び、この法師を探しましたが、結局分からなかったといいます。しかし、ある夜、法師が一氏の夢枕に立ちました。そして、自分は地蔵菩薩の化身であると告げたといいます。
実はこれより以前、岸和田城では、この地を戦乱から守るため、堀に地蔵菩薩を埋め、城の守りとして備えていたといいます。
このお告げのあったあと、これに気付いた一氏は、埋め隠し入れた地蔵菩薩像を出して祀ったといい、それゆえにこの地長く栄えました。その後、一般の人もその利益が受けられるようにと、日本一大きいといわれる地蔵堂に移され、現在に至っています。
現在もこの岸和田城は猪伏山と呼ばれた小高い丘の上にあります。本丸と二の丸を合せた形が、機の縦糸を巻く器具「縢」(ちきり)に似ていることから蟄亀利城と呼ばれ、後に千亀利城と呼ばれるようになりました。
この城にはまた、岸城神社という神社がありますが、この千亀利と「契り」とをかけて、今では縁結びの神社として知られているそうです。
桜の季節は花見の名所となり、大阪みどりの百選に選定されています。岸和田城そのものは、2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(161番)に選定されています。