駿豆線

伊豆へ引越してきてから、今日でちょうど4ヶ月が経ちました。家の中はまだ、片付いていない部屋はあるものの、補修等はほぼ終息。庭の手入れも、基礎的な形状はととのえ終わり、庭木を植えたことで、少しずつ庭らしくなってきています。

東京での生活との違いを改めて思うに、やはり実感できるのは、この空気感でしょうか。晴れた日ばかりではなく、雨の日も曇りの日も、それなりの「爽やかさ」が漂っているかんじがします。東京にいるときは、普通に生活していても、何か息苦しさを感じていたように思いますが、ここでは一瞬一瞬に吸い込む空気で身も心も洗われる、といったら書きすぎかもしれませんが、ともかく深呼吸が心地いい。

日常生活に必要なものも、近くにかなり大きなスーパーがいくつもあり、まったく不自由はありません。一般のスーパー以外にも、農協系のお店がいくつかあって、野菜や魚などは、スーパーよりは安く買えます。地元の農家の方が直接売りに出しているので、少し型崩れのものもありますが、食べる分には何の支障もありません。むしろ、無農薬野菜と思われるものばかりなので、安心して食べることができます。

修善寺から少し伊東寄りにある農協系のお店、「農の駅」では、付近の農家で採れたワサビを安く売っていて、魚好きの私にとっては大変うれしいことです。7~8cmくらいもある大きなワサビが300円くらい。一本買えば、だいたい5日間、毎日使っても大丈夫です。ときには、もっと小さいワサビが茎ツキで、4~5本、400円くらいで売っていたりします。東京なら、いずれも1000円近くするでしょう。

花好きのタエさんにとっては、お花が安いのも魅力です。これも農家直売だからなのでしょうか、花束が一束、150円とか200円で売っていますし、鉢植えの花だって安い。めずらしい山野草みたいなものを売っていることもあり、毎週のように行く、この農の駅では、これは何だろう、あれは何?みたいな、タエさんとの会話も結構楽しかったりします。

このように、生活全般では何も問題ない、というか、環境が変わっただけで、こんなに生活って変わるんだろうか、と思えるほど、豊富な自然環境に恵まれ、豊かな気分で過ごせる毎日です。

ただ、難点をいえば、少し特殊なものが欲しいときが問題。たとえば、ちょっと変わった本や雑貨が欲しいと思ったとき、東京なら、この町に行ってなければ、別の町のお店へ行ってみればいいや、それでもなければ、新宿へ出ようか、とこうなるのですが、ここ伊豆では、大きな町というと、最短が沼津と三島、そして伊東だけになってしまいます。

大きな町といっても、面積が広いだけで、東京でいえば、青梅とか福生のようなかんじ。ジュンク堂書店や、東急ハンズのような大規模なお店はありません。少し遠出をして、静岡や浜松へ出るなら別ですが、それなら、むしろ横浜へ行ったほうがいいや、ということになります。

もっとも、東京に住んでいたときだって、多摩から東京駅に出るには、2時間ちかくかかっていたのですから、時間的には一緒。そう考えれば、豊かな自然環境に囲まれているだけ、こちらのほうが断然いいや、ということになります。

交通機関も比較的充実していて、別荘地内には本数は少ないものの、修善寺駅までのバスの運行がありますし、さらに、修善寺駅から三島駅までは1時間に4本もの頻度で電車が出ています。東京駅直行のJR伊豆の踊子号もあり、これに乗れば、2時間ほどで東京に行くことも。さらに、新宿まで直通の高速バスまであるのです。

ただ、交通費はばかにならないかな。バス利用では、新宿~修善寺間が往復4500円ほど。特急や新幹線利用なら往復1万円はかかります。新幹線利用の場合、三島から修善寺までは駿豆線(すんずせん)に乗りますが、三島~修善寺間、約20km区間は500円。東京の私鉄の値段に比べると、ちょっと高いけれど、まあ、許せるかなといったところ。

この駿豆線、前にも書きましたが、明治の30年代に、湯治客の便を図り、伊豆中部の大仁と東海道本線を結ぶ目的で建設されました。初めの計画では、沼津を起点とする予定だったのだそうですが、東海道本線に駅がなく、さびれかけていた三島市の有志が、当時の駿豆電気鉄道に土地寄贈を行うなど、積極的に駅の誘致を行ったため、三島起点が実現したのだとか。

その当時もそうですが、今もどちらかといえば三島よりも沼津のほうがにぎやかなので、伊豆の住民には、沼津が始点だったほうが歓迎されたのではないでしょうか。

が、その後、新幹線が止まるようになったことを考えると、三島に駿豆線を誘致したのは大正解だったのかも。おそらく、JRも、新幹線駅を三島にするか、沼津にするか迷ったと思うのですが、おそらく、既に駿豆線というインフラができており、修善寺方面へ行く観光客を獲得するためには、三島のほうが有利だと判断したのでしょう。無論、私たちに伊豆市民にっとっても大歓迎。三島へ出さえすれば、東京でも名古屋へでも新幹線で行けるのですから。

明治時代にできた、この駿豆線ですが、これができたことで、東京から伊豆へ湯治に出かける人は、かなり増えたようです。以前もこのブログで書いたように、たくさんの文士たちも湯治に頻繁に来るようになっており、その中の一人、尾崎紅葉さんは、駿豆電機鉄道が大仁まで開通した二年後には早くも修善寺に温泉湯治に来ています。明治35年に書いた日記の中で、「汽車を見るに軽微にして粗鹵(ソロ)、其(そ)の来るや狸の化けたる者の如く、煙突の小なるむしろ噴飯すべし、車六輛を列ねて軒輊(ケンチ)して去る」との記述があるそうです。

「ホームに入ってきた汽車をみると、やけにちゃちに見えて、こんなもので大丈夫なのかというような代物。煙突も小さく、まるで狸のばけもののように見えて、笑ってしまった。車両は6両で、妙にがたがたと上下揺れながら、行ってしまった。」くらいの意味でしょうか。

その当時は、駿豆線にまだ電気機関車は導入されていなくて、紅葉さんが伊豆を訪れていたころに客車を引っ張っていたのは、小さな蒸気機関車だったようです。それがホームに入ってきた様子をみて、かわいらしいやら、頼りなげなやらの様子をみて、紅葉さんは思わず笑ってしまった、と書いたのだと思われます。

このころまだ駿豆線は、豆相鉄道と呼ばれていた時代で、それでも静岡県初の民営蒸気鉄道だったそうです。東海道線のように政府が運営する路線を走る蒸気機関車はこれよりもずっと早く運行が始まり、輸入した車両を使っていたのでおそらくずっと立派なものだったのでしょう。豆相鉄道の汽車は軌道も狭く、同じ蒸気機関車とはいえ、規模も小さかったはずで、これをみた紅葉さんが笑ってしまったというのもうなずけます。

駿豆線が、電化されるのは、明治39年(1906年)になってからのことです。このあと、明治41年には、岡本綺堂、明治42年には、島崎藤村と田山花袋、明治43年に、夏目漱石、大正5年、吉田絃二郎、大正7年、川端康成と、次々と有名な文士が駿豆鉄道で修善寺にやってきています。

芥川龍之介も、1925年(大正14年)4月21日に、修善寺温泉の新井旅館に行くために、駿豆線に乗っており、東海道線の三島駅から駿豆線、三島駅へ乗り換えるとき、その様子を伝える手紙を残しています。

「三島についたらプラットホームの向う側に修善寺行きの軽便がついているゆえ、それへ乗れば六時には修善寺につく。修善寺駅から新井までは乗合自動車、人力車荷でもある。時間がわかれば僕が迎えに出る。切符は東京駅より修善寺駅まで買ったほうがよし。」

「軽便」というのは、今の駿豆線のことで、軌道の幅が小さく、「ちんけ」に見えるこの路線のことを、その当時はこう呼んでいたようです。芥川さんが三島に着いたのは午後4時39分だったそうで、そのころには、三島から修善寺まで1時間40分もかかっていたのですね。いかにも非力な電気鉄道の様子が目に浮かぶようです。

この手紙は、修善寺へ来る友人か誰かに宛てた手紙のようで、芥川さんが、「切符は東京駅より修善寺駅まで買ったほうがよし」と書いているのは、おそらく、東海道線の三島までしか買わないと、三島でまた駿豆線の切符を買わねばならないから面倒くさい。東京駅で修善寺駅までの切符を売っているので、それを買え、と言いたかったのでしょう。

その当時もう、国営の東海道線と民営の駿豆線の間で、切符の購入にあたっての提携が行われていたことがわかります。

以後、芥川さんのような文士だけでなく、東京から伊豆への湯治客はひきもきらずの状態で、昭和8年には、初めて東京から修善寺までの直行列車が、週末だけでしたが、運行を開始しています。さすがに戦時中は、中断したようですが、戦後の昭和24年に再開。旧国鉄の準急、「いでゆ」、翌25年には同じく準急の「あまぎ」が乗り入れを開始します。

特急「踊り子」は昭和52年(1981年)に、それまで運行されていた特急「あまぎ」と急行「伊豆」を統合して運転が開始されたそうです。この当時の、所要時間は平均2時間45~50分だそうで、現在の2時間10分に比べると30~40分遅かったようです。

現在、「踊り子」号と呼ばれるものにはもうひとつ、伊豆の東側を走る伊豆急行の、「スーパービュー踊り子」があります。こちら、海側を通って下田へ行く電車で、別に天城を通るわけでもないのに、なんで「踊り子」なんかな~と思うのですが、「老舗」である駿豆鉄道を通る特急「踊り子」のネームバリューが大きくなっていたので、ちゃっかりその名前の上に「スーパービュー」をつけ、広告効果をねらったのでしょう。

おかげで「踊り子」がふたつあることになり、結構これを混乱される方も多いみたい。民主党と自民党じゃないけど、ネームバリューが高いとなると、似たような名前をつけたがるのは、日本人の癖なのかもしれませんね。

さて、今日は、駿豆鉄道の歴史物語になってしまいました。いつも、書きはじめは違うことを書こうと思っているのに、途中からどんどん別の方向へ行ってしまうのは、私の「癖」。直したほうがいいのかどうか、わかりませんが、ま、こんなへんな癖のあるブログでもよろしければ、またお寄りください。

今日の伊豆地方は、これから午後、雨になるようです。しばらくの間、天気はあまり期待できなさそうなので、これから、少し散歩でも行ってこようかと思います。またブログにアップするようないい写真が撮れると良いのですが……